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第三話 祝宴の断罪
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都内有数の高級ホテル「ホテル・グランヴィア」。
その最上階にあるバンケットルームは、煌びやかなシャンデリアの光と、着飾った人々の熱気で満たされていた。
「株式会社ネクスト・イノベーション 設立五周年記念パーティー」。
表向きはそう銘打たれているが、招待客の誰もが裏のテーマを知っていた。
それは、北条タクミと相沢レイナの事実上の「婚約披露宴」であり、同時に「悪徳夫から解放されたヒロインを祝う会」でもあった。
会場の隅、目立たない円卓の影で、俺、相沢和也は静かにその時を待っていた。
ウェイターに幾らかチップを握らせ、スタッフ用の出入り口から紛れ込むのは造作もなかった。黒のスーツに身を包み、気配を消して壁際に立てば、誰も俺の存在になど気づかない。
彼らの目は、ステージ上の「主役」たちに釘付けだからだ。
「えー、本日はご多忙の中、これほど多くの方にお集まりいただき、本当にありがとうございます!」
マイクを握りしめ、高らかに声を上げたのは北条タクミだ。
イタリア製の高級タキシードを着こなし、髪を完璧にセットした彼は、自信に満ち溢れた笑みを浮かべていた。
その隣には、純白のカクテルドレスを身にまとったレイナが寄り添っている。まるで結婚式の二次会のような装いだ。彼女の表情は、長年の苦しみから解放された聖女のように晴れやかだった。
「会社の五周年もめでたいことですが、今日はもう一つ、僕にとって大切な報告があります」
タクミがレイナの肩を抱き寄せると、会場から「ヒュー!」という冷やかしの声と拍手が湧き起こった。
俺の大学時代の友人たち、そしてレイナの親族たちが、温かい眼差しを向けている。
「ここにいるレイナさんは、僕の大学時代の友人でした。ですが、彼女は不幸にも、ある男との結婚生活で地獄を味わっていました」
タクミの声色が、芝居がかった深刻なトーンに変わる。
「その男……あえて名前は伏せますが、彼は外面こそ真面目な会社員ですが、家庭内では冷酷な暴君でした。レイナさんを無視し、経済的に締め付け、あろうことか暴力まで振るっていたのです」
会場がざわめき、同情の嘆息が漏れる。
最前列のテーブルでは、レイナの両親がハンカチで目頭を押さえていた。
「私は見ていられなかった。友人の妻だからと見て見ぬふりをするのは、僕の正義に反する。だから僕は、あらゆるリスクを背負って彼女を救い出しました! 愛する女性の涙を、僕はもう二度と見たくないんです!」
「タクミくん……」
レイナが潤んだ瞳でタクミを見上げ、マイクを受け取った。
「皆さん、ご心配をおかけしました。私は長い間、暗いトンネルの中にいました。夫の足音が聞こえるだけで震えが止まらなくて……自分には生きる価値がないんじゃないかって、何度も思いました。でも、タクミくんが私を暗闇から連れ出してくれたんです。彼は私のヒーローです」
「レイナ! よく頑張ったな!」
「幸せになれよー!」
「そんなクズ夫、別れて正解だぞ!」
友人席から野次馬のような声援が飛ぶ。
タクミは満足げに頷き、グラスを掲げた。
「あの男との離婚協議も、間もなく終わります。彼もようやく自分の罪を認めました。正義は勝つんです! さあ皆さん、僕たちの新しい門出と、レイナさんの未来に、乾杯!」
「「「乾杯!!」」」
グラスが触れ合う軽快な音が響き渡り、会場は祝福のムード一色に染まった。
誰もが二人を称え、俺という存在を「過去の汚点」として笑い飛ばしている。
その光景を眺めながら、俺は懐からスマートフォンを取り出した。
画面には一通のメッセージが表示されている。
送信相手は、このホテルの音響室に忍び込ませた協力者――探偵の神崎だ。
『準備完了。いつでもいけます』
俺は短く『GO』と返信し、ゆっくりとステージへ向かって歩き出した。
カツ、カツ、カツ。
革靴の音が、やけに鮮明に響く。
人混みをかき分け、ステージの階段に足をかけた時、最初に気づいたのは最前列にいたレイナの父親だった。
「……ん? お前、まさか」
義父が目を見開き、幽霊でも見たかのように立ち上がる。
その異変に気づき、会場の視線が一点に集中する。
ステージ上の二人が、怪訝な顔でこちらを振り向いた。
「……よお。盛り上がってるみたいだな」
俺は静かにステージへ上がり、二人の目の前に立った。
一瞬の静寂。
そして、レイナの悲鳴に近い声が空気を切り裂いた。
「ひっ……!? か、和也!? なんでここに!?」
「なんでって、招待してくれなかったからさ。お祝いに来たんだよ」
「帰れ! 今すぐ帰れ!」
タクミが顔を真っ赤にして怒鳴り、スタッフを呼ぼうと手を振った。
「不法侵入だぞ! 警備員、警備員は何をしてるんだ! このストーカー男を摘み出せ!」
会場が騒然となる。
「あれが噂のDV夫か」「よく顔を出せたな」「最低な男だ」という罵声が四方八方から飛んでくる。
かつての友人たちも、軽蔑の眼差しを向けてくる。
だが、俺は微動だにせず、マイクスタンドの前に立った。
「ストーカー扱いとは心外だな。俺はまだ、レイナの夫だぞ。離婚届はまだ受理されていない」
「うるさい! お前みたいな犯罪者と話すことなんてない! みんな、こいつが俺たちの幸せを壊そうとしてるんだ!」
タクミが俺の胸倉を掴もうと手を伸ばした、その時だった。
『――ねえタクミくん、この痣メイクどう? リアルに見える?』
会場の大音量スピーカーから、場違いなほど能天気な女性の声が響き渡った。
タクミの手が空中で止まる。
レイナがギョッとして周囲を見回す。
「え……? なに、今の声……」
『すげー! 本物の痣みたいじゃん。これ写真に撮って親に見せればイチコロだな』
今度は男の声。紛れもなく、タクミの声だ。
会場のざわめきが、一瞬にして波が引くように静まった。
全員の視線が、俺ではなく、ステージ背面の巨大スクリーンに釘付けになる。
『でしょ? これで診断書も偽造できれば完璧なんだけどなー』
スクリーンに映し出されたのは、タクミのマンションのリビングだ。
そこには、今まさに「悲劇のヒロイン」を演じていたレイナが、鏡に向かってアイシャドウで腕に「偽の痣」を描いている姿が映っていた。
その横で、タクミがスマホを構えて爆笑している。
「な、な……っ!?」
レイナの顔から血の気が引いていくのが分かった。
彼女はパクパクと口を開閉させるが、声が出てこない。
映像は続く。
『診断書は俺の知り合いのヤブ医者に頼めばなんとかなるって。それより、昨日の和也の顔見た? 葬式みたいでウケたわw』
『見た見たw まじ哀れ。早くあのマンション売って、新しい新居の頭金にしよ♡』
『あいつ、真面目すぎて面白みがないからさ、社会的に抹殺してやろうぜ』
『キャハハ! 最高!』
映像の中の二人は、悪魔のように笑っていた。
俺の苦悩を嘲笑い、両親の心配を「イチコロ」と表現し、全てを金と快楽のためのゲームとして語っている。
会場の空気が、急速に凍りついていく。
さっきまで二人を称賛していたゲストたちの表情が、困惑から疑念、そして嫌悪へと変わっていくのが手に取るように分かった。
「ち、違う! これは捏造だ! AIで作った偽動画だ!」
タクミが裏返った声で叫び、スクリーンを隠そうと両手を広げる。
だが、無情にも映像は切り替わった。
今度はラブホテルの一室。
二人がベッドの上で絡み合いながら、カメラに向かってピースサインをしている。
『和也さん、今までご苦労様。あなたの稼いだお金、私たちが有効活用してあげるからね。感謝してよね』
『お前の親もチョロいよなー。娘の嘘泣き一つでコロッと騙されてやんの。あのジジイ、説教臭くてウザいけど、味方につければ最強の駒だわ』
その言葉が流れた瞬間、会場のどこかでグラスが割れる音がした。
最前列のテーブルだ。
レイナの父親が、震える手で立ち尽くしていた。足元には砕け散ったシャンパングラスが転がっている。
「……ちょろい……だと?」
父親の低い呻き声が、静まり返った会場に響いた。
映像はまだ続いているが、神崎はここで追撃の手を緩めなかった。
ピロン、ピロン、ピロン。
会場中のスマートフォンが一斉に通知音を鳴らし始めたのだ。
異様な光景だった。
数百人のゲストが、ほぼ同時にポケットやバッグからスマホを取り出す。
「な、なんだこれは……」
誰かが呟いた。
そこに送られてきたのは、俺が依頼していた「証拠の詰め合わせセット」だ。
レイナとタクミのLINE履歴の全ログ。
「DV捏造計画」というフォルダ名で整理された画像データ。
そして、興信所が作成した詳細な不貞行為の報告書。
それらが、会場にいる全員の端末へ、AirDropやメーリングリストを通じて強制的に共有されたのだ。
「嘘……でしょ……」
友人の一人が、スマホ画面とステージ上の二人を交互に見比べ、青ざめた顔で呟いた。
「全部、嘘だったのか? 和也が暴力を振るったって話も、お前らが被害者だって話も……」
「ち、違うの! 聞いて! これは和也が作った偽物なの!」
レイナが必死に叫ぶが、その声はもはや誰にも届かない。
スマホの画面に映る彼女の言葉遣いは、あまりにも汚く、そして残酷だったからだ。
『あの陰キャ夫、死ねばいいのに。保険金入るしw』
『親戚一同巻き込んでフルボッコにするの楽しみ~』
その文字の列は、彼女の本性を雄弁に物語っていた。
会場の空気が、完全に反転した。
同情は軽蔑へ。祝福は怒りへ。
「き、貴様ら……!!」
ドスッという重い音と共に、レイナの父親がステージに駆け上がってきた。
鬼の形相だ。血管が切れんばかりに怒張している。
「パ、パパ……違うの、これは……」
「黙れェッ!!」
バチンッ!!
乾いた破裂音が会場に響き渡る。
父親の平手が、レイナの頬を容赦なく打ち抜いたのだ。
レイナは悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。白かったドレスが床に広がり、無様な染みのように見える。
「わ、私達を騙していたのか! 親を、親戚を、これほど愚弄して……!! 恥を知れ!!」
父親は肩で息をしながら、今にも倒れそうなほど激昂している。
義母もまた、顔を覆って泣き崩れていた。だがそれは娘への同情ではなく、あまりの情けなさとショックによるものだった。
「お、落ち着いてください! これは誤解なんです!」
タクミが取り繕おうとするが、今度は彼の会社の取引先と思われる中年男性が立ち上がった。
「北条くん。君がこれほど倫理観のない人間だとは思わなかったよ」
「えっ、社長……?」
「他人の家庭を壊し、嘘で塗り固めて陥れる。しかもそれを動画に撮って楽しむとはね。君の会社とは、今この瞬間をもって契約を打ち切らせてもらう」
「そ、そんな! 待ってください! これはプライベートなことじゃ……」
「経営者の品性は、そのまま会社の信用に関わるんだよ! 行こう、こんな汚らわしい場所には一秒たりともいられない」
その言葉を皮切りに、ゲストたちが次々と席を立ち始めた。
タクミの友人たちも、彼を軽蔑の目で見下しながら背を向ける。
SNSで俺を叩いていた連中も、バツが悪そうに顔を伏せて逃げ出していく。
残されたのは、崩れ落ちたレイナと、呆然と立ち尽くすタクミ、そして冷ややかに彼らを見下ろす俺だけだった。
俺はマイクを手に取り、震える二人に向かって静かに告げた。
「おめでとう、レイナ、タクミ。これがお前たちが望んだ『真実の公開』だ」
「か、和也……あんた、どうしてこんな酷いことを……」
レイナが頬を押さえながら、涙でぐしゃぐしゃになった顔で睨みつけてくる。
まだ自分が被害者だと思っているのか。その神経の図太さには感服すら覚える。
「酷い? 酷いのはどっちだ。お前たちは俺の人生を壊そうとした。俺から全てを奪い、泥水をすすらせて笑おうとした。俺はただ、お前たちがやったことをそのまま返しただけだ」
俺はスクリーンを指差した。
そこにはまだ、二人が嘲笑いながら俺の悪口を言っている動画がループ再生されている。
「見ろよ。あんなに楽しそうじゃないか。自分たちが主役の映画だぞ? しっかり目に焼き付けておけ」
「やめろ……もうやめてくれ……!」
タクミが頭を抱えて蹲る。
その姿は、さっきまでの自信満々な「成功者」の面影など微塵もなかった。
「さて、俺はこれで失礼するよ。離婚届は弁護士を通じて送る。慰謝料の請求もな。ああ、それから」
俺は帰り際、二人の耳元で囁いた。
「この動画とデータ、拡散希望だったよな? お望み通り、SNSにもアップしておいたから。今頃、世界中の人がお前たちの『真実の愛』を祝福してくれている頃だと思うよ」
その言葉を聞いた瞬間、タクミは「あ、あぁ……」と絶望の声を漏らし、白目を剥いてその場に倒れ込んだ。
レイナは「嘘よ、嘘よ……」と壊れた人形のように繰り返している。
俺は背後で響く彼女の嗚咽を聞きながら、一度も振り返ることなく会場を後にした。
ホテルの長い廊下を歩きながら、俺はネクタイを少し緩めた。
重くのしかかっていた何かが、すっと消えていくのを感じた。
外に出ると、雨は上がっていた。
雲の切れ間から差し込む月明かりが、濡れたアスファルトを照らしている。
俺は大きく息を吸い込んだ。
空気は冷たく、そして何よりも澄んでいて、美味かった。
さあ、これからは俺の人生だ。
あの汚れた場所には、もう二度と戻らない。
ポケットの中でスマホが震えた。
画面を見ると、大友部長からのメッセージだった。
『よくやった。月曜日は有給にしてある。ゆっくり休め』
俺は小さく笑みを浮かべ、スマホをポケットにしまった。
夜の街の明かりが、俺の新しい一歩を照らしているように思えた。
その最上階にあるバンケットルームは、煌びやかなシャンデリアの光と、着飾った人々の熱気で満たされていた。
「株式会社ネクスト・イノベーション 設立五周年記念パーティー」。
表向きはそう銘打たれているが、招待客の誰もが裏のテーマを知っていた。
それは、北条タクミと相沢レイナの事実上の「婚約披露宴」であり、同時に「悪徳夫から解放されたヒロインを祝う会」でもあった。
会場の隅、目立たない円卓の影で、俺、相沢和也は静かにその時を待っていた。
ウェイターに幾らかチップを握らせ、スタッフ用の出入り口から紛れ込むのは造作もなかった。黒のスーツに身を包み、気配を消して壁際に立てば、誰も俺の存在になど気づかない。
彼らの目は、ステージ上の「主役」たちに釘付けだからだ。
「えー、本日はご多忙の中、これほど多くの方にお集まりいただき、本当にありがとうございます!」
マイクを握りしめ、高らかに声を上げたのは北条タクミだ。
イタリア製の高級タキシードを着こなし、髪を完璧にセットした彼は、自信に満ち溢れた笑みを浮かべていた。
その隣には、純白のカクテルドレスを身にまとったレイナが寄り添っている。まるで結婚式の二次会のような装いだ。彼女の表情は、長年の苦しみから解放された聖女のように晴れやかだった。
「会社の五周年もめでたいことですが、今日はもう一つ、僕にとって大切な報告があります」
タクミがレイナの肩を抱き寄せると、会場から「ヒュー!」という冷やかしの声と拍手が湧き起こった。
俺の大学時代の友人たち、そしてレイナの親族たちが、温かい眼差しを向けている。
「ここにいるレイナさんは、僕の大学時代の友人でした。ですが、彼女は不幸にも、ある男との結婚生活で地獄を味わっていました」
タクミの声色が、芝居がかった深刻なトーンに変わる。
「その男……あえて名前は伏せますが、彼は外面こそ真面目な会社員ですが、家庭内では冷酷な暴君でした。レイナさんを無視し、経済的に締め付け、あろうことか暴力まで振るっていたのです」
会場がざわめき、同情の嘆息が漏れる。
最前列のテーブルでは、レイナの両親がハンカチで目頭を押さえていた。
「私は見ていられなかった。友人の妻だからと見て見ぬふりをするのは、僕の正義に反する。だから僕は、あらゆるリスクを背負って彼女を救い出しました! 愛する女性の涙を、僕はもう二度と見たくないんです!」
「タクミくん……」
レイナが潤んだ瞳でタクミを見上げ、マイクを受け取った。
「皆さん、ご心配をおかけしました。私は長い間、暗いトンネルの中にいました。夫の足音が聞こえるだけで震えが止まらなくて……自分には生きる価値がないんじゃないかって、何度も思いました。でも、タクミくんが私を暗闇から連れ出してくれたんです。彼は私のヒーローです」
「レイナ! よく頑張ったな!」
「幸せになれよー!」
「そんなクズ夫、別れて正解だぞ!」
友人席から野次馬のような声援が飛ぶ。
タクミは満足げに頷き、グラスを掲げた。
「あの男との離婚協議も、間もなく終わります。彼もようやく自分の罪を認めました。正義は勝つんです! さあ皆さん、僕たちの新しい門出と、レイナさんの未来に、乾杯!」
「「「乾杯!!」」」
グラスが触れ合う軽快な音が響き渡り、会場は祝福のムード一色に染まった。
誰もが二人を称え、俺という存在を「過去の汚点」として笑い飛ばしている。
その光景を眺めながら、俺は懐からスマートフォンを取り出した。
画面には一通のメッセージが表示されている。
送信相手は、このホテルの音響室に忍び込ませた協力者――探偵の神崎だ。
『準備完了。いつでもいけます』
俺は短く『GO』と返信し、ゆっくりとステージへ向かって歩き出した。
カツ、カツ、カツ。
革靴の音が、やけに鮮明に響く。
人混みをかき分け、ステージの階段に足をかけた時、最初に気づいたのは最前列にいたレイナの父親だった。
「……ん? お前、まさか」
義父が目を見開き、幽霊でも見たかのように立ち上がる。
その異変に気づき、会場の視線が一点に集中する。
ステージ上の二人が、怪訝な顔でこちらを振り向いた。
「……よお。盛り上がってるみたいだな」
俺は静かにステージへ上がり、二人の目の前に立った。
一瞬の静寂。
そして、レイナの悲鳴に近い声が空気を切り裂いた。
「ひっ……!? か、和也!? なんでここに!?」
「なんでって、招待してくれなかったからさ。お祝いに来たんだよ」
「帰れ! 今すぐ帰れ!」
タクミが顔を真っ赤にして怒鳴り、スタッフを呼ぼうと手を振った。
「不法侵入だぞ! 警備員、警備員は何をしてるんだ! このストーカー男を摘み出せ!」
会場が騒然となる。
「あれが噂のDV夫か」「よく顔を出せたな」「最低な男だ」という罵声が四方八方から飛んでくる。
かつての友人たちも、軽蔑の眼差しを向けてくる。
だが、俺は微動だにせず、マイクスタンドの前に立った。
「ストーカー扱いとは心外だな。俺はまだ、レイナの夫だぞ。離婚届はまだ受理されていない」
「うるさい! お前みたいな犯罪者と話すことなんてない! みんな、こいつが俺たちの幸せを壊そうとしてるんだ!」
タクミが俺の胸倉を掴もうと手を伸ばした、その時だった。
『――ねえタクミくん、この痣メイクどう? リアルに見える?』
会場の大音量スピーカーから、場違いなほど能天気な女性の声が響き渡った。
タクミの手が空中で止まる。
レイナがギョッとして周囲を見回す。
「え……? なに、今の声……」
『すげー! 本物の痣みたいじゃん。これ写真に撮って親に見せればイチコロだな』
今度は男の声。紛れもなく、タクミの声だ。
会場のざわめきが、一瞬にして波が引くように静まった。
全員の視線が、俺ではなく、ステージ背面の巨大スクリーンに釘付けになる。
『でしょ? これで診断書も偽造できれば完璧なんだけどなー』
スクリーンに映し出されたのは、タクミのマンションのリビングだ。
そこには、今まさに「悲劇のヒロイン」を演じていたレイナが、鏡に向かってアイシャドウで腕に「偽の痣」を描いている姿が映っていた。
その横で、タクミがスマホを構えて爆笑している。
「な、な……っ!?」
レイナの顔から血の気が引いていくのが分かった。
彼女はパクパクと口を開閉させるが、声が出てこない。
映像は続く。
『診断書は俺の知り合いのヤブ医者に頼めばなんとかなるって。それより、昨日の和也の顔見た? 葬式みたいでウケたわw』
『見た見たw まじ哀れ。早くあのマンション売って、新しい新居の頭金にしよ♡』
『あいつ、真面目すぎて面白みがないからさ、社会的に抹殺してやろうぜ』
『キャハハ! 最高!』
映像の中の二人は、悪魔のように笑っていた。
俺の苦悩を嘲笑い、両親の心配を「イチコロ」と表現し、全てを金と快楽のためのゲームとして語っている。
会場の空気が、急速に凍りついていく。
さっきまで二人を称賛していたゲストたちの表情が、困惑から疑念、そして嫌悪へと変わっていくのが手に取るように分かった。
「ち、違う! これは捏造だ! AIで作った偽動画だ!」
タクミが裏返った声で叫び、スクリーンを隠そうと両手を広げる。
だが、無情にも映像は切り替わった。
今度はラブホテルの一室。
二人がベッドの上で絡み合いながら、カメラに向かってピースサインをしている。
『和也さん、今までご苦労様。あなたの稼いだお金、私たちが有効活用してあげるからね。感謝してよね』
『お前の親もチョロいよなー。娘の嘘泣き一つでコロッと騙されてやんの。あのジジイ、説教臭くてウザいけど、味方につければ最強の駒だわ』
その言葉が流れた瞬間、会場のどこかでグラスが割れる音がした。
最前列のテーブルだ。
レイナの父親が、震える手で立ち尽くしていた。足元には砕け散ったシャンパングラスが転がっている。
「……ちょろい……だと?」
父親の低い呻き声が、静まり返った会場に響いた。
映像はまだ続いているが、神崎はここで追撃の手を緩めなかった。
ピロン、ピロン、ピロン。
会場中のスマートフォンが一斉に通知音を鳴らし始めたのだ。
異様な光景だった。
数百人のゲストが、ほぼ同時にポケットやバッグからスマホを取り出す。
「な、なんだこれは……」
誰かが呟いた。
そこに送られてきたのは、俺が依頼していた「証拠の詰め合わせセット」だ。
レイナとタクミのLINE履歴の全ログ。
「DV捏造計画」というフォルダ名で整理された画像データ。
そして、興信所が作成した詳細な不貞行為の報告書。
それらが、会場にいる全員の端末へ、AirDropやメーリングリストを通じて強制的に共有されたのだ。
「嘘……でしょ……」
友人の一人が、スマホ画面とステージ上の二人を交互に見比べ、青ざめた顔で呟いた。
「全部、嘘だったのか? 和也が暴力を振るったって話も、お前らが被害者だって話も……」
「ち、違うの! 聞いて! これは和也が作った偽物なの!」
レイナが必死に叫ぶが、その声はもはや誰にも届かない。
スマホの画面に映る彼女の言葉遣いは、あまりにも汚く、そして残酷だったからだ。
『あの陰キャ夫、死ねばいいのに。保険金入るしw』
『親戚一同巻き込んでフルボッコにするの楽しみ~』
その文字の列は、彼女の本性を雄弁に物語っていた。
会場の空気が、完全に反転した。
同情は軽蔑へ。祝福は怒りへ。
「き、貴様ら……!!」
ドスッという重い音と共に、レイナの父親がステージに駆け上がってきた。
鬼の形相だ。血管が切れんばかりに怒張している。
「パ、パパ……違うの、これは……」
「黙れェッ!!」
バチンッ!!
乾いた破裂音が会場に響き渡る。
父親の平手が、レイナの頬を容赦なく打ち抜いたのだ。
レイナは悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。白かったドレスが床に広がり、無様な染みのように見える。
「わ、私達を騙していたのか! 親を、親戚を、これほど愚弄して……!! 恥を知れ!!」
父親は肩で息をしながら、今にも倒れそうなほど激昂している。
義母もまた、顔を覆って泣き崩れていた。だがそれは娘への同情ではなく、あまりの情けなさとショックによるものだった。
「お、落ち着いてください! これは誤解なんです!」
タクミが取り繕おうとするが、今度は彼の会社の取引先と思われる中年男性が立ち上がった。
「北条くん。君がこれほど倫理観のない人間だとは思わなかったよ」
「えっ、社長……?」
「他人の家庭を壊し、嘘で塗り固めて陥れる。しかもそれを動画に撮って楽しむとはね。君の会社とは、今この瞬間をもって契約を打ち切らせてもらう」
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「経営者の品性は、そのまま会社の信用に関わるんだよ! 行こう、こんな汚らわしい場所には一秒たりともいられない」
その言葉を皮切りに、ゲストたちが次々と席を立ち始めた。
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残されたのは、崩れ落ちたレイナと、呆然と立ち尽くすタクミ、そして冷ややかに彼らを見下ろす俺だけだった。
俺はマイクを手に取り、震える二人に向かって静かに告げた。
「おめでとう、レイナ、タクミ。これがお前たちが望んだ『真実の公開』だ」
「か、和也……あんた、どうしてこんな酷いことを……」
レイナが頬を押さえながら、涙でぐしゃぐしゃになった顔で睨みつけてくる。
まだ自分が被害者だと思っているのか。その神経の図太さには感服すら覚える。
「酷い? 酷いのはどっちだ。お前たちは俺の人生を壊そうとした。俺から全てを奪い、泥水をすすらせて笑おうとした。俺はただ、お前たちがやったことをそのまま返しただけだ」
俺はスクリーンを指差した。
そこにはまだ、二人が嘲笑いながら俺の悪口を言っている動画がループ再生されている。
「見ろよ。あんなに楽しそうじゃないか。自分たちが主役の映画だぞ? しっかり目に焼き付けておけ」
「やめろ……もうやめてくれ……!」
タクミが頭を抱えて蹲る。
その姿は、さっきまでの自信満々な「成功者」の面影など微塵もなかった。
「さて、俺はこれで失礼するよ。離婚届は弁護士を通じて送る。慰謝料の請求もな。ああ、それから」
俺は帰り際、二人の耳元で囁いた。
「この動画とデータ、拡散希望だったよな? お望み通り、SNSにもアップしておいたから。今頃、世界中の人がお前たちの『真実の愛』を祝福してくれている頃だと思うよ」
その言葉を聞いた瞬間、タクミは「あ、あぁ……」と絶望の声を漏らし、白目を剥いてその場に倒れ込んだ。
レイナは「嘘よ、嘘よ……」と壊れた人形のように繰り返している。
俺は背後で響く彼女の嗚咽を聞きながら、一度も振り返ることなく会場を後にした。
ホテルの長い廊下を歩きながら、俺はネクタイを少し緩めた。
重くのしかかっていた何かが、すっと消えていくのを感じた。
外に出ると、雨は上がっていた。
雲の切れ間から差し込む月明かりが、濡れたアスファルトを照らしている。
俺は大きく息を吸い込んだ。
空気は冷たく、そして何よりも澄んでいて、美味かった。
さあ、これからは俺の人生だ。
あの汚れた場所には、もう二度と戻らない。
ポケットの中でスマホが震えた。
画面を見ると、大友部長からのメッセージだった。
『よくやった。月曜日は有給にしてある。ゆっくり休め』
俺は小さく笑みを浮かべ、スマホをポケットにしまった。
夜の街の明かりが、俺の新しい一歩を照らしているように思えた。
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