推しが義兄でした〜身バレしたら溺愛が止まりません〜

透弥

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第1章

私はただの、妹だから

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「……あれ?もしかして、蓮じゃない?」

 突然届いた声に、2人して振り返る。その先には、長い髪を緩く巻いた女の人が立っていた。すらりと伸びた手足に、ぴたりとフィットする黒のワンピース。ヒールを履いた足元も軽やかで、その姿はまるで雑誌から抜け出してきたかのようだ。
 
「舞……?」

 蓮兄が、少し驚いたようにその名を呼ぶ。初めて聞く名前だった。でも──。この人どこかで見た事があるような。記憶を辿るけれど、答えはでなかった。
 それよりも蓮兄の表情が気になって、胸の奥がふっと冷えた気がした。

「日本に帰ってたの?なんだ、言ってくれればよかったのに、蓮」

 彼女は迷いなく近づいてきて、すっと蓮兄の腕に触れる。その仕草が自然で、見慣れたような手つきだった。私はその隣で、完全に固まっていた。
 どういう関係?恋人?元カノ?頭の中で言葉がぐるぐる回るけれど、喉の奥でそれらの言葉をぐっと押し込める。

「あ、ごめんなさい。……そちらは?」

 彼女が私に気づき、にっこりと微笑む。その笑みは穏やかだったけれど、“値踏み”のような視線が混じっていた。

「……妹だ」
「こんにちは。咲です」

 蓮兄がそう言ったのに、私はなぜかほっとするよりも、胸の奥がちくん傷んだ。

「え、妹さん?あなたがあの。やっぱりかわいい。彼女さんかと思っちゃった」

 あの、ってなんだろう。思わず顔が歪む。
 やんわりとした口調の中に、どこか私を試すような響きがあった。私の全部を一瞬で見抜いたような目をしていた。

「舞、つれが探してるみたいだぞ」
「あ、いけない」

 舞さんは軽く髪を払って、蓮兄の顔を覗き込むようにして言った。

「また連絡していい?話したいこと、あるの」
「ああ……。分かった」
「よかった。……じゃあ、またね。咲さんも」

 くるりと踵を返して歩き去っていく。香水の甘い香りだけが、その場にふんわりと残っていた。

「……舞さん、綺麗な人だね」

 そう言った自分の声が、少しだけ上擦っている気がして、自分で嫌になった。どういう関係なの、と聞いてしまおうか悩む前に、蓮兄が答えた。

「……昔の、ただの知り合いだ」

 それだけ。何も知らない私には、それだけで十分だった。
 何を話したくて連絡をとるのか、なぜ蓮兄のことをあんな風に見つめていたのか。
考え出すと、胸の中がそわそわとして落ち着かない。

「咲?」
「……ん、ううん。なんでもないよ」

 大丈夫。私は“妹”なんだから。
 でも、胸の奥に沈んだ小石は、しばらく波紋を広げ続けていた。

 ***

 帰りの車の中は、珍しく音楽もかかっていなかった。
 蓮兄は黙ってハンドルを握っていて。私は助手席で夜景を眺めていた。今日は疲れてしまったので、夕食はお惣菜を買った。でもお昼たくさん食べちゃったから、正直食べる気しないな、なんて思う。
 「ケーキも買うか?」って聞かれたから、「太っちゃうからいい」って答えた。なんだか本当に、胸がいっぱいいっぱいだった。
 
 ── え、妹さん?あなたがあの。

 舞さんのあの言葉が妙に引っかかっていた。蓮兄、私の事他の人に話してたんだ。でもどんな風に言ってたんだろう。YUNOとして配信しているのも、そうだけれど。
 私は蓮兄の事、知らない事でいっぱいだ。

 今日はもう、情緒がジェットコースターみたいだった。勝手に浮かれて、悩んで、傷ついて。一体私は何をやっているのだろう。
 
「咲」

 名を呼ばれて、びくっとする。

「今日は……楽しかったか?」

 静かな声だった。普段の蓮兄と変わらないはずなのに、なぜか胸が詰まりそうになる。

「……うん。すごく楽しかった。ありがとう、蓮兄ちゃん」

 半分本当で、半分嘘。
 蓮兄は柔らかい微笑みを浮かべていた。

「お兄ちゃんの誕生日は私が奢るね」
「別にそんなのはいい」
「プレゼントだって好きなの選んでもらうんだから。今から何欲しいか考えててね」
「……あぁ。分かった」

 この時が終わるのが嫌で。同時に。早く終わって欲しかった。

 ***

 夜、ベッドに寝転んで、ぼうっと天井を見上げていた。手に握っていたネックレスを、つまんで揺らす。オパールが切な気に輝いて見えた。
 スマホでYUNOのアーカイブを聴く。確かこの回だ。

『月の光は、誰かの孤独をそっと照らしてくれる。君の夜も、静かで、あたたかくありますように』

 それだけのセリフに、涙が溢れた。
 だって、この声は、蓮兄ちゃんだから──。

 嬉しかった。楽しかった。幸せだった。
 ネックレスをかけてくれた時も。
 「綺麗だ」って言ってくれた事も。
 本当に、なんで気づいちゃったんだろう。今までずっと気づかないふりしてきたのに。

 だけれど──。今日でこの気持ちはおしまい。
 私は、蓮に恋なんてしちゃだめだ。
 お母さんが、やっと手にした幸せを壊すなんて、絶対に許されない。それに彼には舞さんみたいな人が似合う。
 
 私はただの、妹だから。

 ***

「おはよー!」
「……おはよう」

 鮭をグリルに入れながら、元気よく挨拶をする。すると蓮兄は驚いた顔をしていた。

「今日、当番俺だろ」
「そうだけど。昨日のお礼。それにいつもより早く目が覚めちゃったから」

 笑ってごまかすように言うと、蓮兄はじっと私を見た。無表情。だけど、なんとなく言いたいことを飲み込んでるような顔だった。

「そうか。……なら、お願いする」
「うん!」

 いつものように、静かに言ってコーヒーメーカーのスイッチを押す。キッチンにポコポコと抽出音が響く。蓮兄はシンクの前の立って洗い物をし始めた。

「あ、ありがとう」
「あぁ。咲」
「ん?なに?」
「……昨日のネックレス、気に入ったか?」

 視線はシンクに向けられたままで、ぼそっと言われた。

「え、あ、うん。すっごく!ありがとう」
「……つけてないんだな」

 いつもより低い声だった。なぜだか喉の奥がぎゅっと締め付けられる。

「うん。大切な物だから。無くしたりしたら嫌だし。ここ1番の、デートの時とかにつけて行くよ」

 言っていて空々しかった。1番好きな相手が横にいるのに。他の人とデートだなんて。でも勘違いしちゃいけないから。こう答えるのが、正解だろう。
 すると蓮兄の手が、一瞬止まったのが分かった。

「……デート、ね。……そうか」

 ぽつりと、低く呟く。その声には、いつもの静けさではない皮肉めいた色があった。唇の端が微かに上がっている。

「あ、そんな相手いないくせに、って思ったでしょ」
「……いいや。咲」

 洗い物を終えて手を拭くと、彼はこちらに手を差し出してきた。

「スマホ、ちょっと貸してくれないか」
「スマホ?」
「昨日、中華料理屋で置き忘れただろう?」
「あ、うん。あの時は焦っちゃってごめんね」

 昨日のランチの際、テーブルに置きっぱなしにしてしまい。お店を出てしばらくして気づいたから、すぐ戻って取りに行った。

「俺のスマホ新しくしたから。データー引き継いだけど、アプリの設定昔とそのままか確認したい」
「え?……あぁ」

 18歳の時、携帯の機種変をする際、OSを蓮兄と同じにした。その時設定がいまいちわからなかったから、全部蓮兄に最初やってもらった気がする。その際、互いの携帯を探すアプリの連結も行っていた。
 車にスマホを置き忘れた時に、1回使ってもらっただけで。今そのアプリが入ってるのかさえも分からない。
 パスコードを入れて、携帯を蓮兄に手渡す。なんか変なアプリとかは入れてないけれど。ちょっと気恥ずかしかった。

「どうぞ」
「あぁ。……今再連携した。これでもう無くしても焦らないな」
「うん、ありがとう」

 スマホを受け取って、アプリの画面を眺める。
 
「位置情報、切らないようにな」
「あ……うん」

 彼は柔らかく微笑んで顔を傾けた。思わず、その顔に見惚れてしまう。

「お互い、何かあったときすぐ探せるようにしといた方がいい」

 それは至極当然の事で。でも胸の中にふっと広がった違和感を拭いきれなかった。
 
「……分かった。気をつけるね」

 目を細めて、じっとこちらを見られた。なんだか圧を感じて、グリルの中の鮭を覗き込む。

 そっか、今まで全然意識してなかったけど。これお互いの位置が、いつでも分かるってことなんだ。じゃぁ蓮兄の帰り遅い時とか、今どこら辺か分かるのか。あ、でも。
 その位置が万が一ホテルだったりしたら──。やめよう。探して欲しいって言われた時だけ使おう。

 ***

「……どこもやっぱり高いな」

 ため息混じりに呟いた声が、自分でも驚くほど疲れていた。
 仕事の昼休み、食堂の片隅でひとり、スマホをスクロールする。「物件探し」は、ここ最近の昼休みの習慣になりつつあった。
 セキュリティが甘いと不安だし、浴室乾燥機がないと雨の日は洗濯物が大変。駅から遠いと通勤が地獄。
 けれど、希望をひとつ増やすごとに、家賃は跳ね上がっていく。今の自分の給料で、これを1人で払えるのか。いや、払えない。それはもう、とっくに分かっていることだった。
 
 当たり前な話。今の環境ってすごく恵まれている。
 
 思わず机に突っ伏す。あの家を出なきゃいけない、って思ってるくせに。なのに、現実を突きつけられると、足がすくむ。きっと、まだ覚悟ができていない。自分でもあまちゃんだなって思う。
 不意にちょっと視界が歪んだ気がした。この頃、寒暖差も激しいから、体、疲れちゃってるのかな。

「あれ、お疲れ気味?咲さん」

 そのとき、不意に誰かに覗き込まれた。顔を上げると、そこにはトレイを持った川村圭吾君がいた。

「あ、圭吾君。今から休憩?」
「うん、業務押しちゃって。……隣いいかな?」
「うん、どうぞ」

 気遣うような声色とともに、彼はにこりと笑って私の隣に腰を下ろした。今思っても、あの高校時代の“川村君”と同一人物なのが信じがたい。ダイエットも含めて相当努力したんだろうな。

「何か悩み事?」
「え?あぁ。ちょっと部屋探してて」

 スマホの画面を伏せながら、苦笑いを浮かべる。すると圭吾くんが、なぜか納得したように頷いた。
 
「あぁ、今実家暮らしだっけ」

 あれ、圭吾君にそんなこと話したっけ──。少し違和感を覚えつつも、会話を続けた。

「1人暮らししたいって思ってるんだね」
「うん。今両親転勤でお兄ちゃんと2人暮らしなんだけどね。色々甘えちゃうから、自立しないとなって思って」
「お兄さんと、……2人?」

 その瞬間、圭吾くんの表情がかすかに変わる。口元が少し歪んで、目の奥が曇ったような気がした。
 
「うん。ずっと海外に住んでたんだけど。3月に帰国したの」
「……へー。咲さん初めての部屋探しでしょう?僕でよければ、助けになるよ」
「うん?ありがとう」

 すぐ爽やかに微笑んだ彼に、私は少し安心して笑い返した。見目の良さと愛嬌で、彼はすでに社内でも女性社員からの注目を集めている存在だった。私に対しても、いつもまっすぐで。いい人だなと感じていた。

「早速だけど。明日の夜とかどう?」
「……明日?」

 彼の言葉に、一瞬、胸がざわついた。
 明日は、金曜日。YUNOの配信がある日だ。
 週に1度の癒しの時間。ここ1年、どんなに忙しくても耳を傾けてきた。
 けれど、いまは──。あの声の主が誰なのか、知ってしまっている。
 もう、素直に聴けない。
 聴くたびに、心が軋む。苦しくなる。

「うん。お願いしようかな」

 明るく答えたけれども、少し声が震えてしまっていた。
 だけど、それでも前に進まなきゃと思った。
 
「本当?あは、よかった。近くに美味しい居酒屋見つけたんだ。ちょっと隠れ家的で雰囲気もいいから、気に入ってもらえると思う」
「うん、じゃぁそこで」

 私は笑って頷いたけれど、心のどこかに小さな棘が刺さっていた。
 明日、YUNOの声を聞かないことが、何かを終わらせる一歩になるなら。これは正解だ。

 そう、思いたかった。
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