闇に堕つとも君を愛す

咲屋安希

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第五章  真実

真実(10)

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 周囲は、先視さきみに現れていた御乙神一族滅亡のビジョンとほぼ同じものとなっていた。

 破壊し尽くされた宗家屋敷。荒れ果てた景色。

 しかし、今の現実には転がる死体も首をかき切った明もない。


 代わりに、寄り添う明と千早の足元に、焼け焦げた、半分肉の残った髑髏どくろが転がっている。

 その髑髏どくろを、優しくいとおし気に、半透明の細い腕が抱き上げる。

 向こうの景色が透けて見える、薄い影のような姿で、佐藤唯真さとうゆまの魂は夫の髑髏どくろを拾い上げた。

 
 息子とその恋人の前で、みにく髑髏どくろは妻にほほえむ。

『唯真。会いたかった』

 弱り切った魂は、最後の魂の力を燃やしながら、夫の髑髏を抱き上げ優しくキスをする。

 魔物に堕ちた織哉おりやは、罪のない唯真の魂とは同じ次元にいられなかった。十三年間、ふたりは会うことができなかったのだ。

『あなたを守るとあれだけ言っていたのにできなかった。建速たけはやにまで誓ったのに俺は守れなかった。だからせめてもう一つの約束、明を守る、明の未来を変える約束は、どうしても果たしたかった』

 あなたとの約束を、どうしても守りたかったと、崩れゆく髑髏は悲しげにほほ笑む。

 
 滅亡の魔物が砕け散った時、同時に砕け散った織哉の記憶も伝わってきた。

 十三年前、輝明てるあきに討たれた時、織哉の前に滅亡の魔物たちが現れた。

 次元の狭間はざまを火だるまになって落ちていく織哉を、あざ笑っていた。

 してやったりと、勝利の凱歌がいかをあげていた。『これで滅亡の子は真に誕生した』と。

 その時織哉は滅亡の魔物の存在を知ったのだ。自分が、この魔物たちにめられたことを。

 
 このままでは死ねない、何があっても死ねない。

 どんな非道を用いてもこの世に残り、この魔物を討たねばならないと。

 明を守らねば。唯真との約束を守らねば。

 嵌められた兄と、血族たちを守らねばならぬと。

 その一心で、魔物に契約をもちかけたのだ。


「御乙神一族が憎い。妻を殺したあいつらが憎い。だから死ねない、俺を魔物にしてくれ。そうしたら俺はお前たちの人形となり御乙神一族を殺し尽くす」


 魔物たちは、これも一興いっきょうと織哉の望みを受け入れる。えにしを結び、一度死した御乙神織哉を魔物としてよみがえらせた。

 織哉と縁を結ぶ神刀・建速も魔の支配下となり、繋がる先は森羅万象しんらばんしょうではなく魔物の世界となってしまった。

 しかし魔物と縁を結びその支配を受けながらも、織哉は魂の奥底で生前の正気を隠し続けていた。

 それは霊能力でも建速の力でもない、織哉本人の強固な意志の力だった。織哉は魔物となりながらも、強い意志の力でわずかながら人間としての心を守っていたのだ。

 けれど滅亡の魔物の支配は強力で、人としての意識はほぼ無かった。

 何も知らない子供の命を奪ってしまった。実の兄を手に掛けてしまった。

 ふとともる人としての意識の中で、たとえ明を守りきったとしても、一族を滅亡から救ったとしても、もう自分は許されることはないと織哉は絶望した。

 それでも立ち止まることはなかった。唯真との約束を、果たすために。


 すべてをてて愛したひとの手に抱かれ、織哉は崩れゆく。ちりとなって風に流れていく。

 そしてあふれるような愛情で傷だらけの心を救ってくれた夫を、唯真は涙を流して最期を見送る。

 薄青い満月の光が、残り少ない魂の力を燃やす唯真を照らしていた。

 その姿は悲しく切なく、目が離せなくなるほどに美しかった。


 最後のかけらまでちりとなり、御乙神織哉はこの世から消滅した。

 そして入れ替わるように、織哉の魂が現れる。なつかしい、純白の御乙神一族の正装をまとっていた。


 魂は、人の世にはいられない。人の次元から離れ、魂の行くべき場所へと旅立ってゆく。

 けれど二人の魂は、手に手を取ったまま旅立とうとしない。

 織哉の魂は魔に染まり過ぎ罪を犯し過ぎて、もうどの世界にも旅立つことはできなかった。

 そして唯真の魂も、あまりに弱りすぎて旅立つ力が残っていなかった。

 唯真の美しい姿が、足先からじょじょに泡のように消えていく。それでも愛おしげに手をつなぐ夫を見つめている。

 覚悟はできていると、そのまなざしが語っていた。

 淡い月光に照らされ、消えていきながらも夫の手を握り見つめる切ない姿は、まるで童話の『人魚姫』のようだった。

 けれど声が響く。ひとり、またひとりと満身創痍まんしんそうい荒地あれちを歩いてきた術師たちの感覚にも、その声が聞こえた。

『明。お前の綺麗な力で、お母さんを安らかな世界へと送ってやってくれ』

 そう伝える織哉の姿も、端々はしばしから崩れてゆく。織哉の魂もまた、力を使い過ぎていた。

 消えてゆくお互いを最後まで確かめ合うように、唯真と織哉は抱きしめ合う。


 明が星覇せいはを構えた。宇宙そらへと繋がる神刀に同調し、その力の奔流ほんりゅうを制御しようとこころみる。

 涙をこらえながら、気を抜けば飲み込まれそうな無限の力を、魂の行くべき場所へと向けていく。

 月明かりの中、唯真の魂がふわりと浮く。それは術師たちはよく見知みしっている、魂が行くべき場所へとのぼる様子だった。

 しかし唯真は旅立たなかった。夫の手をしっかりと握り、離そうとしない。

 そうしている間にも唯真の魂は消滅していく。

「母さん!頼むから旅立ってくれ!このままじゃ消滅してしまう!」

 魂は消滅すれば無に帰るのみ。二度と輪廻転生りんねてんしょうはできない。

 明は必死で母親を旅立たせようとするが、どうしても父の手を離さない。

 千早が、血で汚れたままの両手を合掌がっしょうする。すでに限界を超えていたが力をふりしぼり、ふたりを魂の行くべき場所へと旅立たせようとする。

 輝く光の柱が唯真と織哉に降り注ぐ。しかしそれでも唯真しか受け入れられない。織哉の崩れかけた魂は昇っていかない。

 着物が体に張り付くひかるが、天輪てんりんを構える。千早の呼んだ光の柱を、白い雷光が取り巻くように登ってゆく。

 しかしそれでも織哉は旅立てない。手を離さない唯真はもう胸まで消滅している。それでも夫の手を離さない。

「母さん!だめた、行くんだ!手を離して!」

 父はもう許されるとは思えない。けれど罪のない母はまだ間に合うかもしれない。輪廻転生の巡りに乗れるかもしれない。

 そう思って母に訴えるが、それでも唯真は織哉の手を離さない。
 

 その時だった。天をつらぬく光の柱に人影が現れる。
 
 輝が目を見開く。若き日の輝明てるあきは、今は織哉と同じ御乙神一族の正装をまとい、消滅しかけた弟夫婦を両腕に抱きしめた。

 織哉と唯真の魂は小さな光の玉に変わる。二人の魂を大切そうに腕に抱いて、輝明は姿を消した。


 三人の行く先は、誰も分からない。

 けれど、この人の次元から旅立ったことは間違いなかった。




 明は星覇を右腕に下げたまま、立ち尽くしていた。

 魂が旅立つ寸前、明を抱きしめる感触があった。それは明の胸辺りで身長差があった。

『愛してる』

 耳元に聞こえた声は、一瞬誰の声か分からなかったけれど、聞いただけで心臓が痛くなる、懐かしい、愛しい声だった。


 こんなにも母は小さかったのだと、明の目からまた涙が流れる。

 いつも自分を抱き上げてくれた母の体は細く小さく、華奢きゃしゃだった。

 こんな細い体であの別れの夜、最後まで自分をかばい抵抗し共に白刃はくじんつらぬかれたのかと思うと、明はもうやりきれなかった。辛さと愛しさで、頭がどうにかなってしまいそうだった。
 


 唯真ゆま織哉おりやを見送った場所から少し離れて、火雷からいが地面に刺さっていた。

 今代こんだいの主と別れを告げた火雷のすぐそばに、巻く風と共に何かが落下してきて、地面に突き刺さる。

 元の白銀の刀身に戻った建速たけはやが、火雷と寄り添うように地面に突き立っていた。


 駆け付けた術師たちが、かえってきた神刀たちを、言葉に出来ない思いで見つめる。

 その中で、無事だった三奈みなが火雷と建速の前でひざを着き、泣き出した。

 寄り添うように突き立つ火雷からい建速たけはやの姿に、遠い昔の、笑顔で連れ立っていた輝明と織哉を思い出したのだ。

 一族の宗家として、正におのが人生を犠牲に御乙神みこがみ一族を守った二人を思い、三奈は突き上げる悲しみをこらえられず子供のように声を上げて泣いた。地面に伏せて号泣した。

 三奈の号泣の訳を理解して、周囲の術師たちも涙を誘われる。

 こうべを垂れ黙とうし、弔意を示した。ここではないどこかへと旅立った三人に、想いをせていた。


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