アルジュナクラ

Merle

文字の大きさ
上 下
21 / 54
2章 屍の白い姫、首無しの黒い騎士

2-11.

しおりを挟む
 角笛に背中を衝かれた兵士たちは手に手に構えた槍を突き出して、街道のど真ん中に佇む首のない黒騎士へと突き進んでいく。
 首無し騎士が、身の丈よりも長大な矛を片手で易々と振りかぶる。黒馬が前肢を高々と振り上げる。馬に首があったなら、高らかに嘶いていたことだろう。

「恐れるな! たかだか首のないくらい、動く死体の群れに比べたら屁でもないわ! 串刺しにしてしまえ!」
 ウルゥカの発した檄は些か品位に欠けていたが、兵士らを鼓舞するのには十分だった。
 槍衾が黒い騎馬を押し包む――いや、その寸前、騎馬はほとんど助走もなしに跳んだ。全身鎧の巨躯を乗せた黒馬が高々と宙を舞って、槍を突き出した兵士どもの頭上を跳び越えたのだ。
 黒馬の前肢が地に着くのと同時に、無造作に振るわれた矛が驚く兵士数名の首を撥ね飛ばした。宙に飛んだ首を追って噴き出す鮮血が、一方的な殺戮劇の幕開けを告げる合図だった。

 数の上では二千対一だが、首無し騎士と同時に干戈を交えることができるのはせいぜい五名だ。しかも、首無し騎士を乗せた黒馬は人の背丈よりも高く跳ねる脚力を存分に発揮して、二千余の兵が居並ぶ中を我が物顔で駆けまわり、兵たちに的を絞らせない。
 さらに言うなら、兵士たちが戦闘訓練で身につけたのは、「軍隊対軍隊」の戦い方だ。敵軍の戦列に対して槍衾を突き出すことはできても、縦横無尽に駆けまわる敵一人を追いまわす術が、兵士たちにはなかった。長槍を振りまわして首無し騎士を追いかけようとしたために、同士討ちになった者も少なくなかったという。

 そうして混乱する兵士たちのただなかを黒馬が大きく跳ねるたび、首無し騎士の矛が閃いて、長槍の柄が飛び、剣が折れ、兵士の首が宙を舞う。
 さながら草刈りのような様相を呈する一方的な戦闘だったが、首無し騎士もけして無敵ではなかった。
 いくら規格外に長大な矛とはいっても、背中は死角になる。着地した瞬間は動きが止まる。そこへ槍を突き込まれたり、あるいは捨て身で剣を打ち込まれたりすれば、旋風の如き馬術と矛捌きをもってしても、その全てを避けることはできなかった。
 馬上にあって全身鎧に覆われた体躯はそうそう傷つかないが、黒馬の肌にはいくつもの傷ができていく。首がないのに生きている異形の馬でも、傷を負えば弱るらしい。跳ねる高さもだんだんと低くなっていき、そのうちはっきりと弱っているのが分かるくらいに動きが鈍っていった。

「いいぞ、その調子だ。まずは馬からなますにしてやれ!」
 ウルゥカの胴間声に焚きつけられるまでもなく、兵士たちは首を刎ねられた同胞の恨みを晴らさんとして、怒りの形相で槍を振るった。

 首無し騎士の矛はなおも暴威を振るったが、それでも徐々に趨勢は逆転しつつあった。
 このまま戦闘が続いていたら、マガーダ軍に甚大な犠牲を出させつつも、異形の騎士はここで討ち取られていたかもしれない。
 もっとも、首無し騎士とて二百年前の人間が討ち滅ぼすこと叶わずに封じるしかなかっただけの強者だ。死を前にした狂奔に身を任せたならば、敵兵の千や二千は当然のごとく道連れにしていただろう。
 しかし、幸いにもと言うべきか、首無し騎士が理性の軛から自らを解き放つことにはならなかった。
 戦場の横手で上がった鯨波が、マガーダ軍を急襲したからだった。

「何だ!? 何が起きた!?」

 混乱するウルゥカに、伝令兵が急報した。

「報告します、敵襲です! 我が軍の後方から敵が攻めてきました!」
「なんだと! ええい、敵は潰走していたのではなかったのか!?」

 ウルゥカは、アルジュたちグプタ軍が息子ラージュの攻勢を受けて壊滅しているものと思っていた。しかし、実際はその逆――壊滅したのはラージュが率いていたマガーダ軍分隊で、グプタ軍はほとんど損害を出していなかった。
 では、グプタ軍はなぜ、戦場に首無し騎士を単騎で残して姿を消していたのか? その答えこそが、いま起きている背後からの奇襲であった。
 マガーダ軍はグプタ軍分隊を潰した後、首無し騎士のみを街道沿いに西進させて、自分たちは街道から一里ほど離れた森の中を下馬で進み、グプタ軍の後背に回り込んだのだった。

 この当時の一里はおよそ「街道を歩いて半刻(※注:約一時間)で進んだ距離」を指す。故に森林での一里は街道での一里よりも短いことになるのだが、それでも戦場からかなり離れたところを進んだことに変わりはない。アルジュたち本隊がそうして大回りして戦場に到着するまで、首無し騎士は半刻以上、たった一騎で戦い続けたことになる。
 作戦と呼ぶにはあまりにも乱暴なこの作戦が成功したのは、偏に首無し騎士の強烈な見た目と強さがあったればこそだ。もしも心に余裕があれば、ウルゥカは、この場にアルジュたちグプタ軍の姿が全く見当たないことをもっと不審がっていたかもしれない。そうなっていれば、奇襲は失敗していたことだろう。

 だが、全てはだ。
 疲れを見せた首無し騎士を討ち取らんと躍起になっていたマガーダ軍は、背後からの急襲に大きく乱れた。

「ええい、狼狽えるな! 相手は少数だ!」
 ウルゥカの怒声も、混乱する兵士たちには浸透しない。
 数の上ではまだマガーダ軍のほうが倍以上を有していたが、一時的にでも統率の崩れた軍隊は脆い。少数ながらも意気軒昂なグプタ軍騎兵の突撃は、極上のパン生地にナイフの刃を入れるよりも容易くマガーダ軍を分断した。

 そこからの戦闘について、長く語る必要はない。
 左右に分断されたマガーダ軍は、再合流をアルジュたち騎兵に阻まれている間に、息を吹き返した首無し騎士の猛攻を受けて、分断された片方ずつ壊滅させられていった。

 ウルゥカと共にグプタ領の中央部まで逃げ果せることができた兵の数は、千とそこそこだけだった。
 数だけで見ればまだグプタ軍の六百より勝っていたけれど、一騎当千の首無し騎士と、またいつ湧いてくるか分からない屍兵の大群を考えれば、もはや侵攻作戦どころではなかった。
 領都に逃げ帰って屋敷に籠もり、リシュナへの求婚に端を発した一連の件について手打ちにしてもらうための賠償金としてどれだけの額が工面できるかを大急ぎで考えなければならない状況だった。

 ウルゥカが息子の戦死を知ったのは、領都へと帰る道すがらでのことだった。
しおりを挟む

処理中です...