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しおりを挟むアドリーヌ=ベルトラン。
リアムが結婚したかったのは、あの魅力的で美しい女性だ。
婚約破棄したと聞いたが、それは本人たちの望んだ事ではなく、
ベルトラン男爵の件で、無理矢理引き離されたのだろう。
本人たちの納得の上ではなく___
リアムはきっと、今も彼女を想っているんだわ…
愛した人を、簡単に断ち切れる筈がない。
リアムはそんな人ではない。
優しく、愛情の深い人だ。
「彼は、わたしとの結婚を望んだ訳じゃない…」
もし、結婚したのが彼女だったら、リアムは花嫁を放置したりはしなかっただろう。
生気無く、幽霊の様に過ごしていなかっただろう。
彼女と二人、笑い合い、幸せの中に居ただろう。
彼女となら___
つい、そんな風に考えてしまう。
わたしは溢れ出てくる涙を、唇を噛んで耐えた。
「彼女が羨ましい…」
◇
晩餐に出席する為、わたしは早くから準備を始めた。
顔の腫れも落ち着き、見苦しくはないだろう。
鏡を覗き込み、わたしは安堵の息を吐いた。
アドリーヌを真似ても、彼女の様にはなれない。
それでも、少しは美しくなりたいと、髪を丁寧に梳かし、メイドに意見を聞き、
髪を結って貰った。
「少し、派手な化粧をしてみようと思うのですが…」
思いきって言ってみたが、メイドに頭を振られた。
「シュゼット様には似合いませんよ、それに、旦那様と奥様は良く思われないでしょう。
そういった事は、奥様に習うとよろしいですよ、奥様は侯爵家の令嬢でしたから、
間違いありませんよ___」
ベアトリスが侯爵家から嫁いでいた事は知らなかった。
確かに、ベアトリスは上品で、一見大人しそうに見えるが、オーラのある貴夫人だった。
でも、リアムの好のみとは違うのでは…
葛藤はあったが、わたしはその考えを飲み込み、笑顔で頷いた。
「はい、そうします」
リアムの好のみで無くても、オベールとベアトリスの好のみであるなら、
それはリアムの望む所でもあるだろう。
彼が望むのは、恐らくそういった事だ。
フォーレ家に溶け込み、オベールとベアトリスを安心させなくては…
リアムは、『晩餐にはなるべく出る様に』と言った。
理由は、両親の為、体裁の上かもしれない。
冷たく、一欠片の思いやりもない…
わたしを断頭台に引っ張り上げようとしている様に思え、辛かった。
それでも、彼に望まれた事だ。
それは、わたしに、リアムの妻でいる事を、許してくれている様にも思える。
「そうだといいけど…」
僅かな望みにも縋りたい気分だった。
わたしがここに居る為にも、《妻の役割》を果たさなくては…
例え、《夫婦》にはなれなくても…
《リアムの妻》は、《わたし》なのだから___
◇
晩餐の席で、わたしはオベールとベアトリスに謝罪した。
「昨日は体調が優れず、晩餐の席に着けず、申し訳ありませんでした」
「気にするな、結婚したばかりだ、慣れない内は良くある事だ」
「そうですよ、無理は良くありません」
「それに、私たちに気を遣う必要はない、家族になったのだからな」
「ええ、そうですよ、シュゼット」
オベールとベアトリスの温かさに、わたしの目は潤む。
リアムに嫌われ、自分に味方など居ないと思えていた。その孤独が祓われる…
わたしは息を詰め、それをやり過ごした。
「ありがとうございます…」
「大袈裟なヤツだな、それより、前に泊まった時の部屋を、おまえのアトリエにと考えている」
「アトリエ?」
「絵を描く部屋が必要だろう、あそこは景色も良いし、そのままにしている、好きに使え」
オベールの好意に驚き、それから慌てて断った。
「いえ、絵を描くつもりはありません…それよりも大事な務めがあるかと…」
「うむ、良い心掛けだ、だが、前に約束した絵がまだ届いておらんぞ?」
シュシュの絵を描くと約束していたのを思い出す。
描き上がってはいたが、結婚の準備等もあり、落ち着かず、
結婚した後で、渡すつもりでいた。
「そちらでしたら、仕上がっております。
お渡しするのが遅れてしまい、申し訳ありませんでした」
「そうか!では、食事の後で見せて貰おう」
オベールとベアトリスのうれしそうな顔に、わたしは笑顔を返した。
隣のリアムは、二コリともせず、一人黙々と食事を進めていたが、
それは考えない様にした。
晩餐の後、わたしは部屋に戻り、シュシュの絵を持ち、パーラーへ向かった。
パーラーでは、オベールとベアトリスが長ソファに座り、寛いでいたが、
リアムの姿は見えなかった。
「お待たせ致しました、こちらです…」
わたしがそれを差し出すと、オベールのオリーブ色の目が大きくなり、輝きを見せた。
ベアトリスも顔を綻ばせた。
「おお!シュシュだ!なんと、愛らしい!ベアトリス、これを見ろ!」
「ええ、素晴らしいですわ!シュシュのこの表情、私も好きですよ」
「広間の目立つ所に飾って、自慢してやろう!」
「まぁ!おほほほ」
喜んで貰え、わたしは胸を撫で下ろした。
「シュゼット、おまえには、ベアトリスに付いて、色々と覚えて貰いたい」
「はい」
「だが、絵も辞めて欲しく無いのだ、これ程の才があって、描かないなど…あってはならん。
その内、画家を呼んでやるから、絵の勉強もすると良い」
思ってもみない事で、わたしは驚いた。
こんな風に言って貰える事はうれしかったし、厚意も有難かった。
だが、これで良いのだろうか?そんな疑問もあった。
リアムはそれを望むだろうか…
「ありがとうございます、御厚意に感謝致します…ですが、それはまだ先で構いません。
絵はいつでも描けますので」
今しか出来ない事を疎かにしては、取り零してしまいそうで怖かった。
わたしが今、しなければいけない事は、リアムの良き妻となる事だ。
リアムの望みを叶えたら…
わたしを認めてくれるだろうか…
少しでも、わたしを見てくれるだろうか…
◇◇
わたしはベアトリスに付き、女主人や伯爵夫人の在り方、その務めを習う事になった。
ベアトリスは、館の中を案内するのと一緒に、使用人たちにわたしを紹介してくれた。
館の使用人たちは、わたしに対して好意的で、嫌な顔をせず受け入れてくれた。
どうやら、以前泊まった時に、お礼として渡した素描を気に入ってくれた様で、
お礼を言われる事もあった。
「上手で驚きましたよ!立派なもんだ!」
「男前に描いてくれて、ありがとうございます」
「今度、孫の絵も描いてくれんかね?」
何人かに肖像画を頼まれ、問う様にベアトリスを見ると、彼女は優しく微笑み頷いた。
わたしは「水彩画でしたら、時間も掛かりませんので…」と受けてしまっていた。
希望者の名前がズラリと並んだ事で、
数日間、アトリエを解放し、望む者には休み時間に来て貰う事にした。
向かい合い椅子に座って貰い、素描をし、水彩絵の具で簡単に色を付ける。
乾かし、翌日、取りに来て貰う。
「彼に渡したいので、出来るだけ、美人に描いて頂けますか?」
若いメイドたちは、意中の男性にあげるらしい。
わたしは彼女たちが魅力的に見える表情を探し、絵にした。
そして、花や赤いリボン等の絵を添える。
「素敵!ありがとうございます!シュゼット様は天才ね!」
「ああ!自分で持っておきたいわ!」
「シュゼット様!ありがとう!」
明るい笑い声を上げて喜ぶ彼女たちに、わたしは笑顔で手を振った。
「こんなのは、恥ずかしいわね…柄じゃないのよ…」
中年の女性の使用人は恥ずかしいのか、落ち着かない様子だった。
「どなたかに差し上げるのですか?」
「ええ、毎月娘に手紙を書いているから…」
「お母さんの元気な姿を見たら喜びますね」
わたしは照れ臭そうに笑う彼女の表情を素描し、明るい色調の色を付けた。
孫を連れて来た老年の男性も居た。
わたしは仲の良さそうな二人を素描した。
「おお!そっくりだよ!ありがとう!」
「お祖父ちゃん、見せて!」
「ああ、家に飾ろうな!」
絵を描いている時は、集中している所為か、
わたしの内に蔓延るモヤモヤを、忘れる事が出来た。
そして、使用人たちとのやり取りも、心を和ませてくれた。
晩餐の時に、ベアトリスが嬉々としてオベールに話していた。
「___皆、シュゼットの肖像画を喜んでいますよ」
ベアトリスもオベールも満足そうだったが、わたしは内心、ヒヤリとしていた。
リアムに、遊んでいたと思われたくなかった。
リアムはいつもと同様に、無表情で黙々と食事を進めている。
わたしは聞こえていない事を願った。
「そうか、皆も喜んでいるか!
だが、シュゼット、大変ではないか?無理はしてはいかんぞ」
「ありがとうございます、大丈夫です。
慣れていますし、集中しているので、疲れは感じません。
それに、顔と名を覚える事が出来るので、助かっています」
肖像を描き、名前を教えて貰い、少し会話を交わす…
わたしは自然と、使用人たちの顔と名前を覚える事が出来ていた。
そして、少しの会話から、どういう人か、どんな仕事をしているかも分かった。
逆も然りで、使用人たちの方も、わたしの事を覚えてくれた様で、
会うと気さくに挨拶をしてくれた。
「成程、では、ポールには会ったかな?」
「はい、若い料理人の方ですね」
「マリーはどうだ?」
「洗濯場の方です」
「トマはどうだ?」
「庭師ですわ、愛らしいお孫さんがいらっしゃいます」
「大したものだな!」
オベールが感心し、わたしは安堵した。
「肖像画が終わり次第、務めに戻りますので…」
「そう焦る事もあるまい、本来ならば旅行にでも行かせてやりたい所だが…
リアムの仕事が忙しくて手が放せんのだ、すまんな」
「いえ!そんな、お気遣い無く…」
わたしはチラリと隣のリアムを見る。
だが、自分の名が出たというのに、何の反応も見せていなかった。
本当に、聞こえていないのかもしれない…
心を閉ざしている…そんな気がした。
「おまえは教養もあり、礼義も十分に身に着けている。
使用人たちとも上手くやれそうで安心している。
他の事はゆっくり覚えていけば良い」
「はい…」
昼間、どれ程楽しく過ごし、心が癒されても、
夜、寝室へ向かう時になると、途端に緊張と怯えがわたしを襲ってきた。
キュっと喉の奥が締まる感覚に、わたしは遠い昔を思い出した。
父を亡くし、声を出す事が出来無くなった時だ。
あの時のわたしは、恐怖と孤独の中にいた。
だが、リアムは優しかった…
わたしはそれを思い出し、温もりを求め、目を閉じた。
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