俺はこの小説が書かれている途中だと知っている

がみや

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2章 物語を完成させるために

視点が消えるまで

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 朝が来たことを、彼は音で知った。

 目覚ましではない。
 鳥の声でもない。
 ただ、外で何かが動き始めた気配だ。

 世界が再生を始めた、という感じに近い。

 彼は目を開ける。
 だが、そこに感情はない。

 眩しいとも、眠いとも思わない。
 「起きなければならない」という判断もない。

 それでも身体は起き上がる。

 理由はないが、理由がなくても動く程度には、
 世界は彼を放っておかない。

 洗面所で顔を洗う。

 水が冷たい。
 そう書くことはできる。

 だが、
 冷たいと感じた“自分”を
 言葉にすることはできない。

 感覚はある。
 意味がない。

 それだけだ。

 通学路を歩く。

 信号で止まり、
 人の流れに合わせて進む。

 以前なら、
 ここで思考が発生していた。

 この動作は誰のためか。
 自分はどこへ向かっているのか。
 止まるなら、今ではないのか。

 だが今は、
 問いが発生しない。

 問いが発生しないことに対して、
 焦りすらない。

 教室に入ると、
 代役がもう前の席にいる。

 姿を見る。
 それだけだ。

 感情が湧かないわけではない。
 ただ、
 湧いたものが言葉になる前に消える。

 まるで、
 文章化される前提を
 最初から持っていないように。

 授業が始まる。

 教師の声。
 チョークの音。
 ノートを取る音。

 世界は整然としている。

 破綻はない。
 遅延もない。

 彼がいなくても、
 何一つ困らない速度で進む。

 ここで、本来なら
 決定的な内面描写が入る。

 「自分は完全に不要になった」
 「それでも存在している理由は何か」

 だが、
 それは書けない。

 なぜなら彼は、
 もう“自分の状態を評価していない”。

 評価しないものは、
 物語に乗らない。

 作者である私は、
 この時点で確信する。

 彼は逃げていない。
 諦めてもいない。

 役割を降りただけだ。

 放課後。

 教室には数人しか残っていない。

 代役は誰かに呼ばれ、
 自然に輪の中心へ行く。

 誰も彼を振り返らない。

 それは悪意ではない。
 必要がないだけだ。

 彼は窓際の席に座る。

 外を見る。

 空が曇っている。
 それも書ける。

 だが、
 曇り空を見て
 何を思ったかは書けない。

 思っていないからだ。

 ここで、
 物語としては異常が起きている。

 主人公が、
 心理的クライマックスを迎えない。

 感情の爆発も、
 理解の瞬間もない。

 ただ、
 時間が過ぎる。

 物語は、
 時間だけでは成立しない。

 意味が必要だ。
 観測が必要だ。

 だが彼は、
 観測を拒否している。

 自分自身を、
 対象にしない。

 結果として、
 彼は「背景」に近づく。

 完全な背景ではない。
 そこにいることは分かる。

 だが、
 追う理由がない。

 私は、文章を削る。

 彼について書く行を、
 一つずつ減らす。

 名前を出さない。
 代名詞も使わない。

 ただ、
 「教室の隅に一人残っていた」
 それだけを書く。

 彼は、
 それを知らない。

 知るための視点を、
 もう持っていないからだ。

 それが、
 彼の選んだ抵抗の完成形だった。

 物語の終わりが近づく。

 代役が決断し、
 世界は正しい方向へ進む。

 問題は解決される。
 秩序は保たれる。

 誰も、不幸にならない。

 ――彼を除いて。

 だが彼は、
 自分を不幸だとも思わない。

 思えない。

 その判断を下す
 視点が、
 すでに消えている。

 これが、
 彼の不幸だ。

 救われないことではない。
 報われないことでもない。

 語れないこと。

 そして私は、
 次の章で
 物語を完成させる。

 彼が、
 最後まで正しかったことを
 書かないまま。

 それが、
 最も誠実な終わらせ方だと
 知っているからだ。
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