旦那様、政略結婚ですので離婚しましょう

おてんば松尾

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王太子の訪問

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「随分職務に追われているようだな」

「……いえ」

王太子は外交執務室のソファーに腰かけて私を前に出された紅茶を一口飲んだ。

わざわざ王子自らこの部屋へやってくるのは珍しい。
いや、初めてのことかもしれない。

外務官たちが緊張して壁際に立ち、並んでいる。

「君は確か……リッツ伯爵家の者だな」

「はい。娘のキャサリンにございます」

「そうか、伯爵は変わりないか」

「はい。お気遣いありがとうございます」



返事を聞いた後、王太子は右手を振り人払いをした。

残った者は護衛の騎士数名と私、そしてキャサリンだった。


「ところで、噂に聞いたが仕事が忙しく屋敷に帰っていないようだが、忙殺されるほどの大役か?」


「私の不徳の致すところです」

王太子はコホンと咳をした。


「スノウ。昔馴染として、普通に話してよい」

「はい」

私は少し緊張を解いた。


「前に話をしたように、アイリスは私にとってとても大事な存在だ。以前は婚約者だった。今でも大事な人であることに変わりはない。彼女を任せられるのはスノウお前以外にいないと私なりに考えた。蔑ろにしろとは申していない。わかっているな」

「はい」

「恐れながら申し上げます。殿下の今でも大事な方を公爵様と結婚させられたのですか。それはいくら何でも酷でございます。自分の意思でもないのに愛していない人を妻として迎えなければならない公爵様の身になって下さい」

「キャサリン!控えろ、不敬だぞ」

とっさに私が止めに入った。

キャサリンの発言にさすがに護衛騎士も一歩前に出る。

「まぁ、よい。事情を知らない者たちがそう思うのも不思議はないな」

殿下は温和にして、しかも威容ある様子で場の張りつめた空気を緩ませる。

「申し訳ありません」

キャサリンの代わりに私が謝った。

「貴族に生れたからには個人の感情で婚姻を結ぶ事はできない。王子である私はなおさらだ。公爵夫人であるアイリスとは長年連れ添った同士のような関係だ。今も昔も愛情というものが互いにあったのかどうかは分からない。だが情はある。今、私は隣国の王女という婚約者もいて、彼女を妃にする事が決まっている。それが事実でありそれ以外の何物でもない。スノウからはアイリスとの話が出た段階で、やぶさかではないという返事をこちらは受け取った。政略結婚の意味も踏まえてだろうが、喜んで受けるという意味だ。違うか?」

「いいえ。違いません。私はハミルトン侯爵令嬢との結婚を望みました」

「彼女を幸せにするように頼んだはずだ。その為には努力を惜しまないという君の意志を感じた」

「はい。確かに」

「屋敷に帰らず、妻を放置してるような状態がそれに即した行為か」

スノウは黙し、拳を握り締めている。



「して、キャサリン嬢。そなたは外交秘書官だと聞いているがどのような仕事をしている」

王太子の質問はキャサリンへ移る。


「今は、カーレン国のムンババ大使の歓迎の意味を込めた晩餐会の準備をしています」

「そうか。大使は我が国にとっても重要な人物だ。カーレン国とも友好を深めなければならない、平和的な関係を築くことは今後両国の発展にもつながるだろう。大儀だが尽力するように」

殿下にねぎらいの言葉をかけられキャサリンは少し有頂天になってしまったのか、饒舌に話し始めた。

「はい。我が国は、経済的質や統治の素晴らしさは誇れるものがあり、武力的にもカーレン国などは足元にも及ばない強国です。全て国王陛下の恩恵によるものです。貴族たちは皆裕福で贅沢な暮らしができています。ムンババ様には豪華で華やかな夜会を満喫して頂き、我が国と友好関係を築けることがどれだけ有意義な事か理解してもらえれば良いと考えます」

「経済的質や発展は我が国の方が優れているかもしれないが、個人の自由、治安と安全、国民の健康、自然環境などはカーレンの方が先進している。豪華で華やかな事はさほど重要ではない。スノウはどう考えている?」

「ムンババ大使の好みを把握し、粗相のないように今度の晩餐会を成功させる事だけを考えています」

王太子は眉を上げた。

「外交官としての考えを訊いている」

王太子殿下は頭の切れる人だ。物事の先を読む事に長けている。未来の出来事を予測し、適切な判断を下す能力は王族であれば当たり前に鍛えられたもの。
その殿下が、しっかり答えろと鋭い視線を向けた。

「勿論、カーレンの発展のためにも我が国から学ぶことは多いと思います。けれど、我が国がカーレンから学ぶことも多い。それをちゃんと理解して接待しているかどうかは相手にも伝わるから気をつけなければならないと考えます。外交で最も重要な点は、他国の歴史や文化も認め、良い所は見習う事。大事なのは、相手の国やそこで暮らす人々を尊重する事。それを怠ってはいけないと」

キャサリンは顔をしかめる。彼女にとっては他所の国の民がどういう暮らしであろうが関係ない事なのだろう。
外交に対する認識が自分の部下たちは未熟なのだ。それを教育できていない事が殿下の前に晒された。
額から脂汗が流れ出る。

「多様性という言葉があるよう、あらゆる文化に柔軟に対応する力は必要だ。自国の財力の上にあぐらをかき閉鎖的な考えしか持たない国の国力は衰える。スノウ、今一度外交とは何かを外交官たちに再認識させろ」


殿下は音を立てて席を立った。

「御意のとおりにいたします」

スノウは頭を下げた。




出口に向かう道すがら殿下はキャサリンに問う。

「リッツ伯爵は高齢だ。ずっと子供ができなかったと聞いている。秘書官は養子か?」

「え……」

キャサリンが硬直したように動きを止めた。

「わ、わたくしは幼かったので詳しく……」

流石にこの場で養子かどうかなどの質問は殿下であったとしても失礼だ。

「キャサリン秘書官は、公爵家のメイド長の遠戚です」

スノウはキャサリンに助け舟を出した。

「ならばメイド長とやらがリッツ伯爵の親戚だという事か」

「それは……そう、です」

どういうつながりだったか定かではない。多分聞いたであろうがスノウは詳しくは覚えていなかった。

「公爵家に長年勤めているメイド長とは遠戚に当たります」

キャサリンは殿下にそう説明した。すかさずスノウも後に続ける。

「それにキャサリン秘書官は勉強家で、学園の成績も良かった優秀な人材です」

「学園とは、王都学園か?王室の者は毎年卒業式後のパーティーに来賓として参加するが、私は君の名を優秀生徒として目にしたことはない」



殿下は『ここは王宮だ、外交執務室に勤務する者の身元くらいちゃんと確認しろ』とスノウに言い捨て、執務室を後にした。


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