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 奈美の隣に腰を下ろした。
 ――えーっと? 呪い?
「あー、奈美は野球部に呪いをかけた……と?」
「そうよ」
「どんな呪いなんだ?」
「……黒森高校が早く負けますように」
「なんでそんなことを……」
「文人が投げてないのに、力がないのに、汚い手ばかり使って勝ち上がって、そんなの許せなかった! あんなの野球じゃない!」
 愚問だった。
「それが奈美の考えだったな……」
 噴水が日の光にまばゆく輝いていた。薄着の子どもたちが、その下できゃっきゃっと興じ合っている。
 深夜の神社で、セーラー服の奈美が藁人形に五寸釘を打ち込んでいる……みたいな光景が浮かんだ。その絵が似合う女だ。奈美ならやりかねない。これが何もなければ、バカらしいと笑ってすませるところだが、極端なイレギュラーとか鳩とか、それから「魔が差した」っていうぼや騒ぎ――そういえば奈美の脅迫状だって「魔が差した」んだ――そんなのを考えると、さすがに無視できない。呪いのせいだと言われたら、そうかもと思ってしまう。それだけのことが起こっている。
「たしかに俺は投げてないけど、サボってるわけじゃないぜ? 故障とチーム事情のためだ。それにみんな一生懸命に練習してる。それはわかるよな?」
「うん。だから……あやまる。ごめんなさい」
「いや、あやまられてもな……とにかく俺は、明日勝てればそれでいい。もし負けるにしたって、敗因が『ボールが鳩にぶつかったせい』とかは勘弁してほしい」
 奈美はうつむいて黙ってしまった。
「何かやり方はないのかな? 呪いを取り消すような。たとえば、藁人形から五寸釘を引っこ抜くみたいな……」
「は? 私、藁人形なんて使ってないわよ」
「藁人形はたとえば……って話だけどさ。奈美はいったいどうやって呪ったんだよ」
 奈美はようやく顔を上げた。表情は、やっぱり前髪のせいでわからんが。
「人に頼んだの」
「誰に」
「占い師の人。……おとといの夜、そこの商店街を歩いていたら、背がすごく高くて黒い服をきた女の人がティッシュを配っていたの。『占いします! 初回限定無料!』って書いてあった」
「なんて怪しげな……」
「誰にも相手にされてなかったわ」
「だろうね」
「私、ちょっと可哀想に思って話しかけたら、すごく喜んでくれて……。呪いはできますかって聞いたら、できるって言うから」
「おおう……」
 それは占い師じゃなくて魔女ではないのか。
「それで、黒森高校の野球部を呪ってくれって、頼んだの」
「引き受けたのか」
「ええ……。まさかこんなことになるって、私想像してなくて。だってタダだし……ほんの軽い気持ちで……」
「まあ、そうだろうな」
 たしかに、そんなの信じろという方が無理がある。
 俺は空を見上げた。
 うーん。空の色が濃い。良く晴れた空に白い入道雲がくっきりと輝く。
「呪いの効果は、翌日……つまり昨日ね……から下級霊が集まりだすことで徐々にあらわれて、集まった下級霊がより強い高級霊を呼び出すことによって、三日目……つまり明日、呪いの効果はピークを迎えるのだそうよ」
「最悪じゃねえか……」
 あの鳩や脅迫状が下級霊の仕業だっていうなら、高級霊とやらが何をやるかなんて、想像したくもない。しかも決勝の舞台でだ。
「あのさ、その人に会って話をできないかな? なんとか呪いを取り消してほしいんだ」
「そうね。会うことはできると思う」
 奈美はリュックサックをごそごそと探して、ポケットティッシュを取り出した。
 よくある広告の入ったティッシュだ。
 黒地にピンクの丸文字で『トキコの占いの館・占いします! 初回限定無料!』とある。アクセントに黄色の☆印がいくつか……。うさんくささと安っぽさしかただよっていない。
 トキコさんとやらはセルフ・プロデュース力を磨いた方がいい。自分を安売りするにもほどがある。呪いの実力は俺が保証する。
「占いの館ねえ……。住所は……って、これ、すぐ近くじゃん!」
「本当だわ。気づかなかった」
「行ってみよう。来てくれるな?」
「行くわよ。もちろん」
 その言葉に、俺はほっとした。
                
 住所をスマホで調べると、あーあの辺かという感じ。
 俺と奈美は「トキコの占いの館」目指して歩き出した。橋を渡り、商店街を通り抜け、その向こうにある山並みの麓が目的地だ。山間の町だから山と山の間隔が狭い。さすがに二人で歩いているところをみんなに見られてはまずいので、グラウンド近辺は避けて歩くと少し遠まわりになるが、それでも歩いて15分くらい。
 まずは住宅地を縫うように歩く。
 古い家並みが続いた。
「あなた、練習をほっぽり出してるけど、大丈夫なの?」
「ここんとこ相手チームの偵察とか分析ばっかで、練習には直接関わってないからね。俺がいなくても、みんな何とも思わないよ。決勝戦の分析はもう終わってるから、今日はグラウンドにいたけど」
 決勝の先のことはさすがにまだ考えられない。完全に未知の領域だ。
「練習したくならない?」
「なる」
 めちゃくちゃなる。こっそり練習はしてるけど、あまり時間はとれない。
「まあ、でもこれはこれで面白いんだ。向いてるんだろうね」
「嘆かわしいわね」
「なんでだよ」
「文人のピッチングが見られないわ」
「もし投げたら応援してくれた?」
「……当然よ」
 うつむいたまま、奈美は言った。日に輝く黒髪がさらさらと揺れる。
 なんか、すげえ照れる。
 ゴホン。ひとつ咳払い。
 住宅地を抜けて川沿いの細い道に出た。10メートルほどある高い堤防の下に、水量が少ない川の流れがあった。晴天続きで、河原の石ころが白っぽく光っている。たまには夕立があると過ごしやすいんだけどね。
「奈美はさ、ずいぶん練習とか試合とか見てるみたいだけど、何をやってるの?」
「見ちゃいけないの?」
 常に攻撃的なスタンスだなあ。
「そうは言ってない。野球を見るのが好きなの?」
「うーん。なんて言ったらいいのかしら。もともと高校野球が好きなのよ。でも、ここまではまったのは、一年の夏に県大会の初戦に全校で応援に行ったときからね。あれもいいチームだった」
 そうだ、その試合は俺がリリーフして勝ったんだ。
「ああ、二年生主体だったけど、ベスト8まで行ったな」
「あれから、練習試合も含めて毎試合、できるだけ見てるわ。練習だってよく見てる」
「だったら、俺、気づきそうなものだけどな……」
「私、すごく影が薄いのよ。喫茶店とか入っても、しょっちゅう店員さんに声をかけられないで放置されるもの。今日は、気づかれてびっくりしちゃった」
 まあ、たしかに地味な娘ではある。
「今日は呪いのせいで目立ったのかな? 人を呪わば穴二つとか……」
「知らないわよ」
 少し大きな通りに出て、橋を渡った。黒森高校の生徒の半分くらいはこの橋を渡って通学する。俺もそうだ。
「で、去年のチームはどう思った?」 
「良かったわ。その前の主力が三年生になって、身体も大きくなって、文人がエースになって。みんなの個性が輝いて。甲子園で見てみたかったわね。結局、投手の層が薄かったってことなんでしょうけど」
「まあね。――ところで、奈美にとってのいい野球って、どんななの?」
「うーん。やっぱり、選手一人一人が試合で輝くような野球……かしら。今年の黒森とは正反対」
「だよねえ……」
 商店街の通りを越して、さらに歩く。行く手に山並みが見える。
「だけどさ、甲子園見てたら、全国から優秀な選手が集まるような強豪高に、タレントもいない公立校が善戦したり勝ったりするわけじゃん。バントとかエンドランとかの小技を駆使して……。ベンチの指揮で選手がそれぞれに自分の役割を果たして、大きな敵を倒すんだ。そういうのって痛快じゃない?」
「それはわかるわよ。でも、極端なのは好きじゃない。そういう公立校の選手だって、試合で当てて転がして相手のエラーに期待しようと練習してきたわけじゃない。いい当たりをかっ飛ばしたくて、きつい練習をこなしてきたと思うのよ」
「あー、なるほどね」
 ごもっとも。言いたいことはわかるよ。
 もともとは今のチームだって、それまでと同じく選手個々の能力を活かそうとしていた。でも、秋は初戦敗退。練習試合だって負けてばっかり。そもそも選手たちの能力が、そろいもそろって並以下なんだ。普通にやって勝てるわけがない。
 それで監督はみんなの前で言ったんだ。おまえら、勝ちたいか……と。
 みんなは強く頷いた。
 すると監督は――じゃあ、おまえらの一年間を俺と文人に預けてくれ……。
 自分の名前が出てきたのには驚いたが、監督はこの方面の俺の能力を評価していたのだろう。だから、俺はチームの勝敗に関して責任を感じている。今は選手を駒としてしか考えない。常に勝つための最善手を打ちたいからだ。そして現場で指揮を執る監督もまた、勝ちに徹した冷徹な采配をふるってきた。
「……ところで奈美はさ、野球の経験があるの?」
 すると奈美は、こちらを見た。
 その鬱陶しい前髪を上げたらどんな感じなんだろう?
「……ないわ。どうして?」
 すぐに目を逸らしてしまう。
「奈美は、選手目線で野球を見てるんじゃないかなって思って……」
「……さあ、よく分からないわ……。ねえ、この辺じゃないかしら?」
「ん、そうだな」
 商店街の裏通りで、行き交う車のわりに歩行者が少ない。占いの館というと、こういうあまり人目につかない立地が向いているのかもしれない。
 しかし……どこだ?
 たしかにこのへんのはずだが。かといって、見たことのある建物ばかり……。
 あ、三角型の立て看板が倒れてる。俺はその看板を立て直し……。
「これだ」
 黒地にピンクの文字で『トキコの占いの館・占いします! 初回限定無料!』とあった。ティッシュペーパーと同じ意匠。うさんくさくて安っぽい。
「でも……なにこれ、土蔵?」
「昔ながらの蔵だな」
 この区画は昔の建物が多く残っている。白い壁に瓦葺き。地面付近はまるでお城のような石垣だった。純和風。――と思いきや、扉の両わきにランタンふうの照明が取り付けられていて、それなりに洋風レトロっぽく仕上げてある。
 ただ、金庫のように重そうな観音扉が、来る者を拒んでいるみたいだ。
「開くのかな……これ」
 取っ手はひんやりとしていた。おそるおそる両手で引くと、キィっとかすかに音を立て、意外と軽い手応えで開いた。
 カランコロンと鐘の音が響いた。
 なかから、ぼっと風が吹き寄せて、思わず目をつぶった。
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