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本屋の父

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「この店も今年でやめようと思っているんだ」と言う父に私は「お父さん、本屋やめちゃうの」と聞いた。父は力なく頷いて「これ以上は難しいな」と小さくつぶやいた。私は本屋の経営がきびしいと知っていた。それなのに、何もしないでいた。自分を責める気持ちが、むくむくと湧いてきた。たまらなくなり「何とかならないの」と父を困らせる質問をした。父は「心配させてすまない」とうつむいた。私は「責めているわけじゃないの。ただ急に言われて驚いただけ」とあわてて取りつくろった。父はゆっくりと立ち上がり「コーヒー飲むか」と聞いた。父のコーヒーはこだわりの豆を挽いた味わい深いコーヒーだった。私は久しぶりに飲みたくなり「ありがとう。お願い」と言った。父は笑顔で「ちょっと待ってろ」と言い、キッチンへと向かった。私はぼんやりしながら、この本屋で過ごした日々を思い出していた。そして、母さんが生きていたら、何て言ったかな。と考えていた。その時、コーヒーのいい香りがしてきた。私は考えても仕方ないことは考えるのをやめた。コーヒーの香りを楽しみながら、父が淹れたコーヒーを待った。そこには、静かな時間が流れていった。私は香りをたのしみながら、無意識に微笑みを浮かべていた。「何、笑ってるんだ」と父がコーヒーカップを持ってすぐそばにいた。私は「いい香りでリラックスしちゃった」と答えた。父はコーヒーカップを私の前に置き「どうぞ」と笑顔で言った。私は「いただきます」とコーヒーを一口飲んだ。苦味と酸味のバランスが良く、コーヒーの香りが口の中にひろがっていった。「あー。美味しい」と私は言い「お父さん、喫茶店やれば」と笑って言った。父は微笑みながら「実はやろうと思うんだ。喫茶店」と笑って言った。私が「えっ。どういうこと」と聞くと父は「銀行の紹介で本屋と喫茶店を合わせた店をやりたい人と出会えてね。コーヒーを出したら、気に入ってくれたんだ」驚いて言葉が出ない私に父は「生まれ変わるんだ。この店。まだ、ちゃんと決まってないけど」と言い「本屋はやめてしまうけど。父さん、好きなことを続けるよ」と笑った。私は「心配なんかしてないよー」と笑い。ゆっくりコーヒーを口へと運んだ。
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