三枝沼 三輪は怖い

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拓池団地 後編

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 地下倉庫への階段を、重苦しい足取りで一歩一歩進んでいった俺たちは、ついに目の前にその扉を捉えた。薄暗い地下にひっそりと立つ鉄製の扉は、錆びついた色合いがさらに不気味さを増していた。

 そして、その扉にはしっかりと鎖が巻き付いているのが見えた。

「……これじゃ入れないだろう。」

 俺はポケットの石を握りしめたまま、鎖を見ながらぼそりと呟いた。だが、その言葉に対し、三枝沼は冷静な声でこう返した。

「よく見て。これ、巻きつけてるだけよ。」

「……は?」

 一瞬何を言っているのかわからず、俺は彼女の指示に従い、鎖をよく見た。確かに、一見しっかり閉じられているように見えたその鎖には、鍵がかかっていない。ただ固く巻き付けられているだけだった。

 三枝沼の言葉に、俺は眉をひそめた。

「……じゃあ、誰がやったんだよ?」

「さぁ。でも、ここに何かがあるのを知ってる人かもしれないわね。」

 三枝沼はそう言うと、軽く鎖を持ち上げ、少し引っ張ってみた。鎖は意外にも簡単にほどけた。それを見て、俺は呆気に取られる。

「おいおい……こんな適当な仕掛けで閉じた気になってたのかよ。」

「そうね。逆に、これ以上は侵入者を防ぎようがなかったのかもしれないわ。」

 淡々と話す彼女の声を聞きながら、俺は少しだけ気味の悪さを覚えた。この鎖を巻き付けたのが、管理者ではないのだとしたら――それをしたのは一体誰なのか。そして、何のために?

「……本当に開けるのか?」

 俺が恐る恐る尋ねると、三枝沼は無言のまま扉に手をかけた。その動作には一切のためらいが感じられない。

「ちょっ……待てよ。中に何があるかもわからないんだぞ!」

 思わず声を荒げた俺に、三枝沼は振り返ることもなく短く答えた。

「だからこそ、確かめるのよ。」

 その言葉に反論する余地はなかった。俺はただポケットの中の石を握りしめるだけだった。

 三枝沼は手をかけた扉をゆっくりと押した。重たく錆びついた扉が、ギィィ……と嫌な音を立てながら、ゆっくりと内側に開いていく。

 扉の向こうから流れ込んできたのは、ひんやりとした冷たい空気だった。その冷たさはまるで、ずっと閉ざされていた場所の底から這い上がってきたようで、肌にまとわりつく感覚が嫌にリアルだった。

 だが、それ以上に耐え難かったのは、その空気に混じってきた異様な匂いだった。

「……っ……くっさ!」

 思わず鼻を覆った。腐ったような、何かが発酵しきっているような不快な臭いが鼻を突き、吐き気を覚えるほどだった。

「……ここ、なんだよ……」

 嫌悪感を抑えながら、俺は扉の奥に視線を向けた。中は薄暗く、光がほとんど届いていない。ただそこに広がっているのは漆黒の空間――だが、不思議なことに、その暗闇の中から何かがじっとこちらを見ているような気配を感じた。

「……何か、いるのか……?」

 口に出すだけで全身が震える。それでも三枝沼は平然としており、すっと扉の中へと一歩足を踏み入れた。

「おい、待てよ!」

 思わず声を上げる俺を気にすることもなく、彼女は落ち着いた声で言った。

「大丈夫。ここはまだ“誰か”がいるわけじゃない。ただの気配よ。」

「……気配って、それが十分怖いんだよ!」

 震える声で言い返すが、三枝沼は構わず奥へ進んでいく。その背中が暗闇に吸い込まれていきそうに見え、俺は仕方なくポケットの石を握りしめながらその後を追った。

 中に足を踏み入れると、さらに強烈な臭いが鼻を突いた。息をするのも嫌になるようなその匂いの中で、俺は目を凝らしながら辺りを見渡す。


 床には無数のゴミや錆びついた金属片が散らばっており、壁にはひび割れが走っている。天井からはむき出しの配線が垂れ下がり、その隙間から僅かに漏れる光が、この空間を余計に不気味なものにしていた。

「……ここ、ほんとにただの倉庫かよ……」

 ぼそりと呟いたその時だった――。

 カサ……

 小さな物音が奥から聞こえた。

「っ……!」

 全身の毛が逆立つ。その音は、何かが動いた音だった。ネズミか?それとも……。

「落ち着いて。ただの音よ。」

 三枝沼は振り返らずにそう言ったが、その声にはどこか緊張感が滲んでいるように感じた。

「……いや、やっぱりヤバいだろ、ここ……!」

 俺は引き返したい気持ちを抑えきれず、後ずさろうとした。だが、その瞬間――

 ドンッ!

 突然、背後の扉が勢いよく閉まる音が響いた。

「うわっ!」

 反射的に振り返るが、そこにはただ閉じられた扉があるだけだった。開けたはずの扉が、まるで誰かに押されたかのように強く閉じられている。

「……閉まった……?」

 俺の声は震えていた。後戻りができない状況に追い込まれた恐怖が、じわじわと全身を支配していく。三枝沼も立ち止まり、閉じた扉を一瞥した後、静かに言った。

「……気にしないで。ここまで来たら、進むしかないわ。」

 その言葉に、俺はまた全身が震えた。

「……気にするなって……無理だろ……!」

 それでも、三枝沼は再び前を向き、暗闇の中へと歩き出した。俺は仕方なく、震える足を引きずるようにしてその後を追った


 三枝沼の奴は、こんな薄暗い場所なのにスマホのライトを出す素振りも見せず、辺りをキョロキョロと見回しているだけだった。その冷静すぎる様子が不気味で仕方がない。

 俺はというと、今はいなくなってしまった優しい少女の幽霊。あの子のことをふと思い出していた。勝手な話だが、もし今彼女がいてくれたならと願わずにはいられなかった。こんな状況で「大丈夫だよ」とでも言われたら、どれほど安心できるか……。

 だが現実には、俺と三枝沼だけ。仕方なく、俺は震える手でスマホを取り出し、ライトを点けた。そして、倉庫の奥に光を向け、恐る恐る辺りを確認しようとした。

 ライトの光が薄暗い空間を切り裂き、狭い倉庫の中を映し出す。

 まず目に入ったのは、床に散らばる錆びついた金属片。長年放置されていたのだろう、何の形だったかも分からないような無残な姿をしている。その隣には、タバコの吸い殻が無数に転がっていた。

「……なんだよこれ……」

 ぼそりと呟きながら光をさらに動かしていくと、四隅には段ボールが積み上げられているのが見えた。埃を被っているものもあれば、比較的新しいものも混じっているようだ。それらが何のために置かれているのかは分からない。

 少し離れた場所には、壊れた自転車が放置されていた。前輪が歪み、タイヤはもう空気が抜けきっている。それを見ただけで、この場所がどれほど長い間放置されていたのかを思い知らされる。

(ここ、ほんとにただの倉庫なのかよ……)

 ライトをさらに動かした瞬間、全身が凍りついた。

 ――光が捉えたのは、“体育座りをしている男性”だった。

「……っ!」

 思わず息を呑む。薄暗い倉庫の奥で、男性が膝を抱え込むようにして体育座りをしている。顔は俯いていて、表情は見えない。俺のライトの光を浴びても、全く動く気配がなかった。

「……おい、三枝沼……誰かいるぞ……!」

 震える声でそう伝えるが、三枝沼は冷静にその方向を見るだけで、一切驚く様子を見せなかった。

「……みつけた。」

 彼女の淡々とした言葉に、俺の恐怖はさらに膨れ上がる。

「みつけたって……どういう意味だよ……?」

 背後で、何かが転がる音がした。驚いて振り返ると、そこには倒れた看板と、床に転がる消火器が映し出されていた。

「っ……なんだよ、これ……!」

 俺の声は震え、全身が冷たい汗で覆われていた。その場の空気が急激に重くなり、息をするのも苦しく感じる。そして、恐る恐る再び体育座りしている男性にライトを向けた――その瞬間、凍りついた。

 ライトに照らされた“男”の顔が、ゆっくりとこちらを向いていたのだ。

 その顔は、まるで作り物の人形のように不自然だった。鼻や口があるはずの場所には、凹凸すらない。だが――唯一、目だけが異様な存在感を放っていた。真っ黒で深い、光を一切反射しない瞳が、じっとこちらを見つめている。

「……っ!」

 息が詰まる。その目を見た瞬間、胸の奥に冷たいものが広がり、記憶の奥底で何かが弾けた。

(この目……どこかで……)

 思い出そうとするまでもなく、恐怖が全身を駆け巡る。それは、602号室のポスト――あの時、ポストの隙間からこちらを覗いていた“目”だ。

「……あ、あれは……」

 声がかすれる。間違いない、あの時の目と同じだ。だが、どうしてここに……?

 俺の頭は混乱し、理解が追いつかない。ただ一つ確かなのは、その“目”があの時と同じように、何かを伝えようとしているような、不気味な圧力を持っているということだった。

「……ここにいたのね。」

 三枝沼が静かにそう呟いた。その声は、冷静でありながらどこか優しさを含んでいた。

「おい……あれ……なんなんだよ……」

 必死で震える声を絞り出す俺をよそに、三枝沼はじっとその“男”を見つめたまま、ゆっくりと歩み寄っていく。

「待て!おい、近づくなよ!」

 叫びそうになった俺は、その時気づいてしまった――体育座りしている“男”が、微かに動いていることに。

 その頭が、わずかに左右に揺れている。まるで何かを拒絶しているように見えた。

「……助けて……」

 低く、掠れた声が男の口元から聞こえた気がした。いや、口がないはずなのに……声だけが耳に響いたのだ。

「……助けて、なんだって……?」

 俺は混乱しながらも、その声の意味を理解しようと必死だった。だが、三枝沼はその声を無視するように、さらに近づき、淡々とした声でこう言った。

「あなた、ここに閉じ込められているのね。」

 その言葉を聞いた瞬間――“男”の体が大きく震えた。そして、部屋全体の空気がさらに重くなり、圧迫感が増していくのを感じた。

「おい……やめろって!もうこれ以上刺激するなよ!」

 俺の叫びは、もはや届いていない。三枝沼と“男”の間には、俺には理解できない何かが流れていた――。

 だが、その“男”は三枝沼を避けるようにゆっくりと俺の方へ近づいてきた。

「……っ!」

 俺の足は竦み、全身が震えていた。反射的に三枝沼を振り返るが、彼女はただ静かに様子を見守っているだけだった。その冷静な態度に、何か助けを求めようとする声すら出ない。

 一歩、また一歩と“男”が俺に近づく。その不自然な体育座りから解き放たれた動きは、どこかぎこちなく、それでいて異様な存在感を放っていた。

 俺はポケットの中に忍ばせた石をぎゅっと握り、覚悟を決める。

(……やるしかない……!)

 そう思った瞬間、“男”が低く掠れた声で呟いた。

「……おかあさん……」

 その言葉を聞いた途端、俺は思わず握りしめていた石をゆっくりと離した。

「……っ……」

 何故だろう――その声を聞いた瞬間、目の前にいる“男”が、まるで子供のように見えたのだ。

 いや、俺にはもう分かっていた。

 ――あの部屋にあった男性と女性の絵。だが、そこに子供の絵だけがなかったこと。
 ――602号室のポストから覗いていた“目”を、何故か子供だと感じていたこと。

 すべてが、目の前の存在と繋がっていく。

 三枝沼が探していた“子供”は――この“男”だったのだ。

「……おかあさん……どこ……?」

 再び“男”が呟く。その声はあまりにも弱々しく、悲しみに満ちていた。

「……お前……が、子供……なのか……?」

 俺の声は震え、喉が詰まるようだった。目の前の存在は確かに異質だが、その言葉が胸に刺さるような切実さを持っていることだけは分かった。

 三枝沼がようやく口を開いた。

「……あなたは、母親を探しているのね。」

 その言葉に、“男”の身体が微かに震えた。そして、ゆっくりと頭を縦に動かす。まるで、それを肯定するかのように。

「だけど、あなたはもう……この場所に囚われている。」

 三枝沼の声には、どこか冷たさと哀しみが入り混じっていた。俺はその言葉を理解する前に、恐る恐る“男”を見つめ続けていた。

「……母さん、ここにいるの……?」

 その言葉は、ただの呟きではなく、この空間に染み渡るように響いていた。そして、その瞬間――

 ズズ……

 倉庫全体が、低い振動を発し始めた。

「……っ!」


 驚いて辺りを見回す俺をよそに、三枝沼は微動だにせず、“男”をじっと見据えていた。その目は冷静でありながら、どこか哀しみのようなものが浮かんでいるように見えた。

「……あなたのお母さんとお父さんに会わせてあげる。」

 三枝沼の静かな声が、暗い倉庫の中に響き渡る。その言葉を聞いた瞬間、“男”の身体が微かに震えた。そして、掠れたような声で三枝沼が続けた。

「貴方は、どこにいるの……?」

 その問いに、“男”は再びこちらに目を向けた。その瞳には、まるで何かを訴えかけるような強い感情が宿っている。

「……ここに……いる……でも……見えない……見つからない……」

 ぼそぼそとした声でそう呟く“男”の言葉は、まるで断片的な記憶を紡いでいるようだった。

「見つからない……?」

 三枝沼は少しだけ眉をひそめた。そして、ふと目を伏せ、考え込むような仕草を見せる。

「……あの母親が、あなたを見えなくしたのね。」

 その言葉に、“男”の身体が再び震える。その様子が何を意味しているのかは分からないが、俺はただ、その異様な光景を震えながら見つめるしかなかった。

「……私たちが見つけてあげる。」

 三枝沼の声は、今までの冷静さとは少し違っていた。その中には、微かな優しさのようなものが滲んでいるように感じた。

 その時だった――

 ギィ……

 倉庫の奥から、何かが軋むような音が聞こえてきた。その音は、重い金属が擦れるような不快な音だった。

「……何だ……?」

 俺は慌ててライトを奥に向けた。しかし、光が届く範囲には何も見えない。ただ、音だけが倉庫の奥から断続的に響いていた。

「……開いたわね。」

 三枝沼が静かにそう呟いた。その言葉に、俺の心臓が跳ね上がる。

「開いたわねって……」

 震える声で問いかけるが、三枝沼は答えず、ただ前方をじっと見据えたままだった。その様子がさらに俺の恐怖を煽る。

 一方、“男”はその場でじっと動かなくなっていた。だが、目はまだこちらを見つめている。その黒々とした瞳が、何かを伝えようとしているように思えてならなかった。

「……あそこ……」

 先程までなかったはずの倉庫の奥にある、古びた鉄製の扉がわずかに開いているのが見えた。錆びついた扉は、開いた隙間から冷たい空気を吐き出していた。

「……扉……さっきまでなかったよな……?」

 俺は震える声で呟いた。言葉が詰まり、息が苦しくなる。この扉、ついさっきまで確かに見えなかった。だが今、目の前に確実に“そこにある”。

 扉が開く瞬間を見たわけではない。だが、明らかに何かがそこに干渉し、その存在を無理やり浮かび上がらせた気配があった。そして、その“何か”がまだ扉の向こう側にいる――そう感じずにはいられなかった。

「……見えなくされたのよ。」

 三枝沼が静かに口を開く。その言葉には、どこか冷たさと確信が混じっているように聞こえた。

「だから警察も見つけられなかった。」

「見えなく……?」

 その真意を聞こうとした俺だったが、三枝沼はそれ以上何も言わず、迷いなく扉の方へ歩き出した。

 扉から漏れ出す空気は、それまでとは比べ物にならないほど強烈な匂いを放っていた。鼻を突く腐敗臭と湿気が混ざり合い、それが喉に張り付き、吐き気を催させる。

「おい……三枝沼……待てよ……!」

 俺の呼びかけにも振り返ることなく、三枝沼は扉の中へと吸い込まれていく。その背中が闇の中へ溶け込むように見えた瞬間、俺は無意識に彼女の後を追おうとした――だが、足が動かなかった。

(入るのか……本当に……?)

 恐怖に支配され、体が竦んでしまう。それでも、このまま三枝沼を一人で行かせるわけにはいかない。そう思い、震える足を無理やり動かそうとした時――。

 視界の端に、あの“男”の姿が映った。

 体育座りをしていたはずの“男”は、さっきまでと同じ場所にじっと座っていた。だが、その黒い瞳はどこか穏やかになっているように見えた。そして、その瞬間――

「……ありがとう。」

 確かに聞こえた。その声が、耳ではなく頭の中に直接響いたような感覚だった。

「……っ!」

 俺は思わず息を呑んだ。“男”の顔は相変わらずのっぺりとしている。だが、その瞳には何かを訴えるような優しい光が宿っているように思えた。

「お礼……って……」

 呟く俺の声は、かすれて聞こえないほど小さかった。だが、“男”は再びその瞳を細めるように動かし、ゆっくりと首を傾ける。

(……見つけてくれてありがとう――そう言っているのか……?)

 次の瞬間、“男”の体がゆっくりと薄れていくのを目の当たりにした。まるで霧のように、その存在が少しずつ空間に溶け込み、跡形もなく消えていく。

「おい……おい!」

 消えゆくその姿に手を伸ばそうとしたが、届くはずもなかった。

 ――その時、扉の中から三枝沼の声が響いた。

「……来ないの?」

 その冷静な一言に、俺はハッと我に返った。

(……行くしかない。)

 胸の奥に重く沈む恐怖を抱えたまま、俺は扉へと歩み寄り、その中へと一歩を踏みだし男性をみつけた。

 
 その後の日々は、想像以上に大変だった。警察からの事情聴取は深夜に行えないと言われ、学校が終わってから何日も通う羽目になった。

 警察の調べによると、あの602号室には男性が母親と二人で暮らしていたらしい。父親は家族を捨てて逃げ、母親が一人で男性の面倒を見ていたという。

 男性は友達が欲しくて、不良たちに近づいた。そして、その不良たちの悪ふざけで倉庫に閉じ込められたまま命を落とした。

 衝撃だったのは、その後の母親の行動だ。母親は息子の失踪後、捜索願いを出していなかった。そして、息子が消えてからわずか4日後に自宅で首を吊って自殺した。

「母親が亡くなるのが早かったのか、息子が亡くなるのが先だったのか――そこまでは教えられない」と警察は言ったが、その言葉が余計に胸に重くのしかかった。

 警察は母親の死後、ようやく息子の捜索を本格化させたものの見つけることはできなかったらしい。あの倉庫も捜索されたが、当時は何も発見できなかったという。だが、なぜ俺たちが見つけたのかと警察に問い詰められたとき、俺は痺れを切らして「幽霊が見える」と口を滑らせてしまった。

 もちろん、そんな説明が通じるはずもなく、逆に怪しまれる始末だった。ただ、不良たちの証言があったおかげで、なんとか聴取は終わった。

 あの部屋が長らく放置されていた理由も聞かされた。どうやら、男性の父親が遺品整理を拒否していたらしい。それに加え、マンションの管理会社もその部屋を気味悪がり、問題を放置していたという。

 だが、一つだけ不気味な話があった。男性の父親は、俺たちがあの場所を訪れる2日前、久しぶりに602号室を訪れたらしい。そして、その部屋で亡くなっていたという。

 その事実を知ったとき、俺の背筋に冷たいものが走った。父親があの部屋で何を思い、何を感じていたのか――それは誰にもわからない。ただ、一つだけ言えるのは、あの家族が抱えていた闇は、想像を絶する深さだったということだ。

 そんな中、学校では俺が“死体発見者”として囃し立てられるだけでなく、夜遅くに三枝沼と倉庫で何をしていたのかと、あらぬ方向で噂される始末だった。質問攻めにどうにか言い逃れを考えていた俺だったが――。

「想像通りよ。」

 三枝沼のその一言が、すべてをぶち壊した。何も弁解する素振りもなく、むしろ面白がるようなその発言が、火に油を注ぐ結果となった。

 噂は瞬く間に学校中に広がり、教師たちの耳にも届いた。結果、俺は教員から呼び出され、三枝沼と一緒に面談を受ける羽目になった。

「夜遅くに何をしていたのか」「不良との関わりはないのか」と矢継ぎ早に質問される中、三枝沼は終始落ち着き払った態度で――。

「ただの探し物です。必要なことだったので。」

 そんな冷静な説明を繰り返すだけだった。そのせいで俺が焦れば焦るほど、俺が主犯のような形で疑われる。

(……頼むから、もう黙っててくれよ……!)

 心の中で何度も叫びながら、俺は三枝沼との噂の火消しをどうするか、頭を抱える日々を送ることになった。


「なぁ、そういえば父親から探して欲しいって頼まれたって言ったよな。」

 自転車を押しながら歩く俺は、隣を歩く三枝沼に問いかけた。三枝沼はちらりとこちらを見て、興味なさそうに「そうだけど」と短く答えた。

「父親は息子や母親を置いて暮らしてたが……やっぱり最後は探してあげたかったのかなぁ。」

 俺の問いに、三枝沼は冷たい笑顔を浮かべながら言った。

「……解放されないからでしょ。」

 その言葉に、俺は思わず聞き返した。

「解放されない?」

 三枝沼は淡々とした口調で続けた。

「子供は母親を縛って、母親は子供を縛ってた。だから、子供の身体は見つからないよう隠されていた。そして、母親はあの襖の部屋には入れなかった。」

「でも……見つからないと母親も解放されないのに。」

 俺はそう返したが、三枝沼は少しだけ眉を動かし、優しい口調で答えた。

「母親にとって、自分が解放されるよりも秘密が見つかる方が嫌だったのかもね。だからこそ、私たちを襲ってきたのよ。」

 三枝沼のその言葉を聞いた瞬間、あの襖の部屋で母親の霊が襲ってきた光景が頭に蘇った。彼女は息子の身体を見つけられることを、どれだけ恐れていたのだろうか――。

「父親も同じよ。自分が解放されたいがために、息子を探してほしかったの。」

 そのセリフを聞いたとき、胸が締め付けられるように重くなった。解放という言葉は軽く聞こえるが、その裏にあるものがどれだけ深い苦しみなのか、考えるだけで息苦しくなる。

 俺の表情が曇ったのを見た三枝沼は、少しだけ微笑みながら言った。

「でも、貴方は見つけた。」

 その言葉に、俺は思わず顔を上げた。

「……いや、見つけたのは三枝沼だよ。」

 素直な気持ちをそのまま口にした。結局、俺は怖がってついていくしかできなかったし、彼女がいなければここまで来ることもなかった。

 すると三枝沼は、少し驚いたような表情を見せてから、穏やかに微笑んだ。

「違うわ。あの子は、あなたを頼ったのよ。ポストから覗いていたあの“目”……あの時から、あの子はあなたに見つけてもらいたかったのよ。」

「……俺に?」

 信じられない気持ちで聞き返す俺に、三枝沼は静かに頷いた。

「私がいたのは偶然よ。でも、あの子はあなたに見つけられることを望んでた。それができたのは……きっと、あなたが誰よりも純粋に怖がって、同時に、放っておけないって思ったからじゃない?」

 その言葉に、胸の奥がざわついた。確かに、俺はずっとあの目を忘れられなかったし、怖いと思いながらも気になって仕方がなかった。それが、あの子を見つけるきっかけになったのだろうか……。

「……俺が……見つけた……のか。」

 自分でも信じられない気持ちで呟いたその言葉に、三枝沼は「そうよ」と軽く頷いた。そして、ふっと笑って前を向き、こう付け加えた。

「だから、あの子は最後に“ありがとう”って言ったのよ。」

 その言葉を聞いた瞬間、ポストから覗いていたあの目と、倉庫で薄れていく“男”の姿が頭に浮かんだ。そのどちらも、俺に何かを訴えようとしていた――そして最後に感謝の言葉を残して消えていった。

 胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じながら、俺は自転車を押して三枝沼の後ろ姿を追いかけるように歩いていた。

 ふと、口を開いた。

「……ありがとう。」

 それは、俺から三枝沼への言葉だった。

 彼女はその声に気づいたのか、振り返りもせず、少しだけ歩く速度を緩めた。

 俺自身、この「ありがとう」という言葉に込めた意味を整理できていなかった。ただ、あの父親や子供の気持ちも含めて、三枝沼に伝えるべきだと思ったんだ。

 正直、三枝沼が父親の依頼をなぜ引き受けたのか、俺には分からなかった。彼女のことだ、単純に「面白そうだから」という理由かもしれない。あるいは、彼女が何か特別な目的を持って動いていたのかもしれない。

 でも、俺の勝手な解釈ではあったけれど、それは三枝沼の優しさだったんじゃないかと思った。誰にも頼られることなく孤独の中にいた息子を、三枝沼なりのやり方で救おうとしたのだと。

 だから、この「ありがとう」は、俺自身の感謝であると同時に、親や子供の気持ちも含めた言葉だった。

 三枝沼はしばらく無言で歩いていたが、やがて振り返りもせずに軽く笑ったように見えた。

 三枝沼の本心がどこにあったのかは分からないけれど、少なくとも今、目の前に広がる静かな帰り道は、あの倉庫で感じた恐怖とは全く違っていた――少しだけ温かいものが、心の奥に残っていた。
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