恋愛蜜度のはかり方

るうあ

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幸せな日常 ◇◇美鈴視点

またたく花音 1

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 ――火遊びをしませんか?
 ちょっと大胆に、ちょっとふざけて、思いきって彼を誘ってみた。
 きっと彼――高倉維月さんは笑って、誘いに乗ってくれる。
 うまく火を点けられるかどうか自信はない。けれど、わたしの方から燃やすことができなかったとしても、自然発火してしまうんじゃないかと思う。……むろん、わたしの方が、だけど。
 いつだってわたしは維月さんに熱せられ、焦げ痕を残されてしまうのだから。

* * *

 日本の夏といえば、やっぱり花火。打ち上げ花火だ。これを見なければ夏は始まらない……とまでは言わないけれど、夏の風物詩であるには違いないと思う。
 ということで、先週の土曜のことだけれど、友達……女ばかり四人で、地元で行われていた花火大会へ行ってきた。
 全国でも有名な花火大会ってわけじゃなく、地元の、ちょっと大きな公園で開かれる夏祭りで、知名度は地元民なら大抵の人は開催日と場所を知っているって程度。
「年々ショボくなっていって新作も少ないけど、それなりに見ごたえはあるよね」
 と友人が言うように、上がる花火の本数は年々少なくなっているような気がする。数えてるわけじゃないけれど、花火と花火の間隔が長い時があったりして、どうにもごまかされているような感がある。
 それでも花火が上がり、ドンッと大きな音をたてて火花を散らすたびに歓声も上がって、わたしも友人らも、子供っぽく手を叩いて喜んだりした。
 やっぱり一夏に一度は、こういう空に上がる大きな花火を見なくちゃって思う。気分もすごく盛り上がる。
 夏の夜空に咲く大輪の火の花は、もやもやと心に淀んでる鬱気を晴らしてくれる。どちらかといえば人混みは苦手だし、お祭り会場の暑さも半端ないけれど、観に行きたいと思う活動的な気分が、心身の倦怠感を拭ってくれるのかもしれない。
 ともあれ、友人らに誘われて花火大会に行ったのは、ちょっと沈みがちになっていた気持ちを上向かせるためでもあった。単純に、打ち上げ花火を見たいってこともあったのだけど。
 花火大会の会場では、地元ということもあって、屋台を出してる人の中に顔見知りもいたし、ばったり昔の同級生と出くわしたりもした。そういう出会いは、確率は少なくともあるだろうと予想していたし、覚悟もしていた。
 だけど、まさか会うとは思わなかった会社の人達もいて、それにはぎょっとさせられた。
「あれぇ、木崎さんじゃん?」
 と、背後から聞き覚えのある声で呼びとめられた時には、ほんとに驚いたし、狼狽した。
 わたしを呼び止めたのは、同じ課の桃井香歩さんだった。他に、わたしとは別の課にいるけれど、同じ派遣会社から来た女の子も三人ほどいて、さらに別の課の男性社員もいた。なんとなく見覚えがあるな、という程度で名前までは分からない。
 どうやらコンパの野外バージョンらしい。そういえば先週、桃井さんに「コンパやるんだけど、木崎さんも来ない?」って、声をかけられたっけ。もしかしてこの花火大会のことだったのかな? 先約があるからと断ったのだけど、まさかここで鉢合わせしてしまうとは思いもよらなかった。
 わたしは友達と一緒だったから、桃井さんも気を遣ってくれ、一言二言簡単な挨拶をしたに留まり、すぐに別れた。
 わたしは、心底ホッとした。
 ――高倉主任……維月さんと一緒に来なくてよかったって。
 会社の人達にはヒミツにしてる、わたしと維月さんの関係。
 花火大会の会場で二人並んで歩いているところを会社の人……とくに桃井さんに目撃されたら、困ることになりそう。
 桃井さんはわたしと「高倉主任」との関係をあやしんでたことがあった。「木崎さんって高倉主任に気があるんじゃないの?」と訊いてくるのは面白半分にすぎないようで確信を得ているわけではなさそうだけど、多少なりそういった疑念を抱いている桃井さんに現場を押さえられてしまったら、何をどう取り繕っても、ごまかせない気がする。
 社内恋愛は御法度なんてことはないし、やましい関係でもない。だけど、極力隠していたい。
 桃井さんに限ったことではなく、女っていうのは……全員がそうではないけれど、色めいた噂話が好きなものだ。悪気はなく、時にはちょっとだけ悪意を交えることもあるようだけど、誰が誰とつきあっているだの別れただのと、虚実入り混じった噂話を広めてしまう。
 維月さんだけじゃなく、ある程度の役職に就いている人が色めいた恋愛絡みの噂話を流されてしまうのって、たとえ仕事に支障をきたすことはなくても、プラス要素にはしにくい事柄だと思う。恋愛絡みの噂話って、好意的に解釈されることって少ない気がするし。
 わたしなんかのことで維月さんに迷惑をかけたくない。維月さんの負担にだけはなりたくない。
 そういう気持ちがあったから、維月さんに「花火大会、一緒に行きませんか」と、声をかけなかった。たまたま都合がつかなかっただけというのもあったけれど。
 だけど……――
 だけどやっぱりって、思った。
 維月さんに会いたいって、思ってしまった。
 会社で毎日会っているし、週末だって維月さんは少しでも時間を割いて、会いに来てくれる。
 それなのに、会社の上司である高倉主任じゃない維月さんとゆっくり会いたいなんて贅沢なことを思ってしまった。
 まさか桃井さん達と出くわすなんて思いもしなかったから、誘わなくてよかったって安堵したけど、本心をいえば、やっぱり一緒に花火を観たかった。
 そうした我儘な思いは花火の火の粉が散り落ちるようには消えず、心に残ってしまっていた。

* * *

 心残りを抱えたまま七月が終わり、あっという間に八月になってしまった。
 だけど夏はまだまだこれからが暑さも盛りで、熱帯夜も続く。そして数日経てばお盆休みになる。
 そして今日はお盆休みに入る一週前の、土曜日。
 わたしは休みだけれど、維月さんは休日出勤をしてる。だから午前中から夕方の今の今まで、ケータイに電話もメールもしないよう、我慢をしてた。
 もっとも、午後からはわたしにも電話する余裕なんてなかったのだけど。
「…………」
 冷房のきいた部屋で、わたしは鏡の前に立っている。
 テーブルに置かれた時計を見ると、時刻は六時。
 窓の外はまだ明るくて、日が暮れるまでには時間がある。今日も猛暑で、雲は多いけれど、日が隠れるほどではなく、外気はなかなか冷えていかない。茹だるような熱気に当てられて、街路樹もちょっと元気がなさそうに見えた。そういえば、何日雨が降っていないんだろう?
 わたしは目線を上げ、青色の絵の具を水で薄めて大雑把に塗りたくったような青い空を見やった。窓から見えるだけの小さな空に、半月を見つけた。昨日より少しふっくらとした、透けそうに白い月。
 満月まで、あと何日かな? そんなことをぼんやりと考え、嘆息した。
 それから視線を下げ、ケータイを手にとった。数分前に維月さんからのメールがあったばかり。「今から帰る。今夜、空いているならうちに来ないか」と。
 指を、そろりと動かす。早く返信しなくちゃと逸る気持ちが、指の動きを鈍くして、短い文章なのにやたらと打つのに時間がかかってしまった。
「うちの方へ来てくれませんか? わがまま言ってすみません。夕飯を用意して待っています」
 たったそれだけの、簡素すぎる返信文。もうちょっと気の利いた誘い方だってあるだろうに、いつだって素っ気なさすぎる文章しか打てない。
 そんなわたしに合わせてくれているのか、すぐに返ってきた維月さんのメール文も簡素なものだった。「わかった。すぐに行く」と。

 メール文にあった通り、維月さんは本当にすぐ来てくれた。会社から直接来てくれたようだ。クールビズ仕様だからネクタイはしていないけど、白地に濃紺のストライプ柄の長袖シャツと黒無地のストレートパンツという、ビジネススタイルだ。
 維月さんって、こういうビジネススタイルのスーツが似合う。もちろんTシャツにジーンズっていうカジュアルなスタイルも似合うのだけど、スーツ姿は格別に素敵だ。つい見惚れてしまう。
 ホゥッとため息をつくわたしを、当の維月さんは驚いたように瞠目し、まじまじと見つめてくる。
 ……あまりそう……、じっと見つめないでほしいのだけど……。
 維月さんに、なんと声をかけてよいものやら分からず、わたしは所在なげに身を小さくしている。
 そんな小心者なわたしに、維月さんは言ってくれた。「可愛いな」って。嬉しげに目を細めて、口元を綻ばせている。
 かっ、可愛いって言ってもらえて、それは嬉しいんだけど、やっぱり恥ずかしい。
 わたしは今、夏限定といっていい格好をしている。花火大会にも、この格好で行った。
 浴衣姿なのだ。ちなみに今年新調したばかり。
 黒字にブルー系統の大きな牡丹の花柄模様の浴衣で、薄紫とサーモンピンクのリバーシブルの帯に、白いビーズの帯飾りをつけている。髪もアップにして、とんぼ玉の簪を挿してみた。
 維月さんは感心しきった様子で、わたしを見つめる。「自分で着たの?」と問われて、「一応は」と曖昧に答えた。
「美容師の友人に着付け方を教えてもらったんです。それで今日、なんとか一人で頑張って着てみたんですけど、帯を結ぶのが、それはもう大変でした」
 なにしろ不器用なわたしだから、一番のネックは帯だった。最初から形作られている作り帯も沢山売っていて、けっこう可愛いものもあったからそれを買ってしまおうかと迷ったのだけど、結局友人に「やめなさい」と止められた。
「しまう時に場所もとるし、同じ形だと飽きるし、一度基本覚えちゃえばアレンジできるようになって、後々楽だよ」
 と諭され、「簡単な結び方教えだけるから」と言い添えられ、懇切丁寧に、一番簡単で楽な結び方を教えてもらった。
「だけどやっぱり、ちょうちょ結びみたいには簡単にいかなかったんですよ。帯だけですっごく時間かかっちゃって」
 ちょうど胃のあたりを締めている帯をぽんぽんっと叩き、ため息をこぼした。
 維月さんは妙に嬉しげだ。
「ホテルや旅館なんかに置かれてる寝巻代わりの浴衣のようにはいかないってことか」
 にこやかに笑って、「お疲れ様、美鈴」と、わたしの苦労をねぎらってくれた。そして「よく似合ってる」とも、言ってくれた。
「そ、そうですか……」
 よかった。
 自分でも気に入った柄の浴衣だったから、維月さんに着た姿を見せたかった。花火大会は一緒に行けなかったけれど、ならばせめて、買ったばかりの浴衣を維月さんに披露したかった。
 維月さんに喜んでもらえるかどうかなんて、それこそ自信なんてなかった。だけど維月さんに見てもらえるだけでもって身勝手なことを考えてた。
 だから、「似合うよ」って言ってもらえて嬉しかった。
 もしかすると維月さんも喜んでくれたのかも? そう自惚れてしまいそうな、維月さんの喜悦に満ちた笑顔だ。
 頑張って着た甲斐があったなぁなんて、わたしは自己満足に浸り、口元を緩ませていた。
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