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2.夢の終わり
夢の終わり(1)
しおりを挟むその日は修練の後、千早がお茶に誘ってくれた。美味しいお菓子があるからと、母屋から少し歩いた離れに案内される。
数年前新築されたばかりの平屋の離れは、大きな板張りの切妻屋根に白い壁の、モダンで美しい建物だった。
案内された部屋は一〇畳ほどの和室で、小振りの黒の和机と座椅子が一組、向き合って置かれている。
奥の小さな床の間には紅葉が描かれた掛け軸が飾られ、一足早く秋の雰囲気をかもし出している。現代的な設計の中に和の奥ゆかしさ織り込まれた、品の良い部屋だった。
すぐに千早が、手ずから緑が涼しげな冷茶とお菓子を持ってきてくれる。
出された水菓子は、青いグラデーションの寒天に白い粒が舞っている美しい和菓子だった。夏に降る雪、という世界観を表現しているらしい。千早のお気に入りの店の、今夏の看板商品なのだそうだ。
その創作和菓子と冷茶をいただきながら、とりとめもない話をする。
明から聞いた話では、千早は幼い頃から霊能の仕事に明け暮れ、普通の子供時代を過ごしていないらしい。
『昔、女友達を持つことにあこがれていたから、時間に余裕がある時は世間話に付き合ってあげてほしい』と、明からこっそり伝えられていた。
(本当に千早さんの事大事にしている旦那様だよね……)
スタイルから顔から雰囲気から、全てがびっくりしてしまうような美男子の明は、望めばたとえ愛人ポジションであっても女性が押し寄せるはずなのに、どう見ても千早しか眼中にない。
確かかなりの早婚で結婚してから一〇年以上たっているはずだが、それでも『新婚ですか?』と聞きたくなるほどの仲良しぶりだ。
決して人目に付くところでベタベタしている訳ではないが、ふとした時の二人の間の空気が、アツい。特に明の方の熱が高い気がする。
実は千早は元々、輝の許嫁だったそうだ。婚約が解消された理由は聞いていないが、明と千早を見ていると、輝が千早の許嫁を辞退した理由が分かる気がした。
あんな風に愛されたらどんな感じなんだろうと、美誠はよく想像する。幸せだろうなと思う。正直、うらやましい。
明のルックスや能力が良い訳ではない。向けられる深い愛情がうらやましかった。
(あれくらい愛されたら、何も不安にならないのかな……)
自分の奥底をむしばむ暗い記憶が、また揺さぶりをかけてくる。それは人間の暗面だけを煮詰めた、凄惨な記憶だ。
そう言えば先日、夢の中であの朱金の着物の女の子に前世の記憶を話してしまった。実際年齢は分からないが見た目は小さな女の子なので、暗い話はするつもりはなかったのについ口に出てしまった。
思っているより自分は、あの女の子に気を許してしまっているようだ。
女の子は、とても悲しんでくれた。いたわるようにおでこにキスまでしてくれた。まるで子供に心配されているお母さんになった気分だった。
あの悲しそうな眼差しと可愛いキスで、おぞましい過去の恐怖が少し薄らいだ気がした。
朱金と茶色の中に、大人びた笑顔が浮かぶ。名も知らぬ女の子へ、美誠は心から感謝を思った。
(強くなりたいな)
強くなれれば、もしかしたら千早のように誰かが側にいてくれる未来があるかも知れない。
今も囚われる過去の呪縛を乗り越えられれば、もう手は届かないけれど、いつかあの人に「昔あなたが好きでした」と笑顔で伝えられるかも知れない。
千早と他愛ない話をしながら、心の奥で美誠はそんなことを考えていた。
あのね、と千早が化粧品の話の途中に切り出した。
「美誠さん、……良かったらなんだけど、もう少し修練の期間を延ばさない?」
水菓子を切る黒文字が止まった美誠に、千早が話を続ける。
「来月で約束の一年が過ぎるけど、私としてはもう少しあなたの指導を続けたいと思うの。今までのように毎週でなくて、一ヶ月に二回くらいでもいいから、もう少しここでの修練を続けない?」
「……ええと、その、急には」
「そうよね、急だったわね。あなたの都合もあるから、良かったら来月までよく考えてくれない?でも私の意見としては今ここで終わるのはまだ早い気がするし、何よりもったいないと思うのよ。多分あなたの『守護者』もそう思っていると思うけど……」
うつむく美誠の背後を探るように見て、千早は軽い苦笑を浮かべる。
「ずいぶん『遠く』に籠っているのね。本当に滅多にこちらに干渉しないのね。ほとんどの術者が気付かないはずだわ」
話を終わり、何事もなかったようにまた水菓子を食べ始める千早を前に、美誠は重い気持ちで手元の水菓子を見つめた。
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