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第二話 沈黙の被害者たち
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優奈が俺の前から姿を消し、あの悪夢のような夜から一週間が過ぎた。
俺は抜け殻のような状態で大学に通っていたが、講義の内容など一言も頭に入ってこない。キャンパス内ですれ違う学生たちの笑顔が、すべて俺を嘲笑っているかのように見えた。特にテニスラケットを背負った集団を見かけるたび、胃の奥が焼けつくような嫌悪感に襲われる。
優奈からの連絡は一切ない。LINEもブロックされ、電話も着信拒否。アパートに行っても居留守を使われるか、そもそも帰ってきていないかのどちらかだった。
彼女は完全に『キングス』の、いや、須藤という男の所有物になってしまったのだ。
「……このまま泣き寝入りなんて、できるわけがない」
俺は学食の隅で、冷めたうどんを啜りながら決意を固めた。個人的な感情だけではない。優奈が叫んでいた「儀式」や「伝統」という言葉。そして、あの夜の彼女の異常な酩酊状態と、首筋の痕。
あれがもし、薬物や強制力を伴う犯罪行為だったとしたら。優奈は洗脳されている被害者であり、同時に加害者の一員になろうとしている。
俺はまず、大学の「学生生活課」へ向かった。公的な機関に訴え出ることで、大学側からサークルへの指導、あわよくば解散命令を出してもらえるのではないかと期待したからだ。
窓口の奥にある相談室に通された俺は、対応に出てきた五十代くらいの男性職員に向かって、洗いざらいすべてを話した。新入生への未成年飲酒の強要、儀式と称した性的暴行の疑い、そして須藤健人という代表の危険性について。
職員は、時折眉をひそめながらメモを取っていたが、俺が話し終えると、深くため息をついて眼鏡の位置を直した。
「相沢くん、だったね。君の言いたいことは分かった。恋人を取られた悔しさも、よく理解できるよ」
「取られたとか、そういう痴話喧嘩の話じゃないんです! あそこは組織的に犯罪まがいのことを……」
「まあまあ、落ち着きなさい」
職員は面倒くさそうに手を振って俺の言葉を遮った。
「君ね、『犯罪』なんて安易に口にするもんじゃないよ。証拠はあるのかい? 警察が動くような決定的な証拠が」
「それは……これから探そうと……」
「ないんだろう? 話を聞く限り、君の彼女……川口さんは、自分の意志でサークル活動に参加しているように見えるがね。未成年飲酒についても、まあ、学生の羽目外し程度で目くじらを立てていては、大学なんて運営できないよ」
俺は耳を疑った。教育機関の人間が吐く言葉とは思えなかった。
「羽目外し? 集団暴行の疑いがあると言ってるんですよ!」
「君、言葉を慎みなさい」
職員の声が低くなり、威圧的な色が混じった。
「『キングス』は我が校でも有数の歴史あるサークルだ。OBには政財界の有力者も多いし、須藤くんのお父上も大学への多額の寄付をしてくださっている評議員の一人だ。確たる証拠もなく彼らを中傷すれば、逆に君が名誉毀損で訴えられることになるよ? 退学処分だってあり得る」
「……脅しですか」
「忠告だよ、忠告。君の将来を思って言っているんだ。地方から出てきて、やっと入った大学だろう? 変な正義感で人生を棒に振るのは賢くない」
職員は「もう話は終わりだ」と言わんばかりに立ち上がり、出口のドアを開けた。
俺は拳を強く握りしめ、爪が皮膚に食い込む痛みを感じながら部屋を出た。
分かった。そういうことか。
この大学は腐っている。金と権力を持つ者たちの前では、一人の学生の訴えなどゴミ同然に握り潰されるのだ。
表のルートは完全に塞がれている。なら、裏から攻めるしかない。
その日から、俺の生活は一変した。
大学の講義が終わるとすぐにアパートへ戻り、パソコンに向かう日々。煌びやかなキャンパスライフとは無縁の、ネットの深淵を彷徨う孤独な調査が始まった。
SNSの裏アカウント、大学の匿名掲示板、ゴシップサイトの過去ログ。
『キングス』『テニサー』『須藤』『ヤリサー』『被害』『退学』
あらゆるキーワードを組み合わせ、何千、何万という書き込みに目を通す。そのほとんどは根拠のない噂話や下世話な野次馬コメントだったが、俺は砂金を探すような執念で、真実に繋がりそうな欠片を拾い集めていった。
深夜三時。エナジードリンクの空き缶が机に積み上がる中、俺の手が止まった。
二年前に更新が止まっている、あるブログを見つけたのだ。
タイトルは『雨の日の憂鬱』。一見すると普通の女子大生の日記だが、途中から内容が不穏になっていく。
『サークルの先輩が怖い』
『断れない飲み会。記憶がない』
『動画を撮られたかもしれない』
『もう学校に行けない』
そして最後の記事には、ただ一言。『さようなら』とだけ書かれていた。
投稿日時を確認すると、須藤がまだ一年生か二年生だった時期と重なる。俺はこのブログの執筆者が使っていたハンドルネーム『ミウ』を手がかりに、SNS上で類似のアカウントを探し回った。
三日後、ついに接触に成功した。
今は別のアカウント名で、鬱病の闘病記録を綴っている女性。DMで慎重に「俺も大切な人をキングスに奪われた。復讐したい」とメッセージを送ると、長い沈黙の後、彼女から返信が来た。
『……会って、話せますか?』
指定された場所は、大学から三駅離れた街にある、古びた喫茶店の奥の席だった。
約束の時間、そこに現れたのは、帽子を目深に被り、大きなマスクで顔を隠した小柄な女性だった。手首にはリストカットの痕を隠すようなテーピングが見える。
「……相沢さん、ですか?」
「はい。来てくれてありがとうございます。ミウさん……でいいですか?」
「いえ、本名は佐々木美紀(ささき みき)と言います。もう、隠すのも疲れちゃったから」
美紀さんは震える手でアイスコーヒーのストローを弄りながら、ぽつりぽつりと語り始めた。彼女もまた、地方出身で友人が欲しくて『キングス』に入った一人だった。
「最初は優しかったんです。でも、合宿で……お酒に何か入れられて。気がついたら、先輩たちに囲まれていて……カメラが回っていて……」
彼女の声が微かに震える。俺は何も言わず、ただ真剣に耳を傾けた。
「抵抗しようとしたら、『この動画を実家に送るぞ』『ネットにばら撒くぞ』って脅されて。それからは、もう地獄でした。須藤……あいつは悪魔です。自分が手を汚すんじゃなく、新入生の男の子たちに命令して、私たちを襲わせるんです。『共犯者』を作るために」
それが「伝統」の正体か。
新入生の男子には「女を犯す」という背徳的な秘密を共有させ、女子には「動画」という弱みを握る。そうやって相互監視と恐怖で支配し、誰も逃げられないようにするシステム。優奈が言っていた「団結」とは、犯罪の共有による鎖のことだったのだ。
「私は耐えられなくなって、休学して、そのまま退学しました。警察にも行こうとしたけど、動画のことが怖くて……それに、大学側もまともに取り合ってくれなくて」
「俺も同じでした。大学はあいつらの味方です」
俺が悔しさを滲ませると、美紀さんは鞄から古びたUSBメモリを取り出した。
「これ……私が辞める直前に、偶然録音できたデータです。須藤が、他の女の子を脅している音声と、先輩たちが次のターゲットについて話しているLINEのスクショが入ってます。いつか復讐してやろうと思って、ずっと持ってたんです。でも、私一人じゃ怖くて何もできなくて……」
彼女は涙目で俺を見つめ、USBを差し出した。
「相沢さん、お願いです。あいつらを終わらせてください。私の、私たちの無念を晴らしてください」
その小さなメモリを受け取った時、俺の中で責任の重さが変わった。これはもう、俺一人の復讐ではない。踏みにじられてきた数多くの被害者たちの、血の叫びだ。
「……必ず、あいつらを地獄に落とします。約束します」
俺が力強く答えると、美紀さんは初めて少しだけ安堵したような表情を見せた。
「それなら、会わせたい人がいます。私のことをずっと取材してくれていた、フリーの記者さんがいるんです」
美紀さんの紹介でその日の夜に会ったのが、真壁玲子(まかべ れいこ)だった。
新宿の雑居ビルにある薄暗いバー。紫煙をくゆらせながら現れた彼女は、二十代後半にしてはどこか達観したような、鋭い眼光を持つ女性だった。
「なるほどね。大学にも門前払い、警察も証拠不十分で動かない。典型的なパターンだわ」
真壁さんは俺が集めた情報と、美紀さんのUSBデータを確認しながら、冷ややかな笑みを浮かべた。
「でも、この音声データは決定的ね。これに加えて、現在進行形の『映像』があれば、もう言い逃れはできない」
「映像、ですか」
「ええ。過去の音声だけじゃ、『若気の至りだった』とか『捏造だ』とか言って揉み消される可能性がある。今の社会で奴らを完全に殺すには、誰が見ても言い訳できない、生々しい『今』の証拠が必要なの」
真壁さんはタバコを灰皿に押し付けると、身を乗り出して俺の目を見た。
「私の妹もね、似たようなサークルに壊されたのよ。だから、こういう手合いは虫酸が走るほど嫌いなの。協力するわ、相沢くん。ただのニュースじゃ終わらせない。全国民が彼らを袋叩きにするような、極上のエンターテインメントに仕立て上げましょう」
彼女の言葉には、ジャーナリストとしての矜持と、個人的な復讐心が入り混じった凄みがあった。
「狙うなら、来月にある『キングス創立記念パーティー』よ。例年、軽井沢にあるOBの別荘で行われる、サークル最大規模の乱行イベント。そこで決定的な証拠を抑える」
「でも、部外者は立ち入れないんじゃ……」
「そこは任せて。私にも独自のルートがあるし、機材も揃える。君には、内部の動きを探ってほしい。優奈さん……だったかしら? 彼女のSNS、まだ見れる?」
「いえ、ブロックされてます」
「裏垢があるはずよ。洗脳されている時期の人間は、承認欲求が暴走して、鍵垢で秘密を漏らす傾向がある。それを特定して」
プロの指示は的確だった。俺は再びネットの海に潜り、優奈の別の顔を探し始めた。
そして数日後、ついに見つけた。鍵のかかったインスタグラムのアカウント。アイコンは優奈の首元のアップ。プロフィール欄には『Kings / Secret / Bond』の文字。
俺は知人の女子に頼んでフォロワーになってもらい、中身を確認した。
そこには、俺が知っていた清楚な優奈はいなかった。
露出度の高いドレスを着て、須藤に寄り添い、恍惚とした表情を浮かべる女。
『来月のパーティー楽しみ♡ 巫女役頑張る!』
『部外者には分からない、私たちの聖域』
『翔太との思い出とか全部捨てた。これからはキングスに尽くす』
投稿を見るたび、胸が張り裂けそうになる。だが、同時に冷静になっていく自分もいた。
これはもう、俺の愛した優奈ではない。須藤の手によって作り変えられた、ただの操り人形だ。
憐れみすら感じる。彼女は自分が「聖域」にいると信じているが、そこはただの屠殺場であり、彼女は自ら進んでまな板の上に乗っているに過ぎない。
「待ってろよ、優奈」
俺はモニターに映る彼女の笑顔に向かって、低く呟いた。
「お前が信じているその『聖域』ごと、すべて焼き尽くしてやるから」
準備は整いつつあった。
美紀さんたち過去の被害者の証言。真壁さんという強力な味方。そして、決戦の舞台となるパーティーの日時と場所。
俺たちは水面下で、着実に包囲網を狭めていった。
キャンパスで我が物顔で歩く須藤たちを見るたび、俺は腹の底で黒い笑いを堪えるようになった。
笑っていられるのも今のうちだ。
お前たちが積み上げてきた「伝統」という名の汚物が、白日の下に晒される日は近い。
俺はスマホのカレンダーを開き、来月のパーティーの日に赤い印をつけた。
その日は、奇しくも俺と優奈が付き合い始めた記念日だった。
皮肉なものだ。かつて愛を誓った日が、今度は彼女への断罪の日になるなんて。
「……行くぞ」
俺はアパートの窓を開け、湿った夜風を吸い込んだ。
復讐のカウントダウンは、もう始まっている。
俺は抜け殻のような状態で大学に通っていたが、講義の内容など一言も頭に入ってこない。キャンパス内ですれ違う学生たちの笑顔が、すべて俺を嘲笑っているかのように見えた。特にテニスラケットを背負った集団を見かけるたび、胃の奥が焼けつくような嫌悪感に襲われる。
優奈からの連絡は一切ない。LINEもブロックされ、電話も着信拒否。アパートに行っても居留守を使われるか、そもそも帰ってきていないかのどちらかだった。
彼女は完全に『キングス』の、いや、須藤という男の所有物になってしまったのだ。
「……このまま泣き寝入りなんて、できるわけがない」
俺は学食の隅で、冷めたうどんを啜りながら決意を固めた。個人的な感情だけではない。優奈が叫んでいた「儀式」や「伝統」という言葉。そして、あの夜の彼女の異常な酩酊状態と、首筋の痕。
あれがもし、薬物や強制力を伴う犯罪行為だったとしたら。優奈は洗脳されている被害者であり、同時に加害者の一員になろうとしている。
俺はまず、大学の「学生生活課」へ向かった。公的な機関に訴え出ることで、大学側からサークルへの指導、あわよくば解散命令を出してもらえるのではないかと期待したからだ。
窓口の奥にある相談室に通された俺は、対応に出てきた五十代くらいの男性職員に向かって、洗いざらいすべてを話した。新入生への未成年飲酒の強要、儀式と称した性的暴行の疑い、そして須藤健人という代表の危険性について。
職員は、時折眉をひそめながらメモを取っていたが、俺が話し終えると、深くため息をついて眼鏡の位置を直した。
「相沢くん、だったね。君の言いたいことは分かった。恋人を取られた悔しさも、よく理解できるよ」
「取られたとか、そういう痴話喧嘩の話じゃないんです! あそこは組織的に犯罪まがいのことを……」
「まあまあ、落ち着きなさい」
職員は面倒くさそうに手を振って俺の言葉を遮った。
「君ね、『犯罪』なんて安易に口にするもんじゃないよ。証拠はあるのかい? 警察が動くような決定的な証拠が」
「それは……これから探そうと……」
「ないんだろう? 話を聞く限り、君の彼女……川口さんは、自分の意志でサークル活動に参加しているように見えるがね。未成年飲酒についても、まあ、学生の羽目外し程度で目くじらを立てていては、大学なんて運営できないよ」
俺は耳を疑った。教育機関の人間が吐く言葉とは思えなかった。
「羽目外し? 集団暴行の疑いがあると言ってるんですよ!」
「君、言葉を慎みなさい」
職員の声が低くなり、威圧的な色が混じった。
「『キングス』は我が校でも有数の歴史あるサークルだ。OBには政財界の有力者も多いし、須藤くんのお父上も大学への多額の寄付をしてくださっている評議員の一人だ。確たる証拠もなく彼らを中傷すれば、逆に君が名誉毀損で訴えられることになるよ? 退学処分だってあり得る」
「……脅しですか」
「忠告だよ、忠告。君の将来を思って言っているんだ。地方から出てきて、やっと入った大学だろう? 変な正義感で人生を棒に振るのは賢くない」
職員は「もう話は終わりだ」と言わんばかりに立ち上がり、出口のドアを開けた。
俺は拳を強く握りしめ、爪が皮膚に食い込む痛みを感じながら部屋を出た。
分かった。そういうことか。
この大学は腐っている。金と権力を持つ者たちの前では、一人の学生の訴えなどゴミ同然に握り潰されるのだ。
表のルートは完全に塞がれている。なら、裏から攻めるしかない。
その日から、俺の生活は一変した。
大学の講義が終わるとすぐにアパートへ戻り、パソコンに向かう日々。煌びやかなキャンパスライフとは無縁の、ネットの深淵を彷徨う孤独な調査が始まった。
SNSの裏アカウント、大学の匿名掲示板、ゴシップサイトの過去ログ。
『キングス』『テニサー』『須藤』『ヤリサー』『被害』『退学』
あらゆるキーワードを組み合わせ、何千、何万という書き込みに目を通す。そのほとんどは根拠のない噂話や下世話な野次馬コメントだったが、俺は砂金を探すような執念で、真実に繋がりそうな欠片を拾い集めていった。
深夜三時。エナジードリンクの空き缶が机に積み上がる中、俺の手が止まった。
二年前に更新が止まっている、あるブログを見つけたのだ。
タイトルは『雨の日の憂鬱』。一見すると普通の女子大生の日記だが、途中から内容が不穏になっていく。
『サークルの先輩が怖い』
『断れない飲み会。記憶がない』
『動画を撮られたかもしれない』
『もう学校に行けない』
そして最後の記事には、ただ一言。『さようなら』とだけ書かれていた。
投稿日時を確認すると、須藤がまだ一年生か二年生だった時期と重なる。俺はこのブログの執筆者が使っていたハンドルネーム『ミウ』を手がかりに、SNS上で類似のアカウントを探し回った。
三日後、ついに接触に成功した。
今は別のアカウント名で、鬱病の闘病記録を綴っている女性。DMで慎重に「俺も大切な人をキングスに奪われた。復讐したい」とメッセージを送ると、長い沈黙の後、彼女から返信が来た。
『……会って、話せますか?』
指定された場所は、大学から三駅離れた街にある、古びた喫茶店の奥の席だった。
約束の時間、そこに現れたのは、帽子を目深に被り、大きなマスクで顔を隠した小柄な女性だった。手首にはリストカットの痕を隠すようなテーピングが見える。
「……相沢さん、ですか?」
「はい。来てくれてありがとうございます。ミウさん……でいいですか?」
「いえ、本名は佐々木美紀(ささき みき)と言います。もう、隠すのも疲れちゃったから」
美紀さんは震える手でアイスコーヒーのストローを弄りながら、ぽつりぽつりと語り始めた。彼女もまた、地方出身で友人が欲しくて『キングス』に入った一人だった。
「最初は優しかったんです。でも、合宿で……お酒に何か入れられて。気がついたら、先輩たちに囲まれていて……カメラが回っていて……」
彼女の声が微かに震える。俺は何も言わず、ただ真剣に耳を傾けた。
「抵抗しようとしたら、『この動画を実家に送るぞ』『ネットにばら撒くぞ』って脅されて。それからは、もう地獄でした。須藤……あいつは悪魔です。自分が手を汚すんじゃなく、新入生の男の子たちに命令して、私たちを襲わせるんです。『共犯者』を作るために」
それが「伝統」の正体か。
新入生の男子には「女を犯す」という背徳的な秘密を共有させ、女子には「動画」という弱みを握る。そうやって相互監視と恐怖で支配し、誰も逃げられないようにするシステム。優奈が言っていた「団結」とは、犯罪の共有による鎖のことだったのだ。
「私は耐えられなくなって、休学して、そのまま退学しました。警察にも行こうとしたけど、動画のことが怖くて……それに、大学側もまともに取り合ってくれなくて」
「俺も同じでした。大学はあいつらの味方です」
俺が悔しさを滲ませると、美紀さんは鞄から古びたUSBメモリを取り出した。
「これ……私が辞める直前に、偶然録音できたデータです。須藤が、他の女の子を脅している音声と、先輩たちが次のターゲットについて話しているLINEのスクショが入ってます。いつか復讐してやろうと思って、ずっと持ってたんです。でも、私一人じゃ怖くて何もできなくて……」
彼女は涙目で俺を見つめ、USBを差し出した。
「相沢さん、お願いです。あいつらを終わらせてください。私の、私たちの無念を晴らしてください」
その小さなメモリを受け取った時、俺の中で責任の重さが変わった。これはもう、俺一人の復讐ではない。踏みにじられてきた数多くの被害者たちの、血の叫びだ。
「……必ず、あいつらを地獄に落とします。約束します」
俺が力強く答えると、美紀さんは初めて少しだけ安堵したような表情を見せた。
「それなら、会わせたい人がいます。私のことをずっと取材してくれていた、フリーの記者さんがいるんです」
美紀さんの紹介でその日の夜に会ったのが、真壁玲子(まかべ れいこ)だった。
新宿の雑居ビルにある薄暗いバー。紫煙をくゆらせながら現れた彼女は、二十代後半にしてはどこか達観したような、鋭い眼光を持つ女性だった。
「なるほどね。大学にも門前払い、警察も証拠不十分で動かない。典型的なパターンだわ」
真壁さんは俺が集めた情報と、美紀さんのUSBデータを確認しながら、冷ややかな笑みを浮かべた。
「でも、この音声データは決定的ね。これに加えて、現在進行形の『映像』があれば、もう言い逃れはできない」
「映像、ですか」
「ええ。過去の音声だけじゃ、『若気の至りだった』とか『捏造だ』とか言って揉み消される可能性がある。今の社会で奴らを完全に殺すには、誰が見ても言い訳できない、生々しい『今』の証拠が必要なの」
真壁さんはタバコを灰皿に押し付けると、身を乗り出して俺の目を見た。
「私の妹もね、似たようなサークルに壊されたのよ。だから、こういう手合いは虫酸が走るほど嫌いなの。協力するわ、相沢くん。ただのニュースじゃ終わらせない。全国民が彼らを袋叩きにするような、極上のエンターテインメントに仕立て上げましょう」
彼女の言葉には、ジャーナリストとしての矜持と、個人的な復讐心が入り混じった凄みがあった。
「狙うなら、来月にある『キングス創立記念パーティー』よ。例年、軽井沢にあるOBの別荘で行われる、サークル最大規模の乱行イベント。そこで決定的な証拠を抑える」
「でも、部外者は立ち入れないんじゃ……」
「そこは任せて。私にも独自のルートがあるし、機材も揃える。君には、内部の動きを探ってほしい。優奈さん……だったかしら? 彼女のSNS、まだ見れる?」
「いえ、ブロックされてます」
「裏垢があるはずよ。洗脳されている時期の人間は、承認欲求が暴走して、鍵垢で秘密を漏らす傾向がある。それを特定して」
プロの指示は的確だった。俺は再びネットの海に潜り、優奈の別の顔を探し始めた。
そして数日後、ついに見つけた。鍵のかかったインスタグラムのアカウント。アイコンは優奈の首元のアップ。プロフィール欄には『Kings / Secret / Bond』の文字。
俺は知人の女子に頼んでフォロワーになってもらい、中身を確認した。
そこには、俺が知っていた清楚な優奈はいなかった。
露出度の高いドレスを着て、須藤に寄り添い、恍惚とした表情を浮かべる女。
『来月のパーティー楽しみ♡ 巫女役頑張る!』
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『翔太との思い出とか全部捨てた。これからはキングスに尽くす』
投稿を見るたび、胸が張り裂けそうになる。だが、同時に冷静になっていく自分もいた。
これはもう、俺の愛した優奈ではない。須藤の手によって作り変えられた、ただの操り人形だ。
憐れみすら感じる。彼女は自分が「聖域」にいると信じているが、そこはただの屠殺場であり、彼女は自ら進んでまな板の上に乗っているに過ぎない。
「待ってろよ、優奈」
俺はモニターに映る彼女の笑顔に向かって、低く呟いた。
「お前が信じているその『聖域』ごと、すべて焼き尽くしてやるから」
準備は整いつつあった。
美紀さんたち過去の被害者の証言。真壁さんという強力な味方。そして、決戦の舞台となるパーティーの日時と場所。
俺たちは水面下で、着実に包囲網を狭めていった。
キャンパスで我が物顔で歩く須藤たちを見るたび、俺は腹の底で黒い笑いを堪えるようになった。
笑っていられるのも今のうちだ。
お前たちが積み上げてきた「伝統」という名の汚物が、白日の下に晒される日は近い。
俺はスマホのカレンダーを開き、来月のパーティーの日に赤い印をつけた。
その日は、奇しくも俺と優奈が付き合い始めた記念日だった。
皮肉なものだ。かつて愛を誓った日が、今度は彼女への断罪の日になるなんて。
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