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2. エル子とレンジと超銀河
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その日のお昼、エル子がもそもそ目を覚ます。
「んー……」
布団から転がり出た後も、エル子は立ち上がらずに寝そべったまま、眠たげに目を細めている。
エル子は朝が弱い。
「ほら、エルフって森の民じゃん。地母神が樹木の精霊とエッチして生まれた種族だって言うじゃん。だから、日が出ているうちはボーッとしちゃうんだよ。光合成してた頃の名残でさぁ」
というのはエル子本人の談だ。念のために言っておくが、何の根拠もない。
それはさておき――寝起きの熱いシャワーを浴びて、エル子はようやくしゃっきり目を覚ます。
「あっさごっふぁーん」
お湯を含んでべったり濡れた金髪ロングをそのままに、エル子は全裸で台所へと直行。冷蔵庫の前でしゃがんで、中身を漁る。
「おー、今日は焼きうどーん」
兄のドワ夫が朝方、職場に行く前に作ってくれたお昼ご飯だ。エルフ好みの野菜たっぷり焼きうどんが、ラップをかけて保存されていた。常温保存ではなく冷蔵庫に入っていたのは、エル子がいつ起きるか分からなかっただろう。
冷蔵庫から焼きうどんを取り出したエル子。早速、お箸を咥えて、居間の炬燵に運ぶ。
ちなみに炬燵は、冬は暖房、夏は冷房になる優れもの。冷房時の熱排気には一苦労したオーダーメイドだ。
そんな炬燵にするりと入って、お皿のラップを摘まんだところで、エル子の笑顔はぱたりと曇る。
「冷え冷え焼きうどん……ちょい、びみょーん」
だったらレンジでチンすればいい……のだけれど、ただいま座ったばかりというのに、またすぐ立つのは業腹至極。
でも大丈夫。そんなときこそ魔法陣。
「要は思いっきり激しくシェイクして、その摩擦熱で温めればいいんでしょ。だからー、えーと……ここをこうして、こうで、こう、こう……」
取り出したる魔法用紙に魔筆でもって、文字や図形に数式その他を、ちょいちょいちょちょいと描き込んでいく。
「って、失敗!」
下描き無しの一発描きは残念、失敗。失敗用紙を裏返し、ざくざくざくっと設計図。
「やっぱ、設計図なしじゃ駄目かー」
というわけで、裏返した失敗用紙にざくざくざくっと設計図を描き散らしていく。
何度か下描きを重ねて満足な魔法陣が描けそうだと納得が入ったところで、気合いを入れて二回目挑戦。
「ふんふんふっ、ふふっうぅーん」
鼻歌交じりにリズムを取って口ずさみ、魔筆をしゃっしゃかフィギュアスケートみたいに踊らせる。
「……っし、完成!」
魔筆の補正がなければ絶対描けないレベルの、細かくびっしり描き込みされた魔法陣。今度はそれが合計四枚。その四枚をテープでぺたぺた貼り合わせ、前と上とが空になってる立方体に組み上げる。ちょっとした紙製の棚。
その棚に、ラップをかけた冷たい焼きうどんを収めたら、いよいよ本番。
「さあ、いざ! 通力!」
即席紙製魔法レンジにエル子が魔力を通した瞬間、
BAGOOOONN!!
爆発した。
紙製レンジも、焼きうどんも爆発四散していた。
黒焦げ、丸焦げ――なんて生易しいものではない。粉微塵に破裂して、部屋中にこびり付く黒ずみと化していた。
「……おーぅ」
呻いたエル子の顔面にも、真っ黒な消し炭になった魔法用紙と焼きうどんの残骸がパックのように貼り付いていた。
ぷーっと息を吐いたら、黒い煙がぶわっと舞い上がる。
「うぅ……兄やんが帰ってくる前になんとかしないと……」
エル子はよたよた起き上がると、玄関脇の納戸に向かう。そこに仕舞ってあった掃除道具を漁るのだが……
「あれー? 掃除用スライム、切れてるし……」
掃除用に調整された便利な錬金生物だけど、うっかり室内に放置していると延々ゴミを吸い続けて、あっという間に吸収力がなくなってしまうのが玉に瑕だ。まあ、その場合、部屋はびっくりするほどピカピカになるのだが。
最近は水洗いの後に絞って乾せば再利用できるものもあるけれど、結構なお値段がするので購入を見合わせていた。
「買っときゃよかったぁ……!」
エル子、痛恨の極み。後の祭りである。なお、いまから買いに行くという選択肢はない。なぜなら、太陽が眩しいからだ。
「というわけで、レッツ錬成じゃー」
ふんふんふふーんっ、と鼻歌交じりに準備を始めるエル子だが、
「っと、その前にお風呂かね」
煤けた身体をシャワーで流して、服も着替えて、改めて錬成作業に取りかかる。
といっても、やることはさっきと大して変わらない。それ用の紙に魔筆で魔法陣を描いていくという、魔法にありがちないつもの手法だ。
「……あ、駄目だ」
錬成用の魔法陣を描いている途中で、エル子、気がつく。
「錬成素材、ないじゃん」
素材ボックスを探ってみても、スライム錬成に適したものが見つからない。
「ん、ん、んんーぅ……んぬぅ……なぜにスライム素材、見つかんにゃーよー? スライムなんて、わりと何からでも作れるはずなのに……むううぅ……」
素材ボックスはわりとゴミ箱兼用で、エル子がうっかり通販った激安訳あり粗悪品から、兄のドワ夫がどこかで貰うか何かしてきた屑鉄やら珍品やらまで、幅広く、かつ無軌道に放り込まれていた。だがその一方で、一般的な素材については入っていないことのほうが多かったりする。
「これ、なんじゃら? なんかの卵? なんかの目玉? んー……わかにゃーん」
鑑定の魔法陣に載せればネット事典から参照項目を引いてこられるかもしれないけれど、いちいち魔法陣を用意する手間が惜しい(安い魔法用紙は一回ごとに使い捨てなのだ)。耐久性の高い高級紙もあるけれど、値段を考えると費用対効果がよろしくないのだ。
ゆえにエル子は、よく分からない素材はだいたい「なんかの○○」で済ませていた。
「んー、よく分かんないけどー……たぶん、このへんと、このへんとー……あっ、このへんのこれもっ」
エル子はスライム素材の代用品になりそうな気がするものを適当に見繕って取り出すと、手早く描いた錬成用魔法陣に載せた容器の中に混ぜていく。
試験管(何枚もの護符で厳重封印されていた)に封入されていた濁った血のようなものは「なんかの血」で、「水玉」の代用品。ガラスの卵みたいな容器に詰め込まれていた無数の目玉的なものは「なんかの目玉」で、「魔核」の代用品だ。
スライム錬成の基本素材は「水玉」「魔核」のふたつで十分だけど、これだけだとすぐに死んでしまうので、植物の葉と「木霊エキス」を追加して光合成するようにしたり、精子だとか卵子だとかに「工業用神水」を加えて雑食性にしたりする。さらに掃除用スライムとして吸収力を高めるために、接着剤に使うような成分をぶち込むのも一般的だ。
エル子は今回、なぜか頭がふたつに腕が四本ある藁人形と、真っ黒なのに心臓が脈打つみたいに明滅しているように見えなくもない角張った石ころを追加素材として加えてみた。
「あ、ついでにこれもー」
隠し味に、ペットボトルに入っていた黄金色のジュースをじょろっと振りかける。なんとなく聖水っぽいので、素材同士のつなぎにイイ感じなような気がしたから。
「さーて、ではでは……」
素材を載せた魔法陣に両手を翳し、エル子は目を細める。焦点を微妙にずらして、光ではなく魔力を視る目に切り替えたのだ。
「むにゃむにゃむにゃ……」
必要なことは魔法陣に全部描き込んであるから、べつに呪文は唱えなくていい。でも、なんとなく何か言いたくなるから、むにゃむにゃ言ってみる。そのほうが集中できる。魔法陣でもむにゃむにゃ言う派、わりと多い。
そして、通力。
エル子の両手からそっと放たれた魔力が魔法陣を起動させる。霊視状態のエル子の目には、魔法陣を循環した魔力が螺旋を描きながら立ち上っていくのが見えている。魔力の螺旋は素材を全て覆う高さになったところで上昇を止め、そのままぐるぐると回転だけを続ける。
魔力の渦に包まれた素材たちは、それぞれの変化を見せ始める。
「なんかの血」は沸かした牛乳みたいにぶくぶくと膨張を始め、「なんかの目玉」は黒かった虹彩を金色に輝かせ、ぎょろぎょろと周囲を睨みまわす。
藁人形は自分の喉や胸を掻き毟って自分自身をばらばらにしようとしているし、黒く輝く石ころは急膨張している「なんかの血」を無際限に啜って、輝きを強くしていっている。
「……むーぅ」
これわりとヤバい感じなんじゃなかんべか……と、エル子、さすがに冷や汗。魔法陣への通力はとっくに止めているのに、魔法陣は勝手に魔力を集めて稼働し続けている。明らかに異常だった。見た感じのヤバさからして間違いなく、使った素材のどれか、あるいは全部に問題があったせいだ。
「これ、退避したほうが……ってか、退避するしかないよね?」
叩いたり水を掛けたりしても、まず無駄だ。集まっている魔力の竜巻みたいな密度を前にすれば、試すまでもなく分かる。自然状態ではそうそう起こりえないほど高密度になった魔力は、霊視では眩しすぎて、もう直視できない。慌てて普通の視覚に戻しても、ぎらぎらと火花が散るような感じで魔力が見えてしまっている。
「可視化するほど高密度って……あーこれもう、いまさら退避無理かー」
せめてもの救いは、魔法陣に念のため描き入れていた“放射線その他諸々のヤバいやつ遮断セット魔法”が問題なく発動していることだった。
もはや全てを天に任せて呆然としているエル子が見ている前で、魔法陣は反応を加速させていく。エル子が描いたのは、素材の分解と融合を誘導促進するための錬成用魔法陣であるはずなのに、いま起きている反応は明らかに錬成時のそれではない。
「この金色ジュースのせいっぽい?」
最後に隠し味として素材全体に振りかけた、金色の液体のことだ。なぜそれが原因だと思ったのかというと、可視光の域まで凝縮されつつ渦巻いている魔力の繭が、金色に輝きだしていたからだ。
魔力は普通、可視光域になることはないから、「普通と色が違う!」とかは分からないけど、それでも神々しいほどに輝く黄金色の魔力は、明らかに尋常ではない。
まあ、だからと言って金色ジュースが原因だとは限らないのだが、この際ぶっちゃけ、原因なんてどうでもいい。とにかく異常がヤバいのだ。
「おぅ、じーざぁす……」
魔法万能の時代に神頼みというナンセンス。だけど、この期に及んでしまっては、エル子にできる唯一のことだ。
果たして、その祈りが何処かの高次存在に届いたのか――黄金の閃光が居間を隙間なく埋め尽くした。
爆発音はしなかった。
「……おぅ」
エル子の意識は何十秒間か、途切れていた。至近距離で閃光を食らった衝撃で気絶していたようだ。
胎児のポーズで丸まっていたエル子が意識を取り戻したのは、異様な魔力を感じ取ったからだ。腐った硫酸で全身を焼かれるような、気色悪さと不愉快さと痛さと恐怖をぐちゃぐちゃに混ぜて煮詰めたような気配に、目覚めたそばからまた気絶しそうになる。
「ううぅ……なんじゃー、こりゃー……」
襲ってくる吐き気と頭痛のおかげで、皮肉にも再度の気絶を免れた。
ぷるぷると小刻みに震えながら身体を起こしたエル子は、それに気がつく。
「え……なんこれ? 異世界召喚ゲート的な?」
スライム錬成の魔法陣だったはずのものが、蓋を開けたマンホールのようなことになっていた。マンホールの内側は、黒と金の輝きが斑模様に渦巻く異空間的な感じのあれだ。まったく理解の埒外だけど、とにかく凄くて、とにかくヤバい。
「逃げるか!?」
放置はヤバいとはっきり分かるが、だからといって何ができるか――
「って、どっちにしたって時間切れ!」
ゲート的な穴の向こう――黒と金の渦巻く空間が、こちらに染み出してきた。
空間のように見えて、じつは生き物だったようだ。いや、空間そのものが生き物なのか。生きている空間。空間生命体。意味が分からん。ゆえにエル子は、考えることを放棄した。
――ヤバい。
この単語以上の思考は止めて、あとは反射とか本能とか、そういうものに身を任せた。
その結果、エル子の手はエル子自身がすっかり存在を忘れていたそれを引っ掴む。最初に描いて失敗した後、裏側を設計図の下描きに使ったまま放置していた、即席レンジ魔法陣の失敗版だ。
失敗だった理由は、設定した魔力線の照射量が多すぎたからだ。その次に用意したレンジ魔法陣が四枚一組だったのは、照射面を四倍にすることで一面当たりの照射量を減らすためだった。
結局は四分割バージョンでも発生する熱量が高すぎて焼きうどんを消し炭にしたわけだが、それを超える熱量を一点集中させる失敗バージョンのレンジ魔法陣。
考えるのを止めたエル子は、その魔法陣でもって召喚ゲート的な穴に蓋をするなり、全力で魔法陣に通力していた。
晴れ渡る空の下、その日二度目の爆発音が轟いた。
● ● ●
夜になり、
「ただいま」
と、ドワ夫が帰宅する。
「兄やん、おかえりー」
エル子はいつものように居間でネトゲをしながら、いつものようにおかえりを言う。それを聞きながら居間に入ってくるドワ夫。
「今日、日中にこの辺りで爆発音がしたというニュースを観たが、大丈夫だったか?」
「えー、爆発? そんなのあったんだ。いま初めて知ったよー」
エル子はマウスを片手に画面を見ながら、少なくとも表面上は自然体で答える。実際、居間はどこも汚れていない。
「そうか――」
と頷きかけたドワ夫だったが、太い眉をふと持ち上げる。
「おまえ、壁の拭き掃除をしたのか?」
「えっ、どしてっ?」
エル子の声が微妙に上擦ったことに、ドワ夫は気がついただろうか。
「いや、なにか綺麗になっているようだったから」
「あっ、うんうん! ちょっと汚れが気になったから、ちゃちゃーっと拭いてみたんだ」
「そうか、ありがとな」
「どういたしましてー」
「それと、夕飯の弁当な」
「おー、ヴィーガンカレー好きー」
いつものように更けていく、いつも通りの夜だった。
いつもと違っている点はひとつだけ――居間の片隅を、新月の星空をぎゅっと丸めたような見た目のお掃除スライムがうにょうにょと這っていることだ。
考えるのを止めたエル子が召喚ゲートと化した錬成魔法陣を破壊した後、こちら側に残った謎空間の切れ端を素材にして錬成したスライムだった。
考えるのを止めていた結果なので、同じことをやれと言われても、間違いなく二度はできない。
なんだかとんでもないものを創造してしまったような気がしなくもないのだけど、そんなことをひとまず棚上げしておいてもいいかなーと思っちゃうくらい、超銀河スライム(仮称)は納得のお掃除性能を発揮してくれたのだった。
色々あれど、なべて世は事もなし。
なしなのだったら、なしなのだ。
「んー……」
布団から転がり出た後も、エル子は立ち上がらずに寝そべったまま、眠たげに目を細めている。
エル子は朝が弱い。
「ほら、エルフって森の民じゃん。地母神が樹木の精霊とエッチして生まれた種族だって言うじゃん。だから、日が出ているうちはボーッとしちゃうんだよ。光合成してた頃の名残でさぁ」
というのはエル子本人の談だ。念のために言っておくが、何の根拠もない。
それはさておき――寝起きの熱いシャワーを浴びて、エル子はようやくしゃっきり目を覚ます。
「あっさごっふぁーん」
お湯を含んでべったり濡れた金髪ロングをそのままに、エル子は全裸で台所へと直行。冷蔵庫の前でしゃがんで、中身を漁る。
「おー、今日は焼きうどーん」
兄のドワ夫が朝方、職場に行く前に作ってくれたお昼ご飯だ。エルフ好みの野菜たっぷり焼きうどんが、ラップをかけて保存されていた。常温保存ではなく冷蔵庫に入っていたのは、エル子がいつ起きるか分からなかっただろう。
冷蔵庫から焼きうどんを取り出したエル子。早速、お箸を咥えて、居間の炬燵に運ぶ。
ちなみに炬燵は、冬は暖房、夏は冷房になる優れもの。冷房時の熱排気には一苦労したオーダーメイドだ。
そんな炬燵にするりと入って、お皿のラップを摘まんだところで、エル子の笑顔はぱたりと曇る。
「冷え冷え焼きうどん……ちょい、びみょーん」
だったらレンジでチンすればいい……のだけれど、ただいま座ったばかりというのに、またすぐ立つのは業腹至極。
でも大丈夫。そんなときこそ魔法陣。
「要は思いっきり激しくシェイクして、その摩擦熱で温めればいいんでしょ。だからー、えーと……ここをこうして、こうで、こう、こう……」
取り出したる魔法用紙に魔筆でもって、文字や図形に数式その他を、ちょいちょいちょちょいと描き込んでいく。
「って、失敗!」
下描き無しの一発描きは残念、失敗。失敗用紙を裏返し、ざくざくざくっと設計図。
「やっぱ、設計図なしじゃ駄目かー」
というわけで、裏返した失敗用紙にざくざくざくっと設計図を描き散らしていく。
何度か下描きを重ねて満足な魔法陣が描けそうだと納得が入ったところで、気合いを入れて二回目挑戦。
「ふんふんふっ、ふふっうぅーん」
鼻歌交じりにリズムを取って口ずさみ、魔筆をしゃっしゃかフィギュアスケートみたいに踊らせる。
「……っし、完成!」
魔筆の補正がなければ絶対描けないレベルの、細かくびっしり描き込みされた魔法陣。今度はそれが合計四枚。その四枚をテープでぺたぺた貼り合わせ、前と上とが空になってる立方体に組み上げる。ちょっとした紙製の棚。
その棚に、ラップをかけた冷たい焼きうどんを収めたら、いよいよ本番。
「さあ、いざ! 通力!」
即席紙製魔法レンジにエル子が魔力を通した瞬間、
BAGOOOONN!!
爆発した。
紙製レンジも、焼きうどんも爆発四散していた。
黒焦げ、丸焦げ――なんて生易しいものではない。粉微塵に破裂して、部屋中にこびり付く黒ずみと化していた。
「……おーぅ」
呻いたエル子の顔面にも、真っ黒な消し炭になった魔法用紙と焼きうどんの残骸がパックのように貼り付いていた。
ぷーっと息を吐いたら、黒い煙がぶわっと舞い上がる。
「うぅ……兄やんが帰ってくる前になんとかしないと……」
エル子はよたよた起き上がると、玄関脇の納戸に向かう。そこに仕舞ってあった掃除道具を漁るのだが……
「あれー? 掃除用スライム、切れてるし……」
掃除用に調整された便利な錬金生物だけど、うっかり室内に放置していると延々ゴミを吸い続けて、あっという間に吸収力がなくなってしまうのが玉に瑕だ。まあ、その場合、部屋はびっくりするほどピカピカになるのだが。
最近は水洗いの後に絞って乾せば再利用できるものもあるけれど、結構なお値段がするので購入を見合わせていた。
「買っときゃよかったぁ……!」
エル子、痛恨の極み。後の祭りである。なお、いまから買いに行くという選択肢はない。なぜなら、太陽が眩しいからだ。
「というわけで、レッツ錬成じゃー」
ふんふんふふーんっ、と鼻歌交じりに準備を始めるエル子だが、
「っと、その前にお風呂かね」
煤けた身体をシャワーで流して、服も着替えて、改めて錬成作業に取りかかる。
といっても、やることはさっきと大して変わらない。それ用の紙に魔筆で魔法陣を描いていくという、魔法にありがちないつもの手法だ。
「……あ、駄目だ」
錬成用の魔法陣を描いている途中で、エル子、気がつく。
「錬成素材、ないじゃん」
素材ボックスを探ってみても、スライム錬成に適したものが見つからない。
「ん、ん、んんーぅ……んぬぅ……なぜにスライム素材、見つかんにゃーよー? スライムなんて、わりと何からでも作れるはずなのに……むううぅ……」
素材ボックスはわりとゴミ箱兼用で、エル子がうっかり通販った激安訳あり粗悪品から、兄のドワ夫がどこかで貰うか何かしてきた屑鉄やら珍品やらまで、幅広く、かつ無軌道に放り込まれていた。だがその一方で、一般的な素材については入っていないことのほうが多かったりする。
「これ、なんじゃら? なんかの卵? なんかの目玉? んー……わかにゃーん」
鑑定の魔法陣に載せればネット事典から参照項目を引いてこられるかもしれないけれど、いちいち魔法陣を用意する手間が惜しい(安い魔法用紙は一回ごとに使い捨てなのだ)。耐久性の高い高級紙もあるけれど、値段を考えると費用対効果がよろしくないのだ。
ゆえにエル子は、よく分からない素材はだいたい「なんかの○○」で済ませていた。
「んー、よく分かんないけどー……たぶん、このへんと、このへんとー……あっ、このへんのこれもっ」
エル子はスライム素材の代用品になりそうな気がするものを適当に見繕って取り出すと、手早く描いた錬成用魔法陣に載せた容器の中に混ぜていく。
試験管(何枚もの護符で厳重封印されていた)に封入されていた濁った血のようなものは「なんかの血」で、「水玉」の代用品。ガラスの卵みたいな容器に詰め込まれていた無数の目玉的なものは「なんかの目玉」で、「魔核」の代用品だ。
スライム錬成の基本素材は「水玉」「魔核」のふたつで十分だけど、これだけだとすぐに死んでしまうので、植物の葉と「木霊エキス」を追加して光合成するようにしたり、精子だとか卵子だとかに「工業用神水」を加えて雑食性にしたりする。さらに掃除用スライムとして吸収力を高めるために、接着剤に使うような成分をぶち込むのも一般的だ。
エル子は今回、なぜか頭がふたつに腕が四本ある藁人形と、真っ黒なのに心臓が脈打つみたいに明滅しているように見えなくもない角張った石ころを追加素材として加えてみた。
「あ、ついでにこれもー」
隠し味に、ペットボトルに入っていた黄金色のジュースをじょろっと振りかける。なんとなく聖水っぽいので、素材同士のつなぎにイイ感じなような気がしたから。
「さーて、ではでは……」
素材を載せた魔法陣に両手を翳し、エル子は目を細める。焦点を微妙にずらして、光ではなく魔力を視る目に切り替えたのだ。
「むにゃむにゃむにゃ……」
必要なことは魔法陣に全部描き込んであるから、べつに呪文は唱えなくていい。でも、なんとなく何か言いたくなるから、むにゃむにゃ言ってみる。そのほうが集中できる。魔法陣でもむにゃむにゃ言う派、わりと多い。
そして、通力。
エル子の両手からそっと放たれた魔力が魔法陣を起動させる。霊視状態のエル子の目には、魔法陣を循環した魔力が螺旋を描きながら立ち上っていくのが見えている。魔力の螺旋は素材を全て覆う高さになったところで上昇を止め、そのままぐるぐると回転だけを続ける。
魔力の渦に包まれた素材たちは、それぞれの変化を見せ始める。
「なんかの血」は沸かした牛乳みたいにぶくぶくと膨張を始め、「なんかの目玉」は黒かった虹彩を金色に輝かせ、ぎょろぎょろと周囲を睨みまわす。
藁人形は自分の喉や胸を掻き毟って自分自身をばらばらにしようとしているし、黒く輝く石ころは急膨張している「なんかの血」を無際限に啜って、輝きを強くしていっている。
「……むーぅ」
これわりとヤバい感じなんじゃなかんべか……と、エル子、さすがに冷や汗。魔法陣への通力はとっくに止めているのに、魔法陣は勝手に魔力を集めて稼働し続けている。明らかに異常だった。見た感じのヤバさからして間違いなく、使った素材のどれか、あるいは全部に問題があったせいだ。
「これ、退避したほうが……ってか、退避するしかないよね?」
叩いたり水を掛けたりしても、まず無駄だ。集まっている魔力の竜巻みたいな密度を前にすれば、試すまでもなく分かる。自然状態ではそうそう起こりえないほど高密度になった魔力は、霊視では眩しすぎて、もう直視できない。慌てて普通の視覚に戻しても、ぎらぎらと火花が散るような感じで魔力が見えてしまっている。
「可視化するほど高密度って……あーこれもう、いまさら退避無理かー」
せめてもの救いは、魔法陣に念のため描き入れていた“放射線その他諸々のヤバいやつ遮断セット魔法”が問題なく発動していることだった。
もはや全てを天に任せて呆然としているエル子が見ている前で、魔法陣は反応を加速させていく。エル子が描いたのは、素材の分解と融合を誘導促進するための錬成用魔法陣であるはずなのに、いま起きている反応は明らかに錬成時のそれではない。
「この金色ジュースのせいっぽい?」
最後に隠し味として素材全体に振りかけた、金色の液体のことだ。なぜそれが原因だと思ったのかというと、可視光の域まで凝縮されつつ渦巻いている魔力の繭が、金色に輝きだしていたからだ。
魔力は普通、可視光域になることはないから、「普通と色が違う!」とかは分からないけど、それでも神々しいほどに輝く黄金色の魔力は、明らかに尋常ではない。
まあ、だからと言って金色ジュースが原因だとは限らないのだが、この際ぶっちゃけ、原因なんてどうでもいい。とにかく異常がヤバいのだ。
「おぅ、じーざぁす……」
魔法万能の時代に神頼みというナンセンス。だけど、この期に及んでしまっては、エル子にできる唯一のことだ。
果たして、その祈りが何処かの高次存在に届いたのか――黄金の閃光が居間を隙間なく埋め尽くした。
爆発音はしなかった。
「……おぅ」
エル子の意識は何十秒間か、途切れていた。至近距離で閃光を食らった衝撃で気絶していたようだ。
胎児のポーズで丸まっていたエル子が意識を取り戻したのは、異様な魔力を感じ取ったからだ。腐った硫酸で全身を焼かれるような、気色悪さと不愉快さと痛さと恐怖をぐちゃぐちゃに混ぜて煮詰めたような気配に、目覚めたそばからまた気絶しそうになる。
「ううぅ……なんじゃー、こりゃー……」
襲ってくる吐き気と頭痛のおかげで、皮肉にも再度の気絶を免れた。
ぷるぷると小刻みに震えながら身体を起こしたエル子は、それに気がつく。
「え……なんこれ? 異世界召喚ゲート的な?」
スライム錬成の魔法陣だったはずのものが、蓋を開けたマンホールのようなことになっていた。マンホールの内側は、黒と金の輝きが斑模様に渦巻く異空間的な感じのあれだ。まったく理解の埒外だけど、とにかく凄くて、とにかくヤバい。
「逃げるか!?」
放置はヤバいとはっきり分かるが、だからといって何ができるか――
「って、どっちにしたって時間切れ!」
ゲート的な穴の向こう――黒と金の渦巻く空間が、こちらに染み出してきた。
空間のように見えて、じつは生き物だったようだ。いや、空間そのものが生き物なのか。生きている空間。空間生命体。意味が分からん。ゆえにエル子は、考えることを放棄した。
――ヤバい。
この単語以上の思考は止めて、あとは反射とか本能とか、そういうものに身を任せた。
その結果、エル子の手はエル子自身がすっかり存在を忘れていたそれを引っ掴む。最初に描いて失敗した後、裏側を設計図の下描きに使ったまま放置していた、即席レンジ魔法陣の失敗版だ。
失敗だった理由は、設定した魔力線の照射量が多すぎたからだ。その次に用意したレンジ魔法陣が四枚一組だったのは、照射面を四倍にすることで一面当たりの照射量を減らすためだった。
結局は四分割バージョンでも発生する熱量が高すぎて焼きうどんを消し炭にしたわけだが、それを超える熱量を一点集中させる失敗バージョンのレンジ魔法陣。
考えるのを止めたエル子は、その魔法陣でもって召喚ゲート的な穴に蓋をするなり、全力で魔法陣に通力していた。
晴れ渡る空の下、その日二度目の爆発音が轟いた。
● ● ●
夜になり、
「ただいま」
と、ドワ夫が帰宅する。
「兄やん、おかえりー」
エル子はいつものように居間でネトゲをしながら、いつものようにおかえりを言う。それを聞きながら居間に入ってくるドワ夫。
「今日、日中にこの辺りで爆発音がしたというニュースを観たが、大丈夫だったか?」
「えー、爆発? そんなのあったんだ。いま初めて知ったよー」
エル子はマウスを片手に画面を見ながら、少なくとも表面上は自然体で答える。実際、居間はどこも汚れていない。
「そうか――」
と頷きかけたドワ夫だったが、太い眉をふと持ち上げる。
「おまえ、壁の拭き掃除をしたのか?」
「えっ、どしてっ?」
エル子の声が微妙に上擦ったことに、ドワ夫は気がついただろうか。
「いや、なにか綺麗になっているようだったから」
「あっ、うんうん! ちょっと汚れが気になったから、ちゃちゃーっと拭いてみたんだ」
「そうか、ありがとな」
「どういたしましてー」
「それと、夕飯の弁当な」
「おー、ヴィーガンカレー好きー」
いつものように更けていく、いつも通りの夜だった。
いつもと違っている点はひとつだけ――居間の片隅を、新月の星空をぎゅっと丸めたような見た目のお掃除スライムがうにょうにょと這っていることだ。
考えるのを止めたエル子が召喚ゲートと化した錬成魔法陣を破壊した後、こちら側に残った謎空間の切れ端を素材にして錬成したスライムだった。
考えるのを止めていた結果なので、同じことをやれと言われても、間違いなく二度はできない。
なんだかとんでもないものを創造してしまったような気がしなくもないのだけど、そんなことをひとまず棚上げしておいてもいいかなーと思っちゃうくらい、超銀河スライム(仮称)は納得のお掃除性能を発揮してくれたのだった。
色々あれど、なべて世は事もなし。
なしなのだったら、なしなのだ。
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