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私は、何も分かっていなかった。
彼にとって「妻」とは、執務を円滑に進めるための存在にすぎなかった。
情ではなく、役割として。
私は昨夜のことを思い出し、夫のレイモンドは何を考えているのだろうかと考えていた。
夕食の席では「夫人としての役目を果たしてほしい」「執務を手伝ってほしい」と彼は言っていた。
まるで、私たちの夫婦関係を再構築しようとしているかのような口ぶりだった。でも、それは私の勘違いだったのかもしれない。
なぜなら、リリアの件に対して彼は無頓着だったからだ。
身辺を整理せずに物事を進めた結果、事態はこじれ、混乱を招いてしまった。
朝の食事を続けながら、ベスに話しかけた。
「……忙しいのは分かってる。でも、私が以前のように聖女のままだったら、彼をこんな面倒に巻き込むこともなかったわね」
ベスは一瞬考え込み、やがて優しく言った。
「旦那様は、奥様の変化にどう向き合えばいいか、悩んでいらっしゃるのだと思います。
焦って空回りしているのかもしれません」
何年もこの屋敷で仕えてきたベスは、きっと私よりレイモンドを理解しているのだろう。
彼女はミルクをたっぷり注いだ紅茶を淹れてくれた。
「私はレイモンドと結婚して、彼に生活を支えてもらっている。ただ、何もしないのは良くないと思った。だから、公爵家の役に立ちたいと執務を手伝うことにしたの」
「自ら考えて行動された奥様は立派です」
「でも……執務を手伝ったりしなければ、こんな問題は起きなかったのよね」
ベスは首を横に振った。
「執務室の皆も奥様の手腕には驚いておりますし、家令の皆さまも私たちも助けられています。公爵家には以前より活気が戻り、仕事にもやりがいを感じています」
「……そう、ありがとう」
私は静かに礼を言い、ベスに微笑んだ。
聖女の神殿での過度な奉仕を思えば、聖女としての力を失ったことに未練はない。
けれど、記憶だけは、できれば戻ってほしい。
過去の私が何を思い、何を選んできたのか。それを知ることで、今の自分の輪郭もはっきりする気がした。
「失礼かもしれませんが、私は今の奥様のほうがずっと好きです。使用人たちも皆そう感じていると思います」
ベスの言葉に胸の奥がじんわりと温かくなる。
努力してよかった。少しはこの屋敷で受け入れられているのだと、そう思えた。
「今日からレイモンド様は城勤めが始まるのよね?」
「はい。朝早く出仕され、帰宅は夜中になるかと。勤務時間は決まっていますが、それも守られていないようです。ですから毎日大変忙しくされています」
私は小さく息をついた。
彼が忙しすぎて、体調を崩さないか心配だった。
聖女の仕事内容を聞いたとき、私は心が限界に近い状態だったのではないかと感じた。
そのストレスが原因で、記憶を失ったのではないかと今では思っている。
彼も、同じように心や体に不調が現れる可能性があるかもしれない。
そう思うと、少し不安になった。
とはいえ、彼が決まった時間に出仕するなら、私は自分の予定が立てやすい。
彼と顔を合わせず執務を手伝えるのなら、それは私にとって都合がいい。
「決めたわ。午前中は旦那様が外出している間に執務室で仕事をすることにする。午後は特に問題がなければ、自由に過ごすわ」
「まあ、それは素晴らしいお考えですわ!」
「手伝ってほしいと言われた以上、公爵夫人としての務めはきちんと果たすつもり。でも、無理をして体を壊したくはないから、午後は自分の時間にするわ」
「午後がお休みになれば、社交界のサロンやお茶会にも参加できますしね」
ベスはそう言ってくれたけれど、私にとって社交の場はまだ少し敷居が高い。
そう心の中でつぶやきながら、思わず苦笑した。
「夫とは顔を合わせずに過ごしたいから、今後もよろしくお願いね」
私の言葉に、ベスは一瞬眉を寄せたが、すぐにうなずいた。
「わかりました。今は距離を取る時間が必要ですね。旦那様もにも反省して頂かないといけませんし。いずれきちんと向き合う覚悟を持たれてから話すのが良いかと」
「私も、自由にさせてもらえたら、これからどうすべきか考えられるわ。無理に会って話すより、その方がいいと思う」
「承知しました。執務室にも伝えておきますし、旦那様の帰宅時間も、その都度、奥様に報告します。そうすれば、顔を合わせずに済みますから」
「ええ、お願いね。公爵家の執務仕事で何か問題があれば、ミドルに伝言してもらえばいいわね」
「かしこまりました。ミドルにも徹底いたします」
ベスは迷いのない口調で応えた。
自分の居場所を取り戻すには、まず冷静に距離を置くこと。
それが、今の私にできる最善の判断だった。
それからの二週間、使用人たちの助けもあり、私は旦那様と顔を合わせずに過ごせた。
公爵家の執務を、午前中に余裕で終わらすことができた。
外の庭の緑が静かに揺れている。
この穏やかな空気の中で、旦那様と私はそれぞれの役目を果たし、別々の朝を過ごしている。
そんなある日、執務室で仕事をしていると、執事のセバスチャンが手紙を持ってきた。
「奥様宛のお手紙が、届いております」
上質な紙に、美しく整った文字が並んでいる。
封筒に押された蝋印を見て、これは王室からの私的な手紙だとすぐに分かった。
宛名を確認すると、差出人は第三皇子――フィリップ殿下だった。
その名前を目にした瞬間、胸が高鳴った。
私の記憶は数カ月分しか残っていないけれど、その中で彼との思い出は、数少ない輝きのような存在だった。
《親愛なるステファニーへ》
突然の手紙に驚かせてしまったかもしれないが、どうか許してほしい。
まず何より、君が毎日元気に過ごしていることを心から嬉しく思っている。
私もまた、君の幸せと穏やかな日々をいつも願っている。
どうかそのことを忘れないでいてほしい。
さて、本題に移ろう。
今、私が進めている薬学の研究において、君の知識と経験が大いに役立つと考え、この手紙を書いている。
君がこの分野に精通していることはよく知っているし、その実力を心から信頼している。
具体的には、新薬の処方に関する課題について、君の意見や助言をいただきたい。
私ひとりではなかなか解決できない部分もあり、聖女としての君の視点と知恵が大きな助けになると確信している。
もちろん、無理にお願いするつもりはない。
忙しいところ申し訳ないが、ぜひ前向きに考えてもらえたら嬉しい。
君からの返事を、心待ちにしている。
感謝と敬意を込めて
フィリップ・ヴァン・カスタール
私は、その手紙をとても嬉しい気持ちで読んだ。
友人に宛てたような文体で、思わず笑みがこぼれる。
自分が必要とされているそう思うと、なんだか胸が温かくなった。
***
それから数日が過ぎたある日。
私たちは殿下の研究施設の一角で、静かな午後を過ごしていた。
柔らかな陽光が差し込み、暖かな空気が部屋を満たしている。
神殿で記憶した膨大な治療記録は、薬剤研究に大いに役立った。
それでも短時間では足りず、私は定期的に研究所へ通うことになった。
テーブルには王家御用達と思しき香り高い紅茶と、高級な菓子が並ぶ。
殿下と向かい合い、思い出話に花を咲かせながら、穏やかな午後を楽しんでいた。
私はカップを手に取り、意を決して口を開いた。
「実は私も、フィリップ様に相談したいことがありました」
殿下は興味深そうに私を見つめ、カップを置いて少し身を乗り出した。
「君が困っていることがあれば、僕にできることなら何でも協力するよ」
私が言いよどむと、殿下は続けた。
「君は神殿の悪事を暴き、薬学に莫大な予算をもたらした功労者だ。それだけでも僕にとっては感謝しかない」
その言葉に勇気づけられ、私は決心した。
褒め言葉は嬉しかったが、心の奥には別の願いがあった。
私が求めているのはただ一つ——自立への手助けだった。
カップをそっとテーブルに戻し、殿下をまっすぐ見つめた。
「実は…もし私が殿下のお役に立てるのでしたら、仕事として私を雇っていただけないでしょうか」
「雇う?」
殿下は驚いたように問い返した。
これ以上、夫に頼る生活を続けるわけにはいかない。
自分の力で生きるために、一歩を踏み出さなければならない。
「私は、公爵家の資産に頼るのではなく、自分で暮らせるだけの収入が欲しいのです」
私にとってそれは、自分のために未来を切り開く決断だった。
殿下はしばらく黙って考え込み、やがてゆっくり頷いた。
「レイモンドは、君が公爵家の予算をどう使おうと、きっと何も言わないと思う。でも、ステファニー自身がそれに抵抗を感じているんだよな?それで、仕事をして自分で収入を得たいということだね?」
「私はもう聖女ではありません。それに、公爵夫人として上手くやっていける自信もありません。なにせ記憶がないのですから」
彼は先を促した。
「屋敷で過ごしてみて分かったのですが、私たちは、夫婦としてあまり上手くいっていなかったようです」
「そうなのか?」
「そうだと思います」
「なるほど……」
殿下は顎に手をあてて、何か考えているようだった。
「わかった。もちろん、こちらとしては君のように優秀な者が手伝ってくれるのなら、それなりの報酬は支払うつもりだ。僕としても大歓迎だ」
殿下の言葉に、ほっと胸をなでおろした。
「できれば、夫には知られたくないのですが……」
私は声を潜めるように言った。
「秘密を持つことは時に悪事に思えるかもしれない。でも、それがあるからこそ、ちょっとしたスリルと楽しさを味わえる」
彼はそう言うと、いたずらっ子のようにニヤリと笑った。
もし夫婦関係が破綻して、屋敷を追い出されるようなことがあれば、仕事も収入もない私は、きっと途方に暮れてしまうだろう。
だからこそ、万が一に備えて、自分の意思で使えるお金を持っておくことは大切だと思った。
そんな思いを胸に秘めながら、私は殿下の方へと顔を向け、そっと微笑んだ。
彼にとって「妻」とは、執務を円滑に進めるための存在にすぎなかった。
情ではなく、役割として。
私は昨夜のことを思い出し、夫のレイモンドは何を考えているのだろうかと考えていた。
夕食の席では「夫人としての役目を果たしてほしい」「執務を手伝ってほしい」と彼は言っていた。
まるで、私たちの夫婦関係を再構築しようとしているかのような口ぶりだった。でも、それは私の勘違いだったのかもしれない。
なぜなら、リリアの件に対して彼は無頓着だったからだ。
身辺を整理せずに物事を進めた結果、事態はこじれ、混乱を招いてしまった。
朝の食事を続けながら、ベスに話しかけた。
「……忙しいのは分かってる。でも、私が以前のように聖女のままだったら、彼をこんな面倒に巻き込むこともなかったわね」
ベスは一瞬考え込み、やがて優しく言った。
「旦那様は、奥様の変化にどう向き合えばいいか、悩んでいらっしゃるのだと思います。
焦って空回りしているのかもしれません」
何年もこの屋敷で仕えてきたベスは、きっと私よりレイモンドを理解しているのだろう。
彼女はミルクをたっぷり注いだ紅茶を淹れてくれた。
「私はレイモンドと結婚して、彼に生活を支えてもらっている。ただ、何もしないのは良くないと思った。だから、公爵家の役に立ちたいと執務を手伝うことにしたの」
「自ら考えて行動された奥様は立派です」
「でも……執務を手伝ったりしなければ、こんな問題は起きなかったのよね」
ベスは首を横に振った。
「執務室の皆も奥様の手腕には驚いておりますし、家令の皆さまも私たちも助けられています。公爵家には以前より活気が戻り、仕事にもやりがいを感じています」
「……そう、ありがとう」
私は静かに礼を言い、ベスに微笑んだ。
聖女の神殿での過度な奉仕を思えば、聖女としての力を失ったことに未練はない。
けれど、記憶だけは、できれば戻ってほしい。
過去の私が何を思い、何を選んできたのか。それを知ることで、今の自分の輪郭もはっきりする気がした。
「失礼かもしれませんが、私は今の奥様のほうがずっと好きです。使用人たちも皆そう感じていると思います」
ベスの言葉に胸の奥がじんわりと温かくなる。
努力してよかった。少しはこの屋敷で受け入れられているのだと、そう思えた。
「今日からレイモンド様は城勤めが始まるのよね?」
「はい。朝早く出仕され、帰宅は夜中になるかと。勤務時間は決まっていますが、それも守られていないようです。ですから毎日大変忙しくされています」
私は小さく息をついた。
彼が忙しすぎて、体調を崩さないか心配だった。
聖女の仕事内容を聞いたとき、私は心が限界に近い状態だったのではないかと感じた。
そのストレスが原因で、記憶を失ったのではないかと今では思っている。
彼も、同じように心や体に不調が現れる可能性があるかもしれない。
そう思うと、少し不安になった。
とはいえ、彼が決まった時間に出仕するなら、私は自分の予定が立てやすい。
彼と顔を合わせず執務を手伝えるのなら、それは私にとって都合がいい。
「決めたわ。午前中は旦那様が外出している間に執務室で仕事をすることにする。午後は特に問題がなければ、自由に過ごすわ」
「まあ、それは素晴らしいお考えですわ!」
「手伝ってほしいと言われた以上、公爵夫人としての務めはきちんと果たすつもり。でも、無理をして体を壊したくはないから、午後は自分の時間にするわ」
「午後がお休みになれば、社交界のサロンやお茶会にも参加できますしね」
ベスはそう言ってくれたけれど、私にとって社交の場はまだ少し敷居が高い。
そう心の中でつぶやきながら、思わず苦笑した。
「夫とは顔を合わせずに過ごしたいから、今後もよろしくお願いね」
私の言葉に、ベスは一瞬眉を寄せたが、すぐにうなずいた。
「わかりました。今は距離を取る時間が必要ですね。旦那様もにも反省して頂かないといけませんし。いずれきちんと向き合う覚悟を持たれてから話すのが良いかと」
「私も、自由にさせてもらえたら、これからどうすべきか考えられるわ。無理に会って話すより、その方がいいと思う」
「承知しました。執務室にも伝えておきますし、旦那様の帰宅時間も、その都度、奥様に報告します。そうすれば、顔を合わせずに済みますから」
「ええ、お願いね。公爵家の執務仕事で何か問題があれば、ミドルに伝言してもらえばいいわね」
「かしこまりました。ミドルにも徹底いたします」
ベスは迷いのない口調で応えた。
自分の居場所を取り戻すには、まず冷静に距離を置くこと。
それが、今の私にできる最善の判断だった。
それからの二週間、使用人たちの助けもあり、私は旦那様と顔を合わせずに過ごせた。
公爵家の執務を、午前中に余裕で終わらすことができた。
外の庭の緑が静かに揺れている。
この穏やかな空気の中で、旦那様と私はそれぞれの役目を果たし、別々の朝を過ごしている。
そんなある日、執務室で仕事をしていると、執事のセバスチャンが手紙を持ってきた。
「奥様宛のお手紙が、届いております」
上質な紙に、美しく整った文字が並んでいる。
封筒に押された蝋印を見て、これは王室からの私的な手紙だとすぐに分かった。
宛名を確認すると、差出人は第三皇子――フィリップ殿下だった。
その名前を目にした瞬間、胸が高鳴った。
私の記憶は数カ月分しか残っていないけれど、その中で彼との思い出は、数少ない輝きのような存在だった。
《親愛なるステファニーへ》
突然の手紙に驚かせてしまったかもしれないが、どうか許してほしい。
まず何より、君が毎日元気に過ごしていることを心から嬉しく思っている。
私もまた、君の幸せと穏やかな日々をいつも願っている。
どうかそのことを忘れないでいてほしい。
さて、本題に移ろう。
今、私が進めている薬学の研究において、君の知識と経験が大いに役立つと考え、この手紙を書いている。
君がこの分野に精通していることはよく知っているし、その実力を心から信頼している。
具体的には、新薬の処方に関する課題について、君の意見や助言をいただきたい。
私ひとりではなかなか解決できない部分もあり、聖女としての君の視点と知恵が大きな助けになると確信している。
もちろん、無理にお願いするつもりはない。
忙しいところ申し訳ないが、ぜひ前向きに考えてもらえたら嬉しい。
君からの返事を、心待ちにしている。
感謝と敬意を込めて
フィリップ・ヴァン・カスタール
私は、その手紙をとても嬉しい気持ちで読んだ。
友人に宛てたような文体で、思わず笑みがこぼれる。
自分が必要とされているそう思うと、なんだか胸が温かくなった。
***
それから数日が過ぎたある日。
私たちは殿下の研究施設の一角で、静かな午後を過ごしていた。
柔らかな陽光が差し込み、暖かな空気が部屋を満たしている。
神殿で記憶した膨大な治療記録は、薬剤研究に大いに役立った。
それでも短時間では足りず、私は定期的に研究所へ通うことになった。
テーブルには王家御用達と思しき香り高い紅茶と、高級な菓子が並ぶ。
殿下と向かい合い、思い出話に花を咲かせながら、穏やかな午後を楽しんでいた。
私はカップを手に取り、意を決して口を開いた。
「実は私も、フィリップ様に相談したいことがありました」
殿下は興味深そうに私を見つめ、カップを置いて少し身を乗り出した。
「君が困っていることがあれば、僕にできることなら何でも協力するよ」
私が言いよどむと、殿下は続けた。
「君は神殿の悪事を暴き、薬学に莫大な予算をもたらした功労者だ。それだけでも僕にとっては感謝しかない」
その言葉に勇気づけられ、私は決心した。
褒め言葉は嬉しかったが、心の奥には別の願いがあった。
私が求めているのはただ一つ——自立への手助けだった。
カップをそっとテーブルに戻し、殿下をまっすぐ見つめた。
「実は…もし私が殿下のお役に立てるのでしたら、仕事として私を雇っていただけないでしょうか」
「雇う?」
殿下は驚いたように問い返した。
これ以上、夫に頼る生活を続けるわけにはいかない。
自分の力で生きるために、一歩を踏み出さなければならない。
「私は、公爵家の資産に頼るのではなく、自分で暮らせるだけの収入が欲しいのです」
私にとってそれは、自分のために未来を切り開く決断だった。
殿下はしばらく黙って考え込み、やがてゆっくり頷いた。
「レイモンドは、君が公爵家の予算をどう使おうと、きっと何も言わないと思う。でも、ステファニー自身がそれに抵抗を感じているんだよな?それで、仕事をして自分で収入を得たいということだね?」
「私はもう聖女ではありません。それに、公爵夫人として上手くやっていける自信もありません。なにせ記憶がないのですから」
彼は先を促した。
「屋敷で過ごしてみて分かったのですが、私たちは、夫婦としてあまり上手くいっていなかったようです」
「そうなのか?」
「そうだと思います」
「なるほど……」
殿下は顎に手をあてて、何か考えているようだった。
「わかった。もちろん、こちらとしては君のように優秀な者が手伝ってくれるのなら、それなりの報酬は支払うつもりだ。僕としても大歓迎だ」
殿下の言葉に、ほっと胸をなでおろした。
「できれば、夫には知られたくないのですが……」
私は声を潜めるように言った。
「秘密を持つことは時に悪事に思えるかもしれない。でも、それがあるからこそ、ちょっとしたスリルと楽しさを味わえる」
彼はそう言うと、いたずらっ子のようにニヤリと笑った。
もし夫婦関係が破綻して、屋敷を追い出されるようなことがあれば、仕事も収入もない私は、きっと途方に暮れてしまうだろう。
だからこそ、万が一に備えて、自分の意思で使えるお金を持っておくことは大切だと思った。
そんな思いを胸に秘めながら、私は殿下の方へと顔を向け、そっと微笑んだ。
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