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以前の私は夫を愛していたのだろうか……
だとしたら、その気持ちを取り戻すべきなのだろうか?
今の私は、彼を愛しているのかどうかが分からなかった。
夫とともに過ごした日々。喜びも悲しみもすべてが記憶の奥底に閉じ込められて表に出てくる気配はない。
レイモンドとはかつて、どんな言葉を交わしていたのだろう?
微笑み合い、何気ない会話を重ねた日々は本当にあったのだろうか。
どうしても忘れていた記憶を呼び戻したいという衝動に駆られ、私はフィリップ様と、岬の灯台にやって来た。
最初に見つかった場所に来れば、何か思い出すきっかけになるのではないかと考えて。
「ステファニーはここで見つかったらしい……君はどんな気持ちでここへ来たのだろうな」
周辺を見渡し、フィリップ様は問いかけというよりは、自分に向けた独り言のように呟いた。
「ここで誰かと会ったとか、何らかの事情があったのでしょうか……」
その灯台はとても寂しく孤立した場所に建っていた。
海風にさらされ、剥がれ落ちた塗装が無残な斑を描くその灯台は、お世辞にも綺麗だとはいえなかった。
「そうだな……君の他に誰かがいたような形跡はなかったらしいから、ここへは君一人で来たんだろう」
フィリップは先に足を踏み出した。
私たちはそのまま灯台の上まで上って行った。
石段は潮風に削られ、崩れかけた部分が少し危険だった。彼は私に手を差し出して、つかまるように言ってくれた。
上へ行くほど、どこからか入り込んでくる風の感覚が肌に触れる。そのたびにフィリップは、私を気遣うように視線を向けた。
最後の数段を上がると、灯台の頂が見えた。
灯台の古びた手すりに触れると、ひんやりとした感触が指先に伝わった。
潮の香りがかすかに鼻をくすぐる。眼下には広がる波の絨毯。風が吹くたび、海面が光を砕いてキラキラと踊っている。遠くから響くのはカモメの鳴き声……
私はなぜか懐かしいような気持ちになった。肌に感じる風や、鳥の鳴き声、潮の香、すべてが忘れかけていた記憶の断片となって、胸の奥でそっと呼びかけてくる。
突如、冷たい海風が強く吹き抜けた。潮の香りが濃くなり、波の音がより深く響いたその瞬間。
不意に私の中で声が響いた……
そうだ……灯台守が言っていた。
『……もし元に戻したいと思う時が来たら、ここをまた訪ねてみるといい……』
私はハッと目を見開いた。
『嵐の夜、海が騒いでいる日には、俺がここにいるかもしれない。運が良ければ、その時また会えるだろうさ……』
灯台守の言葉が重く耳の奥で残響する。私の……記憶?
突然のめまいに襲われ、ふらっと倒れそうになった。 視界がぐらつく。足元が崩れていくような感覚。けれども、次の瞬間、力強い腕が私の体を支えた。
「大丈夫か!」
フィリップ殿下の声は冷静だった。その手は私を守るようにしっかりと肩を抱えていた。
そのとき。
彼の後ろで、何かが揺らめいた。
影だ。 いや、それはただの影ではなかった。まるで意思を持つかのように、うごめく何かだった。
次の瞬間。
シュッ——ッ!
鋭い音を立てて、フィリップ様の剣が抜かれる。ためらいもなく、一瞬のうちに振り下ろされ。
ザシュッ!
刃が床に突き刺さる。
空気が凍りついた。 私は息を呑み、何が起こったのか理解できないまま、ただ剣の先を見つめる。
フィリップ様の視線は鋭く、まるで目には映らない何かと対峙しているようだった。何かが……この灯台の中に、いる?
風が吹き込む。 影がゆらりと揺れ、そして……
ものすごい勢いで灯台の階段を駆け上がる足音が聞こえた。
「おい!ステフから離れろ!」
レイモンドの怒声が、空気を震わせた。
***
公爵邸の客室は息が詰まるような雰囲気だった。
部屋は静まり返り、張り詰めた空気が漂っていた。
私とフィリップ、そしてセバスチャンとダリア、皆がレイモンドを囲む形で座っている。
旦那様を見つめる視線は冷たい。
彼は腕を組み、わざと肩を怒らせている。
「……どういうことですか、旦那様?」
私がゆっくりと問いかけた。
レイモンドは身じろぎし、ぎこちなく視線を動かした。
「……私は……ただ、知る必要があっただけだ」
その言葉に、皆が表情を曇らせた。
「影を使い盗み聞きとは、随分と慎ましい趣味をお持ちだ」
フィリップの言葉は皮肉たっぷりだ。
ダリアは腕を組み、無言のまま旦那様を見つめている。
セバスチャンの瞳には、怒りではなく失望が浮かんでいた。
「何を知りたかったのですか?」
私が旦那様に問いかける。
「……私はただ、君がどこへ行くかを知りたかった。公爵夫人なのだから、安全は大事だ。危険な場所へ行ってはならないし……」
まるで言い訳のように聞こえた。
けれども、その言葉の裏にあるものを、誰もが感じ取っていた。
皆の視線が旦那様に集まる。
ダリアはため息をつき、静かに言った。
「旦那様は、本当は奥様のことが気になって仕方がなかったのでしょう?」
レイモンドはわずかにハッとした様子で、居心地が悪そうだ。
しかし、強がるように言い放った。
「……そんなことはない!」
「魔力まで使って、盗み聞きですか?」
セバスチャンが首を振って低く呟いた。
「王子殿下ではありますが、妻が男性と二人で出かけるという行為は……その、あまり体裁の良いものではありません」
旦那様はフィリップに向かって、はっきりとそう口にした。
「私と殿下は、そういう不純な関係ではありません!」
私は驚いて思わず声を上げてしまった。
「旦那様の心配は、ただの愛ではなく、執着になっているのでは?」
ダリアが再度ため息をつき、諭すように、静かに言った。
沈黙が広がる。
「違う、ただ……あの日以来、彼女が私をどう思っているのか、それが気になって……!」
その言葉に、空気がわずかに変わった。
それは単なる盗み聞きではなかったようだ。
私を愛していたからこそ、どうしても確かめずにはいられなかった。
その思いが、魔力を使うという行動へと彼を突き動かしたということらしい。
「本来、魔力とは、人を守るために使うものだ。特に君の力は、個人のプライバシーに関わってくる」
フィリップの声は冷静だった。
そして王子らしい口調で続けた。
「私的な理由で使うものではない……それも、妻の会話を盗み聞きするためになど、騎士道精神に反する行為だ。王家の諜報活動を任務とする君が、こんなことに能力を使うとは、違法ではないにしても情けないではないか」
本当に情けない……殿下の言葉に、一気に旦那様の株が下がった。
「自分の力を私的な目的で使ったのは、これが初めてです。どうしてこんなことをしてしまったのか……自分でも理解できず、ただただ恥じ入るばかりです」
部屋の雰囲気がじわじわと気まずいものへと変わっていく。
「……私はただ、彼女を心配していただけだ」
この場に満ちるのは、ただ重い沈黙。
そして、その沈黙が旦那様のしたことの嘆かわしさを物語っていた。
しかし、ダリアの次の言葉がきっかけとなり、旦那様はついに心の内を明かすべき瞬間を迎えた。
彼女はまるで母親のように、厳しい口調で旦那様を叱りつけた。
「言い訳はいらないのです!今ここで、はっきりさせなさい!旦那様は奥様のことをどう思っていらっしゃるのですか!今までのように関わらないでほしい、面倒をかけないでほしいとお思いですか?」
旦那様が、深く息を吸った。
「ちがっ……違う、私は……」
言葉が喉の奥でかすれる。
彼は拳を握りしめ、力を込めた。
「私は……彼女を愛している」
その言葉が放たれた瞬間、部屋の空気が震えた。
「だから……心配で……だから、こういうことをしてしまったんだ!」
声には迷いがなかった。
フィリップ様が厳しい瞳を向け、ゆっくりと口を開いた。
「その気持ちが本物ならば、愛する人の信頼を壊すような真似は二度とするな」
旦那様は唇を噛みしめ、静かに頷いた。
まるでいたずらが見つかってしまった子供のように、旦那様はしょんぼりと肩を落としていた。その姿は頼りないけれど、不思議と憎めない。
何事にも一生懸命なのに、どこか抜けていて、危なっかしい。そんな彼を見ると、どうしても助けてあげたいと思ってしまう。放っておくことができない。
この気持ちは一体何なのだろう。
旦那様に対する自分の気持ちはどうなのか……
私が答えを出すのは、まだ少し時間がかかりそうだった。
だとしたら、その気持ちを取り戻すべきなのだろうか?
今の私は、彼を愛しているのかどうかが分からなかった。
夫とともに過ごした日々。喜びも悲しみもすべてが記憶の奥底に閉じ込められて表に出てくる気配はない。
レイモンドとはかつて、どんな言葉を交わしていたのだろう?
微笑み合い、何気ない会話を重ねた日々は本当にあったのだろうか。
どうしても忘れていた記憶を呼び戻したいという衝動に駆られ、私はフィリップ様と、岬の灯台にやって来た。
最初に見つかった場所に来れば、何か思い出すきっかけになるのではないかと考えて。
「ステファニーはここで見つかったらしい……君はどんな気持ちでここへ来たのだろうな」
周辺を見渡し、フィリップ様は問いかけというよりは、自分に向けた独り言のように呟いた。
「ここで誰かと会ったとか、何らかの事情があったのでしょうか……」
その灯台はとても寂しく孤立した場所に建っていた。
海風にさらされ、剥がれ落ちた塗装が無残な斑を描くその灯台は、お世辞にも綺麗だとはいえなかった。
「そうだな……君の他に誰かがいたような形跡はなかったらしいから、ここへは君一人で来たんだろう」
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私たちはそのまま灯台の上まで上って行った。
石段は潮風に削られ、崩れかけた部分が少し危険だった。彼は私に手を差し出して、つかまるように言ってくれた。
上へ行くほど、どこからか入り込んでくる風の感覚が肌に触れる。そのたびにフィリップは、私を気遣うように視線を向けた。
最後の数段を上がると、灯台の頂が見えた。
灯台の古びた手すりに触れると、ひんやりとした感触が指先に伝わった。
潮の香りがかすかに鼻をくすぐる。眼下には広がる波の絨毯。風が吹くたび、海面が光を砕いてキラキラと踊っている。遠くから響くのはカモメの鳴き声……
私はなぜか懐かしいような気持ちになった。肌に感じる風や、鳥の鳴き声、潮の香、すべてが忘れかけていた記憶の断片となって、胸の奥でそっと呼びかけてくる。
突如、冷たい海風が強く吹き抜けた。潮の香りが濃くなり、波の音がより深く響いたその瞬間。
不意に私の中で声が響いた……
そうだ……灯台守が言っていた。
『……もし元に戻したいと思う時が来たら、ここをまた訪ねてみるといい……』
私はハッと目を見開いた。
『嵐の夜、海が騒いでいる日には、俺がここにいるかもしれない。運が良ければ、その時また会えるだろうさ……』
灯台守の言葉が重く耳の奥で残響する。私の……記憶?
突然のめまいに襲われ、ふらっと倒れそうになった。 視界がぐらつく。足元が崩れていくような感覚。けれども、次の瞬間、力強い腕が私の体を支えた。
「大丈夫か!」
フィリップ殿下の声は冷静だった。その手は私を守るようにしっかりと肩を抱えていた。
そのとき。
彼の後ろで、何かが揺らめいた。
影だ。 いや、それはただの影ではなかった。まるで意思を持つかのように、うごめく何かだった。
次の瞬間。
シュッ——ッ!
鋭い音を立てて、フィリップ様の剣が抜かれる。ためらいもなく、一瞬のうちに振り下ろされ。
ザシュッ!
刃が床に突き刺さる。
空気が凍りついた。 私は息を呑み、何が起こったのか理解できないまま、ただ剣の先を見つめる。
フィリップ様の視線は鋭く、まるで目には映らない何かと対峙しているようだった。何かが……この灯台の中に、いる?
風が吹き込む。 影がゆらりと揺れ、そして……
ものすごい勢いで灯台の階段を駆け上がる足音が聞こえた。
「おい!ステフから離れろ!」
レイモンドの怒声が、空気を震わせた。
***
公爵邸の客室は息が詰まるような雰囲気だった。
部屋は静まり返り、張り詰めた空気が漂っていた。
私とフィリップ、そしてセバスチャンとダリア、皆がレイモンドを囲む形で座っている。
旦那様を見つめる視線は冷たい。
彼は腕を組み、わざと肩を怒らせている。
「……どういうことですか、旦那様?」
私がゆっくりと問いかけた。
レイモンドは身じろぎし、ぎこちなく視線を動かした。
「……私は……ただ、知る必要があっただけだ」
その言葉に、皆が表情を曇らせた。
「影を使い盗み聞きとは、随分と慎ましい趣味をお持ちだ」
フィリップの言葉は皮肉たっぷりだ。
ダリアは腕を組み、無言のまま旦那様を見つめている。
セバスチャンの瞳には、怒りではなく失望が浮かんでいた。
「何を知りたかったのですか?」
私が旦那様に問いかける。
「……私はただ、君がどこへ行くかを知りたかった。公爵夫人なのだから、安全は大事だ。危険な場所へ行ってはならないし……」
まるで言い訳のように聞こえた。
けれども、その言葉の裏にあるものを、誰もが感じ取っていた。
皆の視線が旦那様に集まる。
ダリアはため息をつき、静かに言った。
「旦那様は、本当は奥様のことが気になって仕方がなかったのでしょう?」
レイモンドはわずかにハッとした様子で、居心地が悪そうだ。
しかし、強がるように言い放った。
「……そんなことはない!」
「魔力まで使って、盗み聞きですか?」
セバスチャンが首を振って低く呟いた。
「王子殿下ではありますが、妻が男性と二人で出かけるという行為は……その、あまり体裁の良いものではありません」
旦那様はフィリップに向かって、はっきりとそう口にした。
「私と殿下は、そういう不純な関係ではありません!」
私は驚いて思わず声を上げてしまった。
「旦那様の心配は、ただの愛ではなく、執着になっているのでは?」
ダリアが再度ため息をつき、諭すように、静かに言った。
沈黙が広がる。
「違う、ただ……あの日以来、彼女が私をどう思っているのか、それが気になって……!」
その言葉に、空気がわずかに変わった。
それは単なる盗み聞きではなかったようだ。
私を愛していたからこそ、どうしても確かめずにはいられなかった。
その思いが、魔力を使うという行動へと彼を突き動かしたということらしい。
「本来、魔力とは、人を守るために使うものだ。特に君の力は、個人のプライバシーに関わってくる」
フィリップの声は冷静だった。
そして王子らしい口調で続けた。
「私的な理由で使うものではない……それも、妻の会話を盗み聞きするためになど、騎士道精神に反する行為だ。王家の諜報活動を任務とする君が、こんなことに能力を使うとは、違法ではないにしても情けないではないか」
本当に情けない……殿下の言葉に、一気に旦那様の株が下がった。
「自分の力を私的な目的で使ったのは、これが初めてです。どうしてこんなことをしてしまったのか……自分でも理解できず、ただただ恥じ入るばかりです」
部屋の雰囲気がじわじわと気まずいものへと変わっていく。
「……私はただ、彼女を心配していただけだ」
この場に満ちるのは、ただ重い沈黙。
そして、その沈黙が旦那様のしたことの嘆かわしさを物語っていた。
しかし、ダリアの次の言葉がきっかけとなり、旦那様はついに心の内を明かすべき瞬間を迎えた。
彼女はまるで母親のように、厳しい口調で旦那様を叱りつけた。
「言い訳はいらないのです!今ここで、はっきりさせなさい!旦那様は奥様のことをどう思っていらっしゃるのですか!今までのように関わらないでほしい、面倒をかけないでほしいとお思いですか?」
旦那様が、深く息を吸った。
「ちがっ……違う、私は……」
言葉が喉の奥でかすれる。
彼は拳を握りしめ、力を込めた。
「私は……彼女を愛している」
その言葉が放たれた瞬間、部屋の空気が震えた。
「だから……心配で……だから、こういうことをしてしまったんだ!」
声には迷いがなかった。
フィリップ様が厳しい瞳を向け、ゆっくりと口を開いた。
「その気持ちが本物ならば、愛する人の信頼を壊すような真似は二度とするな」
旦那様は唇を噛みしめ、静かに頷いた。
まるでいたずらが見つかってしまった子供のように、旦那様はしょんぼりと肩を落としていた。その姿は頼りないけれど、不思議と憎めない。
何事にも一生懸命なのに、どこか抜けていて、危なっかしい。そんな彼を見ると、どうしても助けてあげたいと思ってしまう。放っておくことができない。
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