恋愛蜜度のはかり方

るうあ

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甘えて。 ◇◇美鈴視点 (各お題利用)

逃げるな危険 1

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 今までずっと、逃げ続けてきた。
 たとえばそれは、関わりたくないと思う現実や辛い過去、――そしてわたし自身。
 逃げちゃいけないと思う気持ちもあるのに、わたしはもうほとんど無意識のうちに逃げの態勢に入っていて、それが「癖」のようになっていた。
 どうしようもなく、今までずっとそうして逃げてた。
 ――そう、今までは。
 そんなわたしの腕を掴み、抱き寄せ、「逃げないで」と引き止めてくれる人が、今はいる。
 まだうまくはいかない。逃げてしまう時もある。
 けれど、わたしの弱さもそのままに受け入れて、さらに立ち向かっていけるよう支え、促してくれる人を失望させたくない。
 その人を……維月さんを失いたくない。
「逃げてもいい時はある。ただ、気をつけた方がいい」
 維月さんは微笑して言った。口調は優しかったけれど、まなざしはひどく切なげで、蠱惑的ですらあった。維月さんのその瞳には、いつも惹きつけられる。
「逃げ続ける方がかえって危ないこともあるから」
 維月さんは頷くわたしの手を掴み、意味ありげに微笑んだ。

* * *

 十二月は会社的に忙しい月にも関わらず、忘年会は恒例行事として毎年必ず開かれる。
 日程は十二月二十九日と決まっている。暮れと正月の連休始まりが、うちの会社は二十九日からなのだけど、その二十九日を忘年会日にしている。不満の声も多く上がっていたようだけど、上からの命令ってことで黙殺された……らしい。
 会社の行事だから、社員はほぼ強制参加。だから二十九日は連休スタートの日ではあるんだけど、実質的には三十日が連休開始日になっている。お正月の三が日は休み。出勤日はカレンダーに従っているので、たとえば四日が土曜か日曜なら、その翌週の月曜日が仕事始めの日になる。
 実のところ、忘年会は強制参加とはいえ、参加できない社員も少なからずいる。私的な理由で参加できない人もいるだろうけど、仕事の都合で無理な人もいるようだ。短時間だけ顔を出し、早々に引き揚げてしまう人もいる。それは平社員よりもむしろ上部の人の方が多かったりするみたいだ。
 一方で、パートや派遣社員は希望参加。思いのほか、参加率は高い。
 希望参加だからもちろん不参加だって構わないのだけど、なんだか半強制って感じがして、断りきれない雰囲気がある。だからわたしも毎年参加してた。毎年といったって、まだ二回しか参加していないのだけど。
 忘年会の会費は当然徴収される。わりと良心的な金額だ。とくにお酒をめいっぱい飲む人的には。わたしも、元はとれてたと思う。お酒だけじゃなく、料理もけっこう堪能したし。
 十二月の半ばになって、参加の可否を書きこむプリントが回ってきた。
 参加に丸印をつけようかどうしようか迷っていたところに、同僚の桃井さんがやってきて、
「木崎さん、今年の忘年会も行くよね?」
 と、先手を打ったように訊かれた。桃井さんの大きな瞳がわたしを見つめてくる。
「うん、……一応」
 勿体ぶるつもりはないのだけど、曖昧に応えた。
 桃井さんは丸印をつけかねているわたしのことなどお構いなしの様子で、「あたしんとこにも丸印つけといてー」と頼んでくる。
「毎年会場を変えてるあたり、不景気だ何だといいつつ、けっこう気前いいよね、うちの会社って。いっそ新年会もやってくれたらいいのに。ね、そう思わない?」
「…………」
 わたしは「それはちょっと……」と苦笑した。桃井さんはノリの悪いわたしにちょっと失望したような顔をしたけれど、責めてきたりはしなかった。
「ま、新年会は個人個人でやるからいいんだけど。ああもう、年末年始はあれこれ費用がかさむよ、まいっちゃう」
「うん、ほんとそうだね」
 これには心から同意できて、わたしは大きく頷いた。
 出費の多い季節だから、忘年会もお財布的に少し厳しかったりもするのだけど、ともあれ、わたしは桃井さん同様、今年も参加することにした。わたしの所属しているサポート課の派遣社員の子達は全員参加すると桃井さんからの情報も決め手になった。
 これじゃぁ、不参加に丸印なんかつけられない。

 社交的な桃井さんは、他の課にも仲の良い人が男女問わずたくさんいる。だから会社の忘年会といっても、わたしと違って義務的な感覚ではなく、積極的に参加してる。二次会も三次会も。
「今年はとくに楽しみ! 飲み会の場所、ほらぁ、ここのホテルのレストランの料理、おいしいって評判なんだよねぇ!」
 と言って、桃井さんはきれいなピンク色のマニキュアで彩られた爪で、持ってきていたグルメ雑誌の表紙を軽くはじいた。
 見せてもらった雑誌は地域限定のグルメ情報誌で、わたし達が参加する会社の忘年会の会場はページの一ページを使って紹介されていた。
「このホテルのカフェなら、前に友達と行ったことある。雰囲気もよかったし、ケーキもおいしかったよ」
 わたしがそう言うと、桃井さんは「へぇ、そーなんだ」と興味があるようなないような反応を示した。
「今度、彼に連れてってもらおっかなぁ」
 桃井さんはダマ一つなくカンペキに塗られているマスカラに縁取られた大きな瞳をぱちぱちと瞬かせ、「これ、たっかーい! ありえな~い!」とか「これおいしそう、食べたい!」とか、いちいち声に出しながら、記事を追っている。
 わたしもそれに相槌を打ったり合いの手を入れたりしていた。そうして概ね、聞き手にまわっていた。
 その後、話は会社の忘年会から逸れ、桃井さんの新しい彼氏の惚気話やここ最近の職務の愚痴話になった。さら傍にいた同じ派遣元の子達も話に加わってきたものだから、話はあっちこっちに飛びまくり、けれどまた忘年会の話に戻ってきた。半ば強引に戻したのは、桃井さんだ。
 忘年会の日までまだ数日あるというのに、桃井さんはもうすっかり飲み会モードに入ってるみたい。
「忘年会、楽しみ~。飲みまくるぞーっ! そしてあれこれ聞きまくるぞーっ!」
 桃井さんのその発言に、わたしは防衛の強化をはからねば、と改めて思い、こっそりため息をついた。

* * *

 会社の飲み会って、結局は仕事の延長線上にあるものだから、たとえ「無礼講で!」と言われたって、そんなあっさりは割り切れない。
 桃井さんみたいに割り切るも割り切らないもなく、最初から自分のペースで楽しむ人もけっこういるけれど、義務的に参加してる人も多い。実際、「めんどくさい」とこぼしている人もちらほらいた。
 わたしはというと、やっぱり義務的な参加だ。大人数での飲み会は気楽な部分もあるのだけど、無駄に気を張ってしまって、神経をすり減らしてしまう。
 楽しみな気持ちもあるけれど、やっぱり少なからず憂鬱な気分もあった。
 そんな気分を抱えたまま迎えた、忘年会当日。
 前回の忘年会でもそうだったけれど、今回の忘年会もわたしの定位置は先輩の浅田さんの傍。忘年会が始まってしばらくは、浅田さんもあちらこちらへと身軽に立ち回っていて、わたしもそれについていって、普段あまり接することのない人達にも挨拶をし、声もかけてもらった。
 勤労主婦の浅田さんは、桃井さんとはまた違った意味で社内に顔が広い。勤務歴が長いから、というだけでもなさそうだけど、上の人達とも親交が深い。直属の上司だけじゃなく、他の課の上司達とも親しげに言葉を交わしていた。
 けれどやっぱり一番親しくしているのは、直属の上司にあたる、高倉主任だ。だから浅田さんの近くにはごく当たり前に高倉主任がいる。
 今もまた、一通り挨拶回りを済ませてきたらしい高倉主任が、浅田さんとわたしのもとにやってきた。
 高倉主任は、濃いグレイのスーツ姿だ。ぴっちりと細身のシルエットで、足元もシャープで艶のある靴で決めている。レースアップのショートブーツのようだ。ジャケットの下のドレスシャツは白色。ネクタイはシルクの光沢が美しいパープルとヴァイオレットとグレイのストライプ。もちろん派手ではなくて、全体的に落ち着いたスタイルにまとめてる。だけど、会社での高倉主任とはまた違った雰囲気だ。
 わたしも浅田さんもパーティー用のスーツを着てる。浅田さんはかっちりとしたパンツスタイルで、わたしは淡いピンクのワンピース。無難なパーティー用ドレスってところ。
「巡回、お疲れさん」
 浅田さんは高倉主任にねぎらいの言葉をかけ、同時にビールのジョッキを差し出した。
「まずは一献……っていうか、ひとジョッキ!」
「いや、もうジョッキはさすがに……」
 高倉主任は苦笑いして差し出されたジョッキを押し返そうとした。けれど、それを浅田さんが許すはずもない。「ほほぅ?」と高倉主任を睨みつける。
「わたしの酒を断るとはいい度胸だね、高倉くん?」
「あー…、はい。有り難くいただきます」
 浅田さんと高倉主任は、いつもこんな感じだ。そしてわたしは横でくすくすと忍び笑っている。
 ちなみに、今回の忘年会はバイキング方式だ。席はあらかじめ割り振られていて、そのテーブルにもある程度料理は並んでいる。席に座って落ちついていられるのは最初だけで、常務やら部長やらの簡単な挨拶が済んだ後は自由行動になって、席で落ち着いていられる時間は短い。もちろん、どっしりと席について、せっせと料理を食べまくる人もいるのだけど。
 わたしは浅田さんに連れられるような形で、会場内を巡った。上役の人達にお酌をさせられるようなことは、浅田さんがいたおかげでなかった。とりあえず「お疲れさまでした」とお辞儀をして、あとは他愛無い会話を少ししたくらい。
 さっきまで普段喋らないようなお偉いさん方への挨拶回りをしていたせいで少し気が張っていたのだけど、ここにきてようやく緊張がほぐれた。
「木崎さんも、元を取るつもりでちゃんと飲んで食べなね?」
「はい。もうばっちり食べてます」
 浅田さんは大皿にきれいに盛られたオードブルの中から、千枚漬とスモークサーモンのミルフィーユ風サンドを選び取ると、ぽいっと口の中に放りいれた。
 高倉主任も何か食べたそうだったから、小皿にヤマイモとマグロのサラダと、イカゲソとタコの卵白衣揚げを適当に持ってきてあげて、箸と一緒に渡した。「ありがとう」と笑った顔は、高倉主任のままだ。維月さんの面影を無意識的に求めていたわたしは慌てて顔を逸らし、ホタテと大根のミニサンドにフォークを突き立て、口に運んだ。
 頬が、ちょっと熱い。
 ……会場の熱気とお酒のせいってことにしておかなくちゃ!
「……っ」
 熱りだした体を少しでも冷やそうと、中身の半分くらい残ったグラスを手にとり、一息に飲み干した。グラスの中身はアルコールだったから、体温を下げる効果はないと分かっていたのだけど、とりあえず、融けずに残っていた氷のおかげで、口内と喉はすっきりと冷えた。
 頬は熱いままだった。
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