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26.魔女と奴隷とねずみの子

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 張型に貼り付けていたスライム皮が乾燥し、ぺりぺりと剥がせるようになったころ、オーウェンとザジの二人はまた梱包した商品を背負って取引先である娼館に赴いていた。
 久しぶりに訪れた開店前の娼館はそわそわひそひそと嫌に浮きだっていて、オーウェンは女主人のライザを待ちながら落ち着かないものを感じていた。

「オーウェン坊、来たね」
「アネさん、これいつものだけど……どうした? 女たちの様子がおかしくないかい?」

 奥から出て来たライザに挨拶もそこそこ、おかしな空気のことを尋ねると、彼女は顎をしゃくって奥にオーウェンたちを促す。

「診て欲しい娘がいるんだよ」
「……しくじったかい?」
「ウチのじゃないんだけど……まあ見とくれ」

 奥に通されると、病気の娼婦を置いておくらしい飾り気のない部屋の寝台に小さな体躯の人物が一人寝かされている。頭からシーツをすっぽりかぶっているため顔は見えず、そして意識はないらしく、部屋に人が入ってきても反応はなかった。

「あんな小さな体の娘はたしかにここにはいなかったはずだね……どれ……? っ!!!」

 起こさないようにそっとシーツをめくると、オーウェンは声を出さずに驚いた。
 そこに居たのはどこにでもいそうな髪の長い小さな娘で、しかし頭から飛び出した大きな耳と、顔まで拡がり表皮の全てを横切る成長した奴隷紋、そしてその腹は不自然なまでに大きく張り出した……妊婦だった。

「……ケイト族、の、奴隷の……妊婦じゃないか……っ。アネさん、この娘一体どうした……?」
「どうもこうもないよ、昨日路地裏でウチの子が拾って来たんだ。このままにしといたら死んじまうからしょうがなくね。そろそろ坊が来る頃だったし。で、どうだい? あたしの見るところ、いつ産まれてもおかしくない大きさだと思うんだが……」
「ケイト族の子供は一度に四人産まれるって聞いたからな……たしかにそういう大きさではある……どうなんだいザジ、アンタはどう……ザジ?」

 ケイト族の妊娠事情を知らないか、ザジに尋ねようとして、オーウェンはザジが奴隷紋に覆われた娘の顔から前髪を避け、よく見ようとしているのに気が付いた。顔を触れる手の感触に娘がうっすらと目を開ける。

『……ここ、どこ……? ……あなたは……どうしてあなたもこの国に……?』
「その声! やっぱりカーラちゃん!! どうして!?」
「ザジ、知り合いかい?」

 オーウェンたちの知らない言語で話す娘の手を握り、震える声で青ざめるザジにオーウェンが声をかける。同じケイト族同士だ。知り合いだったとしてもそこまで不思議なことではない。

「凄く仲良かったわけじゃないけど……去年いなくなった娘です。みんな言わないけど死んじゃったと思われてた……。生きてた……」
「ザジ……」
「オーウェン坊、訳アリみたいだし、目覚めたばっかで混乱してるだろう。ちょっとその娘は嫁御さんに任せてあたしたちは別室で話さないかい」

 黙って見ていたライザの提案にオーウェンは乗らせてもらう。ザジにカーラと呼ばれた娘を任せ、女主人の部屋へ移動した。勘のいいライザは椅子に座ると、すぐに切り出した。

「オーウェン坊、嫁御さんってケイト族なのかい? ってことは奴隷? 奴隷妻なのかい?」
「ああ~、またこのやりとりを……そうだよ。ザジは奴隷商人からアタシが買ったんだ。先に言っとくが別に相手がいないから奴隷で何とかしようとしたとかそういうんじゃないよ。アタシがあの娘を家族にしたくて自分の意思で買ったんだよ。まだ正式には妻じゃないけど、別にぼくはそうなっても……ええい!! 違う!」
「落ち着きな」

 ライザは妊婦の前で我慢していたらしい甘い香りの煙草の煙をオーウェンの顔に吹きかけた。

「別に坊がどういうつもりで嫁御さんを扱おうがあたしたちに言える事なんて何もないから……。そうじゃなくてさ。多分拾ってきたあの娘も奴隷妻だよね。あの顔の刺青。奴隷が主人から逃げるとでかくなって拡がるっていう奴隷紋だろ。噂には聞いてたけど本当にああなってるのを見るのはあたしも初めてだよ……」
「……アネさん。あんなもの、昔からあったかい? 獣人の奴隷はこの土地では珍しいモンではないけど、あんな嫌らしい仕掛けがあるなんてアタシは知らなかったよ。奴隷商人にも商品を卸してるが、全然知らなかった」
「ここ数年のうちに出て来たモンだろうね。あの顔じゃ素性を隠して働くのも難しい。ウチで雇うこともできないよ。逃げた奴隷を野垂れ死にさせるための仕掛けだ」
「嫌だねぇ……本当に嫌だ……。アネさん、それアタシにも一口おくれ」
「は、オーウェン坊と間接キスするなんてぞっとしないねぇ」
「うるさいよ」

 狭い部屋の中を紫煙でもくもくにしていると、ザジがノックをしてきた。

「どうだったザジ、あの娘どうしてる?」
「また寝ちゃいました。ちょっと事情が聞けたので伝えに来たんですが……」
「入っとくれ嫁御さん。あたしも知りたかったんだ。っと、あんたは孕んだりしてないだろうね」
「まだお尻しか使ってないので大丈夫です」
「イ~~~~~~、言うなよ!!」

 ザジが聞いたカーラの事情はこうである。
 カーラは去年、ザジと同じように地元で人さらいに誘拐され、海を渡ってこの土地に来た。奴隷市場で商品として扱われる前に調教師からの調教と奴隷紋を施され、その日暮らしの冒険者に性処理奴隷として買われた。色々あったが、主人とは最終的には愛し合っていたという。主人は彼女の奴隷紋が完全に暴走する前に必ず家に帰ってきていたし、子供も二人で望んで作って、産んで育てる予定だったという。しかし、出産が近づいたタイミングで主人が家に帰ってこなくなってしまった。
 二人の間で主人が十日以上続けて帰ってこなかったら死んだと思って行動しろという取り決めがされていたため、カーラは家を出て、路地裏で力尽きていたところをここの娼婦に拾われたということだった。

「……そうかい……見つけたのがここの女で不幸中の幸いだったねぇ……」

 話を聞いているオーウェンは脂汗をかいていた。ザジを孕ませてはいないものの、自分がザジを置いたままうっかりぽっくり死んでしまうという可能性にまったく考えが及んでいなかったことに気が付いたからである。奴隷を人とも思っていない主人ならまったく考えなくていい問題だが、彼はそうではない。自分が万が一いなくなったあと彼女が一人でも生きて行けるように、奴隷紋の問題はやはり置いてはおけないのだ。

「オーウェン坊、それでどうする? あたしたちはあの娘をどうしたらいいと思う?」
「どうもこうも。あの様子じゃもうすぐ産気づくだろ。アタシたちは一旦道具を取りに庵に戻るよ。そのあとしばらくここに泊まらせてもらおう。始まっちまったら悪いが、娼館は休業にしておくれ」
「そうするしかないね、赤ん坊ひりだしてる女の叫び声聞きながらチンポ勃てられる男がいるなら褒めてやりたいよ」
「アネさんは優しい女だ。かあさんもそう言ってた」
「あんたはそういうの素でやってんのかい?」
「あ?」
「なんでもないよ、早く戻ってきてちょうだい」

 庵から助産の道具を一式取って再び戻る間、ザジはずっと黙っていた。いなくなった同郷の娘と身重の状態で再会したのだ。精神的にショックを受けるのは当然だとオーウェンは思った。
 ザジの心を満たしていたずっしりとした重さはそのこともあるし、自分の立場がカーラとそう変わらないことに気が付かされたことも原因になっていた。一歩間違っていたらあそこに横たわっていたのは自分かもしれない。そう思うととても怖かった。

「ザジ。大丈夫だ。アタシが一緒にいる。アタシがついてる」
「はい……」
「今は変なことで悩んで消耗するのはやめな。このあとは体力勝負になるから」

 二人が娼館に泊まり込んで三日後、カーラは無事に四つ子を出産した。生まれた子供は全員ケイト族の耳としっぽを有していた。
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