元・聖女ですが、旦那様の言動が謎すぎて毎日が試練です

おてんば松尾

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私は充実した日々を送っている。
午前中は執務をするが、午後からは自由時間だ。

週のうち三日は研究所へ行きフィリップの手伝いをしているが、それ以外は街で買い物をしたり、新しくできたカフェに行ったりして楽しんでいた。
貴族の茶会や、サロンへは顔を出さないでいた。数名の貴族夫人と交流を持っては見たけれどどれもあまり楽しいものではなかった。

「聖女様として今まで神殿でお過ごしでしたでしょう?私なんかは近寄れないほど高貴な方でしたもの」
「それが今は、記憶も魔力もなくされたらしくて」
「大丈夫ですの?今までは神のように崇められていらしたでしょう?急に魔力なしだなんて」

世間の噂というものは、まるで風のように、どこからともなく流れ込んできて、気づけば耳に届いている。 
気にしなければ済む話なのかもしれないが、何も覚えていないという事実が、不安を呼び起こす。 
そうした場に近づかないようにするのが一番なのだろう。 
けれど、いつまでも屋敷に閉じこもっているわけにもいかない。

“元聖女”という肩書は、どうやら人々の好奇心を強く引きつけるらしい。 
華やかな茶会や社交の場への誘いは後を絶たない。 
今の私は、それらすべてを丁寧にお断りしている。

公爵夫人として、それは良い判断ではない。けれど、気にしないことにした。

「奥様、これとてもお洒落ですわ、エレガントですし手が込んでますね」
「まぁ、本当に素敵ね」

貴族街に入り、ベスと街を歩きながら、店頭にディスプレイされた美しいレース編みのショールを見ていた。
高級そうなその洋品店の前で、以前一度だけ会ったことのあるウェール夫人に遭遇してしまった。

彼女には何度かお茶会に招待されていた。多忙を理由にお断りしていた夫人だった。ウェール夫人は、優雅な仕草で扇を開きながら私のそばにゆっくりと歩いてきた。

「まぁ、これは珍しいですわね。シュタイン公爵夫人お久しぶりですわ」

彼女の装いは流行の先端を追い、繊細な刺繍が施されたドレスは誰が見ても高価な物だった。

「ウェール侯爵夫人ごきげんよう」

距離を置いたつもりが、こんなところで会ってしまったと自分のタイミングの悪さを呪った。

「お買い物ですか?私もこちらのお店で手袋を購入しましたのよ。今人気のあるデザイナーがこのお店で商品を出していますの、ご存じかしら?彼の作ったものは予約しないと手に入りませんのよ」

侯爵夫人は自慢げに話し、指先で扇をゆらりと動かす。

「そうなのですね」

「まぁ、聖女様は地味な服装でないといけないんでしたっけ?あまりそういった流行などは気にされませんわよね。いつもそんな町娘のようなお洋服で出かけていらっしゃいますの?」

彼女の意図は明白だった。嘲るような笑みが、その紅く塗られた唇にちらりと浮かぶ。

「ええ……そうですね」

私は視線を逸らすことなく軽く頷いた。

「公爵夫人としては、少し……まぁ、なんと申しますか。ふふっ」

言葉を濁す侯爵夫人。彼女からは蔑んだような視線が向けられた。

「社交界のご婦人の華やかな装いは素晴らしいですね」

「その家の格式というものがあるでしょう?旦那に恥ずかしい思いをされないよう、妻は品格を保つのが礼儀ですわ。ですのに、あなた、素材もデザインも地味すぎるというか、ご主人に買っていただいたらいいのでは?」

彼女の侮蔑を含んだ言葉は、遠回しでもなんでもなく直接的だ。

「ご主人と言えば……侯爵は……」

「宅の主人がどうしました?」

侯爵夫人の表情が僅かに変わる。

「ウェール侯爵のご病気は、その後いかがでしょう?」

「病気?うちの主人が、何か病を患っていたのですか?」

夫人の紅を引かれた唇が、固く結ばれた。

「いえ、その……患者様のことを、あまり話すわけにはいきませんので……」

「まぁ!他人ではないのですよ!私は妻なのですから、主人が病気だったのなら、教えてもらって当然です。私に隠しているだなんて……何か、大きな病を患っているのですか?」

その声は余裕を失い、焦りが感じられた。

「そうですね、ご夫婦ですから、知って当然なのかもしれません」

「ええ!あたりまえですわ!」

侯爵夫人の顔が少し青くなった。
夫が大病でも患っているのではないかと心配している様子だ。
その変化を見逃すことなく、私は静かに言葉を続ける。

「大きな声では言えませんが、慢性的に、性病にかかられていらっしゃいます。三年前に、一度……ああ、その後半月で別の性病にもかかられて、それから翌年の春と、昨年の冬もでしたかしら……」

ウェール侯爵夫人の顔色がみるみる変わる。青にを帯びた頬が、みるみる赤くなり、指先で握られた扇が、ぶるぶると震えだした。

「ああ、ご心配なく。命に関わるものではありませんし、今はもう完治されていますので」

私はゆっくりと頭を下げて彼女に挨拶をする。

「では、おだいじに。ご主人によろしくお伝えください。失礼いたします」

私は背筋を伸ばし、優雅な足取りで静かにその場を後にした。


私は公爵家の夫人だ。侯爵夫人よりも爵位が高く、社交界においても一定の敬意が払われるべき存在なはず。

悪口を言われ続けても、言い返さないと思ったのかしら?
ウェール夫人、私とここであったのが運の尽きだったわね。

ざまみろ。

ベスは隣で笑いを必死にこらえていた。


***


「奥様、城での王家主宰の夜会ですが、エスコートは旦那様で、四時には出発されるということです」

「分かりました。その時間に間に合うように準備します」

メイド長のダリアが表情を変えずに私に告げた。
旦那様との関わりは、屋敷の使用人を通して行われる。ここ1ヶ月は旦那様と直接話はしていない。もちろん彼の顔も見ていなかった。

極力私の前では旦那様の話をしないように皆が気を遣ってくれているからだ。
逆に申し訳ない気分になってしまった。

「リリア様と参加はされないのね?」

「そうです。奥様がいらっしゃいますので、パートナーは奥様に務めていただきたいとのことです」

ダリアはわずかに表情を硬くした。

あれからすぐにリリアは屋敷を追い出されたという。
セバスチャンの話によれば、人の話を聞かない彼女は誰が何を言おうが自分のルールで行動するらしく、それが間違っていても押し通してしまう性格らしい。

まぁ、わかってはいたけど。

旦那様が彼女の父親の伯爵に抗議をし、今後リリアは公爵家へ二度と立ち入らないという約束になったという。

「その上で……」

珍しく、ダリアが言葉を探しあぐねる。

「その上で?」

「夫婦として円満であることを、周囲に示さねばならないそうです」

円満……ではないだろう。

執務室のドアをノックしてセバスチャンが入ってきた。頭を下げて、小箱を私の前に差し出した。

「最初の晩餐のときに、旦那様が奥様に渡されたプレゼントでございます」

ああ……リリア様が乱入してきた、あの夕食のときの物だわ。
私は箱を受け取った。

「あのときは、食堂が混乱していたから、そのままテーブルの上に置き忘れてしまったのね。申し訳ないことをしてしまったわね」

静かに頭を下げてセバスチャンは言葉を継ぐ。

「中にはチューリップをモチーフにしたブローチが入っております」

私は箱を開けてブローチを手に取った。ゴールドのフレームに、シルバーで成形されたチューリップモチーフが可愛く、葉の部分にはラインストーンが散りばめてある。
上品なデザインで、普段でも使えそうな素敵な物だった。

「旦那様は奥様の好きな花は何だとお尋ねになって、そちらをご自分で買いに行かれました」

意外な言葉に、一瞬心が揺れる。そうだったのね……ご自分で選んで贈ってくださったのね。

「世の中の、一般的な貴族夫婦がどのようなものなのか、私は知らないのだけれど……つまり」

セバスチャンは躊躇いがちに、慎重な口調で言葉を紡ぐ。

「奥様、上辺だけではなく……どうか、そろそろ旦那様と歩み寄っていただけませんか?」

セバスチャンが言葉を選びながら、おずおずと話を切り出す。

「旦那様は、奥様のことを深く案じております。屋敷の三階に、新たに夫婦の寝室と奥様の自室を設えられました。奥様のために、数多の贈り物を準備されました」

彼を受け入れるには、それなりの覚悟が要る。 期待を裏切られるたびに、その信頼を削がれていくのだから。

「別に喧嘩をしているわけではないつもりだけれど……」

しばし沈黙が降りる。もしかすると、ただ自分が意地になっているだけなのかもしれない。
そう考えながら、静かに息を吐いた。


「……私はチューリップが好きだったの……かしら……」

独り言のように呟いた言葉は、記憶の欠片を探るように部屋に静かに響いた。
指先がそっとブローチを撫でる。どこか懐かしさが心に宿った。


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