1 / 2
chill-out jazz
【第1話】 chill-out jazz(前)
しおりを挟む
それは歌舞伎町の一等地。
雑踏の中に立つゴージャスなビルの最上階。
黒スーツに身を固めた側近が運転する黒の高級車からたったひとり、降りた鷹司はその店の看板を見上げた。
「 “wipe-swipe” 」
まるで英国の高級クラブじみた重厚な看板は、電飾だらけの周りのビルの中でも一際異彩を放っている。
鷹司は、ためらうことなくその店の重い扉を開けた。
「・・・いらっしゃいませ。これは、鷹司様」
そつなく歩み寄り、優雅なしぐさで一礼する支配人の吉川に、鷹司はサングラスの眼を向けた。
「ええ店やんけ」
「おほめに預かり光栄です。さあ、どうぞこちらへ」
鷹司が通されたのは、薄暗く、豪奢で真新しい店の奥にあるVIPルームだった。元々この店は六本木でひっそりと営業していたのだが、当局の取り締まりが厳しいとかで同業店の多いこの歌舞伎町へと移転したのだ。
ビルひとつ、まるまる新築しその最上階に入るこの特殊なキャバクラは、とある筋金入りの老舗ブラック企業が後ろについている。そこで働かされるキャストたちも、それぞれワケありの人間ばかりだった。店長として裏方に回るこの吉川も、その優美な容姿からすれば十分、現役のキャストで通用する。だがそうするつもりは全くないようだった。
ここには男女問わず多くの客が来る。飲み代が飲み代だけに、普通の人間ではまず近寄れない。そしてキャスト達はそのほとんどが腕に覚えのあるギャンブル狂。客が望めばどんなギャンブルの相手もする。無論、賭け金は最低でも百万を下らない。命を懸けることすらも可能だ。
「ひな君、鷹司様がお見えですよ」
「・・・はい、店長」
諦めたひなはおとなしく、差し出された吉川の手を取り、豪奢なパウダールームを後にした。
綺麗にドレスアップしたひなは、まるでお姫様か何かのように恭しくかしずかれて上客たちの待つ静かな戦場へと足を踏み入れる。
客が訪れた場合、通常はボーイである黒服たちがキャストを控室まで呼びに来るのだが、ナンバー3までの成績の良いキャストには店長自らが迎えに出向き、こうして西洋の姫君のように丁重に連れ出される。通常であれば、吉川の後ろには「お付き」と呼ばれる黒服と新人キャストの群れが院長の回診のごとくざわざわと付き従うのだが、さすがに鷹司が関西のあの業界の若き重鎮ともなれば、あまりこの関東・歌舞伎町で目立つのも好ましくはなく、それは鷹司の希望か、たびたび省略される。だから今、ひなの傍には吉川とボーイ一人が控えるのみなのだった。
ここでは、キャストの服装に一定以上の決まりはない。スーツを着ても、ドレスを着ても構わない。今日のひなは、ごく普通のシンプルなスーツに身を固めていた。
「浮かない顔ですね、ひな君」
ひなは黙ったまま、答えない。
「鷹司様はあの通り、背も高くて顔も綺麗で、あんなにお若いのに威厳もある。金払いもいつも綺麗ですし、願ってもない上客だと思いますよ?」
やはり黙ったまま、ひなは答えなかった。
確かに鷹司はいわゆるイケメンだとは思う。背も高くて、この前嫌々聞いてやったら188センチだとか言っていた。黒社会を根城にする男の為か目が切れ長で鋭く、そんな物騒な雰囲気をさらに助長するかのようにいつも細身のサングラスをかけている。自分の為に毎度使ってくれる飲み代も百万を超えることも珍しくはない。
この「wipe-swipe」にふさわしい極上の客には違いない。
だが、それでも腹が立つ。
あんな男。
恭しく吉川に手を取られて、ソファでくつろぐ鷹司の前に現れたひなは、開口一番こう言った。
「来ないでくださいってあれほど言ってるのに、毎度毎度よく顔を出す気になりますね」
「金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる、言うやろ。お前がこういうとこにお勤めでホンマ助かるわ。下手に殴る蹴るやら脅迫やらせんで済むさかい」
「・・・どういう意味ですか」
「お前が好きや・・・ちゅうこっちゃ」
鷹司は今取り出した煙草のようにさりげなく言い放ち、そのままひなに火を要求した。
もちろんつけてやる気など毛ほどもないひなは、取り出したライターを点火するふりだけして、わざとフリントホイールを空擦りする。
鷹司は笑ってライターを捧げ持つひなの手を己の片手で握り、そのままフリントホイールを擦って火をつけ、ひなの手を無理やり引っ張って銜え煙草に火をつけた。
そしてそのまま、気のない素振りでそっけなく突き放す。
今しがた好きだと言ったその口で。
この男のこういうところが嫌いだ。顔をみるたび、嫌いにしかならない。
だから来るなと言っているのに、何故か週末ごとに、遠い関西からこの歌舞伎町にまでふらりと来る。
そしてそれがそのまま静かな戦争になる。
あまりにも腹が立つのでいつもいつもひなは高い酒をねだり倒し・・・というよりは高飛車に脅すように次々と味をわかりもしない希少銘酒を大量に注文させ、自分の売り上げを増やして溜飲を下げていた。
鷹司はというと、苦笑して好きにせえ、と言ったきり、あれも飲みたいこれも飲みたいと次々オーダーを入れるひなを冷めた目で見ている。
ぞっとするような冷たい目だ。
この男はひなの漬かったことのない、冷たくて暗い海の深さを知っている。
いつもそう思わされる。
「最近はどうや」
「何がです?」
「ギャンブル。今はあんまりやってへんのやろ」
「ええ」
鷹司のほうはまるで見ないまま、水割りを作りながらひなは微笑した。
「こっちにはまともに、お前の相手になるような奴がてんでおらへんからな。ああ、黒崎・・・。あいつがおったか?」
「黒崎さんは、雲の上のひとですから」
「雲の上て・・・」
鷹司は、あきれたようにサングラス越しにひなを見た。
「ひな、お前があれをえろう気に入っとるっちゅうのだけはようわかったわ。けど、な。
あいつの頭んなかに、お前は居れへん思うで」
ひなは思い切り、手の中のシャンパングラスをテーブルへと叩き置いた。
これだから。
これだからこの人を私は嫌いなんだ。
私は。
ほっといてくれればいい。
片思いなことくらい、知ってる。
雑踏の中に立つゴージャスなビルの最上階。
黒スーツに身を固めた側近が運転する黒の高級車からたったひとり、降りた鷹司はその店の看板を見上げた。
「 “wipe-swipe” 」
まるで英国の高級クラブじみた重厚な看板は、電飾だらけの周りのビルの中でも一際異彩を放っている。
鷹司は、ためらうことなくその店の重い扉を開けた。
「・・・いらっしゃいませ。これは、鷹司様」
そつなく歩み寄り、優雅なしぐさで一礼する支配人の吉川に、鷹司はサングラスの眼を向けた。
「ええ店やんけ」
「おほめに預かり光栄です。さあ、どうぞこちらへ」
鷹司が通されたのは、薄暗く、豪奢で真新しい店の奥にあるVIPルームだった。元々この店は六本木でひっそりと営業していたのだが、当局の取り締まりが厳しいとかで同業店の多いこの歌舞伎町へと移転したのだ。
ビルひとつ、まるまる新築しその最上階に入るこの特殊なキャバクラは、とある筋金入りの老舗ブラック企業が後ろについている。そこで働かされるキャストたちも、それぞれワケありの人間ばかりだった。店長として裏方に回るこの吉川も、その優美な容姿からすれば十分、現役のキャストで通用する。だがそうするつもりは全くないようだった。
ここには男女問わず多くの客が来る。飲み代が飲み代だけに、普通の人間ではまず近寄れない。そしてキャスト達はそのほとんどが腕に覚えのあるギャンブル狂。客が望めばどんなギャンブルの相手もする。無論、賭け金は最低でも百万を下らない。命を懸けることすらも可能だ。
「ひな君、鷹司様がお見えですよ」
「・・・はい、店長」
諦めたひなはおとなしく、差し出された吉川の手を取り、豪奢なパウダールームを後にした。
綺麗にドレスアップしたひなは、まるでお姫様か何かのように恭しくかしずかれて上客たちの待つ静かな戦場へと足を踏み入れる。
客が訪れた場合、通常はボーイである黒服たちがキャストを控室まで呼びに来るのだが、ナンバー3までの成績の良いキャストには店長自らが迎えに出向き、こうして西洋の姫君のように丁重に連れ出される。通常であれば、吉川の後ろには「お付き」と呼ばれる黒服と新人キャストの群れが院長の回診のごとくざわざわと付き従うのだが、さすがに鷹司が関西のあの業界の若き重鎮ともなれば、あまりこの関東・歌舞伎町で目立つのも好ましくはなく、それは鷹司の希望か、たびたび省略される。だから今、ひなの傍には吉川とボーイ一人が控えるのみなのだった。
ここでは、キャストの服装に一定以上の決まりはない。スーツを着ても、ドレスを着ても構わない。今日のひなは、ごく普通のシンプルなスーツに身を固めていた。
「浮かない顔ですね、ひな君」
ひなは黙ったまま、答えない。
「鷹司様はあの通り、背も高くて顔も綺麗で、あんなにお若いのに威厳もある。金払いもいつも綺麗ですし、願ってもない上客だと思いますよ?」
やはり黙ったまま、ひなは答えなかった。
確かに鷹司はいわゆるイケメンだとは思う。背も高くて、この前嫌々聞いてやったら188センチだとか言っていた。黒社会を根城にする男の為か目が切れ長で鋭く、そんな物騒な雰囲気をさらに助長するかのようにいつも細身のサングラスをかけている。自分の為に毎度使ってくれる飲み代も百万を超えることも珍しくはない。
この「wipe-swipe」にふさわしい極上の客には違いない。
だが、それでも腹が立つ。
あんな男。
恭しく吉川に手を取られて、ソファでくつろぐ鷹司の前に現れたひなは、開口一番こう言った。
「来ないでくださいってあれほど言ってるのに、毎度毎度よく顔を出す気になりますね」
「金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる、言うやろ。お前がこういうとこにお勤めでホンマ助かるわ。下手に殴る蹴るやら脅迫やらせんで済むさかい」
「・・・どういう意味ですか」
「お前が好きや・・・ちゅうこっちゃ」
鷹司は今取り出した煙草のようにさりげなく言い放ち、そのままひなに火を要求した。
もちろんつけてやる気など毛ほどもないひなは、取り出したライターを点火するふりだけして、わざとフリントホイールを空擦りする。
鷹司は笑ってライターを捧げ持つひなの手を己の片手で握り、そのままフリントホイールを擦って火をつけ、ひなの手を無理やり引っ張って銜え煙草に火をつけた。
そしてそのまま、気のない素振りでそっけなく突き放す。
今しがた好きだと言ったその口で。
この男のこういうところが嫌いだ。顔をみるたび、嫌いにしかならない。
だから来るなと言っているのに、何故か週末ごとに、遠い関西からこの歌舞伎町にまでふらりと来る。
そしてそれがそのまま静かな戦争になる。
あまりにも腹が立つのでいつもいつもひなは高い酒をねだり倒し・・・というよりは高飛車に脅すように次々と味をわかりもしない希少銘酒を大量に注文させ、自分の売り上げを増やして溜飲を下げていた。
鷹司はというと、苦笑して好きにせえ、と言ったきり、あれも飲みたいこれも飲みたいと次々オーダーを入れるひなを冷めた目で見ている。
ぞっとするような冷たい目だ。
この男はひなの漬かったことのない、冷たくて暗い海の深さを知っている。
いつもそう思わされる。
「最近はどうや」
「何がです?」
「ギャンブル。今はあんまりやってへんのやろ」
「ええ」
鷹司のほうはまるで見ないまま、水割りを作りながらひなは微笑した。
「こっちにはまともに、お前の相手になるような奴がてんでおらへんからな。ああ、黒崎・・・。あいつがおったか?」
「黒崎さんは、雲の上のひとですから」
「雲の上て・・・」
鷹司は、あきれたようにサングラス越しにひなを見た。
「ひな、お前があれをえろう気に入っとるっちゅうのだけはようわかったわ。けど、な。
あいつの頭んなかに、お前は居れへん思うで」
ひなは思い切り、手の中のシャンパングラスをテーブルへと叩き置いた。
これだから。
これだからこの人を私は嫌いなんだ。
私は。
ほっといてくれればいい。
片思いなことくらい、知ってる。
0
あなたにおすすめの小説
捨てたのはあなたです。今さら取り戻せません
斉藤めめめ
恋愛
婚約破棄?構いませんわ。
ですが国家の崩壊までは責任を負いかねます。
王立舞踏会で公開断罪された公爵令嬢セラフィーナ。
しかし王国を支えていたのは、実は彼女だった。
国庫凍結、交易停止、外交破綻——。
無能な王子が後悔する頃、彼女は隣国皇帝に迎えられる。
これは、断罪から始まる逆転溺愛劇。
すべてはあなたの為だった~狂愛~
矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。
愛しているのは君だけ…。
大切なのも君だけ…。
『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』
※設定はゆるいです。
※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。
さようなら、あなたとはもうお別れです
四季
恋愛
十八の誕生日、親から告げられたアセインという青年と婚約した。
幸せになれると思っていた。
そう夢みていたのだ。
しかし、婚約から三ヶ月ほどが経った頃、異変が起こり始める。
貴方なんて大嫌い
ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と
いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている
それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
側妃の愛
まるねこ
恋愛
ここは女神を信仰する国。極まれに女神が祝福を与え、癒しの力が使える者が現れるからだ。
王太子妃となる予定の令嬢は力が弱いが癒しの力が使えた。突然強い癒しの力を持つ女性が異世界より現れた。
力が強い女性は聖女と呼ばれ、王太子妃になり、彼女を支えるために令嬢は側妃となった。
Copyright©︎2025-まるねこ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる