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第四話 さよなら、僕の愛したひと。君の絶望が、僕の未来だ。
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伊集院征四郎が社会的に抹殺された後、次に崩壊の槌が振り下ろされたのは、日向朱音の世界だった。学校という狭いコミュニティにおいて、噂の拡散速度は光よりも速い。伊集院が懲戒免職になったという事実はすぐに全校に知れ渡り、同時に「淫行教師と不適切な関係を持っていた女子生徒」の存在が、悪意に満ちた憶測と共に囁かれ始めた。
匿名掲示板には、僕が意図的にリークした情報を元に、朱音のイニシャルや所属部活が書き込まれた。決定的な名指しは避けたが、校内の生徒がそれを見れば、誰のことかすぐにわかるように。
効果は絶大だった。教室に入るたびに、朱音には好奇と侮蔑の視線が突き刺さる。昨日まで「朱音ー!」と笑顔で手を振っていた友人たちは、彼女が近づくと、気まずそうに目を逸らして会話を止めた。彼女の机には、誰が書いたのか「汚い」「恥知らず」といった落書きがされるようになり、上履きが隠されるといった陰湿ないじめも始まった。
彼女が心の拠り所としていた美術部も、顧問の不祥事により活動停止。事実上の退部に追い込まれた。信じていた憧れの先生は日本中から糾弾される犯罪者となり、大切だった友人関係も、打ち込んできた部活動も、すべてを失った。彼女の居場所は、もう学校のどこにも残されていなかった。
数日後、朱音は学校に来なくなった。家に引きこもっているのだろう。彼女の両親が憔悴した様子で、僕の家に謝罪に来たが、僕は「何も知りません。朱音は友人として心配です」と、完璧な善人を演じて追い返した。
そして、雪がちらつき始めた冬の夜。僕が自室で静かに読書をしていると、インターホンが狂ったように鳴り響いた。モニターに映っていたのは、髪を振り乱し、泣き腫らした顔でドアを叩く朱音の姿だった。僕はゆっくりと立ち上がり、玄関へと向かった。
「蓮……! お願い、助けて……!」
ドアを開けると同時に、朱音は僕の胸に倒れ込むように飛び込んできた。冷え切った彼女の身体が、小さく震えている。僕は抵抗もせず、ただ静かに彼女を招き入れた。
リビングに入るなり、朱音は糸が切れたようにその場に崩れ落ち、床に手をついて嗚咽を漏らし始めた。
「うっ……うぅ……ひどいよ、みんな……私が、悪いみたいに……!」
「……」
「私、伊集院先生に騙されてただけなの……! ただ、絵の相談に乗ってもらってただけで……! あんな人だって知らなかった……! 蓮だけなの、私が信じられるのは、蓮だけなんだよ……!」
しゃくりあげながら、必死に自分の無実を訴える。その姿は哀れで、もし僕が何も知らなければ、抱きしめて慰めていたかもしれない。
「お願い……もう一度、やり直したい……蓮と、やり直したいの……!」
その言葉を聞き終えた瞬間、僕は心に被せていた最後の仮面を、静かに剥がした。僕の表情から一切の感情が消え失せたことに、朱音はまだ気づかない。
「やり直す?」
凍るように冷たい声が、僕の口から零れ落ちた。その声色に、朱音はびくりと顔を上げる。
「え……?」
「誰とやり直すんだ? 僕を裏切って、僕との時間を『子供の恋愛ごっこ』だって、あの男と一緒に笑っていた君と?」
その一言は、時を止める呪文のようだった。朱音の顔からさっと血の気が引き、大きく見開かれた瞳が恐怖に揺れる。その言葉は、誰にも聞かれていないはずの、伊集院の車の中で交わされた密談の一部だったからだ。
「な……なんで、それを……どうして……」
声にならない声で呟く彼女に、僕は答えを示す。無言で自室のPCを起動し、そのディスプレイを彼女の目の前に突きつけた。画面には、僕の憎悪の結晶である『復讐.log』と名付けられたフォルダが開かれている。GPSの移動履歴、音声ファイル、動画、テキストデータ……おびただしい数のファイルが、彼女の罪の証拠として整然と並んでいた。
「君が僕の家にスマホを忘れていった、あの夜からだよ」
僕は淡々と、事実だけを告げていく。その一言一言が、朱音の心を打ち砕くハンマーとなるように。
「君が僕を裏切っている証拠を、ずっと集めていた。伊集院を社会的に殺すための証拠も、君を絶望の底に叩き落とすための証拠も、全部ね。学校やマスコミに情報をリークしたのも、伊集院の奥さんに決定的な証拠を送りつけたのも、すべて僕だ」
朱音は息を呑み、カタカタと震えが止まらない。目の前にいるのは、自分の知っている優しい幼馴染の蓮ではない。冷酷で、残忍な、復讐の執行者だった。信じられない、信じたくないという表情で、彼女は僕の顔とPCの画面を交互に見ている。
「君は僕の信頼を踏みにじった。僕たちが二人で歩むはずだった未来を、君自身の汚い欲望のために壊した。だから、僕も君からすべてを奪うことにしたんだ。君が大切にしていた学校での居場所も、友人関係も、美術部も、君のくだらない自尊心も、全部」
僕はゆっくりと立ち上がり、床にへたり込んだまま絶望の色に染まった顔で見上げてくる朱音を、冷ややかに見下ろした。かつて愛した少女の、見るも無惨な姿。だが、僕の心は一片も痛まなかった。
「よく聞け、朱音。君は伊集院に騙されたんじゃない。君自身の意思で、僕を選ばず、あの男とのスリルを選んだんだ。君自身の意思で、僕を裏切った。その罪の重さを、これから先の長い人生、一生かけて後悔し続けるといい」
「ごめんなさ……ごめんなさい……! 蓮……! 私が悪かったから……!」
朱音は半狂乱で僕の足元に縋りつき、子供のように泣きじゃくりながら許しを乞う。その姿は、僕の記憶の中にある太陽のような彼女の面影を、完全に破壊し尽くしていた。だが、僕の凍てついた心が動くことは、もう二度とない。
「さよなら、日向朱音。君の人生にもう僕は二度と関わらない」
僕は彼女の腕を振り払い、冷たく言い放った。
「勝手に不幸になってくれ。それが、君に与えられた罰だ」
それが、僕が彼女に告げた最後の言葉だった。僕は力ずくで彼女を玄関の外へと追い出し、無慈悲にドアを閉めて鍵をかけた。ガチャリ、という金属音が、僕たちの関係の終わりを告げる。ドアの向こう側で、朱音の絶叫と、何かを叩きつけるような音、そして途切れ途切れの泣き声が響いていたが、僕は振り返らなかった。自室に戻ると、ノイズキャンセリング機能のついたイヤホンを耳につけ、クラシック音楽のボリュームを上げた。すべての音を、世界から遮断した。
復讐は、終わった。
それから数年後。
僕は都内の難関大学に進学し、新しい友人たちに囲まれながら、穏やかな学生生活を送っていた。プログラミングのスキルを活かしたアルバイトは順調で、一人暮らしの生活にも何不自由ない。
風の噂で、あの二人の末路を耳にすることがあった。伊集院は多額の慰謝料と借金を背負い、日雇いの肉体労働で食いつないでいるらしい。そして朱音は、結局地元の大学にも進学できず、精神を病んで実家から一歩も出られない生活を送っていると聞いた。
だが、その話を聞いても、僕の心に特別な感慨は浮かばなかった。「ざまぁみろ」という気持ちさえ、もう湧いてはこない。彼らはもう、僕の物語の登場人物ではない。遠い世界の、終わった物語の住人たちの末路でしかないのだ。
僕は講義室の窓から、広がる青空を見上げた。深く、深く息を吸い込む。過去の呪縛は、僕自身の力で清算された。これから始まるのは、誰にも穢されることのない、僕だけの未来だ。
さよなら、僕の愛した偽りの日々。
こんにちは、僕が掴み取った本当の人生。
僕の物語は、ここから始まる。
匿名掲示板には、僕が意図的にリークした情報を元に、朱音のイニシャルや所属部活が書き込まれた。決定的な名指しは避けたが、校内の生徒がそれを見れば、誰のことかすぐにわかるように。
効果は絶大だった。教室に入るたびに、朱音には好奇と侮蔑の視線が突き刺さる。昨日まで「朱音ー!」と笑顔で手を振っていた友人たちは、彼女が近づくと、気まずそうに目を逸らして会話を止めた。彼女の机には、誰が書いたのか「汚い」「恥知らず」といった落書きがされるようになり、上履きが隠されるといった陰湿ないじめも始まった。
彼女が心の拠り所としていた美術部も、顧問の不祥事により活動停止。事実上の退部に追い込まれた。信じていた憧れの先生は日本中から糾弾される犯罪者となり、大切だった友人関係も、打ち込んできた部活動も、すべてを失った。彼女の居場所は、もう学校のどこにも残されていなかった。
数日後、朱音は学校に来なくなった。家に引きこもっているのだろう。彼女の両親が憔悴した様子で、僕の家に謝罪に来たが、僕は「何も知りません。朱音は友人として心配です」と、完璧な善人を演じて追い返した。
そして、雪がちらつき始めた冬の夜。僕が自室で静かに読書をしていると、インターホンが狂ったように鳴り響いた。モニターに映っていたのは、髪を振り乱し、泣き腫らした顔でドアを叩く朱音の姿だった。僕はゆっくりと立ち上がり、玄関へと向かった。
「蓮……! お願い、助けて……!」
ドアを開けると同時に、朱音は僕の胸に倒れ込むように飛び込んできた。冷え切った彼女の身体が、小さく震えている。僕は抵抗もせず、ただ静かに彼女を招き入れた。
リビングに入るなり、朱音は糸が切れたようにその場に崩れ落ち、床に手をついて嗚咽を漏らし始めた。
「うっ……うぅ……ひどいよ、みんな……私が、悪いみたいに……!」
「……」
「私、伊集院先生に騙されてただけなの……! ただ、絵の相談に乗ってもらってただけで……! あんな人だって知らなかった……! 蓮だけなの、私が信じられるのは、蓮だけなんだよ……!」
しゃくりあげながら、必死に自分の無実を訴える。その姿は哀れで、もし僕が何も知らなければ、抱きしめて慰めていたかもしれない。
「お願い……もう一度、やり直したい……蓮と、やり直したいの……!」
その言葉を聞き終えた瞬間、僕は心に被せていた最後の仮面を、静かに剥がした。僕の表情から一切の感情が消え失せたことに、朱音はまだ気づかない。
「やり直す?」
凍るように冷たい声が、僕の口から零れ落ちた。その声色に、朱音はびくりと顔を上げる。
「え……?」
「誰とやり直すんだ? 僕を裏切って、僕との時間を『子供の恋愛ごっこ』だって、あの男と一緒に笑っていた君と?」
その一言は、時を止める呪文のようだった。朱音の顔からさっと血の気が引き、大きく見開かれた瞳が恐怖に揺れる。その言葉は、誰にも聞かれていないはずの、伊集院の車の中で交わされた密談の一部だったからだ。
「な……なんで、それを……どうして……」
声にならない声で呟く彼女に、僕は答えを示す。無言で自室のPCを起動し、そのディスプレイを彼女の目の前に突きつけた。画面には、僕の憎悪の結晶である『復讐.log』と名付けられたフォルダが開かれている。GPSの移動履歴、音声ファイル、動画、テキストデータ……おびただしい数のファイルが、彼女の罪の証拠として整然と並んでいた。
「君が僕の家にスマホを忘れていった、あの夜からだよ」
僕は淡々と、事実だけを告げていく。その一言一言が、朱音の心を打ち砕くハンマーとなるように。
「君が僕を裏切っている証拠を、ずっと集めていた。伊集院を社会的に殺すための証拠も、君を絶望の底に叩き落とすための証拠も、全部ね。学校やマスコミに情報をリークしたのも、伊集院の奥さんに決定的な証拠を送りつけたのも、すべて僕だ」
朱音は息を呑み、カタカタと震えが止まらない。目の前にいるのは、自分の知っている優しい幼馴染の蓮ではない。冷酷で、残忍な、復讐の執行者だった。信じられない、信じたくないという表情で、彼女は僕の顔とPCの画面を交互に見ている。
「君は僕の信頼を踏みにじった。僕たちが二人で歩むはずだった未来を、君自身の汚い欲望のために壊した。だから、僕も君からすべてを奪うことにしたんだ。君が大切にしていた学校での居場所も、友人関係も、美術部も、君のくだらない自尊心も、全部」
僕はゆっくりと立ち上がり、床にへたり込んだまま絶望の色に染まった顔で見上げてくる朱音を、冷ややかに見下ろした。かつて愛した少女の、見るも無惨な姿。だが、僕の心は一片も痛まなかった。
「よく聞け、朱音。君は伊集院に騙されたんじゃない。君自身の意思で、僕を選ばず、あの男とのスリルを選んだんだ。君自身の意思で、僕を裏切った。その罪の重さを、これから先の長い人生、一生かけて後悔し続けるといい」
「ごめんなさ……ごめんなさい……! 蓮……! 私が悪かったから……!」
朱音は半狂乱で僕の足元に縋りつき、子供のように泣きじゃくりながら許しを乞う。その姿は、僕の記憶の中にある太陽のような彼女の面影を、完全に破壊し尽くしていた。だが、僕の凍てついた心が動くことは、もう二度とない。
「さよなら、日向朱音。君の人生にもう僕は二度と関わらない」
僕は彼女の腕を振り払い、冷たく言い放った。
「勝手に不幸になってくれ。それが、君に与えられた罰だ」
それが、僕が彼女に告げた最後の言葉だった。僕は力ずくで彼女を玄関の外へと追い出し、無慈悲にドアを閉めて鍵をかけた。ガチャリ、という金属音が、僕たちの関係の終わりを告げる。ドアの向こう側で、朱音の絶叫と、何かを叩きつけるような音、そして途切れ途切れの泣き声が響いていたが、僕は振り返らなかった。自室に戻ると、ノイズキャンセリング機能のついたイヤホンを耳につけ、クラシック音楽のボリュームを上げた。すべての音を、世界から遮断した。
復讐は、終わった。
それから数年後。
僕は都内の難関大学に進学し、新しい友人たちに囲まれながら、穏やかな学生生活を送っていた。プログラミングのスキルを活かしたアルバイトは順調で、一人暮らしの生活にも何不自由ない。
風の噂で、あの二人の末路を耳にすることがあった。伊集院は多額の慰謝料と借金を背負い、日雇いの肉体労働で食いつないでいるらしい。そして朱音は、結局地元の大学にも進学できず、精神を病んで実家から一歩も出られない生活を送っていると聞いた。
だが、その話を聞いても、僕の心に特別な感慨は浮かばなかった。「ざまぁみろ」という気持ちさえ、もう湧いてはこない。彼らはもう、僕の物語の登場人物ではない。遠い世界の、終わった物語の住人たちの末路でしかないのだ。
僕は講義室の窓から、広がる青空を見上げた。深く、深く息を吸い込む。過去の呪縛は、僕自身の力で清算された。これから始まるのは、誰にも穢されることのない、僕だけの未来だ。
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