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44.魔女と奴隷と婚礼の夜

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 昼間少し寝たにもかかわらず、その日の夕食が終わるとオーウェンは泥のように眠ってしまった。言葉のわからないよその国で知らない家族に囲まれるのは一人好きのオーウェンにとってはとても疲れる。寝入る前のまどろみの中で、ザジが初めて自分が住んでいた土地に来たときの消耗なんかこれの比じゃなかっただろうなと思った。
 ザジは家族と固まって寝るかと思ったが、オーウェンの寝る納屋に一緒に来て、腕の中で寝息を立てている。ザジの髪の毛を指で梳いてやると、むにゅむにゅと気持ちよさそうに何か寝言を言っていた。とろけるような手触りが心地よくて、そのままオーウェンは眠りに落ちた。

 次の朝。集落はちょこまかと走り回るケイト族で大忙しだった。

「何? いつもこんなかい?」
「婚礼の式の準備をみんなでしてくれるんですよ」
「式? ああ、そうか。ぼくとアンタの?」
「フリオとビビアナのと合同でやることになりました」

 ザジにいろいろ聞きながら集落の様子を見ると、娘たちがジャガイモやみたことのない黒い豆のようなものを大勢で刻んだり潰したりしている。婚礼の料理の準備だろう。

「あんまり合同でやるってことないから、ドレスとかどうしようってなったけど、ビビアナのほうはフリオの両親がお下がりを出してくれるっていってます」
「ドレス……もしかしてぼくもなんか着るのかい?」
「オーウェン様はでっかいからお父さんの晴れ着着るの無理だと思う……なんか羽織ったりはするんじゃないかな」
「……嫌だねえ……なんだか恥ずかしいよ」
「……嫌なんですか?」
「ン!! 嫌じゃない!! この口癖も直さないといけないかもな」

 何もしないのが落ち着かないので、ザジが晴れ着の試着をしているあいだ、オーウェンは娘たちに囲まれながら料理の支度を手伝った。

「けー、せすと?」

 覚えたてのたどたどしい言葉で何を作っているのか聞くと「チョコラテ」と返事が返ってきたが、よくわからない。どうやら豆を炒って皮をむいたものを潰して、砂糖と混ぜるらしい……? かなり苦労して潰しているようなので、オーウェンがそれを担当することにした。人間の男の力はケイト族の娘よりは強いので、娘たちがやるよりも効率よくペースト状になっていく豆。娘たちはきゃっきゃと喜んで、それを砂糖と混ぜていく。手でまとめると粘土のようになったそれは、形を整えて小さく切り分けられていった。

「できたのはいいけど、なーんだこれ。なんか菓子だってのはわかるが」
「式の後あたしたちが来てくれた人たちに配るお菓子ですよ」
「ああ……そういうのが……うおっ」

 独り言に返事をする声が聞こえたので顔を向けると、そこにはカラフルな刺繍を施された衣装を着たザジが立っていた。

「オーウェン様、見てくださいよ。どうですか? ザジの花嫁衣裳!!」
「……」
「おーい、オーウェン様?」
「あ。ああ……綺麗だ。とても可愛いよ」
「ふへへへえ」

 ザジと会ったばかりのころ、嘘の夫婦になってくれと頼んだ時に勝手に想像した白いドレスとは全然違う装いだったが、そこにいるのは本物の自分の花嫁で、オーウェンの喉元に何かギューッとしたものが沸き上がってくるのを感じた。

「オーウェン様も準備があるからこっちに来てください」

 ザジが予想した通り、オーウェンの体に合う衣装はないので肩にかけるポンチョ状の上着と飾りだけつけるような形で済ますことになった。フリオとビビアナも衣装を着けており、本来はああなるのだなとオーウェンは思った。

「ぼくこれ似合わないな」
「いーんですよ。似合わなくたって、オーウェン様はあたしのだんな様なんだから」

 昨日のうちに離れたところに住んでいるシャーマンが呼ばれており、彼らが到着した夕方から式は始まった。

「魔女だったらここに二人もいるのにな」
「こっちのシャーマンは大いなるものの魔女じゃないですからね」

 ケイト族の老人が二人、なにやら長々と話している。どうやらこの二人がシャーマンらしい。オーウェンにはわからないが、こちらの神様のようなもののお墨付きを得て、二組の男女は夫婦になったようだった。
 その後はザジの弟のデシが弦楽器をはじいて、ケイト族みんなで歌って踊って大騒ぎになった。

「花婿も踊るんですよ!!」
「えーっ、ぼく、おどりなんか生まれてこのかた踊ったことなんかないよ」
「適当でいいんですって!! 一緒に踊りましょう!!」
「嫌……ああ、仕方ない、踊るか」

 長い手足を持て余してどたばた踊るオーウェンを見てみんな笑ったが、その笑いは嘲りの笑いではなく、幸せな花婿を祝福する暖かい笑いだった。
 歌と踊りは深夜まで続き、最後に四人の花嫁と花婿が昼間作っていた菓子を一粒ずつ来客に配って婚礼の式はお開きになった。

「やれやれ、大騒ぎだったね……正直まだ頭がくらくらするよ」
「あはは、本の虫の魔女にはちょっと賑やかすぎたかもしれませんね」

 とっぷりと夜もくれ、納屋の窓からは月が見えている。オーウェンとザジは身を寄せ合い、毛布をかぶって冷めやらない興奮を会話で共有していた。

「帰ってこれてよかったね。カーラも生きてるって伝えられたし……」
「カーラのだんな様はもういないから、カーラはこっちで暮らしたほうがいいかも」
「ちび達が大きくなったらぼくが責任もって届けるよ」
「責任取るべきはオーウェン様じゃないのに……」
「なんだい? ご不満?」
「いーえ? そういうとこも好きです」
「んぐ……」

 オーウェンはいつもザジにどぎまぎさせられっぱなしだ。初めて会った時からそうだった。正式に夫婦になってもこうやってどぎまぎしてるんだから、この先もずっとそうなんだろうなとなんとなく思った。

「ビビアナ、アカチャン産んでた……」
「ん?」
「いいなー、アカチャン」
「あ? アンタ、赤ん坊産みたいのかい」
「うんまあ、いつかは好きな人のアカチャン産むもんだと思ってたから」
「ふーん……。別に何が何でも産まなきゃいけないモンでもないとは思うけどね。ぼくのかあさん、ぼくを産んだら急速に老けて死んだし」
「オーウェン様のお母さんも好きな人のアカチャン産みたいタイプの人だったんですよ。だからオーウェン様が産まれたの」
「そうかね」
「そうですって、きっと」
「へえ……」

(アタシは長く生きられないとわかっててもアンタに会いたかったんだよ。アタシが勝手に産みたくてアンタを産んだんだから、アンタはアタシのことは忘れていい)
(アンタが自分の意思で始めたことはね、アンタが納得するまではちゃあんとやるもんだよ)

 オーウェンは生前の母の言葉をにわかに思い出す。

「あの……さあ」
「……なんですか?」
「一応確認しときたいんだけども」
「はい」
「その赤ん坊ってのはさ。その。ぼくがオヤジでいいんだよね?」
「ん?」
「んっ!?」
「はっ!?」
「へっ!???」
「きゃ、きゃああああ……???」
「う、うわああああああ……っ」

 ザジは今耳にした言葉の、オーウェンは自分が口にした言葉の大きさにとまどい、淡い月明かりの下でもわかるくらいに真っ赤になった。
 オーウェンは無言のまま、ザジのやさしい肩を大きな両手でがっしり掴む。そして、驚きにわななくザジの唇を、への字口の幸薄そうな唇で塞いだ。

「んむ……、ふっ……んんう……」
「んっ、んっ、ふっ……」

 お互いの舌を奪い合い、求め合い、息ができなくなるころに糸を引きながら二人の唇は離れた。

「はあ、はあ……、お、オーウェン様。ここ、そんなにおうちから離れてないからっ……ぱ、パパとママが、起きちゃうかも……」
「し……知ったことか! ぼ、ぼくたちは、もうみんなの前で婚姻してるんだぞっ!!!」

 納屋の床に敷かれた敷布の上で、オーウェンはザジに覆いかぶさった。
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