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眠りの森の静寂
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――今でも忘れられない。
空ろだった少女の黒い双眸に映っていたのは、穏やかな亜麻色の瞳。瞼を閉じても、そのまなざしは消えなかった。
少女を見つめ続けている。優しく、揺るぎなく、夜の静寂から少女を守るように。
空は分厚い雪雲に覆われ、霙まじりの小雨が降り続いていた。朝なのか日暮れ時なのか、それすらも分からない。曇りがちな日々が、黒髪の少女の表情をも暗く沈ませ、曇らせていた。窓の外を眺めていても、景色は見えない。少女の黒眸はうつろなだけだった。
窓辺に立ち、ぼんやりと竦んでいた少女は吐きかけたため息を、唇の端を締めて堪えた。
息苦しく、嗚咽が出そうになる。目頭も熱く、痛い。
少女はひたすらに耐えていた。耐えねばならない理由などないはずなのに、「だめ」と自分を諌めていた。
養い親であり、魔法薬作りの師匠でもあった森の魔女が天に召されてから、……もう、三日。
少女は森の館に閉じこもっていた。
「森の魔女」の眷属であるリフレナスは、茫然とする少女を心配げに見守っていた。つかずはなれず、少女の姿を見失わないよう、常に気を遣っていた。気が大きく乱れることはないがひどく不安定だ。ひとときも目を離せない。
リフレナスは現在ネズミの姿をしている。人の姿に変じることもできるが、それは少女の混乱を招くことになるだろうと考え、やめた。そもそも変身するには主の力が要る。今、リフレナスの主にその力はないだろう。しかしネズミの姿では出来ることに限りがある。せいぜい声をかけ、注意を促すことくらいだ。もどかしいが、やむを得ない。
リフレナスは普段以上に気を張り、僅かな気配をも逃さぬよう身構えていた。
だから近づいてくる馬の蹄の音をすぐに察知し、それが誰かなのかも、すぐに分かった。安堵し、そうして少女に声をかけた。
「おい、王子が来たぞ」と、素っ気無く。
頬を軽く叩いて、少女の空ろな視線を窓の外に向けさせた。
リフレナスが呼ぶところの「王子」は、名をセレンという。
少女の幼馴染みであり、森の魔女とも親しく付き合っていた。そうした縁もあり、セレンは森の魔女が病臥にあった頃は、ほぼ毎日見舞いに来ていた。
短時間であっても、頻々と森の魔女を訪ねてくるセレンに、森の魔女の弟子は心苦しげな顔をしていた。感謝しつつも、申し訳なさそうで、セレンは幼馴染の少女を安心させるため、笑顔で返した。
「森の魔女殿は、私にとっては恩人でもあるし、良き教師でもあったからね。それに、城に詰めてばかりだと気も休まらないから、ここで息抜きをしたいんだよ」
セレンの言うそれが森の魔女とその弟子に対する気遣いだということは、わかった。だからこそ少女はセレンの好意を無碍にはできなかった。正直なところ、助かってもいたのだ。
「来てくれて師匠も喜んでますけど……、領主のお仕事は疎かにしないでくださいね、王子」
それでもつい説教めいたことを言ってしまうのは照れ隠しもあったかもしれないが、師匠である森の魔女の影響もあるのだろう。
セレンは苦笑し、もちろんだよと答える。気丈に振る舞う森の魔女の弟子を、セレンは内心痛ましく思っていた。もちろんそれは面には出さない。
亡き森の魔女とその弟子の居所である館を訪れたセレンは、茫然としている少女の様子を窺ってすぐ、リフレナスを伴って台所へと向かった。
「リフレナス、君の主は、食事をちゃんと摂っている? 眠れている?」
「…………少しは」
訊かずとも明白なことだ。リフレナスは返事を曖昧にぼかした。
「仕方ないことだけれど、このまま放ってはおけないね」
セレンはため息をつき、暖炉のある部屋に残してきた少女のことを思いやった。
セレンを出迎えた少女の顔色は、蒼いというよりもはや白く、黒い瞳は生彩を欠いていた。笑みを浮かべて見せてはくれたが、あまりに脆く、痛々しかった。
「師匠のこと、……色々、ありがとうございました」
そう言ってから、少女は深々と頭を下げた。
森の魔女が眠るように息を引き取ったその後、埋葬の手配すべてを整えてくれたのは、セレンだった。森の奥に墓所をつくり、そこに森の魔女の亡骸を埋葬した。
師匠を見舞ってくれたことも含め、少女は心からセレンに感謝し、謝辞を述べた。
「王子がいてくれて、本当に良かったです」
それを言う少女の微笑には、寂しげな色が浮かんでいた。己の無力さを責めているような色もある。
死に対する無力感と孤独感は、少女の身にはまだ重過ぎる。
――支えてやらねば。
セレンは、少女の師匠が病臥にあった時からずっとそれを思い続けてきた。
数年前、セレンも母を亡くした。だからこそ、少女の気持ちは痛いほどに分かる。
いや、自分よりももっと、少女は辛いであろう。少なくともセレンには、離れ離れに暮らしているが、父がおり、片親繋がりで縁は薄く会うことも稀だが、兄弟がいる。だが、少女にはいない。天涯孤独の身になってしまったのだ。
台所から戻り、セレンは躊躇いがちに少女を呼んだ。
「魔女殿」、と。
初めての呼び方だった。
気抜けたようにソファーに座っていた少女ははっとし、顔を上げた。目を見開き、セレンを見つめ返す。その瞳はとまどいに揺れていた。
もう「弟子」ではないことを、セレンに「魔女殿」と呼ばれることで、自覚させられた。それは苦い自覚だった。喪失感が胸中に深く浸染していくのを食い止められなかった。
「魔女殿」
セレンはそのたった一言が少女をさらに苦しませることを知りながら、あえて、それを口にした。
自覚を促さねばならなかった。それが自分にできることだとセレンは思っていた。
堪え、抑え、隠し続けている少女の心を紐解くのは、セレンにも辛い作業だ。だが、必要なことだ。少女をこれ以上苦しませたくなかった。
「魔女殿、これを飲んで」
「え……?」
セレンは持ち手のついた陶器のカップを少女に差し出した。白い湯気が、ゆらゆらと揺れ立っている。甘い香りが少女の鼻孔をくすぐった。
「南瓜のスープ。温まるし、滋養があるから」
城のメイドに頼んで作ってもらったスープだ。食が細くなり、胃も弱っているだろう少女のために造らせたものだ。それを温め直した。
濃い黄金色のスープの表面に散りばめられている緑色の小さな葉は、苦味のあるハーブだ。リフレナスがそれをちりばめた。おそらく薬効があるのだろう。
カップを受け取ると、少女は戸惑いがちな黒眸をセレンに向けた。セレンは優しげに微笑んでいる。
「…………」
食欲はなかった。だが断れなかった。
セレンが用意してくれたスープの表面をしばらく眺めていた少女だったが、やがてカップに口をつけた。まずは一口。ほどよい温かさで、口当たりも良かった。そして、二口、三口、黙ってスープを飲む。とろみのあるスープは舌をすべり、喉をくだって、ゆっくりと胃に落ちていった。
カップを持っている両の手が次第に温まり、やがてその熱は全身に伝わってゆく。緩やかに、緊張を解きほぐしてゆく。
少女は茫漠としていた。
いつの間にか隣に座っていたセレンに肩を抱かれていたのだが、それに驚く心の余裕もなかった。
少女は顔を横向けた。視線を上げ、そこにあるはずのセレンの顔を見ようとした。だが、湯気の向こうにあるだろうセレンの顔は、よく見えなかった。
「美味しいです、王子」
その一言を伝えようとしたのに、言葉は声にならなかった。
視界がひどくぼやけている。揺らぎ、滲んで、セレンの顔が曇って見えない。
亜麻色の瞳が自分に向けられている。それは感じられるのに……――
結露したガラス窓のようだった。白く曇って、濡れている。向こう側が、はっきりと見えない。
「…………」
セレンは少女の長い黒髪を指に絡ませ、その手で、肩を抱いている。力を込め、抱き寄せた。少女の華奢な身体を、震える心ごと、支えた。
少女は無言だった。声にならない想いが、瞳に溢れる。やがて、流れだした。
セレンは、少女の頬に流れ落ちるそれを指先で拭った。温かな雫の流れを止めないよう、そっと。
いつやって来たものか、少女の膝の上には、柔らかな金褐色の毛並みを持つ眷属が丸まっていた。小さなネズミの姿の眷属は、新たな主の膝上を温めている。顔は隠れて見えないが、時折長いヒゲがピクピクと動く。そこから何かを感じ取ろうとしているかのようだった。
リフレナスは、そうして少女に……二代目となった「森の魔女」の傍にいる。
セレンと同じ気持ちでいるのだろう。
森の魔女を守り、支えたい、と。
薪が爆ぜ、灰が舞い上がった。火の粉が散り、落ちる。
赤々と燃える暖炉の炎は室内を暖め、温度を保たせていた。
セレンは森の魔女の肩を抱きながら、ふと、窓の外に目をやった。
霙まじりの小雨は、いつしかやんでいた。
日が暮れかかっている。重たげな雪雲は、濃い炭色へと変色してゆく。やがて、空は漆黒に染まるだろう。冬の夜は、少女の黒髪のように長く、深い。
冬の森は寂然とし、息をひそめて、春を待っている。
寝入ってしまった森の魔女の息は、安らいでいる。
セレンは魔女の頬を濡らしている涙を綿布で拭った。髪を撫ぜ、そして額に軽く接吻した。
森の魔女の眉間に苦しげな様子はない。おそらくは、久方ぶりの安眠だろう。
セレンは安堵のため息をついた。
今はまだ、こうして寄り添うことしかできない。セレンができるのは、今はこれだけだ。
独りきりにはさせない。傍にいて支えてくれることがどけだけ有難いかを、セレンは知っている。
かつてセレンもそうしてもらったのだ。
夜が来れば、朝も必ずやってくる。夜明け前の闇は、決して光を押し籠めたりはしないものだ。
黒い瞳にも、やがて明るい光は戻るだろう。
「――だから今は、おやすみ、森の魔女殿」
空ろだった少女の黒い双眸に映っていたのは、穏やかな亜麻色の瞳。瞼を閉じても、そのまなざしは消えなかった。
少女を見つめ続けている。優しく、揺るぎなく、夜の静寂から少女を守るように。
空は分厚い雪雲に覆われ、霙まじりの小雨が降り続いていた。朝なのか日暮れ時なのか、それすらも分からない。曇りがちな日々が、黒髪の少女の表情をも暗く沈ませ、曇らせていた。窓の外を眺めていても、景色は見えない。少女の黒眸はうつろなだけだった。
窓辺に立ち、ぼんやりと竦んでいた少女は吐きかけたため息を、唇の端を締めて堪えた。
息苦しく、嗚咽が出そうになる。目頭も熱く、痛い。
少女はひたすらに耐えていた。耐えねばならない理由などないはずなのに、「だめ」と自分を諌めていた。
養い親であり、魔法薬作りの師匠でもあった森の魔女が天に召されてから、……もう、三日。
少女は森の館に閉じこもっていた。
「森の魔女」の眷属であるリフレナスは、茫然とする少女を心配げに見守っていた。つかずはなれず、少女の姿を見失わないよう、常に気を遣っていた。気が大きく乱れることはないがひどく不安定だ。ひとときも目を離せない。
リフレナスは現在ネズミの姿をしている。人の姿に変じることもできるが、それは少女の混乱を招くことになるだろうと考え、やめた。そもそも変身するには主の力が要る。今、リフレナスの主にその力はないだろう。しかしネズミの姿では出来ることに限りがある。せいぜい声をかけ、注意を促すことくらいだ。もどかしいが、やむを得ない。
リフレナスは普段以上に気を張り、僅かな気配をも逃さぬよう身構えていた。
だから近づいてくる馬の蹄の音をすぐに察知し、それが誰かなのかも、すぐに分かった。安堵し、そうして少女に声をかけた。
「おい、王子が来たぞ」と、素っ気無く。
頬を軽く叩いて、少女の空ろな視線を窓の外に向けさせた。
リフレナスが呼ぶところの「王子」は、名をセレンという。
少女の幼馴染みであり、森の魔女とも親しく付き合っていた。そうした縁もあり、セレンは森の魔女が病臥にあった頃は、ほぼ毎日見舞いに来ていた。
短時間であっても、頻々と森の魔女を訪ねてくるセレンに、森の魔女の弟子は心苦しげな顔をしていた。感謝しつつも、申し訳なさそうで、セレンは幼馴染の少女を安心させるため、笑顔で返した。
「森の魔女殿は、私にとっては恩人でもあるし、良き教師でもあったからね。それに、城に詰めてばかりだと気も休まらないから、ここで息抜きをしたいんだよ」
セレンの言うそれが森の魔女とその弟子に対する気遣いだということは、わかった。だからこそ少女はセレンの好意を無碍にはできなかった。正直なところ、助かってもいたのだ。
「来てくれて師匠も喜んでますけど……、領主のお仕事は疎かにしないでくださいね、王子」
それでもつい説教めいたことを言ってしまうのは照れ隠しもあったかもしれないが、師匠である森の魔女の影響もあるのだろう。
セレンは苦笑し、もちろんだよと答える。気丈に振る舞う森の魔女の弟子を、セレンは内心痛ましく思っていた。もちろんそれは面には出さない。
亡き森の魔女とその弟子の居所である館を訪れたセレンは、茫然としている少女の様子を窺ってすぐ、リフレナスを伴って台所へと向かった。
「リフレナス、君の主は、食事をちゃんと摂っている? 眠れている?」
「…………少しは」
訊かずとも明白なことだ。リフレナスは返事を曖昧にぼかした。
「仕方ないことだけれど、このまま放ってはおけないね」
セレンはため息をつき、暖炉のある部屋に残してきた少女のことを思いやった。
セレンを出迎えた少女の顔色は、蒼いというよりもはや白く、黒い瞳は生彩を欠いていた。笑みを浮かべて見せてはくれたが、あまりに脆く、痛々しかった。
「師匠のこと、……色々、ありがとうございました」
そう言ってから、少女は深々と頭を下げた。
森の魔女が眠るように息を引き取ったその後、埋葬の手配すべてを整えてくれたのは、セレンだった。森の奥に墓所をつくり、そこに森の魔女の亡骸を埋葬した。
師匠を見舞ってくれたことも含め、少女は心からセレンに感謝し、謝辞を述べた。
「王子がいてくれて、本当に良かったです」
それを言う少女の微笑には、寂しげな色が浮かんでいた。己の無力さを責めているような色もある。
死に対する無力感と孤独感は、少女の身にはまだ重過ぎる。
――支えてやらねば。
セレンは、少女の師匠が病臥にあった時からずっとそれを思い続けてきた。
数年前、セレンも母を亡くした。だからこそ、少女の気持ちは痛いほどに分かる。
いや、自分よりももっと、少女は辛いであろう。少なくともセレンには、離れ離れに暮らしているが、父がおり、片親繋がりで縁は薄く会うことも稀だが、兄弟がいる。だが、少女にはいない。天涯孤独の身になってしまったのだ。
台所から戻り、セレンは躊躇いがちに少女を呼んだ。
「魔女殿」、と。
初めての呼び方だった。
気抜けたようにソファーに座っていた少女ははっとし、顔を上げた。目を見開き、セレンを見つめ返す。その瞳はとまどいに揺れていた。
もう「弟子」ではないことを、セレンに「魔女殿」と呼ばれることで、自覚させられた。それは苦い自覚だった。喪失感が胸中に深く浸染していくのを食い止められなかった。
「魔女殿」
セレンはそのたった一言が少女をさらに苦しませることを知りながら、あえて、それを口にした。
自覚を促さねばならなかった。それが自分にできることだとセレンは思っていた。
堪え、抑え、隠し続けている少女の心を紐解くのは、セレンにも辛い作業だ。だが、必要なことだ。少女をこれ以上苦しませたくなかった。
「魔女殿、これを飲んで」
「え……?」
セレンは持ち手のついた陶器のカップを少女に差し出した。白い湯気が、ゆらゆらと揺れ立っている。甘い香りが少女の鼻孔をくすぐった。
「南瓜のスープ。温まるし、滋養があるから」
城のメイドに頼んで作ってもらったスープだ。食が細くなり、胃も弱っているだろう少女のために造らせたものだ。それを温め直した。
濃い黄金色のスープの表面に散りばめられている緑色の小さな葉は、苦味のあるハーブだ。リフレナスがそれをちりばめた。おそらく薬効があるのだろう。
カップを受け取ると、少女は戸惑いがちな黒眸をセレンに向けた。セレンは優しげに微笑んでいる。
「…………」
食欲はなかった。だが断れなかった。
セレンが用意してくれたスープの表面をしばらく眺めていた少女だったが、やがてカップに口をつけた。まずは一口。ほどよい温かさで、口当たりも良かった。そして、二口、三口、黙ってスープを飲む。とろみのあるスープは舌をすべり、喉をくだって、ゆっくりと胃に落ちていった。
カップを持っている両の手が次第に温まり、やがてその熱は全身に伝わってゆく。緩やかに、緊張を解きほぐしてゆく。
少女は茫漠としていた。
いつの間にか隣に座っていたセレンに肩を抱かれていたのだが、それに驚く心の余裕もなかった。
少女は顔を横向けた。視線を上げ、そこにあるはずのセレンの顔を見ようとした。だが、湯気の向こうにあるだろうセレンの顔は、よく見えなかった。
「美味しいです、王子」
その一言を伝えようとしたのに、言葉は声にならなかった。
視界がひどくぼやけている。揺らぎ、滲んで、セレンの顔が曇って見えない。
亜麻色の瞳が自分に向けられている。それは感じられるのに……――
結露したガラス窓のようだった。白く曇って、濡れている。向こう側が、はっきりと見えない。
「…………」
セレンは少女の長い黒髪を指に絡ませ、その手で、肩を抱いている。力を込め、抱き寄せた。少女の華奢な身体を、震える心ごと、支えた。
少女は無言だった。声にならない想いが、瞳に溢れる。やがて、流れだした。
セレンは、少女の頬に流れ落ちるそれを指先で拭った。温かな雫の流れを止めないよう、そっと。
いつやって来たものか、少女の膝の上には、柔らかな金褐色の毛並みを持つ眷属が丸まっていた。小さなネズミの姿の眷属は、新たな主の膝上を温めている。顔は隠れて見えないが、時折長いヒゲがピクピクと動く。そこから何かを感じ取ろうとしているかのようだった。
リフレナスは、そうして少女に……二代目となった「森の魔女」の傍にいる。
セレンと同じ気持ちでいるのだろう。
森の魔女を守り、支えたい、と。
薪が爆ぜ、灰が舞い上がった。火の粉が散り、落ちる。
赤々と燃える暖炉の炎は室内を暖め、温度を保たせていた。
セレンは森の魔女の肩を抱きながら、ふと、窓の外に目をやった。
霙まじりの小雨は、いつしかやんでいた。
日が暮れかかっている。重たげな雪雲は、濃い炭色へと変色してゆく。やがて、空は漆黒に染まるだろう。冬の夜は、少女の黒髪のように長く、深い。
冬の森は寂然とし、息をひそめて、春を待っている。
寝入ってしまった森の魔女の息は、安らいでいる。
セレンは魔女の頬を濡らしている涙を綿布で拭った。髪を撫ぜ、そして額に軽く接吻した。
森の魔女の眉間に苦しげな様子はない。おそらくは、久方ぶりの安眠だろう。
セレンは安堵のため息をついた。
今はまだ、こうして寄り添うことしかできない。セレンができるのは、今はこれだけだ。
独りきりにはさせない。傍にいて支えてくれることがどけだけ有難いかを、セレンは知っている。
かつてセレンもそうしてもらったのだ。
夜が来れば、朝も必ずやってくる。夜明け前の闇は、決して光を押し籠めたりはしないものだ。
黒い瞳にも、やがて明るい光は戻るだろう。
「――だから今は、おやすみ、森の魔女殿」
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