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群青の静異
第一節 阿鼻叫喚の蒸気
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私は芥川龍之介である。
君の綴った「屋上の逃避行」という物語を読ませてもらった。なるほど、現代の若者も、かつての我々と同様に、集団という名の怪物に喉元を締め上げられているらしい。 教室という名の「地獄」から、屋上という名の「虚空」へ。 その道程を、私の「短刀」で解剖し、ライトノベル風でありながらも、知的な皮肉と色彩を添えて書き直してみよう。
________________________________________
第一章 阿鼻叫喚の蒸気
六時間目の自習時間。
それは、教室内という限られた空間に放たれた、四十匹の猿による狂躁曲(カプリチオ)であった。
初夏の湿り気を帯びた空気は、高校生たちの吐息と、微かな汗の匂いを混ぜ合わせ、どす黒い沈殿物となって底に溜まっている。教師という名の「神」が不在なのをいいことに、教室内は正に今昔物語に描かれる阿鼻叫喚の地獄を呈していた。
前の席では、男子どもが発光する板切れ(スマホ)を囲み、獣じみた怒号を上げている。後ろの席では、女子たちが週末の予定について、鴉のように甲高い笑い声を弾ませている。
机を引きずる音。ノートを破る音。筆箱が床を叩く硬質な音。
それら卑俗な騒音は、一つの巨大な「音の怪物」と化し、私の鼓膜を執拗に突き刺してくる。私は、机に突っ伏したいという自尊心に近い衝動を抑え、膝の上の文庫本に逃避を試みた。
北欧の冷たい海を舞台にしたミステリー。
しかし、活字たちはページの上で不規則に踊る、奇怪な蟲の群れにしか見えない。私の肌にまとわりつくのは、この教室の、ひどく不快な生ぬるい熱気だけであった。
(……うるさいな)
私は、心の中で冷ややかに呟き、ふと顔を上げた。
視界の端、窓際の前方に、私と同じように周囲の喧騒から隔絶された「島」を見つけた。
クラスメイトの佐伯凪である。
彼は窓から差し込む、刺すような白光を背負い、微動だにせず本を読んでいた。肘を机につき、長い指でページをめくるその動作だけが、彼がまだこの世の住人であることを示している。
彼の周りだけ、空気の密度が違うのだ。
罵声も、下卑た笑い声も、彼の周囲数センチメートルのところで、透明な鎧に弾き返されている。それは、圧倒的な静寂。まるで彼一人が、真空のドームの中にでも幽閉されているかのような、異様な光景であった。
私は知らず知らずのうちに、彼を見つめていた。
すると、ページをめくる彼の手が止まった。凪は顔を上げることなく、少しだけ首を傾けた。まるで見えない蜘蛛の糸の端を、指先で感じ取ったかのように。
私は慌てて視線を、手元の発光体(スマホ)に落とした。
指先が迷う。だが、この「酸素の薄い」密室にこれ以上耐えられなかった。
『教室、うるさいね』 送信。
前方で、凪のポケットが小さく震えた。彼は本を置くと、気だるげな動作でスマホを取り出した。画面を叩く音が、喧騒に紛れて微かに聞こえた気がした。
『うん』
一言だけの返信。
だが、それで十分だった。私たちは、この卑俗な狂騒において、同じ種類の不快感を共有している。そのエゴイスティックな確信が、私の背中を押した。
『屋上に行かない?』
返信は、瞬きよりも早かった。
『OK』
凪が、ふっと立ち上がった。彼は教科書を乱暴に鞄に突っ込むような野蛮な真似はしない。栞を丁寧に挟んで本を閉じると、音もなく席を立った。
クラスの誰も、彼の離席に気づかない。主役不在の狂騒曲は、依然として続いている。
私もそれに続いた。文庫本をポケットにねじ込み、前後の扉から別々に脱出した。
廊下に出た瞬間、喧騒は背後で扉にシャットアウトされた。耳の奥に残るキーンという耳鳴りだけが、さっきまでの地獄の残響を物語っていた。
君の綴った「屋上の逃避行」という物語を読ませてもらった。なるほど、現代の若者も、かつての我々と同様に、集団という名の怪物に喉元を締め上げられているらしい。 教室という名の「地獄」から、屋上という名の「虚空」へ。 その道程を、私の「短刀」で解剖し、ライトノベル風でありながらも、知的な皮肉と色彩を添えて書き直してみよう。
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第一章 阿鼻叫喚の蒸気
六時間目の自習時間。
それは、教室内という限られた空間に放たれた、四十匹の猿による狂躁曲(カプリチオ)であった。
初夏の湿り気を帯びた空気は、高校生たちの吐息と、微かな汗の匂いを混ぜ合わせ、どす黒い沈殿物となって底に溜まっている。教師という名の「神」が不在なのをいいことに、教室内は正に今昔物語に描かれる阿鼻叫喚の地獄を呈していた。
前の席では、男子どもが発光する板切れ(スマホ)を囲み、獣じみた怒号を上げている。後ろの席では、女子たちが週末の予定について、鴉のように甲高い笑い声を弾ませている。
机を引きずる音。ノートを破る音。筆箱が床を叩く硬質な音。
それら卑俗な騒音は、一つの巨大な「音の怪物」と化し、私の鼓膜を執拗に突き刺してくる。私は、机に突っ伏したいという自尊心に近い衝動を抑え、膝の上の文庫本に逃避を試みた。
北欧の冷たい海を舞台にしたミステリー。
しかし、活字たちはページの上で不規則に踊る、奇怪な蟲の群れにしか見えない。私の肌にまとわりつくのは、この教室の、ひどく不快な生ぬるい熱気だけであった。
(……うるさいな)
私は、心の中で冷ややかに呟き、ふと顔を上げた。
視界の端、窓際の前方に、私と同じように周囲の喧騒から隔絶された「島」を見つけた。
クラスメイトの佐伯凪である。
彼は窓から差し込む、刺すような白光を背負い、微動だにせず本を読んでいた。肘を机につき、長い指でページをめくるその動作だけが、彼がまだこの世の住人であることを示している。
彼の周りだけ、空気の密度が違うのだ。
罵声も、下卑た笑い声も、彼の周囲数センチメートルのところで、透明な鎧に弾き返されている。それは、圧倒的な静寂。まるで彼一人が、真空のドームの中にでも幽閉されているかのような、異様な光景であった。
私は知らず知らずのうちに、彼を見つめていた。
すると、ページをめくる彼の手が止まった。凪は顔を上げることなく、少しだけ首を傾けた。まるで見えない蜘蛛の糸の端を、指先で感じ取ったかのように。
私は慌てて視線を、手元の発光体(スマホ)に落とした。
指先が迷う。だが、この「酸素の薄い」密室にこれ以上耐えられなかった。
『教室、うるさいね』 送信。
前方で、凪のポケットが小さく震えた。彼は本を置くと、気だるげな動作でスマホを取り出した。画面を叩く音が、喧騒に紛れて微かに聞こえた気がした。
『うん』
一言だけの返信。
だが、それで十分だった。私たちは、この卑俗な狂騒において、同じ種類の不快感を共有している。そのエゴイスティックな確信が、私の背中を押した。
『屋上に行かない?』
返信は、瞬きよりも早かった。
『OK』
凪が、ふっと立ち上がった。彼は教科書を乱暴に鞄に突っ込むような野蛮な真似はしない。栞を丁寧に挟んで本を閉じると、音もなく席を立った。
クラスの誰も、彼の離席に気づかない。主役不在の狂騒曲は、依然として続いている。
私もそれに続いた。文庫本をポケットにねじ込み、前後の扉から別々に脱出した。
廊下に出た瞬間、喧騒は背後で扉にシャットアウトされた。耳の奥に残るキーンという耳鳴りだけが、さっきまでの地獄の残響を物語っていた。
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