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✨8 三ヶ月
マリリンさんが邸に来て、もう三ヶ月が経った。
けれどその間、彼女がスコット様のご両親に会いに行く気配はまったくなかった。
外に出て体を動かしたほうが、気持ちも晴れるのではないかと思う。
医師は「産後で気が沈んでいるだけで、身体に異常はない」と言っていたが、部屋に閉じこもってばかりでは余計に塞ぎ込んでしまうだろう。
私は何度も交流を試み、そっと距離を縮めようとした。
お茶に呼んで、少しでも気分転換になればと思い声をかけた。
けれど返ってくるのはいつも同じ言葉だった。
「赤ちゃんがいるから、ゆっくりできません。すみません」
断られるたびに、胸が痛んだ。
ある日、廊下を歩いていると、新しく入ったメイドたちの話し声が耳に届いた。
「お茶なんて、赤ん坊を抱えてできるわけないじゃない」
「いったい、どういうつもりなのかしら」
私の配慮が足りず、迷惑に思われているのだと感じた。
邸の中で、自分の居場所が少しずつ狭まっていく気がした。
それでも、少しでも外に出るきっかけを作ろうと思って誘ってみた。
「庭の花が綺麗ですよ。赤ちゃんと一緒に散歩しませんか?」
けれど今度は、「日に焼けると赤ん坊の肌に悪いから」と断られてしまった。
私と顔を合わせたくないのだろう。
そう思うと、いつの間にか声をかけること自体が怖くなっていた。
そんなある日のことだった。
庭に出た私は、思わず足を止めた。
旦那様が、マリリンさんとアーロンを連れて三人で散歩していたのだ。
私が誘っても来てくれなかったのに、旦那様とは一緒に歩いている。
みぞおちのあたりがきゅっと縮んだ。
気づかれないよう、私は柱の陰に身を隠した。
その瞬間、自分がひどく惨めに思えた。
ただの散歩だと、何度も自分に言い聞かせる。
そんな嫉妬心を抱く自分が嫌になり、そっとその場を離れた。
庭を吹き抜ける風は春の匂いを運んでいたのに、私の内側だけが静かに冷えていった。
◇
そんな日々が続いていたある日、執務室で書類に目を通していると、扉が軽くノックされた。
顔を上げると、そこには旦那様が立っていた。
「一緒に食事をどうかと思ってな」
帰宅されていたことに気づかなかった。
最近は王都へ行くことが多く、帰らない日も珍しくない。
だから、その誘いに、体の奥が一気に明るくなった。
「ありがとうございます。申し訳ありません、お出迎えもできずに」
「いや、構わない。久しぶりに早く戻れたからな」
旦那様に伝えたいことはたくさんあった。
けれどそれ以上に、ただゆっくり顔を見ていられる時間が嬉しかった。
「すぐに準備いたします」
ダミアがそう言って厨房へ向かう。
私も旦那様の着替えを手伝うため、彼の自室へと並んで歩いた。
「町がずいぶんと活気づいてきたな。君たちの努力が領民のやる気を引き出し、景気も上向いている。町の人々もみんな嬉しそうだ」
「はい。新しく入った執事補佐が優秀で、事業がどんどん進んでいます。これも旦那様の寛大な措置のおかげです」
褒められると、苦労が報われたようで嬉しくなる。
「モーガンももう年だ。新しい者たちに執務を教え込み、これからは彼らが私の右腕となってくれれば良い。ハーヴィスもますます発展し、領民たちの生活も潤うだろう」
確かにモーガンは高齢だ。
本人は「まだまだ頑張れます」と言ってくれているが、いつまでも頼ってばかりはいられない。
そう思うと、コンタンやガブリエルの存在がますます大きく感じられた。
「旦那様が信頼して執務を任せてくださっているので、自由に大きな計画を立てることができると皆が喜んでいます」
「そうだな、まぁ、手が回らないから今は任せっぱなしになっているが、報奨金で、予算の心配をしなくてもよくなったのは大きい」
以前は毎日の食料を確保するだけでも苦労していた。今では予算も確保でき、使用人も増やし、町の雇用も守れるようになった。領地に還元できるのは、本当にありがたいことだ。
さあ、これから食事を始めようという時だった。
食堂の扉が勢いよく開き、メイドが駆け込んできた。
「失礼します。旦那様!マリリン様がお呼びです!」
慌てた様子に、旦那様は眉をひそめた。
ちょうど食事を始めようとしていたところで、何事かと言いたげな表情だった。
「アーロン坊ちゃまが……具合が悪いようで」
「なんだって!」
旦那様は勢いよく立ち上がり、椅子がガタリと音を立てて後ろにずれた。
床に落ちたナプキンにも気づかないほど、その焦りは全身から溢れていた。
「すまないソフィア、アーロンの様子を見てくる」
「はい。どうぞ行って差し上げてください」
私も心配で、旦那様が部屋を出るまで後を追った。
「君は、先に食事していてくれ」
そう言い残し、旦那様は足早に廊下を駆けていった。
残された食堂には、温かい料理の香りだけが静かに漂っていた。
胸の奥に、うまく言葉にできない空虚が広がるのを感じつつ、私はそっと席へ戻った。
さっきまでの温かな時間が、指の間からこぼれ落ちていくようだった。
あの人の気配だけが、まだどこかに揺れていた。
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