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魔界沼の怪魚
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「君らは、これからどうするつもりだね? その怪魚を狙うつもりか?」
郷田社長は、私と巻田を交互に見詰めながら、問い詰めるように言うのであった。
「勿論ですよ、郷田さん」
巻田が即座に答えた。彼の釣り魂には既に火がついており、更に激しく燃えていたようだった。私も彼に触発されたように、自分の釣り魂に火がつきはじめていたのは確かである。
「釣りは健全な趣味で、素晴らしいものであると思う。自然を相手にするのだからな。止めはしないが、気をつけるのだ。君がいうように二人の命を奪った怪魚であるなら、なおさら危険だぞ」
郷田社長は、巻田に諭すように言うのである。
「分かっています、郷田さん。自分らは二人ですからね。それに、やつの正体も分かってきていますからね」
「君は簡単に、そういうが、やつの正体など、まだ何もはっきりとしていない」
「郷田さんの言う通りだぞ。三メートルに近い巨体に大きな背びれ、獰猛な肉食魚。そんな怪魚が、本当に日本の淡水域にいるにか・・・ まだ信じられないし、分からないな」
私は、巻田に視線を向けて言った。
「それがいるんだな。あの魔界沼となった沼沢地にはな。自分らが、これからその正体を暴くのだ」
巻田は、りりしく言うが、私も頷いていた。
ここで私は、ふと気になることが浮かんだ。黒井今日子の夫は、何故あの場所へ釣りに向かったのか。一般の者には知られていないし、容易に行ける場所でもなかったはずだ。
私は目の前の二人に、言ってみた。
「黒井さんは、何故あの場所に行ったのかな? それとも、彼も知っていたのかな・・・ あの沼沢地一帯には、何か得体の知れない物が存在するって・・・」
「本人に直接きくしかないが、亡くなっているしな」
巻田が言った。
「わざわざここへ車で乗りつけて、自分のボートを出してまで行っているのだから、何らかの情報か噂は得ていたのかもしれないな」
郷田社長は、考えながら言った。
私達は、この後も真貝沼や怪魚などについて議論を重ねていた。最終的に、私と巻田は明日、怪魚を狙って探ってみることとなった。
「そろそろ、おいとまするか」
私は巻田に顔を向け、言った。
窓の外の景色は、いつの間にか日が沈みかけていた。ここにきてから時間が、あっという間に過ぎ、私達は郷田社長と気心の知れた仲となっていた。
まさかナマズの養殖場があることも知らず、おまけにナマズ料理まで、ご馳走になってしまった。この郷田水産の郷田社長も、好人物だった。
「今日は、本当に楽しかったです。郷田さんと出会えてよかったですよ」
私はソファーから腰を上げると、郷田社長に向かって言った。
「私の方も、君らと会って楽しかった」
「また何か怪魚の情報でもあれば、教えてほしいです」
巻田も郷田社長に言った。
「分かった。あ、そうだ、君らに名刺を渡しておこう」
郷田社長は、そう言いながら上着のポケットから名刺を取り出し、私と巻田に、それぞれ手渡した。郷田水産の住所や郷田社長の携帯電話の番号などが記されている。
「今から草周湖のボート乗り場に帰り着く頃には、日が暮れてしまうな」
三人が建物の外へ出た時、巻田が周囲を見回しながら言った。日が間もなく沈む頃であった。
郷田社長は、私達を見送ってくれる。既に先程の事務員の姿はない。退社したのだろう。
「これを持っていきなさい」
郷田社長は一旦事務所に戻り、私達に手渡そうとする。懐中電灯であった。
「助かりますよ、どうも」
私は礼を言って、懐中電灯を受け取った。草周湖周辺やボート乗り場には、外灯の明かりなどあるはずもない。重宝するだろう。
私と巻田は、郷田社長に礼を言って別れた。
二人は、ボートの置いてある桟橋に向かって歩いた。まだ日は沈んでおらず、懐中電灯の明かりは必要ない。
「矢浦、向こうに誰かいるぞ」
歩きはじめた頃、巻田が言うのであった。
彼の視線の先は、桟橋に向けられていた。私も目を向けてみると、桟橋のちょうど前に、白い車が止まっていた。人の姿があった。車はスポーツカータイプである。
「何をやっているのかな?」
巻田が言った。
「さあ・・・ こんな時間から釣りかな」
よく見ると、自分らと同じ男性二人組だった。
「それより、俺達の足漕ぎボートを乗っていかれたら、帰れなくなるぞ」
巻田は心配そうに言う。確かに彼の言う通りである。誰でも簡単に動かせる。
更に近づいて行くと、彼らは私達よりも若い男性二人であった。二人とも、二十代半ばぐらいだろうか。
彼らは、スポーツカーのリアハッチバックを開け、大きな水槽を取り出していた。どうも釣りではなさそうだ。
透明の水槽の中には水が入っており、どうやら数匹の魚の姿が見えた。詳しい魚種までは分からない。ナマズや鰻ではないようだ。
「魚のようだが、それらをどうする気だ?」
近づいた巻田が、若い彼らに声をかけた。
「放流ですよ、ハハハハ・・・」
片方の男が、のん気そうに笑いながら言った。もう一方の男も、私の顔を見てニヤッと笑っている。
二人組の彼らは、一緒に水槽を抱え、小走りで桟橋へ向かう。私は一瞬であったが、魚の腹の部分が赤黒く見えた。皆、同じ魚種のようで、40センチ前後の大きさだった。
二人組は桟橋まで行くと、水槽を傾けて、魚と水を水面に落としはじめた。私と巻田も、彼らの元へ向かう。
「逃がした魚は何だ?」
巻田が彼らに尋ねた。
「ピラニアですよ」
「ピラニア!」
私と巻田は同時に声を発し、思わず顔を見合わせた。信じられなかった。男は、あっけらかんと言うのである。
「何故、そんなものをこんな場所へ放すのだ! 駄目じゃないか!」
巻田は、若い彼らを注意するように言った。
「自分らの中では、マイブームが終わったのですよ」
ロン毛風の男の方が言った。
「それは君らの勝手な都合だろう。ピラニアなんて、日本には生息していない魚だぞ。そんなことぐらい、勿論分かっているだろう。自然の生態系が乱れたらどうなる!」
「大丈夫ですよ」
男らは、素知らぬ顔で言うのである。水面に放されたピラニアらは、既に何処かへと泳いでいき、もう姿はない。
「何が大丈夫なんだ!」
巻田は、更に強く男に言った。
「あなた達は、釣りはしませんか?」
ロン毛の男は言う。
「釣りか、釣りは俺達の趣味だ。それと何が関係ある?」
巻田は問い返した。
「それでしたら分かるでしょう。ブラックバスやブルーギル、雷魚、それに草魚もそうか。皆、元々は、日本にはいなかった魚達です。釣りの対象魚として人気があるじゃないですか」
「まあ、そうだが・・・」
「心配はいりません。ピラニアはアマゾン川などの熱帯地方に生息する魚ですから、日本のこんな川では生きられませんよ。すぐに死ぬでしょうね」
「無責任なことを言うな! それだったら他に飼育している人間に譲るとか、水族館や施設などに引き取ってもらう方法があるだろう」
「なかなか簡単には、引き取ってもらえませんよ」
ロン毛の男は、そう言って、相棒の男と顔を見合わせた。
巻田も、私と顔を見合わせた。もうピラニアも放してしまったことだし、どうすることもできないだろう。二人は苦笑し合うしかなかった。
ピラニアか・・・ 私は一瞬考えてしまった。鋭い歯と強靭な顎、きらめくような輝く鱗を持つ。獰猛な魚で人を襲うなどというイメージが一般的にはあるが、ピラニアを題材とした映画などの影響のせいだろう。
肉食魚の関連から、自分らが追いかけようとしている怪魚と重なったが、違った。ピラニアは、大きく成長しても50センチぐらい。魚体などからしても全く当てはまらない。
多くの愛好家の元でピラニアは飼育されている。中にはモラルのない目の前の彼らのように、自然界に放った者もいたかもしれない。だが、他の外来魚のように繁殖していないところからすると、ピラニアは日本の河川では生息できないのか。
二人組の男らは、自分らのスポーツカーの方へ戻って行く。ピラニアを放流してしまえば、もう用はないのだろう。
「どうしようもないな」
私は巻田に言った。
「いくら今、日本が温暖化しているといっても、この辺の河川では生きられないだろうな。熱帯のアマゾン川じゃないのだ」
巻田も言った。人間に飼育されたピラニアの末路のことである。
「しかし、困ったやつらだな」
私は、そう言いながら、桟橋に係留していた足漕ぎボートに向かう。
「おい、今度は何だ・・・」
巻田の声に、私は振り返った。巻田は、若い男らのスポーツカーに目を向けている。
「どうした?」
すると、先程の若い男らが、こちらに向かって歩いてきていた。ロン毛の男の方が、大きなバケツを片手に持っている。相棒の方は何も持っていないが、二人が近づくにつれ、ニヤニヤと笑みを浮かべているのが分かった。
私と巻田は顔を見合わせ、首をかしげた。
「こいつも逃がしてやろうと思って」
ロン毛の男は、私と巻田の前までくると、バケツを桟橋の上でひっくり返した。
ゴトンという鈍い音とともに、桟橋上に転がったのは、大きな亀であった。魚ではなく、今度は亀か・・・
そんな思いの中、私は郷田社長からもらっていた懐中電灯の明かりを照らした。甲羅の大きさが40センチ近くもある。一目で、日本に生息していない亀であることが分かる。周辺も薄暗くなろうとしていた。
「何だ、この亀は? でかいぞ!」
明かりに照らされた亀を覗き込むようにして、巻田は言った。
「触らないでくださいよ! 噛みつかれると大変ですよ!」
ロン毛の男は、巻田に警告するように言う。
甲羅から出た頭、そして口・・・ 見ていると、大きな口を開け、こちらを威嚇するようである。危険な外来生物だ。
ロン毛の男は、自分の履いている革靴のつま先を狂暴な亀の鼻先に近づけた。
その瞬間、つま先に噛みついた。強力な力で簡単に離そうとはしない。人間の手足に噛みつけば、噛み千切られる勢いであった。この危険な外来生物の正体は、もう既に分かっている。
「これ、カミツキガメです。知っていると思いますけど」
ロン毛の男は言った。
やはり、そうであった。時々テレビのニュースなどで話題となっている。都市部の河川で発見され、駆除されているようだ。
「これこそ危険だぞ! こんな物は、絶対に川に捨てるな! バケツに戻して、持って帰れ! いいな」
巻田は声を強め、注意する。当然であった。自分らの自然の生態系を守らなければならないのだ。
「でも、これじゃ・・・」
ロン毛の男は、噛みつかれたままのつま先を振るのだが、カミツキガメは一向に離そうとはしない。厚い革靴の先なので、直接の足は守られているようだが、どうする。
少しの間、じっとしていた。すると、カミツキガメは、ようやく口を離した。
「今だ! 早く押さえて、バケツに戻せ!」
巻田は、怒鳴りつけるように言った。
「冗談でしょう! 直接、手で押さえろなんて無理ですよ! 見たでしょう、さっきの噛みつきっぷりを! 指を食いちぎられます!」
ロン毛の男はうろたえる。
「逃がそうとする、お前らがいけないのだ。仕方がない、しかるべきところに通報するしかないな」
巻田は、そう言って、ズボンのポケットから携帯電話を取り出した。
「ま、待ってくださいよ! おい、吉田! 火ばさみか、何かないか!」
ロン毛の男は、どぎまぎとした様子で相棒の男にすがって言った。
「火ばさみなんて、あるわけないだろう」
相棒の男も周辺を見回し、何か探そうとする。
彼らは、巻田に本当に通報されると思ったらしい。必死の様子である。
「おい! 早くしろ! 逃げようとしているぞ!」
巻田は、カミツキガメの行動に気づいた。生き物である。いつまでも、じっとはしているはずがない。
「あっ! あ・・・」
「おい、おい!」
彼ら二人組は頓狂な声を上げるが、カミツキガメの逃げ足は、以外にも早く感じられた。
セカセカと桟橋から逃げるように走り、そのまま水面へダイブした。飛沫と水音を残し、カミツキガメの姿は、すぐに何処かへ消えた。
私は、懐中電灯の明かりをすぐに逃げた水面へと向けたが、もう完全に見失っていた。
「こら! 逃げてしまったじゃないか!」
巻田は、彼ら二人組を睨みつける。
「もう本当に勘弁してくださいよ・・・」
ロン毛の男は、懇願するように言う。相棒の吉田という彼の方も、頭を下げて急に低姿勢となった。罪悪感を感じはじめたのだろう。
「お前らが、この河川に放したのはピラニアにカミツキガメ・・・ 見逃すことはできないな。通報するからな」
巻田は携帯電話を手にし、操作しようとする。
「ちょっと待ってください! どちらに電話するのですか? 自分らだけじゃない、他にもやっているやつはいる!」
「だから許されないのだ。役所か警察に通報する。この時間だと、役所は動いてくれないかもしれないな。やはり警察だな。この辺の管轄だと、室戸署か」
「室戸署なら、知り合いがいる。私から連絡してみよう」
私も巻田に便乗し、言ってみた。室戸署にいる親友の相崎を思い出した。彼らを懲らしめるためである。実際には通報したりはしないが、巻田の性格も分かっている。
「君らの名前は? 君の方は、吉田と呼ばれていたね。髪の長い君の方は?」
巻田は、彼ら二人を交互に尋問するようである。
「名前までは勘弁してください、お願いしますよ・・・」
ロン毛の男は、困り果てている様子だ。
「では、二人の顔写真を撮らせてもらおうか」
「いや、もう本当に勘弁してください」
巻田が携帯電話のカメラ機能を使い、彼らの顔に向けると、彼らは必死に顔を両手で隠そうとする。
私は片肘で、巻田の腕を突っついた。もうそろそろいいだろうという意味である。
巻田は私の顔を見て、ニヤッと笑った。
郷田社長は、私と巻田を交互に見詰めながら、問い詰めるように言うのであった。
「勿論ですよ、郷田さん」
巻田が即座に答えた。彼の釣り魂には既に火がついており、更に激しく燃えていたようだった。私も彼に触発されたように、自分の釣り魂に火がつきはじめていたのは確かである。
「釣りは健全な趣味で、素晴らしいものであると思う。自然を相手にするのだからな。止めはしないが、気をつけるのだ。君がいうように二人の命を奪った怪魚であるなら、なおさら危険だぞ」
郷田社長は、巻田に諭すように言うのである。
「分かっています、郷田さん。自分らは二人ですからね。それに、やつの正体も分かってきていますからね」
「君は簡単に、そういうが、やつの正体など、まだ何もはっきりとしていない」
「郷田さんの言う通りだぞ。三メートルに近い巨体に大きな背びれ、獰猛な肉食魚。そんな怪魚が、本当に日本の淡水域にいるにか・・・ まだ信じられないし、分からないな」
私は、巻田に視線を向けて言った。
「それがいるんだな。あの魔界沼となった沼沢地にはな。自分らが、これからその正体を暴くのだ」
巻田は、りりしく言うが、私も頷いていた。
ここで私は、ふと気になることが浮かんだ。黒井今日子の夫は、何故あの場所へ釣りに向かったのか。一般の者には知られていないし、容易に行ける場所でもなかったはずだ。
私は目の前の二人に、言ってみた。
「黒井さんは、何故あの場所に行ったのかな? それとも、彼も知っていたのかな・・・ あの沼沢地一帯には、何か得体の知れない物が存在するって・・・」
「本人に直接きくしかないが、亡くなっているしな」
巻田が言った。
「わざわざここへ車で乗りつけて、自分のボートを出してまで行っているのだから、何らかの情報か噂は得ていたのかもしれないな」
郷田社長は、考えながら言った。
私達は、この後も真貝沼や怪魚などについて議論を重ねていた。最終的に、私と巻田は明日、怪魚を狙って探ってみることとなった。
「そろそろ、おいとまするか」
私は巻田に顔を向け、言った。
窓の外の景色は、いつの間にか日が沈みかけていた。ここにきてから時間が、あっという間に過ぎ、私達は郷田社長と気心の知れた仲となっていた。
まさかナマズの養殖場があることも知らず、おまけにナマズ料理まで、ご馳走になってしまった。この郷田水産の郷田社長も、好人物だった。
「今日は、本当に楽しかったです。郷田さんと出会えてよかったですよ」
私はソファーから腰を上げると、郷田社長に向かって言った。
「私の方も、君らと会って楽しかった」
「また何か怪魚の情報でもあれば、教えてほしいです」
巻田も郷田社長に言った。
「分かった。あ、そうだ、君らに名刺を渡しておこう」
郷田社長は、そう言いながら上着のポケットから名刺を取り出し、私と巻田に、それぞれ手渡した。郷田水産の住所や郷田社長の携帯電話の番号などが記されている。
「今から草周湖のボート乗り場に帰り着く頃には、日が暮れてしまうな」
三人が建物の外へ出た時、巻田が周囲を見回しながら言った。日が間もなく沈む頃であった。
郷田社長は、私達を見送ってくれる。既に先程の事務員の姿はない。退社したのだろう。
「これを持っていきなさい」
郷田社長は一旦事務所に戻り、私達に手渡そうとする。懐中電灯であった。
「助かりますよ、どうも」
私は礼を言って、懐中電灯を受け取った。草周湖周辺やボート乗り場には、外灯の明かりなどあるはずもない。重宝するだろう。
私と巻田は、郷田社長に礼を言って別れた。
二人は、ボートの置いてある桟橋に向かって歩いた。まだ日は沈んでおらず、懐中電灯の明かりは必要ない。
「矢浦、向こうに誰かいるぞ」
歩きはじめた頃、巻田が言うのであった。
彼の視線の先は、桟橋に向けられていた。私も目を向けてみると、桟橋のちょうど前に、白い車が止まっていた。人の姿があった。車はスポーツカータイプである。
「何をやっているのかな?」
巻田が言った。
「さあ・・・ こんな時間から釣りかな」
よく見ると、自分らと同じ男性二人組だった。
「それより、俺達の足漕ぎボートを乗っていかれたら、帰れなくなるぞ」
巻田は心配そうに言う。確かに彼の言う通りである。誰でも簡単に動かせる。
更に近づいて行くと、彼らは私達よりも若い男性二人であった。二人とも、二十代半ばぐらいだろうか。
彼らは、スポーツカーのリアハッチバックを開け、大きな水槽を取り出していた。どうも釣りではなさそうだ。
透明の水槽の中には水が入っており、どうやら数匹の魚の姿が見えた。詳しい魚種までは分からない。ナマズや鰻ではないようだ。
「魚のようだが、それらをどうする気だ?」
近づいた巻田が、若い彼らに声をかけた。
「放流ですよ、ハハハハ・・・」
片方の男が、のん気そうに笑いながら言った。もう一方の男も、私の顔を見てニヤッと笑っている。
二人組の彼らは、一緒に水槽を抱え、小走りで桟橋へ向かう。私は一瞬であったが、魚の腹の部分が赤黒く見えた。皆、同じ魚種のようで、40センチ前後の大きさだった。
二人組は桟橋まで行くと、水槽を傾けて、魚と水を水面に落としはじめた。私と巻田も、彼らの元へ向かう。
「逃がした魚は何だ?」
巻田が彼らに尋ねた。
「ピラニアですよ」
「ピラニア!」
私と巻田は同時に声を発し、思わず顔を見合わせた。信じられなかった。男は、あっけらかんと言うのである。
「何故、そんなものをこんな場所へ放すのだ! 駄目じゃないか!」
巻田は、若い彼らを注意するように言った。
「自分らの中では、マイブームが終わったのですよ」
ロン毛風の男の方が言った。
「それは君らの勝手な都合だろう。ピラニアなんて、日本には生息していない魚だぞ。そんなことぐらい、勿論分かっているだろう。自然の生態系が乱れたらどうなる!」
「大丈夫ですよ」
男らは、素知らぬ顔で言うのである。水面に放されたピラニアらは、既に何処かへと泳いでいき、もう姿はない。
「何が大丈夫なんだ!」
巻田は、更に強く男に言った。
「あなた達は、釣りはしませんか?」
ロン毛の男は言う。
「釣りか、釣りは俺達の趣味だ。それと何が関係ある?」
巻田は問い返した。
「それでしたら分かるでしょう。ブラックバスやブルーギル、雷魚、それに草魚もそうか。皆、元々は、日本にはいなかった魚達です。釣りの対象魚として人気があるじゃないですか」
「まあ、そうだが・・・」
「心配はいりません。ピラニアはアマゾン川などの熱帯地方に生息する魚ですから、日本のこんな川では生きられませんよ。すぐに死ぬでしょうね」
「無責任なことを言うな! それだったら他に飼育している人間に譲るとか、水族館や施設などに引き取ってもらう方法があるだろう」
「なかなか簡単には、引き取ってもらえませんよ」
ロン毛の男は、そう言って、相棒の男と顔を見合わせた。
巻田も、私と顔を見合わせた。もうピラニアも放してしまったことだし、どうすることもできないだろう。二人は苦笑し合うしかなかった。
ピラニアか・・・ 私は一瞬考えてしまった。鋭い歯と強靭な顎、きらめくような輝く鱗を持つ。獰猛な魚で人を襲うなどというイメージが一般的にはあるが、ピラニアを題材とした映画などの影響のせいだろう。
肉食魚の関連から、自分らが追いかけようとしている怪魚と重なったが、違った。ピラニアは、大きく成長しても50センチぐらい。魚体などからしても全く当てはまらない。
多くの愛好家の元でピラニアは飼育されている。中にはモラルのない目の前の彼らのように、自然界に放った者もいたかもしれない。だが、他の外来魚のように繁殖していないところからすると、ピラニアは日本の河川では生息できないのか。
二人組の男らは、自分らのスポーツカーの方へ戻って行く。ピラニアを放流してしまえば、もう用はないのだろう。
「どうしようもないな」
私は巻田に言った。
「いくら今、日本が温暖化しているといっても、この辺の河川では生きられないだろうな。熱帯のアマゾン川じゃないのだ」
巻田も言った。人間に飼育されたピラニアの末路のことである。
「しかし、困ったやつらだな」
私は、そう言いながら、桟橋に係留していた足漕ぎボートに向かう。
「おい、今度は何だ・・・」
巻田の声に、私は振り返った。巻田は、若い男らのスポーツカーに目を向けている。
「どうした?」
すると、先程の若い男らが、こちらに向かって歩いてきていた。ロン毛の男の方が、大きなバケツを片手に持っている。相棒の方は何も持っていないが、二人が近づくにつれ、ニヤニヤと笑みを浮かべているのが分かった。
私と巻田は顔を見合わせ、首をかしげた。
「こいつも逃がしてやろうと思って」
ロン毛の男は、私と巻田の前までくると、バケツを桟橋の上でひっくり返した。
ゴトンという鈍い音とともに、桟橋上に転がったのは、大きな亀であった。魚ではなく、今度は亀か・・・
そんな思いの中、私は郷田社長からもらっていた懐中電灯の明かりを照らした。甲羅の大きさが40センチ近くもある。一目で、日本に生息していない亀であることが分かる。周辺も薄暗くなろうとしていた。
「何だ、この亀は? でかいぞ!」
明かりに照らされた亀を覗き込むようにして、巻田は言った。
「触らないでくださいよ! 噛みつかれると大変ですよ!」
ロン毛の男は、巻田に警告するように言う。
甲羅から出た頭、そして口・・・ 見ていると、大きな口を開け、こちらを威嚇するようである。危険な外来生物だ。
ロン毛の男は、自分の履いている革靴のつま先を狂暴な亀の鼻先に近づけた。
その瞬間、つま先に噛みついた。強力な力で簡単に離そうとはしない。人間の手足に噛みつけば、噛み千切られる勢いであった。この危険な外来生物の正体は、もう既に分かっている。
「これ、カミツキガメです。知っていると思いますけど」
ロン毛の男は言った。
やはり、そうであった。時々テレビのニュースなどで話題となっている。都市部の河川で発見され、駆除されているようだ。
「これこそ危険だぞ! こんな物は、絶対に川に捨てるな! バケツに戻して、持って帰れ! いいな」
巻田は声を強め、注意する。当然であった。自分らの自然の生態系を守らなければならないのだ。
「でも、これじゃ・・・」
ロン毛の男は、噛みつかれたままのつま先を振るのだが、カミツキガメは一向に離そうとはしない。厚い革靴の先なので、直接の足は守られているようだが、どうする。
少しの間、じっとしていた。すると、カミツキガメは、ようやく口を離した。
「今だ! 早く押さえて、バケツに戻せ!」
巻田は、怒鳴りつけるように言った。
「冗談でしょう! 直接、手で押さえろなんて無理ですよ! 見たでしょう、さっきの噛みつきっぷりを! 指を食いちぎられます!」
ロン毛の男はうろたえる。
「逃がそうとする、お前らがいけないのだ。仕方がない、しかるべきところに通報するしかないな」
巻田は、そう言って、ズボンのポケットから携帯電話を取り出した。
「ま、待ってくださいよ! おい、吉田! 火ばさみか、何かないか!」
ロン毛の男は、どぎまぎとした様子で相棒の男にすがって言った。
「火ばさみなんて、あるわけないだろう」
相棒の男も周辺を見回し、何か探そうとする。
彼らは、巻田に本当に通報されると思ったらしい。必死の様子である。
「おい! 早くしろ! 逃げようとしているぞ!」
巻田は、カミツキガメの行動に気づいた。生き物である。いつまでも、じっとはしているはずがない。
「あっ! あ・・・」
「おい、おい!」
彼ら二人組は頓狂な声を上げるが、カミツキガメの逃げ足は、以外にも早く感じられた。
セカセカと桟橋から逃げるように走り、そのまま水面へダイブした。飛沫と水音を残し、カミツキガメの姿は、すぐに何処かへ消えた。
私は、懐中電灯の明かりをすぐに逃げた水面へと向けたが、もう完全に見失っていた。
「こら! 逃げてしまったじゃないか!」
巻田は、彼ら二人組を睨みつける。
「もう本当に勘弁してくださいよ・・・」
ロン毛の男は、懇願するように言う。相棒の吉田という彼の方も、頭を下げて急に低姿勢となった。罪悪感を感じはじめたのだろう。
「お前らが、この河川に放したのはピラニアにカミツキガメ・・・ 見逃すことはできないな。通報するからな」
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「ちょっと待ってください! どちらに電話するのですか? 自分らだけじゃない、他にもやっているやつはいる!」
「だから許されないのだ。役所か警察に通報する。この時間だと、役所は動いてくれないかもしれないな。やはり警察だな。この辺の管轄だと、室戸署か」
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「君らの名前は? 君の方は、吉田と呼ばれていたね。髪の長い君の方は?」
巻田は、彼ら二人を交互に尋問するようである。
「名前までは勘弁してください、お願いしますよ・・・」
ロン毛の男は、困り果てている様子だ。
「では、二人の顔写真を撮らせてもらおうか」
「いや、もう本当に勘弁してください」
巻田が携帯電話のカメラ機能を使い、彼らの顔に向けると、彼らは必死に顔を両手で隠そうとする。
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でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
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