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25.魔女の弟と魔女の姉

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 五つ年上の姉弟子ダリアはオーウェンが物心ついたころにはもう一緒に暮らしていた。派手な顔つき、派手な赤い髪、成長を重ねるにつれどんどん豊満になっていく肉体を持っていたが、彼女の性格は控えめでおとなしく、引っ込み思案であった。
 おかしなものが見えるようになった子供は魔女の所へ修行に出す。ダリアもこの土地では当たり前になっているその風習に従って、エウェンの弟子としてこの庵に住み込んでいた。赤ん坊を産んだばかりで手が足りないエウェンは喜んで、彼女を本当の娘のように可愛がりながら一人前の魔女になれるように指導を行った。
 少年オーウェンは、直接そう言われるまでダリアのことを実の姉だと思っていた。なので、母と姉と三人で街に仕事に出たときなどに、色気づき始めた少年達や少し年上の青年たちがあれこれ姉のことを聞いてきたり、一緒に風呂に入ってるのか、おっぱい触ったことある? など下世話なからかいをしてくると、ぼくのねえさんを変な目で見るな!! とたいそう腹を立てたものだった。
 ダリアとオーウェンが実のきょうだいではないというのは周りの大人はほとんどが知っていることで、誰もがそのうち二人は一緒になることになるのだろうなと思っていた。小さかったオーウェンは年月が経つにつれ、糸杉のように背が伸びてダリアの身長を悠々と追い越し、並んで箒に乗って飛んでいる姿は魔女の雄と雌、といった風情になり、街の男たちのからかいは、少年時代よりも露骨なものになっていった。あんなのが毎日ひとつ屋根の下に住んでたらたまんねえだろ、だの、夜這いにいっちまえよ、だのである。
 そういったそそのかしは一度オーウェンが珍しく声を荒げて怒ったため直接言いに来られることはなくなったが、ダリアが通る時に鋭い口笛が鳴ったり、おっぱいとケツが飛んでやがる、あんまり誘うんじゃねえよ、などというヤジが飛んだりすることなどはなくならなかった。
 長いマントですっぽり体を包もうかしら……と悩んでいるダリアにオーウェンは、「人の体についてあれこれ言う奴の方がおかしいんだよ。ねえさんは生まれたまんまそこにいて歩いてるだけなのにあっちが誘ってるだとか勝手にいろんなことを言うんだ。そんなののためにねえさんがそんなの着るこたないよ。ぼくが守ってやるから街ではぼくから離れないで」と言ってやった。そしてその通りにした。
 オーウェンはこういう時に男が言う「誘っている」という言い方が嫌いだった。自分が鼻の下を伸ばしているだけなのに相手のせいにする言い方だと思ったからだ。身体が大きく人相の悪いオーウェンが睨みを効かせていたため、そのころのダリアは久しぶりに安心して街を歩くことが出来た。オーウェンも自分が落ち度のない姉弟子を品のない奴らから守っている! とヒロイックな満足感を得ていた。もうダリアが実の姉でないことはわかっていたが、オーウェンにとってダリアはたった一人の姉で、ずっと家族として暮らしていくものだと思っていた。
 だが、ダリアは違った。引っ込み思案な彼女にとって、からかってこない若い男はオーウェンだけだった。大きな本を抱えて下からこちらを見上げていた目つきの悪い子供は、たった数年で見上げるほど大きな男へ成長し、そして自分を野卑な男たちから守ってくれる。ダリアはオーウェンを弟ではなく男として意識していた。
 あんなのが毎日ひとつ屋根の下に住んでいたら、と言われるのはオーウェンばかりであったが、たまらないのは実はダリアの方だった。オーウェンのでっぱった喉仏や、骨ばった手に生えている長い指などに常に胸をどきどきさせられ、夜などには同じ時間をどう過ごしているのか想像しているうちに気が付いたら自分の指をオーウェンのそれに重ねて密やかなあそびに耽ってしまうこともあった。
 しかし、ダリアはオーウェンが自分を姉として慕っていることも理解していた。だからその想いを伝える勇気はなかなかでなかった。
 静かな夜、溢れだしそうな思いを押さえておけず、彼女は本のしおりに心の中の滾りを書きつけた。

『オーウェン。私の可愛い』

 可愛いひと、と書こうとしてペンの先が止まる。少しの間迷ったペンは、最後に『弟』と書いて沈黙する。インクが乾いた頃にそのしおりは枕の下に隠された。鮮やかな赤毛の頭を上に乗せ、ダリアの心はそれでようやく静かになった。児戯のようなおまじないは、それきり忘れられてしまった。
 そんな二人の温度差は縮められることなく月日は流れ、二人の母であり師匠である魔女エウェン……オーウェンを出産したあと急速に老いていったエウェンは、やがて後のことを二人に任せて眠りについた。愛する母を喪ったオーウェンはとても荒れて憔悴し、数日部屋から出てこなかった。無理もなかった。彼はまだ16歳の少年だったのだ。
 部屋から出てこない彼にダリアは食事を運んで部屋の前に置いておいたり、おずおずと声をかけたりしていたが、結局オーウェンは食事に手を付けることなく、結局彼を部屋から出したのは空腹ではなくエウェンの仕事を引き継がないと、という使命感である。
 いつも少ない口数がさらに少なくなり、そのころからオーウェンの佇まいは幽鬼のそれに例えられるようになった。
 時々見せる小さな笑みも見せなくなってしまったオーウェンを見るのが、ダリアは辛かった。猫背になって爪先ばかり見ている彼にまた前を向いて歩いて欲しい。彼女は一か八かに賭けて自分の想いを彼に伝えることにした。
 しかし彼女のなけなしの勇気は、二人を結びつけることはなかった。
 オーウェンが男たちから浴びせられていたダリアに対しての下衆な勘繰りは、普段ときおり彼女から向けられる妙に熱を孕んだ視線も相まって、彼の頭の中に「もしかして、ひょっとしてだけど、ぜんぜん的外れってこと、なかったりする?」という疑惑の種を産んでいた。しかしそれこそ下衆の考えることだと、オーウェンは押しつぶして考えなかったことにしていた。そんな状態の中で、オーウェンに対して告白をした後おどおどと眉をハの字にしてこちらを伺うように笑う姉弟子の笑みが醜悪なものに一瞬見えてしまい、いくつもの磁石が引かれあってはじけながらくっついていくかのように色んな感情が爆発していき、それは罵倒のかたまりとなってオーウェンの口から飛び出た。
 その時に言ったことはオーウェン本人はあまり覚えていない。売女だとか、かなり酷いことを言ったような気がする。言ったこともないようなあまりに酷いことを言ったのだけを覚えている。
 目の前の姉弟子の顔がくしゃっと悲しみにゆがみ、次の瞬間跡形もなく消えた。そして、一瞬遅れて今度はオーウェンの足を包んでいた靴が音を立てて破裂し、粉々に飛び散った。 

(オーウェン良くお聞き。大いなるものはアタシたち魔女同士が争うことを何より嫌ってもいる。だから魔女同士は争ったらいけないよ。争ったら大いなるものが仲裁に来て、今まで貸して来た力の代わりに『大事な何か』を取り立てられちまうんだ。いいかい、魔女同士で争ってはいけないよ)

 オーウェンは、母の言いつけを忘れていたことをその時思い出した。そして、今した酷い発言について謝罪も訂正もできないことにゆっくりと気づいていった。
 そのあとしばらく家の中をうろうろしたが、ダリアの姿も声も二度と知覚できる事はなく、数日後に書き置きだけを見つける。
 オーウェンは一人になってしまった。それからザジを買い、二人で過ごすようになってからも、彼はこの日のことをずっと後悔していた。自分がダリアのことを受け入れていれば今頃は一緒に暮らせていたのではないのか。自分が恋慕を抱きにくい性質だからと言ってダリアも同じでなければいけないと勝手に思ってはいなかったか。そんな考えが未だに深く楔のように頭の隅に居残っていて、そのせいでザジのことも最後まで受け入れることが出来ない。それはきっと姉弟子をひどく傷つけた罰なのかもしれない。
 しかし、受け入れればよかったのではないかという考えだけは今は違うと言える。

「こんなのと毎日ひとつ屋根の下に住んでたら、ぼくはたまらない……」

 ベッドの中で寝息を立てる小さな体を抱いたまま、ため息のようにオーウェンは呟いた。
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