29歳から始めるイケメンわんこの上手な飼い(飼われ?)方

Merle

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 水族館に入ると、俺たちの間に蟠っていた青春臭い気まずさはすぐにどこかへ飛んでいった。

「おぉ、予想以上に楽しいな」
「俺は凪さんに喜んでもらえて、凪さんの二倍楽しいっす」
「ははっ、なんだその謎理論」

 衛士の笑顔につられて、俺も笑ってしまった。

 薄暗い通路を、左右に並んだ水槽から溢れる群青色の光が淡く照らし出している。通路の天井が液晶ディスプレイになっていて、そこにも水槽内の様子が映されているために、通路全体が水の中を通っているかのようだ。
 泳ぐ魚を観に来たはずが、泳ぐ魚に観られに来た――なんて気分になってくる。

「凪さん、綺麗っすね」
「ああ……綺麗だな」

 その言葉は、とても素直に口から零れた。
 だから、それに続けて言いたかった言葉も素直に言うことができた。

「ありがとな、衛士。ここに連れてきてくれて。俺じゃ絶対、こういうところに来ようとは思わなかった。おかげで人生、ひとつ損しないで済んだよ」
「人生って大袈裟すぎっす。でも、喜んでもらえて本当、嬉しいっす。……さっきも言いましたけど、凪さんが嬉しいのが嬉しいから、俺のほうが凪さんより二倍嬉しいっす」
「大袈裟なのはどっちだよ……あっ、エイだ!」

 淡く煌めく水色の光に照らされた衛士の笑顔がやけに眩しくて、俺は反射的に目を逸らしたのだが、ちょうど逸らした視線の先を大きな鱏が横切っていった。

「凪さん、鱏が好きなんすか?」

 衛士が少しおかしそうな顔をしながら聞いてくる。

「おう。なんか全然魚っぽくない、SFチックなあのボディライン、格好いいだろ」
「はぁ……確かにそういう目で見ると、人間工学に基づいてデザインしました、って感じに見えなくもないっすね」
「おい、顔が半笑いだぞ」
「すいませんっす……ふふっ」

 堪えきれずに吹き出した衛士に、俺は唇を尖らせる。

「そうやって笑うからには、おまえはさぞ格好いい魚が好きなんだろうな?」
「そうっすね……水族館にいるのだったら、海驢アシカっすね」
「魚じゃねぇ!」
「あははっ」

 朗らかに笑う衛士に、俺もつられて頬が緩んだ。

「はは……ん? 水族館にいるのだったら、ってことは……水族館に限定しないければ、他に好きな魚があるのか?」
「あ、そこ気になるっすか」
「まあ、ちょっとくらいは」
「わ……凪さんが俺に興味持ってくれるの、すっげー嬉しいっす」
「……なんか急にどうでもよくなってきたな」
「そんなこと言わないで聞いてください!」
「じゃあ、さっさと教えろよ」

 俺より大きな身体を押しつけてくる衛士に軽く仰け反りながら促すと、衛士は咳払いを挟んで言った。

「ん、んっ……ずばり、俺の一番好きな魚は……旗魚カジキです」
「旗魚……あ、トロール船で一本釣りする、でっかいやつか」
「そう、それっす。口が角みたいになっていて、めちゃくちゃ速く泳ぐんすよ。あと、刺身が美味いっす」
「最後の情報、重要だな」
「っすよね」
「ちなみに、鱏も獲れたてのは刺身で食べられるぞ。一度しか食べたことないけどな」
「聞いたイメージだけだと、珍味って感じっすね」
「実際そんなとこだったな」

 衛士の感想に頷きを返したところで、ふと、俺は苦笑してしまった。

「凪さん?」
「いや、水族館で刺身の話ってどうなんだよ、って」
「あ……ははっ、ある意味ベタっすね」

 二人で顔を見合わせて笑った。
 それからも二人で館内を漫ろ歩いては、ときどき立ち止まって色取り取りの魚を指差しながら談笑したり、ドクターフィッシュの水槽でどっちの指により多く魚が集まるか競ったり、触れ合いコーナーで子供に混ざって亀を撫でている衛士に俺がなぜか赤面させられたり……と、時間を忘れて楽しんだ。
 そうしているうちに、アシカショーがもうじき始まります、という館内アナウンスが流れてくる。

「……行くっすか?」
「行きたいんだろ」
「はい!」

 子供に混ざってはしゃいだせいか、きらきらと輝く期待の眼差しを隠すことなく頷く衛士。
 俺も、しょうがないな、という態度を取りつつも、心持ち早足でショーの会場に向かった。

    ●

「いやぁ、アシカショー楽しかったっすねぇ」
「だな。ああいうのを観るのって何年か振りだけど、年取ってからでも楽しめるものだな」

 水族館を出た俺たちは、駅構内の回転寿司で遅めの昼食を取っていた。
 今日のデートコースを決めた衛士は、最初はもう少し小洒落た店を考えていたそうなのだが、その店へ向かう途中で回転寿司の看板を見つけてしまったら、二人とももう、寿司以外を考えられなくなっていた。
 水族館の帰りに回転寿司を食べるデートは、本当にデートなのだろうか? せめて回らない鮨屋だったら……いや、いまさら言うまい。

「年取ってからって……そんな年寄り臭いこと言って、凪さんまだ二十代でしょ」
「二十五を過ぎると、二十代ではなくアラサーと呼ばれるようになるんだ……あ、旗魚あるぞ、旗魚」
「あ、いただきます」

 俺が取って渡した旗魚の握りをひょいと口に運んだ衛士は、手元のお品書きに目を落として苦笑を浮かべる。

「んっ……さすがに鱏の寿司はないっす……あっ、鱏鰭エイヒレならあるっすよ。凪さん、頼みます?」
「それ、完全に酒のだろ」
「じゃ、飲むっす?」
「まだ昼間だぞ」

 衛士の顔は最初から笑っていたから、俺も笑って返した。でもそうしたら、衛士のやつはさらっと言いやがった。

「俺、今日はもうずっと凪さんに酔ってますけどね」
「……馬鹿か、馬鹿」
「あはっ、二度言われた」
「ばーか」
「三連続っす、あははっ」

 心底楽しげな衛士の姿に、仏頂面を作ろうとした俺も破顔してしまう。

「まったく……ああ、ついでだから聞くけど、食べ終わった後の予定はどうなっているんだ?」

 日が暮れてからなら酒を頼んでも良かったんだけどな、という思考からの連想で、俺は衛士にこの後のプランがあるのかを尋ねた。

「この後っすか。まあ、いちおう考えてはあるんすけど……俺に任せてもらっちゃって良いんすか?」

 衛士はお茶で唇を湿らせると、そう言って窺うような視線をこちらに投げかけてきた。

「……いいぞ。いや、俺にも考えろと言うんなら、それでもいいんだけど」

 年下の相手に任せっきりというのも申し訳なく思ってそう言ったのだが、言った途端に大きく頭を振られた。

「いやいや、お気遣い不要っす。今日は俺が最後までエスコートしますんで」
「そうか? なら任せるよ」
「はい、任されたっす!」

 衛士は眩しい笑顔で頷いた。


「……って、ラブホじゃねぇか!」

 衛士の案内で入ったのはラブホテルだった。
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