世界の果ての階段を

kijima13

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1.プロローグ

迷宮

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セドは、ようやく理解した。
 階段の先で迷い込んだ、あの場所。
 あれが――第三図書室。
 火鼠の間だったのだ。
 そして、そこで見た螺旋。
 自分が、最後の欠けたピースをはめてしまった、あれ。
 あのときは、何も分かっていなかった。
 分からないまま、ただ立たされていた。
 空間が歪み、時間が狂い、足元も、自分自身の輪郭さえも失われていく中で、
 必死に、その場に散らばっていた“断片”を組み合わせようとしただけだ。
 生き延びるために。
 正気を保つために。
 ――否。
 仮に、すべてを理解できていたとして。
 あれが何を意味する場所で、
 自分の行為が、どれほどの結果を招くか分かっていたとして。
 それでも。
 他に、どうしろと言うのだ。
 立ち止まれば、壊れていた。
 引き返せば、消えていた。
 進む以外に、選択肢など与えられていなかった。

セドは、概ね博士の訴えを肯定した。
 おそらく――
 自分が、あれを完成させてしまったのだ。
 それがどんな意味を持ち、
 どんな結果を招くのか。
 想像していなかった、とは口にしなかった。
 言い訳は、惨めだ。
 何を言おうと、起きてしまったことは戻らない。
 「……私は、どうすればいいんですか」
 そう問うと、博士は――
 怒りでも、悲しみでもなく、
 いつもの調子に戻っていた。
 「まず、詳しいことを教えてください」
 淡々とした声だった。
 「なぜあなたが、そこへ入れたのか。
 それさえ、私には想像がつきません」
 博士はセドをまっすぐ見た。
 「この島のことを、ほとんど何も知らないあなたが、
 故意に島を崩壊させようとしたとは思っていません。
 そのくらいの判断は、私にもできます」
 一拍、間を置く。
 「何かがおかしい。
 そして、その原因を突き止めるには――情報が必要です」
セドは、イオルのことを話した。
 鍵をなくしたこと。
 それが第三図書室のものだと知って、怯えていたこと。
 教会がどうなるかは分かっていなかったが、それでも――
 何かとてもまずいことが起きるのだと、イオル自身が感じ取っていたこと。
 「……それで、私が探しに行きました」
 淡々と、事実だけを並べた。
 イオルをかばったわけでも、英雄ぶったわけでもない。
 そうする以外の選択肢が、思いつかなかっただけだ。
 「鍵を最後に見た場所を聞いて、
 階段の方へ行って……
 気がついたら、あの場所にいました」
 火鼠の間。
 その名を、セドはまだ口にしなかった。
 「どうやって入ったのかは、分かりません。
 階段は、途中から……
 私の知っている形ではなくなっていました」
 博士は、途中で一度も口を挟まなかった。
 相槌も、質問もない。
 ただ、椅子に腰かけたまま、
 指を組み、わずかに俯いて聞いている。
 セドが話し終えると、
 部屋の中に、短い沈黙が落ちた。
 博士は、すぐには顔を上げなかった。
 ――イオルに鍵を預けたこと。
 ――鍵が失われたこと。
 ――それを探しに行ったのが、異邦人であるセドだったこと。
 その一つ一つを、
 頭の中で正確に並べ直しているようだった。
 やがて、博士は小さく息を吐いた。
やがて、博士は小さく息を吐いた。
 「……イオルが、鍵を持っていた?」
 声は低く、確認するようだった。
 疑っているというより、事実として受け取りきれていない響きだった。
 「ええ。博士から預かったと、そう言っていました」
 セドは当然のことのように答えた。
 「……私が?」
 博士は、はっきりとそう口にした。
 そして、言葉の続きを失った。
 一瞬、思考が止まったように見えた。
 眉がわずかに寄り、視線が宙を彷徨う。
 「……おかしい」
 呟きは、ほとんど独り言だった。
 「私が第三図書室の鍵を、
 子供に預けるはずがない」
 セドは口を挟まなかった。
 博士は、困惑というより――
 自分自身の立場を、改めて突きつけられたような顔をしていた。
 「私は、あの鍵に触れられる身分ではありません。
 管理を任されているだけです」
 少し間を置いて、続ける。
 「……いえ。
 正確に言えば、“管理していると思われている”だけ、ですね」
 博士は、深く息を吸い込んだ。
 「にもかかわらず、
 その鍵がイオルの手に渡っていた」
 視線が、セドへ戻る。
 「それ自体が、すでに――
 不自然です」
「イオルが、そう言ったんですか?」
 博士は念を押すように尋ねた。
 セドは黙って頷いた。
 「……馬鹿な」
 短く吐き捨てるように言って、博士は踵を返した。
 「イオルに会いに行きましょう」
 その言葉が、部屋の空気を切った――その瞬間だった。
 ドン、と腹の底に響く衝撃音。
 一瞬、建物そのものが跳ねたように感じられた。
 遅れて、低い轟音が壁の奥から転がり込んでくる。
 「――っ」
 反射的に、二人は身をかがめた。
 天井のどこかで、微かに砂が落ちる音がした。
 間を置かず、
 ドン、ドン、ドン
 乱暴な音が、扉を叩いた。
 ノックというより、叩き壊す前段のような力任せの衝撃だった。
 「――」
 返事をする暇はなかった。
 扉が、外側から押し開けられる。
 軋む音とともに、男が踏み込んできた。
 ビャクだった。
 朝に見たときよりも、装備が重い。
 防具は完全装着で、腰の武器も外していない。
 呼吸は乱れていないが、目だけが異様に冴えていた。

扉を押し開けて踏み込んできたのは、ビャクだった。
 「セド」
 名を呼ばれた瞬間、空気が締まる。
 「出るぞ」
 有無を言わせない口調だった。
 「出るって、どこにですか」
 博士が即座に口を挟む。
 ビャクはその声に反応して、初めて博士を見る。
 ――なんでお前がここにいる。
 そう言わんばかりの、露骨な目つきだった。
 「西の街だ」
 短く言い切る。
 「今夜出るぞって、言っただろ」
 「……こんな状況で、何をおっしゃっているんですか」
 博士の声は抑えられていたが、困惑と焦りが滲んでいた。
 ビャクは鼻で笑う。
 「今だからだ」
 一歩、部屋の奥に踏み込む。
 「――いや。今でないと、もう手遅れになる」
 一瞬、言葉を切る。
 「……既に遅いかもしれねぇがな」
「……一体、どういうことなんですか」
 セドが問う。
 ビャクは短く息を吐いた。
 「ここはもう終わりだ」
 ぶっきらぼうに言って、視線を巡らせる。
 「外を見ろ――と言いたいところだが……」
 すぐに気づいたように舌打ちする。
 「ああ、そうか。ここには窓がないんだったな」
 一拍。
 「大陸の連中が、乗り込んでくる」
 博士が息を呑む気配がした。
 「まだメシアの帳は機能してる。だがな、時間の問題だ」
 低い声で、断定するように続ける。
 「なら、やることは一つしかねぇ」
 ビャクはセドを、そして博士を見た。
 「西の街の民を――一人でも多く、逃がす」
博士が低い声で言った。
 「……メシアは、どうするんだ」  視線をビャクに向ける。  「あんた、四使役だろう」
 間を置かず、セドも続けた。
 「そうですよ。それに……」  一瞬、言葉を選ぶ。  「私を連れていく必要があるんですか」
 ビャクは即座に答えた。
 「ある」
 短く、断定的に。
 「お前にはもう、俺の印がついている」  「つまりだ。お前は俺の民だ」
 セドは息を詰めた。
 「それに――」  ビャクは言葉を継ぐ。  「それにだな。お前は俺の力を、一部だが継承している」
 「……力?」
 セドは思わず、自分の両手を見下ろした。  見慣れた手だ。震えてもいない。  重さも、熱も、何も変わらない。
 「儀式によって、だ」  ビャクは淡々と言う。  「だからお前は戦力になる。戦力は多いほうがいい」
 セドは首を振った。
 「そんなもの、感じません」  「力なんて……」  声が少し弱くなる。  「以前と、何も変わらない」
 ビャクは鼻で笑った。
 「感じるかどうかは関係ねぇ」  「使えるかどうかだ」
「そんなわけはありません」
 博士が即座に否定した。
 「あれはただの隷属の儀式です」  「あなたの能力が、彼に継承されることなどあり得ない」
 ビャクは、ゆっくりと首を振った。
 「いいや。違うな」  低く、確信に満ちた声。  「こいつがただのマセルなら、そうだったかもしれねぇ」
 博士は眉をひそめた。
 「……あなたは、セドがザセルだとでも言うのですか」
 「そうだ」
 ビャクは迷いなく答えた。
 「こいつはザセルだ。だから――」
 ビャクはセドの口元を指さした。
 「俺の印が、欠けることなく押印された」  「これまで俺の印がうまくいかなかったのは、ザセルの血を持つ者が、誰一人いなかったからだ」
 「それは、あなたの勝手な解釈です」
 博士の声は硬い。
 「ふん」
 ビャクは鼻で笑った。
 「なら、証明してやるさ」  「こいつが俺の鉄術を使えれば、それでいい」
 一拍、間を置いて。
 「そして、それが証明されたなら……」
 「――まさか」
 博士の声が、わずかに揺れた。
 「あなたは……」  「セドが、螺旋鼠だとでも言うつもりですか」
「復讐……?」
 セドは思わず口にした。  言葉だけが先行して、意味がまるで追いつかない。
 「一体、どういうことなんですか」  「さっきから、話がまったく飲み込めない」
 博士は、わずかに息を整えてから続けた。
 「……我々の祖先が」  「あなた方マセルに、酷いことをした」  「それは、否定しようのない事実です」
 声は抑えられていたが、逃げ道を残さない言い方だった。
 「その余韻は、今も続いている」  「制度として、慣習として、無意識の選別として」  「現在進行形で、です」
 博士は一瞬、視線を落とし、それから強く言い切った。
 「ですが、それを断ち切ったのは――」  「いいえ、断ち切ろうと、粉骨砕身しているのは」  「メシア・エヴァでしょう」
 部屋の空気が、わずかに張り詰める。
 「あなたは」  「その彼女を見捨ててまで」  「自分たちの復讐を、優先しようというのですか」
 問いかけは、ビャクに向けられていた。  だが同時に、それはセド自身にも突きつけられているように感じられた。

ビャクは鼻で笑った。
 「笑わせるな」  「何か勘違いしてるな」
 視線を博士に据える。  その目は、怒りというより、苛立ちに近かった。
 「冷静になれ、博士」  「このひょうろくが」  「俺の力を、ちとばかし継承したところで――」
 ビャクは、肩をすくめる。
 「復讐だの、革命だの」  「そんな大仰な話になるわけがねぇだろ」
 ちらりとセドを見る。  評価するようでもあり、どうでもよさそうでもある視線。
 「こいつ一人で、何が変わる」  「国がひっくり返るか?」  「ザセルの怨念がはれるか?」
 舌打ち。
 「違ぇよ」
 「俺が言ってるのは、もっと単純な話だ」  「今、この島は終わりかけてる」  「だから――」
 「生きてる奴を、逃がす」  「それだけだ」
 言い切りだった。  正義でも、理念でもない。  ただの判断。
 「メシアがどうだ、過去がどうだ」  「そんなのは、全部あとだ」
 ビャクは低く続ける。
 「今夜、動かなきゃ」  「西の街の連中は、まとめて死ぬ」

セドは口を開いた。
 「私は……私は……」
 言葉になる前に、ビャクの声が落ちてきた。
 「黙れ」
 遮るというより、切り捨てる声だった。
 「おまえの意見はどうでもいい」  「俺の隷属だ」  「俺の言葉に、逆らえると思うな」
 ビャクは一歩近づく。  その圧だけで、空気が歪む。
 「おまえの身体は、もうそうなってる」
 短く、命令だけが残る。
 「行くぞ」
 博士は、その場に崩れ落ちた。  膝をつき、両手を床について、言葉を失っている。
 ビャクは振り返らず、部屋を出た。
 ――そして。
 セドの身体が、動いた。
 意思とは無関係だった。  足が前に出る。  重心が移る。  呼吸すら、指示されているように感じる。
 (違う)
 そう思ったはずなのに。
 (止まれ)
 命じたはずなのに。
 身体は、淡々と、正確に、ビャクの背を追っていく。
 自分の意志ではない。  拒絶も、躊躇も、恐怖も、  すべてが内側に押し込められたまま。
 ただ――  従属という形で、歩いていた。
廊下に出る。
 セドは黙々と、ビャクの背を追った。  追っている、というより――引かれている。
 遠くで、爆撃音が鳴る。  一発ではない。連なっている。  地鳴りのように、低く、重く、空間を揺らす。
 悲鳴が混じる。  方向は定まらない。  壁の向こうなのか、天井の上なのか、あるいは、すぐ背後なのか。  距離の感覚が、もう信用できなかった。
 兵士たちの足音。  駆ける音、怒号、金属がぶつかる音。  すれ違う影は、どれも輪郭が曖昧だ。
 時間が、不安定だった。
 一瞬、進んだと思った次の瞬間、  同じ場所に戻っているような感覚がある。  逆に、瞬きをしただけで、数歩分、先に移動していることもあった。
 壁が、歪む。  床が、脈打つ。  空間そのものが、呼吸しているようだった。
 ――次元が、ずれている。
 それを理解できるほど、セドの意識は冷えていた。
 それでも、考えてしまう。
 (今……)
 (メシア・エヴァは、どうしているんだろう)
 あの部屋にいるのか。  まだ、あそこに留まれているのか。  それとも、もう――。
 思考はそこで、途切れた。
 前を行くビャクの背中が、一瞬、揺らいだ。  まるで、別の時間軸に触れたかのように。
 セドの身体は、それに遅れず追随する。  疑問も、抵抗も、置き去りにして。
建物を出て、門へ向かう。
 外は、喧騒に満ちていた。  怒号、悲鳴、命令の声。  空気そのものがざわめいている。
 それでも――  まだ、物理的な被害は見当たらない。
 瓦礫は落ちていない。  壁も、地面も、崩れていない。
 メシア・エヴァの帳が、まだ機能しているのだ。  少なくとも、形の上では。
 ふと、視界の端に違和感が差し込む。
 ベンチだ。
 その上に、老人が一人、腰掛けている。
 ――あの老人だ。
 先ほど廊下で見かけた、音を失った男。  禿げ上がった頭頂、長く白い髪。  痩せ細った身体を、薄灰色のローブが覆っている。
 この騒ぎの中で、  まるで世界から切り離されたように、  老人は動かない。
 音のない場所に、座っている。
 老人が、こちらを見た。
 ……ような気がした。
 翡翠色の目が、  一瞬だけ、確かにセドを捉えた――  そう感じただけかもしれない。
 老人の口元が、わずかに歪む。
 笑った、ようにも見えた。
 錯覚だ。  そう思おうとした、その瞬間、
 ビャクは振り返らない。
 立ち止まることもなく、  足取りを緩めることもなく、  門へ向かって、どんどん進んでいく。
 セドの身体も、それに従った。
 背後に、  音を持たない老人を残したまま。

大門の前に辿り着いたとき、セドは息を呑んだ。
 兵士が、ずらりと並んでいる。
 門を塞ぐように。  一分の隙もない陣形で。
 全員、濃い灰色の軍服。  胸元には、はっきりとした黒いライン。
 ――クロの兵士だ。
 その列の中央に、クロが立っていた。
 背筋を伸ばし、微動だにせず、  ただ一点――ビャクを見据えている。
 クロが口を開く。
 「どこへ行く」
 低く、短い声だった。
 ビャクは足を止めると、首を左右に傾け、  コキ、と音を鳴らした。  挑発するような、不遜な仕草。
 「西に戻る」
 即答だった。
 クロの目が細まる。
 「今の状況が分かっていて、言っているんだな。当然」
 間髪入れず、ビャク。
 「いかにも」
 一瞬、場の空気が張り詰める。  兵士たちの指が、わずかに動いた。
 クロは、鼻で小さく息を吐いた。
 「貴様……それでも四使役か」
 その声には、失望と怒りが、混じっていた。
 だが、すぐに表情を切り替える。
 「ふん。まあいい」
 一歩、前に出る。
 「要するに――」  「これは、お前が仕組んだことなんだろう」
 疑問ではない。  断定だった。
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