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しおりを挟むクリスティナ=シャレイ侯爵令嬢には、侯爵令嬢のオーラがあった。
粗野な処が一つも無く、口調は上品で、立ち居振る舞いも優雅。
我儘は言わないし、使用人たちに傲慢に当たる事もない。
ピアノが上手で、刺繍も上手、部屋にいる時には、祈りを捧げているか、読書をしているという。
欠点は、小食で食事をほとんど残してしまう所、それから、食前の祈りが長い事位だろう。
ドミニクも彼女を気に入っていた。
「流石、侯爵家のご令嬢だ、実に洗練されている。
エリザベス、おまえも見習うと良い」
エリザベスはわたしの信者なので、嫌な顔で、
「あたしは、あたしで十分満足してるわ!
それとも、お父様はあたしが、幽霊の様に館を徘徊して、食事を残して、
一日の大半を神へのお祈りに捧げて、
受け答えに「ええ」とか、「いえ」とかしない方が良いって言うの!?
あたしはもっと、面白味のある女性の方が好き!!」
そう返したと、エリザベス本人がわたしに言ってきた。
エリザベスは鼻息荒く、肩を怒らせていた。
「もう!お父様ってば、見る目が無いんだから!
だから、お母様なんかに騙されて、継承権も失っちゃうのよ!」
半分は同意だ。
ここは、伯爵が見る目があって良かったと思うべきだろう。
「でも、クリスティナを見習うのは、良い事よ」
わたしが言うと、エリザベスはあからさまに顔を顰めた。
「ええーーー!お姉様まで、止めて下さいよぉ!
あんなの、ただの修道女じゃないですかぁ!!
あたしは、断然!オリーヴ姉様派です!!」
そんな派閥は無いから!
「お姉様に言われた通り、訓練に励んでいます!
約束の一月にはまだまだだけど…
絶対に、お姉様みたいにカッコいい女剣士になって見せますから!」
エリザベスの熱意は、わたしが感心する程だ。
わたしは頷いた。
「あなたが頑張っているのは分かっているわ、体も引き締まってきたわね。
一月頑張れたら、約束通り、剣を教えてあげるわ」
エリザベスは歓声を上げた。
そして、何故か、ボロボロと泣き出した。
「ええ!?エリザベス!?どうして泣くのよ!??」
「だってぇ、おねえさまがぁ、あたしをぉ、みていてくださってたなんてぇ~!
うれしすぎますぅうぅぅぅ」
うう…
可愛過ぎるわ…
剣でも何でも教えてあげるわよ!!と言いたくなってしまう。
それを考えたら、『僕も一緒に習うよ』と言ったフェリクスの判断は、正しかったのかもしれない…
まぁ、フェリクスが間違うなんて、無い事よね…
フェリクスは賢いし、理性的、論理的、常識もあるので、彼の言う事は信頼出来る。
だからこそ、彼の言動に、わたしは翻弄させられるのだ___
あれからベアトリスは手を変えた。
彼女は晩餐の後のパーラーで、クリスティナにピアノを弾かせ、
フェリクスにヴァイオリンを弾かせる様になった。
ベアトリスにとっては、苦肉の策だっただろうが、これは思わぬ効果を生んだ。
二人の演奏は、完璧な調和をみせ、素晴らしい音楽となった___
クリスティナは滅多に見せない、柔らかな笑みをうかべてフェリクスを見つめ、
フェリクスも優しい微笑みを返す…
二人の間に、何か通じるものがあるみたいで、わたしの胸の内はざわざわとするのだった。
それだけではない、ベアトリスはフェリクスにクリスティナを、館の案内をする様に申し付けた。
館内を歩く二人の姿を目にした使用人たちは、コソコソと噂をし合った。
『フェリクス様とクリスティナ様よ!』
『フェリクス様が好きなのは、オリーヴ様よね?』
『分からないわよー、だって、まだ婚約なさっていないのでしょう?』
『きっと、フェリクス様は迷っておいでなのよ…』
『継承権が掛かっているものね…』
悪気は無いのだろうが、聞いてしまうと、やはり、胸に重い鉛が落ちた。
常識的に考えて、大抵の令息は、わたしではなく、クリスティナを選ぶだろう。
それが分かっているから、辛い。
それでも、わたしを選んでくれる___何処かでそんな風に思っていたから、余計に辛い。
その癖、わたしは伯爵夫人に相応しくなろうと、努力していない。
わたしがしている事と言えば、動物学の本を読み、フェリクスの診察を手伝う事位だ。
それだって、ただ、わたしがやりたかっただけ…
「オリーヴ?」
突如、綺麗な顔が視界に入り、わたしはパッと顔を上げた。
「フェリクス!?」
「暗い顔をしていたね、どうしたの?」
心配そうな顔で聞かれ、胸が疼いた。
不意に、縋ってしまいたい衝動に駆られ___そんな自分に驚いた。
わたしは動転し、慌てて取り繕っていた。
「べ、別に!暗い顔なんてしていないわ!」
「僕の気の所為なら良いけど…体調が悪いなら、直ぐに言って欲しい」
「ありがとう、でも、わたしは元気よ!元気だけが取り得だもの!」
フェリクスが何かを言おうと口を開いた時だ…
「フェリクス様」
掛けられた声に、ビクリとした。
驚く事に、フェリクスの直ぐ後ろに、クリスティナが立っていた。
彼女は足音を立てないので、気付くのは難しい。
決して、全神経がフェリクスに向かっていたからではない!と思いたい…
クリスティナはわたしの事など、目に入らないという風に、フェリクスだけを見つめていた。
そして、微笑を浮かべ、彼を誘った。
「フェリクス様、お庭を案内して頂けますか?」
鈴の音の様な綺麗な声に、わたしの胸の奥がドクリと音を立てた。
嫌な感情が噴き出してきて、わたしを圧倒する___
嫌だ!嫌だ!嫌だ!
わたしのフェリクスに近付かないで___!!
わたしは自分の感情に驚き、息を詰めた。
最悪だ!
わたしは自分にこんな黒い感情があった事に、失望した。
これでは、わたしも他の令嬢たちと同じ、醜い女だ!
わたしは唇を噛み、下を向いた。
「申し訳ありませんが…」
フェリクスの淡々とした声に、「はっ」とした。
「これから厩舎に行かなくてはいけませんので、他の者に頼みましょう…」
フェリクスが断った事に、わたしは安堵していた。
だが、クリスティナは意外にもしつこかった。
「そうですか、それでは、明日はいかがですか?
どの時間であれば、空いていますか?」
これでは、流石のフェリクスも断れないだろう。
彼女はベアトリスが招いた、《伯爵家の客》なのだから…
「申し訳ありませんが、僕の仕事は不規則ですので、お約束は出来ません」
「それでは、私も一緒に厩舎へ伺っても、よろしいですか?」
「馬はお好きですか?臭いもキツイですが、大丈夫ですか?
それに、そのドレスでは汚れますよ?」
クリスティナが、余裕の微笑みで「着替えた後、参ります」と答えた為、
もう、断る事は出来なかった。
本気で、厩舎に来るつもりなのかしら?
わたしは半信半疑だったが、あまり考えない事にし、フェリクスと共に厩舎に向かった。
馬たちを診て周り、馬番たちに話を聞き、厩舎を出る頃になっても、クリスティナは現れなかった。
『クリスティナ様、来なかったわね』
いつものわたしであれば、気軽に言っていただろう。
だけど、今のわたしには言えなかった。
フェリクスの意識の中に、少しでも、彼女に入って欲しく無かったから…
わたしって、嫌な女だわ…
自分がこんなにも嫌な女で、臆病だと、わたし自身、知らなかった。
鬱々とした気持ちになる。
「彼女の事なら、大丈夫だよ___」
不意に、フェリクスに言われ、わたしはドキリとし、顔を上げた。
「随分、ゆっくりした人みたいだからね、きっと、まだ着替えも終わっていないよ」
フェリクスが小さく笑い、肩を竦める。
それは、期待した言葉では無かったけど…
わたしの胸のモヤモヤを少し、晴らしてくれた。
だが、自然な会話をしようとして、わたしは失言してしまった。
「彼女、気を悪くしないかしら?」
「大丈夫だと思うよ、寛大な人みたいだから」
またもや、胸に暗雲が立ち込めてきた。
ああ、嫌だな…
どうして、こんなに、気になってしまうの?
フェリクスがクリスティナをどう思っているのか…
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