あなたの一番になれなくて ~夫のシェアはできません~

おてんば松尾

文字の大きさ
10 / 24

第10話

しおりを挟む
『え?土日も、佳乃ちゃんのところに泊まるの?』

『右手が使えないから、お風呂とか大変なのよ。月曜日に帰るわ』

『いや、でもさ、土日くらいは親御さんとかに来てもらえばいいんじゃない?加奈がいつまでも手伝うこともないんじゃないかな?こっちの家のこともあるし、仕事も行くの大変だろう?』

『問題ないわ』

『それじゃ、土日は何か手伝えるかもしれないから、俺が車を出そうか? 必要な物があれば買っていくし』

『大丈夫よ。それじゃ月曜にね。おやすみ』

『……おやすみ』

私はスマホの電源を切った。
指先が冷たくなっていることに気づき、ぎゅっと握りしめる。どこか落ち着かない。


「斗真さん、なんて言ってた?」

「土日は帰ってくるかって聞かれた。こっちの家の用事もあるだろうって。でも……家事のことかしらね?」

「ははは、家政婦じゃないんだから、自分でやればいいのにね」

私は自宅マンションには戻っているけれど、彼と顔を合わせないように時間を調整している。

そのときにボイスレコーダーも回収し、新しい物を代わりに置いてくる。
残念ながら、回収したボイスレコーダーには、何も録音されていなかった。

さすがに浮気相手を部屋に連れ込んではいないようだ。
けれど、私の部屋に仕掛けたスパイカメラには、彼が部屋に入って驚いている様子が映っていた。
さらに、引き出しを勝手に開け、中を確認している姿も記録されていた。

「すっからかんの部屋を見て、加奈が家出したって思っているんじゃない。いい気味ね」

「荷物は断捨離したって書いておいたわ。焦ってるのかな?もともとそんなに物を持ってないわよ私」

「確かに、昔からそうだったわね」

佳乃はいつも私の物の少なさに驚いていた。特に旅行へ行くときなど、通勤用の鞄で行っても問題ないくらい荷物は最小限だった。

「スナフキンが言ってたの、『物の持ち過ぎで苦しむのは、自分だぞ』ってね」

「加奈は、いつからスナフキンになったのよ」

佳乃は笑ってツッコミを入れてくれた。

夫婦として積み重なった思いや習慣が、いつしか重荷になってしまったのなら……
彼にとって私は、手放すべき荷物なのかもしれない。


***


彼のいない時間を見計らって、マンションへ戻りボイスレコーダーを回収する。
手の中の小さな機械をじっと見つめる。これの難点は、50時間しか持たないことだ。
こまめに回収するのは面倒だし、結局のところ生活音ばかりが録音されていて、ほとんど意味をなさない。
斗真さんは、さすがに部屋で独り言を喋るような奇妙な行動には出なかった。
回収したレコーダーを再生しても、聞こえてくるのはただの日常の音だけ。
テレビの音、椅子を引く音、カーテンが風に揺れる音。まるで、何事もなかったかのような、穏やかすぎる空気がそこにある。

「ボイスレコーダーは、誰かと会うときに会話を録音するものよね」

そんな当たり前のことに、今さら気がついて苦笑した。

金曜の夜、仕事帰りに佳乃と待ち合わせて食事に行った。
退勤後の街は活気に満ちていて、駅前のネオンがぼんやりと光っている。

私たちは高級焼肉店へ向かいながら、「今日は飲むぞ」と笑い合った。

佳乃のマンションに泊めてもらっているので、家賃代わりに佳乃にお金を渡した。
いらないと断られたが、それならこれで飲みに行こう、と二人でグラスを合わせる。
テーブルに並べられた分厚い肉は、見ているだけで幸せな気分になる。

「やっぱり肉よね、肉。高級店は違うわよね」
「男の人がいないから、そんなに量も食べないし、意外とリーズナブルだわ。女同士の焼き肉は最高ね」

炭火の上でじゅうじゅうと焼かれる肉の音を聞きながら、佳乃は生ビールを半分ほど飲んでから私に訊ねた。

「よその家庭のことでなんだけど、加奈はお金ってどうしてるの? 生活費は斗真さんが出してるの?」

「えっとね、うちはマンションの頭金とかローンは全部斗真さん持ち。名義も彼だし。私より収入が高いから余裕はあるはず」

「生活費は?」

「私は食費を出しているわ。月に7万もかからない。彼は昼は社食だし、会社での外食も多いからそれは彼が自分で出してる。スマホ代とか保険代とか、洋服代は各自でって感じかしら」

「ああ、じゃあ加奈は結構余裕あるわね」

「そうね。私も普通にお給料もらってるし、そんなに贅沢もしてないから貯金はある。離婚してすぐに困るような経済状況ではないわ」

グラスを傾けながら話していると、気持ちが少し軽くなる気がする。
この時間だけは、ただ楽しく過ごせばいいと思えた。

そのまま二件目はバーへ行き、夜が更けるまで楽しんだ。
心地よい酔いが回り、大学の頃に戻ったような気分になる。

「大学の頃みたいで楽しかった」
「だよね、結婚なんてしなくても十分楽しいわよ」

佳乃は恋愛や結婚には興味がないようで、子どもが欲しくなったときのために卵子凍結を検討している。

たとえば、『本当はこうしたくなかったけれど、夫のために、子どものために』そんな風に思いながら生きることは耐えられない、と彼女は言う。
相手のために自分のキャリアプランを諦めることはしたくないらしい。

『自分は、いつでも自由でいたい』彼女はそう考えている女性だった。


***

その夜、スマホの通知が静かに鳴った。
画面を開くと、斗真さんからのメッセージが並んでいる。

『加奈、さすがに顔を見たいんだけど、もう4日も会ってないだろう』
『家に帰って来ているのに、俺に会わないようにしてないか? おかしいだろう』
『何かあったのか? 加奈がいなければ帰って来ても俺一人だし、なんか静かすぎる』

未読のままスマホを伏せる。
彼はきっと怒っているだろう。
それから、メッセージは途切れた。

彼と土日を一緒に過ごすのは嫌だったので、帰りを月曜にした。
その結果、斗真さんとは6日間顔を合わせないことになる。
とはいえ、過去には彼が海外出張でひと月ほど家を空けていたこともあった。
たった一週間程度で怒るというのは、少し腑に落ちない。

私は、まだ離婚を決めていない。

とりあえずは、彼らを泳がせて浮気の証拠を掴むことにした。

けれど、万が一、浮気相手の林優香から接触があった場合は必ず録音し、そのとき、できれば彼女から証拠の画像を手に入れるという計画を立てた。

「おバカっぽいから、加奈が『浮気の証拠の画像を送ってくれたら離婚するわ』とか言ってみたらいいんじゃない?」

「そうよね。彼女のスマホの画像を入手できたら一番いいよね。なんか簡単に記念写真を撮っちゃってる斗真も、おバカに見えてきた」

「たいていの若い女は、もらったプレゼントとか、豪華なディナーをSNSに上げてるから、その子のアカウントとかが分かればいいけどね」

「最初に画像が送られてきたアカウントは、多分捨て垢だった……」

「彼女がもう一度加奈に直接接触してきたら話は早いけど、なんか怖いしね」


この先、斗真さんが彼女に二度と会わない可能性もある。

この件で彼から何らかのアクションがない場合は、当面は、いつも通り変わらない妻を演じる予定だ。

佳乃は私を裏切った斗真さんをどうしても許すことができないようで、離婚を勧めてくる。
離婚を有利に進めるには、こちらに妻として非がないようにしなければならないらしい。

どうなるかは分からない。
それでも、とにかく長期戦になる覚悟はしておく。

朝になり、出勤の準備を終えた私はスマホを開く。
指先で画面をなぞり、静かにメッセージを送った。

月曜の朝、『今日マンションに戻ります。夕飯は作っておくわね』


メッセージを書いて、送信ボタンを押してそっとスマホを伏せた。





しおりを挟む
感想 31

あなたにおすすめの小説

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

裏切りの街 ~すれ違う心~

緑谷めい
恋愛
 エマは裏切られた。付き合って1年になる恋人リュカにだ。ある日、リュカとのデート中、街の裏通りに突然一人置き去りにされたエマ。リュカはエマを囮にした。彼は騎士としての手柄欲しさにエマを利用したのだ。※ 全5話完結予定

短編 政略結婚して十年、夫と妹に裏切られたので離縁します

朝陽千早
恋愛
政略結婚して十年。夫との愛はなく、妹の訪問が増えるたびに胸がざわついていた。ある日、夫と妹の不倫を示す手紙を見つけたセレナは、静かに離縁を決意する。すべてを手放してでも、自分の人生を取り戻すために――これは、裏切りから始まる“再生”の物語。

理想の『女の子』を演じ尽くしましたが、不倫した子は育てられないのでさようなら

赤羽夕夜
恋愛
親友と不倫した挙句に、黙って不倫相手の子供を生ませて育てさせようとした夫、サイレーンにほとほとあきれ果てたリリエル。 問い詰めるも、開き直り復縁を迫り、同情を誘おうとした夫には千年の恋も冷めてしまった。ショックを通りこして吹っ切れたリリエルはサイレーンと親友のユエルを追い出した。 もう男には懲り懲りだと夫に黙っていたホテル事業に没頭し、好きな物を我慢しない生活を送ろうと決めた。しかし、その矢先に距離を取っていた学生時代の友人たちが急にアピールし始めて……?

幼馴染を溺愛する旦那様の前からは、もう消えてあげることにします

睡蓮
恋愛
「旦那様、もう幼馴染だけを愛されればいいじゃありませんか。私はいらない存在らしいので、静かにいなくなってあげます」

ミュリエル・ブランシャールはそれでも彼を愛していた

玉菜きゃべつ
恋愛
 確かに愛し合っていた筈なのに、彼は学園を卒業してから私に冷たく当たるようになった。  なんでも、学園で私の悪行が噂されているのだという。勿論心当たりなど無い。 噂などを頭から信じ込むような人では無かったのに、何が彼を変えてしまったのだろう。 私を愛さない人なんか、嫌いになれたら良いのに。何度そう思っても、彼を愛することを辞められなかった。 ある時、遂に彼に婚約解消を迫られた私は、愛する彼に強く抵抗することも出来ずに言われるがまま書類に署名してしまう。私は貴方を愛することを辞められない。でも、もうこの苦しみには耐えられない。 なら、貴方が私の世界からいなくなればいい。◆全6話

完結 貴方が忘れたと言うのなら私も全て忘却しましょう

音爽(ネソウ)
恋愛
商談に出立した恋人で婚約者、だが出向いた地で事故が発生。 幸い大怪我は負わなかったが頭を強打したせいで記憶を失ったという。 事故前はあれほど愛しいと言っていた容姿までバカにしてくる恋人に深く傷つく。 しかし、それはすべて大嘘だった。商談の失敗を隠蔽し、愛人を侍らせる為に偽りを語ったのだ。 己の事も婚約者の事も忘れ去った振りをして彼は甲斐甲斐しく世話をする愛人に愛を囁く。 修復不可能と判断した恋人は別れを決断した。

初恋にケリをつけたい

志熊みゅう
恋愛
「初恋にケリをつけたかっただけなんだ」  そう言って、夫・クライブは、初恋だという未亡人と不倫した。そして彼女はクライブの子を身ごもったという。私グレースとクライブの結婚は確かに政略結婚だった。そこに燃えるような恋や愛はなくとも、20年の信頼と情はあると信じていた。だがそれは一瞬で崩れ去った。 「分かりました。私たち離婚しましょう、クライブ」  初恋とケリをつけたい男女の話。 ☆小説家になろうの日間異世界(恋愛)ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/18) ☆小説家になろうの日間総合ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/18) ☆小説家になろうの週間総合ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/22)

処理中です...