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しおりを挟む他人の館に宿泊するのには慣れていなかったが、疲れていたのか、
その夜は深く眠りについていた。
翌朝、起きて身支度を済ませた頃、扉が叩かれ、メイドが入って来た。
「シュゼット様、朝食はこちらにお持ちしたのでよろしいでしょうか?」
「はい、お願いします」
程無くして、メイドがワゴンを押し、朝食を運んで来た。
朝食は晩餐とは違い、焼き立てのクロワッサンに目玉焼き、紅茶…
ごく普通の朝食だった。
それを美味しく食べた後、わたしはエプロンを付け、紙束と木炭を持ち、部屋を出た。
オベールとベアトリスはパーラーに居た。
「お早うございます」
「お早う、シュゼット、眠れたか?」
「ありがとうございます、お陰様で良く眠る事が出来ました」
「…見掛けに寄らず、図太いな…」
オベールが何か呟いたが、わたしは聞き取れなかった。
「あの…お二人を描かさせて頂いてもよろしいですか?」
「ああ、勿論だ、その為に来ているのだからな、好きに描いてくれ、
ポーズは取った方が良いのか?」
「いえ、まだ素描なので、自由にして下さい、決まったらお願いします」
わたしはスツールに腰を下ろし、素描を始める。
二人の雰囲気を見たかった。
ベアトリスは上品で美しい、そして、穏やかで優しい。
顔立ちや仕草にも良く現れている。
オベールは堂々とし、威厳を放っているが、意外にも、表情は豊かだ。
オリーブ色の目を光らせ、皮肉にニヤリと笑う表情が魅力的だが、
夫婦の肖像には似つかわしく無いので残念だ。
わたしは肖像よりも、何気ない日常の一部を描く方が好きだった。
その方が感情が見え、より魅力的に思える。
「シュゼット、描いたものを見せてくれ」
オベールに言われ、わたしは「はい、どうぞ」と、それを差し出した。
オベールとベアトリスが一緒にそれを覗き込んだ。
「やはり、上手いな!それに、速い!」
「本当に、お上手ね!あなただって、直ぐに分かりますわ!」
「おまえもそっくりだぞ!」
喜んで貰えている様で安堵した。
◇
その夜の晩餐も、わたしは少し遅れてしまった様だ。
オベールとベアトリスは既に席に着いていたて、変な空気を感じた。
「どうした、遅かったな、シュゼット」
「遅れてしまい、申し訳ありません」
「何かあったのか?」
「ドレスを引っ掛けてしまい、着替えておりました、申し訳ありません」
「それはいかん、我が館で破れたのならば、弁償せねばならん、預かろう」
「いえ、大事ではありませんので、針と糸をお貸し頂けたら自分で繕います」
「ふん…中々やるな、いいだろう、後で運ばせる」
わたしが座ると、スープが運ばれて来た。
昨夜と同じ、具の少ないスープだ。
だは、わたしはこれが美味しいと知っている。
茹で豆、茹でた芋、固いパン、小さなチーズ、ワインも同じだ。
一見質素に見えるが、味は確かだ。
朝食も昼食も普通の物なので、生活が逼迫しているというよりも、
何か意味のある事なのかもしれない。
「今日の糧に感謝を___」
オベールが食前の祈りを捧げ、ベアトリスとわたしも習った。
今日の糧…それは、もしかしたら、今日菜園で取れた物…という事かしら?
「どうした、シュゼット、食事が気に入らぬか?」
ぼんやりしていると、オベールに指摘された。
「いえ、とても美味しいです。ただ…」
「どうした、言ってみろ」
「どれも新鮮で立派な野菜ですので、もしかしたら、こちらに菜園があるのかと…」
「菜園は無いが、領地の者が毎日届けてくれる物だ」
「オベール様の祈りは、収穫への感謝の意味もあるのですね」
「それもあるが、野菜を育てた者、届けてくれる者への感謝もある」
オベールはきっと、優しく思いやりのある、良い領主なのだろう。
だから、こうして、立派な野菜を届けてくれるのだ。
領地の者と気さくに接しているのかもしれない。
「お話を伺うと、一層美味しく感じます」
わたしはそれを味わった。
「うむ…だが、毎日ならどうだ?飽きはしないか?」
「毎日同じというのは不可能です、収穫される野菜は季節と共に変わりますもの」
「確かにな、だが、おまえがここに居る間は、同じかもしれん」
「それでは、毎日変化を探しますわ、段々と甘味が増すかもしれませんね」
「…中々根性があるな、流石ドミニクの娘だ」
何故褒められたのかは分からなかったが、『流石ドミニクの娘』と言われた事はうれしかった。
わたしはずっと、誰かに、こう言われたかったのだ。
ドミニクの娘と認められたかった___
◇
部屋に戻ると、程無くして、メイドがやって来た。
メイドは針と糸の入った箱を持っていたが、部屋に入るなり、足を引っ掛け転倒した。
箱も同様に床に落ち、中身が散らばった。
「申し訳ございません!」
「待って!」
メイドが慌てて拾い始めるのを、わたしは止めた。
「針は危険ですので、慌てずに、手を刺さない様、気を付けて下さい」
わたしは注意深く床を見て、それを拾っていく。
床に這い蹲っていたメイドも、起き上がり、同じ様にして拾い始めた。
「これで全部でしょうか?」
「分かりません…申し訳ありません…」
「気になさらないで下さい、見付けたら拾っておきます、
それより、お怪我はありませんでしたか?」
最初に尋ねるべき事だったが、つい、針に気を取られてしまっていた。
「はい、大丈夫です…」
「何かあれば、診て貰って下さい、わたしの方からお伝えしましょうか?」
「いえ!本当に大丈夫ですから!」
メイドは酷く慌てていた。
言いつけられると思ったのだろうか?
わたしは安心させようと、持って来た荷物の中から、瓶を取り出した。
中には飴が入っている。ソフィが持たせてくれたのだ。
「良かったら、お一つどうぞ、痛みが忘れられます」
だが、メイドは後退りした。
「なんで…あたし、いつも晩餐の時間を間違えてるのに…」
「それでは、二つどうぞ、悲しい事は忘れましょう」
「ありがとうございます…」
メイドは恐る恐る手を出し、それを取ると口に入れた。
「美味しい!」
「義姉が持たせてくれました、結婚して新婚旅行に行っていたんです。
そこで買った物だと言っていました」
「そんな貴重な物を!?」
「ええ、あなたが美味しいと言っていたと、義姉に話せます、良い土産話が出来ました」
「あの、本当に、美味しいです…それと、いつも、時間を間違えて申し訳ありませんでした」
メイドは深く頭を下げ、逃げる様に部屋を出て行った。
「そんなに恐縮しなくても良いのだけど…」
もしかしたら、わたしが伯爵令嬢である事を、オベールが伝えているのかもしれない。
「わたしが、ただの画家の娘だったら…違ったかしら…」
こんな部屋には泊めて貰えなかったかもしれない。
父が生きていた時は、教会の離れや東屋、古びた宿屋に泊まっていた。
今まで思い出す事も無かったのに、急にあの頃を思い出してしまっていた。
◇
用意されていたキャンバスに照らし合わせ、素描から構図を考える。
翌日からは、二人にポーズを取って貰い、本格的に下絵を描き始めた。
二人には好きな装いをして貰っている。
ベアトリスは金色の髪を結い、小さな宝石の耳飾りと首飾りを付け、
深い緑色の上品なドレスを着ていた。オベールの目の色に合わせているのだろう。
オベールは、黒の上下に、深い青色のネクタイだった。ベアトリスの瞳の色だ。
夫婦に愛情があり、仲が良いのだと分かる。
「こんな事、十年ぶりかしら?」
「子供たちが小さい頃は描いて貰ったが、大きくなるとそうはいかんからな」
夫婦の会話から、二人に大きな子供が何人か居ると分かった。
結婚し、家を出たのかもしれない。
一段落するまで、集中し、一気に描く。
途中から、周囲の声は聞こえなくなっていた。
絵筆を置いた時、待っていたとばかりに、オベールに声を掛けられた。
「シュゼット、少し休憩出来るか?」
「はい、この後は部屋で描かせて頂きます」
「モデルは良いのか?」
「必要になったら、またお願いします」
「そうか、ならば、おまえも休んで、お茶にしろ、疲れただろう?」
「集中していたので、わたしは大丈夫ですが、お二人の方がお疲れでしょう…
気付かず、申し訳ありませんでした」
「正直、少し疲れた、じっとしているのは苦手でな」
オベールが苦笑した。
ベアトリスはメイドにお茶を頼むと、ソファへ促した。
「私はじっとしているのは苦ではありませんが、動かない様にしようと思うと、
難しいですね…ちゃんと出来ていたかしら?シュゼット」
「はい、十分です」
「どんな風か気になるが、仕上がるまでは見ないでおく事にしよう、
おまえも見てはいかんぞ」
オベールの言い付けに、ベアトリスはくすくすと笑った。
「ええ、承知しております、旦那様」
仲の良い夫婦で羨ましかった。
ドミニクとアザレも仲が良かったが、あまりにも早く逝ってしまった。
本当の両親はどうだったのか…
わたしの本当の母は、ペンダントの中の小さな肖像画でしか知らなかった。
白金色の髪に、水色の瞳、白い肌をしていた気がする。
今の自分と似ているかもしれない…
それは、うれしい反面、不安も大きかった。
「どうした、シュゼット、浮かない顔をして」
オベールの声で我に返った。
わたしはティーカップを手に、ぼんやりとしていたらしい。
「いえ、とても仲がおよろしいので、羨ましいと思っておりました」
「そうか、おまえは母を亡くしたばかりだったな…」
「はい、両親も仲が良く、わたしは二人を見ているのが好きでした」
「おまえも結婚すれば分かるだろうが、《夫婦》とは、仲が良いだけではないぞ!」
オベールが脅かす様に言い、わたしとベアトリスは笑った。
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