旦那様、政略結婚ですので離婚しましょう

おてんば松尾

文字の大きさ
22 / 47

屋敷の執務室

しおりを挟む
室内は静かで人の気配はない。わずかに窓から差し込む月光が積みあがった書類の束を薄く照らしているが、ほとんど暗闇だった。

この中から必要な物を見つけ出すのは至難の業。
目に付くところに重要な書類は置いていないだろう、隠しているはずだ。そう考えると……

その時、わずかに空気が揺れたかと思うと、次の瞬間何者かに後ろから口をふさがれた。

「うっ!」

羽交い絞めにされるよう首元から肩にかけて男の腕が回され抑え込まれた。逃れるよう相手の拘束に抵抗するがびくともしない。

誰もいないと思っていたのに、まだ執務室に誰かが残っていたんだ。
灯りは消えていた。ちょうど帰ろうと思い消したところだったのか、あるいは私の気配を察知して急いで消したのか。

頭の中で必死に言い訳を考える。私は公爵夫人だ、泥棒じゃない。別に執務室に入っても問題はないわ。こういう場合は逆に堂々とし……

「静かに」

男は耳元で小さな声でそう言うと、腕の力を少し緩めた。どこかで聞いたことのあるような低くかすれた声だった。

やっとの思いで首を少し回し後ろの相手を確認する。
マルスタン?誰……

辺りは暗闇で目が慣れるまで時間がかかった。

「……ジョン!」

「お嬢様。お静かに願います」

彼は私が借りたアパルトマンにいるはずのジョンだった。

「な、なんで……あなたが」




「アイリス様。私は三日前からここに執務事務員として潜入しています」

「なんですって!」

驚きのあまり声が大きくなる。

彼は右の人差し指を唇に当て、静かにするようにとジェスチャーした。

「事情はマリーから聞いています。なんとか公爵家に入り込めるよう紹介状を用意し、今はリッツ伯爵からの紹介でここの執務の手伝いをしに来たカインという人物に成りすましています」

「偽の紹介状なんて危ない橋を渡って、一体どういうこと」

「手紙を読んでくださったなら、ある程度お分かりかと思いますが」

ジョンはそう言って話し始めた。

私を救う為にここへ来たと彼は言う。それには彼らの悪事の証拠を探さなければならない。金の流れを把握し、執事たちの横領の証拠を掴むつもりだという。

それは私が考えていた事と同じだ。彼らの不正を暴き、大金を勝手に動かしている証拠。現夫人である私を冷遇して、我が子を夫人にするために画策している証明。
何よりスノウは古くから屋敷に勤める執事やメイド長を信頼している。
口で言ったこと等は証拠に残らない。だから確実な物を手に入れなければならない。

「領地から得られる税金や農作物海産物の売り上げや王宮から支給される給金、公爵家全体の収益を把握したいです。そして支出、屋敷の修繕費、税金、管理費。勿論人件費などの記録が記されている帳簿を確認します」

「この広大な王都の屋敷にかかる費用は莫大でしょう。その管理を任されているのはマルスタン。自由に私的に使える資金を調達する事くらい簡単なはず」

「はい。支出が大きすぎる物に関して掘り下げれば、使途不明金が必ず出てくると思います。投資に失敗したと偽っているとか、大きな費用が掛かる改築などの工事費の水増し、あるいは高価な宝飾品美術品など購入履歴の改ざん」

「それが記されている裏帳簿ね」

そうだというように彼は頷いた。

「私はリッツ伯爵の紹介なので疑いの眼は向けられていないようです。彼らは同じ悪事を働いている者同士だからです。ただ、まだ信用されているわけではない。申し訳ありませんが少し時間がかかります。新参者ですからね」

「リッツ伯爵の紹介状って、それ偽造したのでしょう?」

「いえ、本物です。カインという人物に私が成り代わっただけで彼から金で紹介状を買い取りました」

どこまでも頭が切れる男だと思った。さすがジョンだ。

「けれどとても危険だわ……」

「それはこっちのセリフです。アイリス様はどうやってこの部屋に」

ドンドンッ!

扉を叩く音がした。なにやら外が騒がしい。
お互いやっと顔が見られた者同士で少し油断していた。私の体が驚きと恐怖で強張った。

カインに緊張が走る。

カインは部屋の明かりを灯けて、私に机の下に隠れるように言った。





「いったい何事ですか!」

彼は鍵を開けて外の来訪者に詰問する。

「ここに誰か来ていませんか!奥様が部屋から逃げ出したようです」

「は?ここになんて誰も訪ねてこない。ここは執務室だぞ。鍵もかけている。限られた執務関係の者しか立ち入らない」

従者たちは中を覗き込もうとする。

ジョンは部屋の中が見えるように扉を大きく開いた。

「ここは一般の者たちの立ち入りは禁じられている。そこから動かず確認しろ、誰もいない私一人だ」

従者たちは扉の外から中を一通り見まわした。

「はい!失礼しました。また鍵を閉めて、誰も中へ入れないようにして下さい」

頭を下げて彼らは他の場所へ走っていった。


どうしよう。寝室にいない事がバレてしまった。私は焦って机の下で身体を抱きしめた。



「お嬢様、落ち着いて聞いてください。辺りが静かになったら堂々と廊下を歩いて部屋へ戻って下さい。喉が渇いたからとか、食堂へ行っていたとか、眠れないから散歩したとか適当な理由を言って部屋に戻るんです。扉の前に監視の者が立っていたでしょうが、トイレにでも行っていたんでしょう。部屋を出る時はいなかったと言ってください」

「分かったわ。隠し通路の事は言わない方がいいって事ね。監視員たちには申し訳ないけど、彼らの失態って事にしましょう」

私は深呼吸するとジョンに頷いて廊下が静まるのを待った。

「アイリス様、今回私は助けられません。しっかりと自身を見失わないようにして下さい。必ず助けに行きます」

私はジョンあらためカインに頷いてみせると姿勢を正し顎を上げた。


しおりを挟む
感想 524

あなたにおすすめの小説

月夜に散る白百合は、君を想う

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。 彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。 しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。 一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。 家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。 しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。 偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。

心配するな、俺の本命は別にいる——冷酷王太子と籠の花嫁

柴田はつみ
恋愛
王国の公爵令嬢セレーネは、家を守るために王太子レオニスとの政略結婚を命じられる。 婚約の儀の日、彼が告げた冷酷な一言——「心配するな。俺の好きな人は別にいる」。 その言葉はセレーネの心を深く傷つけ、王宮での新たな生活は噂と誤解に満ちていく。 好きな人が別にいるはずの彼が、なぜか自分にだけ独占欲を見せる。 嫉妬、疑念、陰謀が渦巻くなかで明らかになる「真実」。 契約から始まった婚約は、やがて運命を変える愛の物語へと変わっていく——。

私の容姿は中の下だと、婚約者が話していたのを小耳に挟んでしまいました

山田ランチ
恋愛
想い合う二人のすれ違いラブストーリー。 ※以前掲載しておりましたものを、加筆の為再投稿致しました。お読み下さっていた方は重複しますので、ご注意下さいませ。 コレット・ロシニョール 侯爵家令嬢。ジャンの双子の姉。 ジャン・ロシニョール 侯爵家嫡男。コレットの双子の弟。 トリスタン・デュボワ 公爵家嫡男。コレットの婚約者。 クレマン・ルゥセーブル・ジハァーウ、王太子。 シモン・グレンツェ 辺境伯家嫡男。コレットの従兄。 ルネ ロシニョール家の侍女でコレット付き。 シルヴィー・ペレス 子爵令嬢。 〈あらすじ〉  コレットは愛しの婚約者が自分の容姿について話しているのを聞いてしまう。このまま大好きな婚約者のそばにいれば疎まれてしまうと思ったコレットは、親類の領地へ向かう事に。そこで新しい商売を始めたコレットは、知らない間に国の重要人物になってしまう。そしてトリスタンにも女性の影が見え隠れして……。  ジレジレ、すれ違いラブストーリー

両親に溺愛されて育った妹の顛末

葉柚
恋愛
皇太子妃になるためにと厳しく育てられた私、エミリアとは違い、本来私に与えられるはずだった両親からの愛までも注ぎ込まれて溺愛され育てられた妹のオフィーリア。 オフィーリアは両親からの過剰な愛を受けて愛らしく育ったが、過剰な愛を受けて育ったために次第に世界は自分のためにあると勘違いするようになってしまい……。 「お姉さまはずるいわ。皇太子妃になっていずれはこの国の妃になるのでしょう?」 「私も、この国の頂点に立つ女性になりたいわ。」 「ねえ、お姉さま。私の方が皇太子妃に相応しいと思うの。代わってくださらない?」 妹の要求は徐々にエスカレートしていき、最後には……。

殿下、幼馴染の令嬢を大事にしたい貴方の恋愛ごっこにはもう愛想が尽きました。

和泉鷹央
恋愛
 雪国の祖国を冬の猛威から守るために、聖女カトリーナは病床にふせっていた。  女神様の結界を張り、国を温暖な気候にするためには何か犠牲がいる。  聖女の健康が、その犠牲となっていた。    そんな生活をして十年近く。  カトリーナの許嫁にして幼馴染の王太子ルディは婚約破棄をしたいと言い出した。  その理由はカトリーナを救うためだという。  だが本当はもう一人の幼馴染、フレンヌを王妃に迎えるために、彼らが仕組んだ計略だった――。  他の投稿サイトでも投稿しています。

これ以上私の心をかき乱さないで下さい

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。 そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。 そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが “君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない” そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。 そこでユーリを待っていたのは…

好きな人と友人が付き合い始め、しかも嫌われたのですが

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
ナターシャは以前から恋の相談をしていた友人が、自分の想い人ディーンと秘かに付き合うようになっていてショックを受ける。しかし諦めて二人の恋を応援しようと決める。だがディーンから「二度と僕達に話しかけないでくれ」とまで言われ、嫌われていたことにまたまたショック。どうしてこんなに嫌われてしまったのか?卒業パーティーのパートナーも決まっていないし、どうしたらいいの?

処理中です...