魔界沼の怪魚

瀬能アキラ

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怪魚を追え!

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 どうやら例の香ばしい匂いは、目の前に出された蒲焼のようだった。郷田社長のいったナマズの蒲焼である。
 うな丼ではなく、ナマズ丼なのだ。鰻よりも、ふっくらとした食感で、鰻の蒲焼よりも勝っているようだ。たれのしみ込んだご飯と、からめて口にすると最高だった。肉厚の蒲焼の身が丼の上にぎっしりとのせられ、下のご飯が見えない。
 刺身は、ポン酢をつけて口にする。身は弾力があって風味も良い。あのナマズの姿からは、想像できない味であった。
 郷田社長は、ナマズの調理方法など色々と話しかけてくるのだが、私と巻田は上の空で、食に没頭していたのだ。初めてのナマズ料理に、二人は大満足であった。
 食べ終えた二人の前に、郷田社長もソファーに腰を降ろしていた。私達の食べっぷりに、彼はご機嫌な様子で、目尻を下げてにんまりとしていた。
 「いや! ナマズがこんなに美味しいものとは知らなかった。もっとナマズ料理を普及させるべきですよ」
 巻田が満足げに、郷田社長に向かって言った。私も同感であった。ナマズがもっと世の中に普及すれば、高価な鰻を食べなくてすむ。蒲焼に関しては、ナマズは鰻に負けていない。料理人の腕にもよるだろうが。
 「そうだろう。君らも、そう思うだろう。ナマズの味は、まずは食べてもらわないと分からないのだ」
 「しかし、こんな場所にナマズの養殖場があるなんて知らなかった」
 巻田は言った。
 「もう長い間やっているのですか?」
 私が尋ねた。郷田水産のことである。
 「もう十年は、やっているかな。だが、二年前の台風で、この施設は大きな被害を受けた。あの台風は強かった。昔の室戸台風のようだ」
 私も覚えている。二年前に室戸に上陸した台風である。室戸を中心に、この西洋村にも大きな被害が発生していたのだろう。室戸地方には、今までに巨大な台風が何度か上陸していた。中でも第二室戸台風は、あの伊勢湾台風に匹敵する勢力であった。二年前の台風も、歴史的な被害をもたらした第二室戸台風に近いものがあった。
 「この建物とかは、大丈夫でしたか?」
 私は尋ねた。
 「建物もやられたが、それ以上に養殖の人工池がやられてね。池の水は音木川の支流から人工水路を通って引き込んでいたのだが、その設備が集中豪雨と洪水で壊滅してしまったのだ」
 「大変だったのですね」
 「うちのナマズの八割がいなくなってしまったのさ」
 郷田社長は両手を広げ、ジェスチャーを交えて言うのである。
 「八割も! そのナマズ達は何処へ?」
 私は驚いた。養殖の八割もいなくなってしまうとは、彼の言うように壊滅的な被害ではないか。
 「ナマズらは、音木川に逃げた。残りは、草周湖周辺の沼沢地に逃げてしまったようだな」
 郷田社長の言葉に、私と巻田は思い当たった。草周湖から音木川の支流へ向かった場所で、ナマズの入れ食いとなったことである。私は郷田社長に、そのことを言った。
 「そのナマズらは、ここから逃げたナマズだよ。アハハハ・・・」
 郷田社長は、あっけらかんと高笑いをしながら言った。
 「逃げたナマズは、回収できたのですか?」
 「無理だよ、自然界に逃げたものは、全て回収するなんてできないからね」
 「その後、どうしたのです?」
 「廃業だな」
 「廃業?」
 「そうなんだ。再び設備投資するのにも金がかかるし、それに、ナマズ食も、まだまだ知名度も低かった。だから廃業を決めた」
 「でも今は、こうしてナマズの養殖をやっておられるようですが」
 私は気になった。
 「そう、復帰したんだ。ナマズ食を求める声もあったし、設備投資に協力してくれる県外の同業者もいたりしてね。おかげで、今日こうして郷田水産がやってられるんだ」
 郷田社長は言って、事業の苦労話もはじめた。私と巻田は、彼のそんな語りに相槌を打ちながらつき合っていた。巻田は満腹感もあるためか、それに釣りの疲労も重なって、眠たそうな表情を浮かべている。
 一方、私の方は気になることが浮かび、目が冴えてきたのだ。郷田社長の話の中に、しきりに二年前の水害の様子が語られ、その二年前というのが、どうも引っ掛かる。
 二年前といえば、黒井今日子の夫が、真貝沼で亡くなっている。何か関連があるのだろうか。
 「郷田さん、同じ二年前のことですが・・・」
 私は、切り出してみることにした。
 「同じ二年前? 何のことだ?」
 「真貝沼でボートに乗った釣り人が、水面に転落して亡くなった事故ですが、知ってますか?」
 「ああ、知っているさ」
 郷田社長は、思い出したように言った。やはり地元の人間だから、知っているいるのだろうか。
 「やはり、あれは事故死だったのですか?」
 「そうだと思うな。私もあの時、警察から色々ときかれたからな。ちょうど台風の被害の前だった。確か亡くなった人は、ええと、黒井とかいう男性だったな・・・」
 「知っている男性だったのですか?」
 「亡くなる直前に、顔を見ているからな」
 「顔を見ている? どういうことです?」
 郷田社長からの意外な答えであった。
 「うちの桟橋から、組立式ボートで草周湖へ釣りに行きたかったらしい。私の私有地だから、許可を願いたいのだよ。彼が乗ってきたライトバンを駐車させてくれってね。初めて見る人だったが」
 「それで、どうなったのですか?」
 「それから二、三日しても帰ってきた様子がないのだ。不審に思って警察に通報した。すると室戸署の署員がきて、車のナンバーから所有者が分かったらしい。家族から捜索願いが出ている人物とのことだった」
 「既にボートから転落して、亡くなられていたのですね」
 私は考えながら言った。黒井今日子の夫は、郷田水産の桟橋まで車でやってきて、自分の組立式ボートを組立て、水面に浮かべて一人、草周湖の方へと向かった。
 今は便利なものがある。折りたためば車の荷台にも積め、エンジンもコンパクトで10キロ程度のものもある。湖沼釣りには最適なボートであった。私と巻田も、ほしいなと思ったこともあった。
 「結局 真貝沼や草周湖へ行くには、うちの桟橋から行くしか方法はなかったのだろう。幽霊ホテルの敷地からも立ち入り禁止であったし、音木川から支流を伝って行くのも、適当な場所が見つからなかったのだろうな」
 郷田社長は言った。
 「黒井さんの亡くなる一年前にも、真貝沼で少女が亡くなっていますが・・・」
 真貝沼での少女の溺死についても、私は頭にあった。室戸署の刑事である相崎の話では、何らかの原因で、岸から沼の深みにはまったのだろうといっていた。郷田社長も何か知っているかもしれない。
 「亡くなった女の子は、この地元の子なんだ」
 「郷田さんは、知っているのですか?」
 私は尋ねた。
 「時々、見かけたことはあった。うちの前から支流沿いの田畑の畦道を歩いて、真貝沼や草周湖までは、場合によっては歩いて行けるのだ」
 「場合というと?」
 私は、気になった。巻田と足漕ぎボートでくる途中、支流沿いにある田畑の畦道を思い出した。
 「普段なら雑草が茂っていて、なかなか子供の足では行けないのだが、年に一度か二度、田畑の地主や地元の人間が、一斉に草刈りを行なう時がある。その後なら、歩いて行ける。しかし、またすぐに雑草は生えてしまうがな」
 自分らも解体工事の時に、草周湖のボート乗り場周辺の草刈りを行なった。ここから田畑の畦道を歩けば、真貝沼や草周湖までは行けるのだ。しかし距離もあり、地元の人間しか知らないだろう。わざわざ歩いて釣りに行く釣り人など皆無だ。
 「女の子は、一人で散歩にでも行ったのでしょうかね?」
 今まで口を閉ざしていた巻田が言った。
 「私も、その子が祖父母らと散歩している姿を見たことがあった。人の話によると、その子は、その日、一人で飼い犬の散歩に行ったらしい。ちょうど飼いはじめたばかりの小さな子犬だったようで、女の子は楽しくてしょうがなく、一人でどんどん走って、あそこの真貝沼まで行ったのでしょう。何度か祖父母らと行ったことのある道のりだし、草刈りも済んで間がなかったようだった」
 「その子が真貝沼に落ちた時、子犬はどうなったのでしょう? 犬だけが家に戻って、知らせたのか・・・」
 私は考えてみた。
 「それが、犬の方は行方不明のままなんだ。帰りが遅いので両親らが捜しに行くと、女の子だけが沼に落ちて死んでいたらしい」
 「女の子が散歩中、誤って沼に落ちた拍子に、手から犬は離れた・・・ 何処か深い山奥へ行ってしまい、子犬は戻ってこれなくなった・・・」
 私は、なおも考えながら言う。
 「どうかな・・・」
 郷田社長も考え込んでいる様子だ。
 「女の子の犬って、どんな犬だったんでしょう?」
 「普通の雑種の子犬だったかな。小学生にも満たない園児の女の子が引っ張れるぐらいの犬だから、生まれて数ヶ月の子犬だな。犬には、よく帰巣本能があるといわれるが、どうなのかな・・・」
 「捕食されたんだ! 間違いない!」
 巻田が、また口を挟むように声を上げた。
 「肉食魚にか? 自分らが目にしたあの・・・」
 私は、そう言いながら思い浮かべていた。草周湖で水鳥が水中へ引き摺り込まれた様子を・・・
 「真貝沼や草周湖周辺の沼沢地、音木川の支流など・・・ やつはいるんだ! 怪魚の存在もこれではっきりとしたよ! 水鳥から子犬を捕食する化け物の怪魚だ。郷田さん、あなたも何度か目撃しているのでしょう? 大きな背びれの三メートル近い怪魚を・・・」
 巻田の鋭い問いに、郷田社長は真顔で頷いている。否定する様子もない。
 「真貝沼の水辺を散歩中に、女の子の子犬が水面へ引き摺り込まれたというのか。彼女もその拍子に転落し、溺死してしまった・・・」
 私は推測してみた。子犬が行方不明となっているのも頷けるのだが・・・
 「怪魚は真貝沼で少女を襲い、黒井今日子さんの夫も襲ったのだ!」
 巻田は、確信したかのように力強く言う。
 「黒井さんも、ボートから水面へ引き摺り込まれたというのか?」
 私は巻田に問う。
 「恐らく黒井さんの仕掛けに、あの怪魚がヒットしたのだろう。一人の力では無理だったのだ。お前も、あの草魚でも手こずっただろう。あの化け物の怪魚は、それ以上なのだ。更に獰猛な肉食魚だ。どんな恐怖を秘めているかも分からないぞ」
 「・・・」
 私は郷田社長とともに、巻田の表情を見詰めている。彼の鋭い表情は、崩れそうにない。
 「二人が亡くなったあの沼は、真貝沼ではなく、魔物が住む魔界沼なんだ」
 「魔界沼・・・」
 「魔界沼・・・」
 巻田の言葉に、私と郷田社長は、復唱するように呟いた。真貝沼ではなく、魔界沼・・・ 魔物の住む魔界沼・・・ 
 今まで誰にも知られていなかった未知の沼沢地である。巻田のいうように、そこは魔界の沼であった。
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