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22.魔女と奴隷と二人の距離

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 祭りの日から数日経って。オーウェンとザジの二人の関係は進んでいるような止まっているようなむずがゆい距離を保っていた。
 やることは大体いつも決まっている。朝薬湯を飲んでザジがくわくわ言い出したらオーウェンが棚の飴玉を放り込み、朝食を取ったら家畜や畑の世話。スキンを作るためにスライムを獲り(ザジはこの時には必ずズボンを穿くようになった)、手仕事を一緒にし、取引をしているところに納品に行く。
 ザジに奴隷紋がある限り、二人は必ずどこへ行くにも一緒に行動しなくてはならない。それ自体は母エウェンが生きていた時も大体同じだったので別に苦ではないのだが、ザジが月の障りなどで体調が悪そうにしている時も連れまわさないといけないのは心が痛むオーウェンだった。

(なにせ今までもこれからもぼくには訪れない苦しみだからな。かあさんから教えられた知識を使って対処はできるが……共感はしてやれないから気遣うことしかできない。ねえさんがいたらちょっとは違ったかな)

 本当に何とかできないものか。オーウェンは空き時間は書庫で魔術書をひっくり返す毎日をすごしていた。

「嫌だねぇ……、ぼくは呪印紋関係はからっきしなんだよ……」

 魔女の書物はそれぞれ得意な分野を持っていた魔女たちが主観で書き残したものが多いのでとにかく読みづらい。おそらくこれかな? というものを見つけてもほぼ個人的な日記と変わらなかったりして、途中でいきなり最高においしいローストチキンの焼き方のメモが始まったりするのでげんなりする。まあ、おそらく次にオーウェンが焼くローストチキンは最高においしいだろう。でも知りたいのはそれじゃなかった。ひび割れた乳鉢は吸い殻で溢れていく。次にいつ煙草の行商に会えるかわからないのに、ため息しか出ない。

「ねえさんを探したほうが早いかもな……」
「姉弟子さんは今どこにいるかわからないのですか?」

 膝に座ってオーウェンの腕の中にすっぽり入ったザジが絵本をめくりながら聞いてきた。どうもケイト族の種族特徴らしいのだが、ザジはやたらとオーウェンにかまってほしがるようになってきた。暇なんだったら勝手に好きなことをすればいいのに、ちょっかいを出してくるので面倒くさくなって膝に乗せたまま各自勝手なことをしていることが多くなった。

「さあ……。どこに行くか聞く前にいなくなっちまったからねえ……。困ったねぇ……。アタシにはちょっと探すのが難しいんだよ……。なにせ、アタシにはねえさんの姿が見えないし声も聞こえないから……」

 オーウェンの言葉に、ザジは頭の上にハテナを浮かべたような顔をして首をかしげる。

「姿が見えないし声も聞こえない? どうして? あ、もしかしてこれも『権利を取られた』ってやつなんですか?」
「あんがい聡いね……。言葉を覚えるのも早いしそうか。まあ、そういうことだね。ただ、これはアタシが取られた権利じゃなくてねえさんが取られた権利なんだ。どうやらねえさんは『アタシに認識される権利』を取られたようなんだな」
「なんでそんなもの取っていくんですかね? その、なんとかいうものってのは」
「さあ……『大いなるもの』が何を考えてるのかなんてアタシら魔女にはわからないから……」

 魔女同士が争えないルールについてはザジにも話した。この庵でザジが人ならざるものの存在を感じているということは魔女の素質がザジにもあるかもしれないので、間違っても言い合いなどしないように気を付ける必要があると思ったからだ。

「二人とも権利を取られてるってことは、オーウェン様と姉弟子さんはきょうだい喧嘩をしたんですね?」
「ああ……まあ、そうだね。アタシもガキんちょだったからな。もうちょっと落ち着いてたら声を荒げたりしないで静かに話し合えたのに、気が付いたら履いてた靴が破裂してるわ、ねえさんは消えちまってるわでもう何が何やら……書いた文字なんかは見えるようだからあとで書き置きを見つけたけどね。ただ出て行くって書いてあっただけだから……」

 ザジはなんとなく、喧嘩の原因は聞かないほうが良さそうだなと思った。

「ねえそれよりオーウェン様。オーウェン様はいつザジのおまんこにおちんぽ様を入れてずぽずぽして遊んでくれるんですか?」
「アンッ……タはもう……。いきなり本当に何を言い出すんだよ……」

 あの祭りの夜。死んだ父母の存在をザジが視認できているという確認が取れてから、オーウェンはザジに乱暴な言葉を投げるのを控えるようにしている。しかしこうやって突然突拍子もないことを言い出すので心臓に悪い。

「えー、いいじゃないですか。ハメハメしましょー。粘膜擦り合って遊ぶだけなのになんでそんなに頑ななんですかー? ただのスキンシップじゃないですかー」
「嫌だよ。孕んだりしたらどうするんだ。アタシはまだオヤジにはなりたくないんだよ」
「売るほどスライムスキンがあるんだから使えば大丈夫じゃないですかー」
「あれだって別に万能じゃないんだよ。使わないよりは孕みづらいってだけのモンだよ。あのなあ、もし孕んだら産むのはアンタなんだからな。オヤジになる覚悟のない男のガキなんか孕んだら最悪だろ。しかも何? アンタらケイト族ってのは一度に四人も孕むんだろ。冗談じゃないよ。どういう了見でそんなこと言い出すんだ。いい加減にしな」

 こんこんと諭されたザジは幼く見える頬をぶーっと膨らませて上目遣いでオーウェンを見上げて、彼のローブの胸元をきゅっと掴む。

「……だって。もっと構って欲しいんだもん。オーウェン様本ばっかり読んでてつまんないんだもん」
「あーっ……もう……この娘は……この……っがあ~っ」

 いろいろなものがこみ上げすぎてオーウェンは喉の奥から痰が絡んだような変な音を出して照れた。

「わかったわかった……嫌だねぇ……おい、前は絶対使わないぞ。使わないからな。それでもいいか? 一人で準備できるかい? この間教えたよな?」
「やった! おしりえっちおしりえっち!!」
「黙んな」

 以前ザジの肛門にスライムが入ってしまった時はことがことだったため狩り用の水弾きとハーブ水を使ったが、一応この庵には浣腸用の道具がある。なんでそんなものがあるのかと言うと分娩前に妊婦に排便を済ませておいてもらうためである。

「かあさんから受け継いだ仕事道具をこんなことに使っちまって……アタシも……ほんとに……」

 ぶつくさ言いながら道具一式をザジに渡すと、ザジはるんるんと湯など沸かしに行った。

「ねえ~、綺麗にするとこ見ます? 見ますぅ~?」
「うっぜええええ……見ないよ。さっさと済ませて来な……」

 あれからこういうやり取りを何度かしたため、ザジもオーウェンも前よりお互いを気安く思ってきている。二人とも会話で選ぶ言葉遣いが少しずつ変わってきているのだが、それを自覚せずに自然に受け入れ始めていた。要するに、仲良くなってきているのだ。好きにならないとやっていけない。その言葉はエブリンから聞いた時はオーウェンにとってネガティブな意味を持っていたが、関係性の積み上げによってはポジティブなものにもなりえるのだった。
 オーウェンは纏っていた黒いローブを脱ぎ捨て、簡素なシャツとズボンになって自室をそわそわうろうろしながらザジの準備を待っている自分に気が付いて、ああと唸って中途半端に長い髪をがしがしとかき回すと、ベッドに大の字に横になる。

「なあ、アタシまだ童貞でいいんだよな?」

 天井の蜘蛛に訊いてみたが、いつもどおり別に答えは返ってこなかった。
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