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第二章
7
「今までお元気だったのに、急に悪くなるなんて…」
「ああ、すっかり良くなっていたのにな…」
「病は治ったとばかり思ってたよ…」
わたしが調理場に入って行くと、マックス、アンナ、ボブが晩食の下拵えをしていた。
話題はやはりプリシラ夫人の事だ。
夫人が体調を崩してからというもの、館内は何処も陰鬱としていた。
「夫人にお水と、ウィルとケイシーにお茶を持って行きますね」
「ああ、エレノア様、ありがとうございます」
わたしがワゴンにお茶を準備していると、ケイシーが入って来た。
「ケイシー、お水とお茶はわたしが持って行くわ」
ケイシーも付きっ切りで世話をしていたので、他の雑用は引き受けるつもりだった。
ケイシーは冷めた目でわたしを見ると、「だったら、早く持って来て」と冷たく言った。
聞こえてしまった様で、アンナは息を飲み、マックス、ボブの間にも重い沈黙が流れた。
ケイシーはプリシラ夫人の看護、世話人だが、コルボーン家の親戚筋なので、
ここの使用人の中で一番立場が上なのだ。
故に、誰もケイシーを咎めたりは出来ない。
ケイシーはこれまでも、わたしや姉に対し、好意的では無かったが、
それを表に出したのは初めてだった。
きっと、看病に疲れているのだろう…
わたしは『思いやりよ!』と、自分に言い聞かせた。
「ごめんなさい、直ぐに持って行くわね!」
「プリシラ様の体調が良くなったのは、ただの偶然で、あなたのお陰なんかじゃないって、
これで良く分かったでしょう。皆、馬鹿みたいにあなたを有難がっているけど、
そんな価値なんか無いわ。上手い事を言って、皆を欺いていたんでしょう?
あなたもあなたの姉も、ただのペテン師よ!さっさと出て行けばいいのに!」
ケイシーは言うだけ言うと、スカートを翻し、調理場を出て行った。
「まぁ…何て酷い事を言うのかしら…」
「気にする事は無いですよ、エレノア様」
「彼女があんな事を言うなんて、驚いたな…」
皆が慰めようとしてくれたが、わたしは笑顔を向けた。
「いいんです、ケイシーは疲れているのよ、普段は優しい人だし」
わたしと姉以外の皆にはね。
「お茶を持って行きますね!」
わたしはワゴンを押し、夫人の部屋へ向かった。
ケイシーは献身的に、夫人の看護や世話をしている。
夫人には彼女が必要だ。
「少し位、八つ当たりされても、わたしは平気よ!」
それに、ケイシーが言う様に、プリシラ夫人の体調が良かったのは、偶然だ。
わたしが来て、手を入れた事で、水が良くなり、食べ物も良くなってはいるが、
些細な事だ。
「別に、わたしが言い出したんじゃないわ…
皆が勝手に、オースグリーン館の相続人を、神様や精霊だと思っていただけよ」
欺いてなんていない…
それで元気になれるなら、そう思わせておいても良いと思っただけよ。
でも、ケイシーの様に考える者もいるという事だ。
「だからって、わたしにはどうしようもないわ!」
わたしは考えるのを止め、開き直る事にした。
なるようになるでしょう!
部屋の扉の前では、ケイシーが腕組をし、冷たい表情で待っていた。
「遅いわよ、何て愚図なの!」
この館の皆はわたしに好意的だったので、こんな悪態は初めてで、ショックだったが、
『一度目の時の教育係よりは優しいわ』と、笑みを作った。
「終わったら、ワゴンは出しておいて、後で下げるわ。
夫人を見舞ってもいい?」
「プリシラ様には近付かないで!それとも、目的はウィル様?
あなたたち姉妹は、クレイブ様を毒牙に掛けただけじゃ足りないの?
病で苦しんでいるプリシラ様を理由に近付こうだなんて、呆れるわ!」
ケイシーはワゴンを奪うと、部屋に入って行った。
バタンと目の前で扉が閉まる。
プリシラ夫人を見舞いたい気持ちは本当だが、ウィルの様子を見たかったのも確かだ。
ウィルは夫人の部屋に寝泊まりし、ここから出て来ない。
当分、顔も見ていない。
夫人を酷く心配しているだろうし、落ち込んでいるのではないか…
「ウィルを心配しちゃいけないっていうの?」
「お姉様が男性たちを惹き付けるのは、美貌故で、お姉様の意志じゃないわ!
それに、クレイブは毒牙に掛かって幸せだし、いいじゃないの!」
「あんな事言わなくたって…!」
「ええ、そうよ、ケイシーは疲れているだけよね!」
わたしは足音を立て、調理場に戻ると、腹立ち紛れに紅茶を飲んだ。
◇◇
あの事があり、ケイシーは吹っ切れたのか、開き直ったのか、
隠す事なく、わたしに悪態を吐く様になった。
わたしがケイシーを手伝うのは悪手ではないか?という思いはあったが、
今更アンナに代わって貰うのも、ケイシーに屈した様で屈辱で、
わたしは意地になり、三人の食事を運び、用事を訊き、お茶を運んだ。
それからも、「夫人を見舞いたい」という、わたしの希望が叶えられる事は一度も無かった。
数日して、プリシラ夫人が回復を見せた。
そこで漸く面会が許され、わたしは姉とクレイブと一緒に部屋を訪れた。
「プリシラ様が疲れるので、少しにして下さい」
クレイブが居たからか、ケイシーは素っ気なくはあったが、普通に見えた。
心の中では違うでしょうけど!
姉がクレイブを毒牙に掛けただなんて、仲の良い二人を見れば考え直すわね!
夫人はクッションを背に体を起こしていて、わたしたちに向け、微笑んでいた。
また痩せてしまったが、それでも、思っていたよりもずっと元気そうに見えた。
ウィルはいつかの時と同じく、夫人の側で、ベッドに頭をうつ伏せ、眠っている様だった。
安心したのね…
堪らなく愛おしくなる。
ああ、頭を撫でてあげたいわ…
勿論、そんな事をすれば、恐ろしい事になるだろう。
わたしは自分の手を自分で握り、衝動をやり過ごした。
「ルシンダ、エレノア、良く来て下さいました、クレイブ、あなたも来てくれて有難う」
「母さん、具合は?」
「今日は驚く程良いのよ!」
「少し良くなったからって、無理をしては駄目だよ、母さん」
「ええ、そうね、ケイシーにもそう言われたわ。ケイシーはとっても、良くしてくれるのよ…」
夫人がケイシーに感謝の眼差しを送り、彼女は「当然ですわ」と微笑み返した。
今のケイシーは聖女にさえ見えた。
クレイブでさえ、その本性に気付いていない。
彼はケイシーに感謝の眼差しを向けると、夫人の手を取り、優しく言った。
「ケイシーが居てくれて良かったね、母さん」
「ええ、感謝しているわ」
「エレノアも手伝ってくれていたんだよ、料理やお茶を運んでくれていたんだよね?」
クレイブが知っていた事に驚いた。
「扉の外までですけど」
「まぁ!エレノアに申し訳ないわ、もっと使用人を雇えたらいいのだけど…」
「いえ、わたしがやらせて欲しいとお願いしたんです。わたしも何かお手伝いがしたくて」
「まぁ…ありがとうございます、感謝します」
夫人がわたしの手を取り、祈る様に握った。
ケイシー…恐らくクレイブも呆れているだろうが、わたしはしっかりと握り返した。
「私たちに出来る事があれば、何でもおっしゃって下さい、プリシラ様」
「ありがとう、ルシンダ、エレノア、顔を見られただけで、十分です、元気になるわ!」
「良かったわ!また来ますね!」
「お大事になさって下さい、プリシラ様」
わたしたちが部屋を出る頃になっても、ウィルは眠ったままだった。
仕方ないわ、きっと、疲れているのよ…
跳ねた髪の後頭部を、名残惜しく眺め、踵を返した。
「思ったより元気そうで良かった…」
部屋を出て、安堵の息を吐いたクレイブを、姉は励ます様に、肩や腕を擦ってあげていた。
わたしもウィルを励ましてあげられたらいいのに…
そんな事をすれば、プリシラ夫人は驚くだろうし、ケイシーはわたしを叩き出すだろう。
わたしが嘆息すると、二人はわたしの存在を思い出した様で、
慌てて「仕事に戻ろう!」「そうね!」と、バタバタと去って行った。
「何よ、わたしが邪魔したみたいじゃない?」
所構わずにイチャイチャするからだわ!
「まぁ、いいわ、わたしは鶏たちに愚痴でも聞いて貰おうかしら…」
わたしはもう一つ嘆息すると、踵を返した。
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