魔界沼の怪魚

瀬能アキラ

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解体工事着工

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 9月25日に工事は着工となった。その二日前から、私と谷本は西洋村に入った。二人は村内の民宿を借り、工事終了まで過ごすことになる。
 23日の午前、二人は現場に到着した。この日は前回の下見の時とは違い、好天に恵まれている。九月の下旬だというのに、昼間の猛暑は連日続いていた。これも温暖化現象なのか。
 まずは谷本とともに、現場付近に工事看板を設置した。この作業だけで汗だくとなった。
 午後からは、唯一の民家に挨拶のため足を向けた。現場からは離れた場所にあるため、特別な問題はないのだが、工事車両の運行経路沿いに位置していた。騒音の苦情が出ると面倒なので、事前に断っておくことにした。
 道沿いに車を止め、私と谷本は民家に歩を向けた。二軒のうち、一軒は空家となっている。片方の一軒は大きな平屋建ての民家で、裏にはみかん畑が広がっていた。敷地内には黄色いプラスチックカゴや農機具の姿があった。みかん農家なのだろう。
 谷本が声をかけると、六十過ぎの男性が姿を見せた。小柄な人の良さそうな感じである。
 工事の詳細について、谷本が説明を行なった。
 「工事業者の方でしたか。わざわざ、ご丁寧にありがとうございます。変な噂や自殺者が出たりと・・・ それを見ようと車でやってくる者もいたし・・・ それも夜中にね」
 男性は、うんざりといった表情である。
 「こちらでは、もう長いこと住まわれているのですか?」
 私は、軽く尋ねてみた。
 「うちは、ずっとミカン農家でね。あのホテルが建設される以前からいたんです」
 「ホテルが建つ前は、この辺はどういう状態でしたか?」
 「何もない山の中でしたよ。目の前の道も、もう少し細くて、ここから向こうは舗装もされていなかった」
 「ホテル周辺は、どうなっていましたか?」
 「うっそうとした雑木林に囲まれ、広い沼沢地となっていましたね。真貝沼と草周湖があったな。最近は知らんが、昔は大きな野ゴイやソウギョがいたよ」
 「ソウギョ?」
 口を挟んだのは谷本である。
 「若い兄さんは、ソウギョを知らんのか。草に魚と書いて、草魚というのだよ」
 「私は知ってますよ。草食魚ですね」
 私は知っていた。直接は釣ったことはないが、高知市近辺の大きな川にも、生息しているらしい。
 「若い頃、あの辺で、よく釣りをしたことがあった。草魚はメートル級の大物が釣れたんだ。今は知らんがね。あのホテルが建ってからは、向こう側の沼沢地には行く機会がなくなった・・・ あの頃はね・・・」
 昔を思い出したかのように、男性の回想は語られた。釣り好きな自分にとり、興味のある話であった。メートル級の草魚か。体調不良でアカメ釣りをキャンセルしてしまった分、巻田と草魚釣りにチャレンジしてみるか。
 「矢浦さん、駄目ですよ。仕事が第一ですから。さっきの話の草魚を狙っているのでしょう」
 男性との話しを終え、車内に戻った私に、谷本が言うのであった。
 「何故、分かる?」
 「釣りのことを考えている矢浦さんの表情は、にやついていますから」
 谷本に言われてしまった。そうだったのだろう。

 翌24日、この日は朝から安全祈願祭を行なう予定である。いわく付きの物件であるだけに、工事中の事故や災害が発生しないように土地の神様をお祀りする式なのだ。うちの田岡建設からは笠原部長がくる。坂本工業からは巻田が代表で一足早くくることになっていた。参加者は地元の宮司様も含め五人。
 出席者は予定通り集まり、安全祈願祭は行なわれた。出席者といっても五人だけである。
 「安全第一で頼むぞ! 矢浦、後は任せたぞ」
 祈願祭が終了すると、笠原部長は高知市に向け、運転してきた車で帰って行った。
 現場に残っているのは私と谷本、巻田の三人だけとなった。祈願祭の後片づけを終えると、この日の午後からは、工事に使用される解体用大型重機、必要な資材などが現場内に搬入される。プレハブの現場事務所、作業員らの休憩所なども設置予定であった。
 祈願祭の後片づけを終え、私は巻田に例の草魚について語った。
 「草魚か、おもしろそうじゃないか・・・」
 巻田は興味を示し、釣り魂に火がつきそうであった。
 「午後までには、まだ時間がある。どうだ、少し様子を見に行ってみるか?」
 沼の方に視線を向けていた巻田に、私は言った。彼は頷いた。
 ホテルの敷地の北側から、真貝沼やボート乗り場のある草周湖へ降りていく道があるのだが、雑草が水辺まではびこって、容易に近づけなかった。大きい物は人の背丈程もあり、それでも私と巻田は雑草をかき分け、正面側に面する真貝沼に向かう。
 後ろを振り返ってみると、谷本も必死についてきていた。この雑草らがなく、歩道がしっかりと整備されていたなら、東側の草周湖のボート乗り場までつながっているはずであった。
 「谷本君、大丈夫か?」
 巻田も心配になったのか、谷本に振り返って言った。
 「自分は大丈夫ですよ」
 暑い日差しの中、谷本も汗だくとなっていた。それ以外にも蚊や、小さい虫が飛んでくるのである。
 「おい、矢浦! 駄目だ!」
 少し進んだ頃、先頭を行く巻田が突然、叫ぶように言った。
 「どうした?」
 私は問い、谷本とともに足を止める。
 「何かあったのですか?」
 谷本も気になり、巻田に尋ねた。
 「この向こうの木の枝に、蜂の巣を発見した。でかいぞ! 大きなスイカ程もある。スズメ蜂だな。周囲をブンブン飛び回っている。これ以上近づくと、俺達に飛びかかってくるぞ!」
 巻田からの危険な知らせであった。スズメ蜂、厄介なものである。三人が襲われ、刺されでもしたら、明日からの本格的な工事はどうなってしまう。
 「よし! 引き返そう! 危険だ!」
 私は巻田を促し、草魚の偵察を中止して建物の敷地内へと戻ることにした。
 「仮設道を作る時に俺が重機で、さっきの蜂の巣は壊してやるからな」
 建物の前まで戻ると、巻田が自信気に言った。
 「相手は狂暴なスズメ蜂ですよ。刺されたら大変です」
 谷本が言った。
 「重機のキャビンは窓やドアを開けなければ大丈夫だからな」
 重機乗りのプロでもある巻田であった。スズメ蜂の退治は、彼に任せてみよう。
 午後から予定通り、重機の搬入やプレハブの設置などが行なわれ、いよいよ明日からの本格的な解体工事に向けて準備は整った。
 私と谷本は西洋村の津元に宿舎となる民宿を利用するが、巻田ら坂本工業のメンバーらは、室戸市内の民宿を利用することになっていた。室戸からだと現場まで車で約三十分の距離。西洋村に、適当な宿が見つからなかったそうだ。

 現場の準備作業を終え、私は一人、室戸の街へ買い出しに向かった。谷本は一足先に津元の宿舎に帰り、私は途中まで巻田と一緒であったが別れた。各自、それぞれ行動ができるように、別々の車できていた。
 室戸のショッピングセンターで、宿舎で必要となる日用雑貨などを買って、車を止めていた駐車場に戻った。日も沈みかけ、昼間の猛暑も感じない。季節は秋へと向かっているようだった。
 「矢浦じゃないか? 矢浦だろう?」
 車まで戻った時、私の名を呼ぶ声が背後から聞こえた。聞き覚えのある男の声であった。
 振り返ると、声の主はじっと立って、こちらを見ていた。日が沈もうとしていたが、駐車場の外灯が男の顔を照らしている。
 「よう! 相崎じゃないか!」
 私の目の前の男は、相崎次良。自分とは高知市内の小学校から中学、高校と同級で幼馴染でもあった。自分は作業服に身をつつみ、建設業界で働いているが、彼は警察官への道を歩み、現在は高知署の刑事のはずである。背広姿は私なんかより、ずっと貫禄があった。
 「こっちには事件の捜査できたのか?」
 相崎の角ばった顔の笑みに、私は優しく尋ねた。彼とは一年振りに顔を合わせた。
 「元気そうだな。俺は高知署から室戸署に移動となってな・・・」
 相崎は、高知署から室戸署へ移動となった経緯を簡単に語った。
 二人にとって久し振りの顔合わせでもあり、積もる話もありそうなので、場所を移すことにした。相崎の行きつけのレストランが、この近くにあるという。
 「それより、室戸に現場があるのか?」
 レストランの席につき、注文したセットメニューを前にして、相崎が口を開いた。
 「室戸ではないが、西洋村なんだ」
 「高知市からだと、随分遠いな」
 「西洋村で泊まり込みだ。現場が終わるまで民宿を借りている」
 「そうだったのか。それで、どんな工事をやっているのだ?」
 「驚くな! 解体工事だ」
 「解体工事だからといって驚きはしないが、建設会社なら、解体工事もやるだろう」
 「いわく付きの物件なんだ。お前も知っているだろう。西洋村の幽霊ホテル、パシフィックホテルだよ」
 「なに! 本当か?」
 相崎は、驚いた様子を見せた。彼も知っているようだった。私は頷いた。
 「室戸にいるから情報は知っていた。近々、あのホテルが取壊されるとな。しかし、お前の田岡建設が請負って、しかも、お前がその工事の責任者だとわな・・・」
 相崎は、そう言いながら、目の前の中華料理を一口、口に運んだ。
 「いろんな噂が流れているようだが、本当なのか? 警察の人間だったら、何か知っているだろう」
 「噂は噂だよ」
 相崎は苦笑しながら答える。
 「自殺者や、ホテル付近の沼沢地では人も死んでいるそうじゃないか。警察の調べではどうなんだ? 西洋村の管轄は室戸署だろう」
 私は彼が立場上、何か知っているのではないかと感じた。
 「もう何年も前から、そういったことが起きている。あのホテルの建物内で、中年男性が借金苦で首を吊って自殺し、二十代の女性も建物内で手首を切って自殺している。更に敷地内の駐車場に車を止め、車内で男女のカップルが睡眠薬を飲んで死んでいた。それと近くの沼沢地の真貝沼で三年前、少女が水死体で発見され、二年前には同じく男性が死体で発見されている」
 「異状だと思わないか。山の中のあんな場所で、立て続けに人が死んでいるのだぞ。幽霊だの心霊スポットだのと噂はあっても、実際に人が亡くなっているのだからな」
 「確かに異状だな」
 「警察では、どう見ている? お前は刑事だろう。捜査はされないのか?」
 「自殺死と事故死として処理されている。事件性はないようだぞ」
 相崎は、あっさりと言う。
 「自殺は別にして、真貝沼での少女と男性が亡くなっているのは、どいう理由からなんだ? それに工事の下見の時に、真貝沼で主人を亡くしたという女性と直接会ったぞ」
 私は、あの時のブルージーンズの女性を思い出していた。
 「その女性は、何か言っていたのか?」
 「あのホテルや沼沢地周辺には、何かありそうだと確か言っていたな・・・」
 「少女も男性も溺死で発見されていたらしい。男性はボートから沼に転落したようだな。少女は何らかの理由で、岸から沼の深みにはまったようだな」
 「男性は、ボートで何をやっていたのだろう? 隣の草周湖には、観光用のボートがまだ残っていたがな」
 草周湖にあるボート乗り場を思い出す。
 「お前の趣味と同じ釣りだよ。男性は自前のボートで釣りをしていたらしい。何らかの原因で水面に転落したのだろう」
 「子供なら分かるが、水面に落ちただけで死ぬのかな・・・」
 私は、ふと気になっていた。どのような状況で水面に転落したのだろうか。
 「だいたい日本の沼の水深は五メートル程といわれているが、あの真貝沼は水深は十メートル以上らしい。勿論、浅瀬の部分もあるだろうが、男性の死が溺死であったことは間違いない。警察では全く事件性はないとしている」
 室戸署の刑事である彼が言うのだから、間違いはないだろう。私は重く頷いた。
 「一日でも早く、あのホテルを取壊してしまえば、西洋村もすっきりするだろう。解体後は何か建設の予定でもあるのか?」
 「そんな話は全くないな。自分らは解体後、敷地内を全て更地にする予定だ。最終的には、あの辺は自然な沼沢地として残されるだろう」
 ホテルの解体現場には工事に向け、重機なども搬入されて不気味な幽霊ホテルといった雰囲気は、もう感じなくなっていた。
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