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ベスはお茶と甘い菓子を用意し、メイド長とともにやってきた。
彼女の名はダリア。公爵家に仕えて二十年近くになるという。
控えめに一礼した後、ダリアは静かに言葉を添えた。
「何かご質問があれば、どうぞお尋ねください」
「では、ダリア。今日、旦那様は何時頃お戻りになるのかしら?」
「旦那様は本日は屋敷には戻られません」
「……戻らない?」
「あと二週間は帰れないそうです」
ダリアによると、夫レイモンドは国王陛下に同行して隣国へ向かっているという。
重要な任務のため、途中で抜けることはできないらしい。
仕方のないこととはいえ、帰りが二週間後だと聞いて思わず驚いてしまった。
「旦那様は、まだ私が戻ったことを知らないのかしら?」
「手紙で連絡はしていますので、ご存じかと思います」
とはいえ、二週間も会えないのは困りものだ。簡単に連絡も取れない状況では、私は動きが取れない。
現在、この屋敷で指示を出す立場にあるのは執事のセバスチャンだと思われる。
少し話した限りでは、どこか頼りなさがあり、優柔不断な印象を受けた。
「ダリア、私は住んでいたという離れに行ってみようと思います」
「離れに、ですか?」
「ええ。そこに行けば、何か思い出すかもしれないわ」
彼女は少し考えて頷いた。
「承知しました。今からでしょうか?」
「ええ。すぐに参ります」
ダリアはベスに、私を離れに案内するよう指示した。
要点だけを的確に伝え、無駄を省くダリアの受け答えは完璧だ。
効率的で抜け目なく仕事をこなしているのがよく分かる。
正直、記憶が戻る可能性は低いだろうけど、住んでいたという場所は見ておきたい。
私はベスに案内されて屋敷を出て、離れへ向かった。
屋敷から続く石畳の道があり、管理された庭には木々と花が整えられている。
少し歩くと、離れが見えてきた。
不思議な建物で、ぐるりと高い塀に囲まれているが、庭木でうまく隠されている。
防犯対策は万全なようで、頑丈な門が入り口に設けられていた。
さすが公爵邸の離れだけあり、建物はきちんとしている。
控えめで美しく、確かに静かに過ごせそうな外観だった。
内部には必要な設備が揃えられており、生活するのに不自由はなさそうだ。
けれど、贅沢な装飾や豪奢な家具はなく、色も地味で、とにかく物が少ない印象を受けた。
***
黒、グレー、濃いグレー、緑がかったグレー、黒、グレー……。
私のクローゼットにかかっている服は、どれも暗い修道服や地味なドレスばかりだ。
あまりに整然とした室内に少し驚いていると、ベスが申し訳なさそうに視線を向けてきた。
「あの……華やかなものは必要ないと仰っていたので」
(神殿の私の部屋と大差ないわね……)
「大丈夫よ、ベス。私がそれを望まなかったのよね。分かっているわ」
私は彼女を安心させるように微笑んだ。
先ほど案内された客室の家具や装飾品は公爵家が用意したものだった。
けれど、ここにあるのはすべて私の私物。好きにしていいはずだと考えた。
私は客室ではなく、この離れの部屋で過ごすことに決めた。
生活用品は必要最低限そろっているし、厨房や浴室も備わっている。問題はなさそうだ。
屋敷内を見回っていると、離れに移ったと聞きつけたセバスチャンが使用人を連れてやってきた。
「失礼いたします。奥様、なぜ離れに……」
走ってきたのか、セバスチャンは少し息を切らしていた。
「私はずっと離れにいたそうだから、こちらで休もうと思いまして」
セバスチャンは気まずそうに眉を寄せた。
「奥様は事故の影響で記憶が曖昧な状態です。人の少ない離れでは、もしもの時に大変困ります。旦那様から奥様のことをお任せいただいております以上、離れで生活されているとはご報告できません」
旦那様から託された使命感があるのは理解できる。けれど、二週間も帰らず執事に全てを丸投げするのはどうなのだろう。
「旦那様には私がそう望んだと報告してくださいませ。それに、あなたは王子殿下から『私が落ち着ける場所を探すように』と仰せつかっているはずです。お気持ちはありがたいけれど、どうか私のわがままをお聞きいただけませんか?」
(フィリップ様からのご指示を受けている以上、従うのは当然でしょう?)
「王子殿下……確かにそのように伺っております。しかしながら、奥様はまだ療養が必要な状態でございます。何もなさらず、屋敷でゆっくりとお過ごしいただければと」
「身体はもう十分健康ですし、療養するなら離れの方が向いている気がします」
「屋敷であれば私どもが奥様の身の回りを万全に整えられます。離れでは行き届かぬことも多いかと存じますので、どうぞご安心して屋敷でお過ごしくださいませ」
「何も分かっていない私が偉そうに意見して申し訳ありません。先に謝っておきますわ」
そう前置きしてから、私は改めて問いかけた。
「リリア様に私の部屋を空けてもらうまで、どれくらい時間がかかりますか?」
私の問いかけに、セバスチャンは息を呑んだ。
「そ、それは……奥様がお戻りになったので、すぐに部屋の移動をお願いするつもりでおりますが……」
(ああ……無理でしょうね)と私は思った。
リリア様を夫人の部屋に『気に入ったから』と住まわせた時点で、彼らはリリア様の命令に逆らえないのだから。
「私の部屋は今、リリア様がお使いですよね。屋敷に戻る私を迎える準備として改装や家具の用意をしていると聞きましたが、先ほどは『まだ準備ができていない』と言っていたわね?」
「……はい」
気まずそうにうつむき、彼は言葉を継げない。
「では、新しい家具を整え、改めて私を迎える自室を準備するまでに、どれくらい時間がかかりますか?」
「具体的には……正確には申し上げられません」
「その間、公爵夫人である私が、客人用の屋敷の客室で過ごすのですか?この離れには私が以前使っていたものが揃っていますから、記憶を取り戻すためにも、ここで過ごすのが一番ではないでしょうか?」
セバスチャンは言葉に詰まった。
追い詰めるような言い方をしてしまったが、執事を言い負かすのは後々やりづらくなるだろう。
少なくとも敵に回してはいけない。
私は柔らかい口調で付け足した。
「屋敷の自室の準備が整いましたら、すぐに移ります。ですから今は、この離れで過ごすことを許していただけませんか?」
「許すなど……奥様が過ごしやすいよう整えるのが私の務めでございます」
「セバスチャン、あなたが私を心から案じてくださっていることは分かっています。本当に感謝しています。ですが、どうか私にも少しだけ考える時間と、自分にとって最善と思う選択をさせてくださいね。もちろん、あなたの助言や経験を頼りにしたいと思っていますので、これからも力を貸していただければ嬉しいです」
「奥様のためにお仕えするのが私どもの務め。問題はございません」
なんとか執事の機嫌を損ねずに、離れでの生活を手に入れられただろうか。
「今後、私は公爵夫人として、ちゃんと家政を学ぶべきだと思っています。これまでは執事のあなたや家令が担当していたのですよね。教えていただくことは多いはず」
「事務仕事の出来る者を雇って執務を行っておりました。最終的な判断はすべて旦那様でございました。奥様はご自由にお過ごしください」
「自由に過ごしていいのなら、役に立てるかは分かりませんが、旦那様のお手伝いができればと思います。過剰な仕事量で旦那様もお疲れでしょうから」
私は「旦那様のため」を強調して言った。
「承知いたしました。手紙の返事や挨拶文など、簡単なものから始めていただけますので、よろしくお願いいたします」
「ええ、ぜひご指導くださいね」
にっこり微笑み、セバスチャンに“頼りがいを”期待している様子をさりげなく見せた。
「それでは離れでも不便のないよう、メイドと護衛をよこします。お食事は屋敷でご用意させていただきますが、よろしいでしょうか?」
「ええ。夕食の席でリリア様とお話しできればと思っています」
「かしこまりました。そのように手配いたします」
その後、離れでの生活がしやすいように、メイドたちが準備を整えてくれた。
彼女の名はダリア。公爵家に仕えて二十年近くになるという。
控えめに一礼した後、ダリアは静かに言葉を添えた。
「何かご質問があれば、どうぞお尋ねください」
「では、ダリア。今日、旦那様は何時頃お戻りになるのかしら?」
「旦那様は本日は屋敷には戻られません」
「……戻らない?」
「あと二週間は帰れないそうです」
ダリアによると、夫レイモンドは国王陛下に同行して隣国へ向かっているという。
重要な任務のため、途中で抜けることはできないらしい。
仕方のないこととはいえ、帰りが二週間後だと聞いて思わず驚いてしまった。
「旦那様は、まだ私が戻ったことを知らないのかしら?」
「手紙で連絡はしていますので、ご存じかと思います」
とはいえ、二週間も会えないのは困りものだ。簡単に連絡も取れない状況では、私は動きが取れない。
現在、この屋敷で指示を出す立場にあるのは執事のセバスチャンだと思われる。
少し話した限りでは、どこか頼りなさがあり、優柔不断な印象を受けた。
「ダリア、私は住んでいたという離れに行ってみようと思います」
「離れに、ですか?」
「ええ。そこに行けば、何か思い出すかもしれないわ」
彼女は少し考えて頷いた。
「承知しました。今からでしょうか?」
「ええ。すぐに参ります」
ダリアはベスに、私を離れに案内するよう指示した。
要点だけを的確に伝え、無駄を省くダリアの受け答えは完璧だ。
効率的で抜け目なく仕事をこなしているのがよく分かる。
正直、記憶が戻る可能性は低いだろうけど、住んでいたという場所は見ておきたい。
私はベスに案内されて屋敷を出て、離れへ向かった。
屋敷から続く石畳の道があり、管理された庭には木々と花が整えられている。
少し歩くと、離れが見えてきた。
不思議な建物で、ぐるりと高い塀に囲まれているが、庭木でうまく隠されている。
防犯対策は万全なようで、頑丈な門が入り口に設けられていた。
さすが公爵邸の離れだけあり、建物はきちんとしている。
控えめで美しく、確かに静かに過ごせそうな外観だった。
内部には必要な設備が揃えられており、生活するのに不自由はなさそうだ。
けれど、贅沢な装飾や豪奢な家具はなく、色も地味で、とにかく物が少ない印象を受けた。
***
黒、グレー、濃いグレー、緑がかったグレー、黒、グレー……。
私のクローゼットにかかっている服は、どれも暗い修道服や地味なドレスばかりだ。
あまりに整然とした室内に少し驚いていると、ベスが申し訳なさそうに視線を向けてきた。
「あの……華やかなものは必要ないと仰っていたので」
(神殿の私の部屋と大差ないわね……)
「大丈夫よ、ベス。私がそれを望まなかったのよね。分かっているわ」
私は彼女を安心させるように微笑んだ。
先ほど案内された客室の家具や装飾品は公爵家が用意したものだった。
けれど、ここにあるのはすべて私の私物。好きにしていいはずだと考えた。
私は客室ではなく、この離れの部屋で過ごすことに決めた。
生活用品は必要最低限そろっているし、厨房や浴室も備わっている。問題はなさそうだ。
屋敷内を見回っていると、離れに移ったと聞きつけたセバスチャンが使用人を連れてやってきた。
「失礼いたします。奥様、なぜ離れに……」
走ってきたのか、セバスチャンは少し息を切らしていた。
「私はずっと離れにいたそうだから、こちらで休もうと思いまして」
セバスチャンは気まずそうに眉を寄せた。
「奥様は事故の影響で記憶が曖昧な状態です。人の少ない離れでは、もしもの時に大変困ります。旦那様から奥様のことをお任せいただいております以上、離れで生活されているとはご報告できません」
旦那様から託された使命感があるのは理解できる。けれど、二週間も帰らず執事に全てを丸投げするのはどうなのだろう。
「旦那様には私がそう望んだと報告してくださいませ。それに、あなたは王子殿下から『私が落ち着ける場所を探すように』と仰せつかっているはずです。お気持ちはありがたいけれど、どうか私のわがままをお聞きいただけませんか?」
(フィリップ様からのご指示を受けている以上、従うのは当然でしょう?)
「王子殿下……確かにそのように伺っております。しかしながら、奥様はまだ療養が必要な状態でございます。何もなさらず、屋敷でゆっくりとお過ごしいただければと」
「身体はもう十分健康ですし、療養するなら離れの方が向いている気がします」
「屋敷であれば私どもが奥様の身の回りを万全に整えられます。離れでは行き届かぬことも多いかと存じますので、どうぞご安心して屋敷でお過ごしくださいませ」
「何も分かっていない私が偉そうに意見して申し訳ありません。先に謝っておきますわ」
そう前置きしてから、私は改めて問いかけた。
「リリア様に私の部屋を空けてもらうまで、どれくらい時間がかかりますか?」
私の問いかけに、セバスチャンは息を呑んだ。
「そ、それは……奥様がお戻りになったので、すぐに部屋の移動をお願いするつもりでおりますが……」
(ああ……無理でしょうね)と私は思った。
リリア様を夫人の部屋に『気に入ったから』と住まわせた時点で、彼らはリリア様の命令に逆らえないのだから。
「私の部屋は今、リリア様がお使いですよね。屋敷に戻る私を迎える準備として改装や家具の用意をしていると聞きましたが、先ほどは『まだ準備ができていない』と言っていたわね?」
「……はい」
気まずそうにうつむき、彼は言葉を継げない。
「では、新しい家具を整え、改めて私を迎える自室を準備するまでに、どれくらい時間がかかりますか?」
「具体的には……正確には申し上げられません」
「その間、公爵夫人である私が、客人用の屋敷の客室で過ごすのですか?この離れには私が以前使っていたものが揃っていますから、記憶を取り戻すためにも、ここで過ごすのが一番ではないでしょうか?」
セバスチャンは言葉に詰まった。
追い詰めるような言い方をしてしまったが、執事を言い負かすのは後々やりづらくなるだろう。
少なくとも敵に回してはいけない。
私は柔らかい口調で付け足した。
「屋敷の自室の準備が整いましたら、すぐに移ります。ですから今は、この離れで過ごすことを許していただけませんか?」
「許すなど……奥様が過ごしやすいよう整えるのが私の務めでございます」
「セバスチャン、あなたが私を心から案じてくださっていることは分かっています。本当に感謝しています。ですが、どうか私にも少しだけ考える時間と、自分にとって最善と思う選択をさせてくださいね。もちろん、あなたの助言や経験を頼りにしたいと思っていますので、これからも力を貸していただければ嬉しいです」
「奥様のためにお仕えするのが私どもの務め。問題はございません」
なんとか執事の機嫌を損ねずに、離れでの生活を手に入れられただろうか。
「今後、私は公爵夫人として、ちゃんと家政を学ぶべきだと思っています。これまでは執事のあなたや家令が担当していたのですよね。教えていただくことは多いはず」
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「自由に過ごしていいのなら、役に立てるかは分かりませんが、旦那様のお手伝いができればと思います。過剰な仕事量で旦那様もお疲れでしょうから」
私は「旦那様のため」を強調して言った。
「承知いたしました。手紙の返事や挨拶文など、簡単なものから始めていただけますので、よろしくお願いいたします」
「ええ、ぜひご指導くださいね」
にっこり微笑み、セバスチャンに“頼りがいを”期待している様子をさりげなく見せた。
「それでは離れでも不便のないよう、メイドと護衛をよこします。お食事は屋敷でご用意させていただきますが、よろしいでしょうか?」
「ええ。夕食の席でリリア様とお話しできればと思っています」
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