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昼下がり、またあの茶会が始まった。今日は俺の方が早かったのか、先に着いて茶室の奥へと座る。兄様は仕事に集中していたのか、茶室へ来たのは茶会の直前で、急ぐように身なりを軽く整え俺の隣へ腰を下ろす。間髪入れずに、襖が開いた。
珠さんは俺に目線をやると、くすりと笑う。
「あらめずらし、弟くん、そこに座りはるんやね」
「————ッ」
何かに気づいたように兄様は、隣の俺を見て息を呑んだ。いつも兄様が座る席にいると、何か問題なのだろうか。
兄様の様子を見て、ふふっと笑いながら言う。
「春樹、そないに深刻そうにせんで。別に弟くんのことをいじめたりせぇへんよ? 奉公の責任を持つのは、君とすでに決まっとる」
奉公の責任? それが何を指しているのか分からないが、もしや仕事のことを言われているのか。ダメだ、兄様はまだお加減が優れない。意味もわからないそれを、なんとかして代わらなければと口に出す。
「お、俺が奉公の責任もちますので! 兄様はお身体の調子が悪いようですし、織物の仕事も全部自分が——」
「そうなん? 春樹」
俺の言葉を切るように、珠さんは兄様を見据える。
「違うっ、責任を果たすのは自分だ。体も問題ない、仕事もできるよ」
兄様はそう必死に俺を庇うような言葉を口にする。幼馴染である珠さんが相手であっても、やはり華族への対応という負担を俺に負わせたくないのだろうか。
「そやろね、アレ、言うてへんねやろ。まぁ『仕事場』でのこと言えるはずもないか」
「——珠ッ」
「おお、こわいなぁ。心配せんくても言わへんよ」
それ以上言うなと言わんばかりに兄様は珠さんを睨みつける。あの穏やかな普段の兄様からは想像もできない形相で、俺は驚き目を見開いてしまった。兄様はそんな俺と目が合うと、はっと我に返ったように首を振り、なんでもないんだよと小さく呟く。
それに気にしたそぶりも見せずに珠さんは茶会を再開した。昨日と同じ緑の袱紗を手に持ち、清め、そして鳴らす。
その流れが進むにつれ、兄様の表情は暗くなっていった。
「奉公の責任」「仕事場」、そして「緑の袱紗」
それらに何か秘密があるのだと、俺は確信した。
その夜、兄様の仕事場へと向かう。当然のように正面には女中が立っており、表を諦め裏に回る。威圧感のある入り口の前で足を止めた。塀のようなこの扉をどう開けるべきか、顎に手を当てて考え込み、試しに軽く横へ引く。すると、拍子抜けするほどあっさりとそれは開いた。
鍵が掛かっていない。兄様か他の管理人が閉め忘れたのだろうか?
そうして浮かんだ疑問を気にすることなく足を踏み入れる。そこはどうやら作業場ではなく、小さな倉庫のようなものだった。桶に板、針に染色のための材料、仕事道具が整然と収められている。中は明かりがついていないために暗い。入口の正面にはさらに扉があり、おそらくその先が兄様の作業場であろう。そう確信して扉に手をかけた、そのとき扉とどこか別の方向から、何か動物が鳴くような、そんな音が響いているのを耳にする。
隣の薄い壁からだ。
壁越しに聞こえるそれに誘われるように、俺はそっと壁へ耳を寄せた。
僅かに聞こえる小さなそれを、理解した途端に、驚きで目を見開く。
——兄様の声だ。
しかしいつもの優しいそれではない。どこか追い詰められたように、苦しむような、呻くような。
まだお身体が……そう心配になるも、すぐにそうではないと悟る。
いや、違う、まさか。俺は唖然とした。
これは喘ぎ声だ。
「そないしんどそうにされると、自分悲しいわ」
そう言いながら兄様を嬲っている男の、珠さんの存在に気がついた。肌が擦れる音、湿った水音、そこに混ざる兄様の吐息。それが次第に熱を帯び、高まり、色を増す。抑えるように低く唸っていたのも、しまいには甲高い声を漏らすようになる様が手に取るように分かった。さきの呻き声は人の欲を煽るそれへと変化する。
それはあまりにも妖艶で、あの優しい兄様から出ていると考えると思わず顔が熱くなった。淫靡な水音と卑猥な喘ぎが激しくなり、兄様が高まりつつあるのが音だけで分かる。それを蔑むような珠さんの声とともに、さらにその行為の苛烈さが増す。そして。
一瞬の静寂の後——高く張り詰めた声が響き渡った。……達したのだ。
かすかな余韻だけが残るなかで、珠さんは囁く。
「春樹、分かってるやんな。まだ終わりとちゃうよ」
その言葉とともに行為は続き、夜が明ける頃まで止むことはなかった。俺はただ、壁越しにひたすらに沈黙して兄様の声に聞き入るだけだった。
行為が終わった後も、呆然と身体が動かずその場で考え込んでいた。これが「奉公の責任」? そんな問いが頭を巡る。
こんなことが許されていいのかという思いと、藍川家への経済的支援そして兄様がこうして仕事ができる環境、それらを天秤にかけても正しさは見えてこない。
朝食の時間が近づき、ようやく倉庫を後にした俺は、急いで廊下を歩いた。ふと向こうから兄様と珠さんが現れる。部屋へ戻ったはずの二人がここにいることに戸惑いを覚えた。そんな俺を気にかけることなく、珠さんは話しかける。
「弟くん。春樹な、今後は仕事に集中したい言うて向こうの作業場で生活することになったわ」
突然の発言に兄様を見ると、俯いたその姿に前とは違うどこか艶やかな色香が滲んでいた。思わずそれに手を伸ばしそうになる俺を、珠さんが冷たい視線で制する。
「春樹も毎晩仕事で疲れとるから、しばらくほっといたって。——弟くんと会う機会も、もうほとんどないやろうけど」
冷淡な声だった。お前は矮小な存在だと言わんばかりのそれを俺に向け、無言の兄様の肩に手をかける。
「ほな、行こか」
立ち尽くす俺とすれ違うように、二人は隣を抜ける。
兄様はあの仕事場へ向かうだけ。
それなのに、どこか手の届かない遠くへと行ってしまうような気がした。
珠さんは俺に目線をやると、くすりと笑う。
「あらめずらし、弟くん、そこに座りはるんやね」
「————ッ」
何かに気づいたように兄様は、隣の俺を見て息を呑んだ。いつも兄様が座る席にいると、何か問題なのだろうか。
兄様の様子を見て、ふふっと笑いながら言う。
「春樹、そないに深刻そうにせんで。別に弟くんのことをいじめたりせぇへんよ? 奉公の責任を持つのは、君とすでに決まっとる」
奉公の責任? それが何を指しているのか分からないが、もしや仕事のことを言われているのか。ダメだ、兄様はまだお加減が優れない。意味もわからないそれを、なんとかして代わらなければと口に出す。
「お、俺が奉公の責任もちますので! 兄様はお身体の調子が悪いようですし、織物の仕事も全部自分が——」
「そうなん? 春樹」
俺の言葉を切るように、珠さんは兄様を見据える。
「違うっ、責任を果たすのは自分だ。体も問題ない、仕事もできるよ」
兄様はそう必死に俺を庇うような言葉を口にする。幼馴染である珠さんが相手であっても、やはり華族への対応という負担を俺に負わせたくないのだろうか。
「そやろね、アレ、言うてへんねやろ。まぁ『仕事場』でのこと言えるはずもないか」
「——珠ッ」
「おお、こわいなぁ。心配せんくても言わへんよ」
それ以上言うなと言わんばかりに兄様は珠さんを睨みつける。あの穏やかな普段の兄様からは想像もできない形相で、俺は驚き目を見開いてしまった。兄様はそんな俺と目が合うと、はっと我に返ったように首を振り、なんでもないんだよと小さく呟く。
それに気にしたそぶりも見せずに珠さんは茶会を再開した。昨日と同じ緑の袱紗を手に持ち、清め、そして鳴らす。
その流れが進むにつれ、兄様の表情は暗くなっていった。
「奉公の責任」「仕事場」、そして「緑の袱紗」
それらに何か秘密があるのだと、俺は確信した。
その夜、兄様の仕事場へと向かう。当然のように正面には女中が立っており、表を諦め裏に回る。威圧感のある入り口の前で足を止めた。塀のようなこの扉をどう開けるべきか、顎に手を当てて考え込み、試しに軽く横へ引く。すると、拍子抜けするほどあっさりとそれは開いた。
鍵が掛かっていない。兄様か他の管理人が閉め忘れたのだろうか?
そうして浮かんだ疑問を気にすることなく足を踏み入れる。そこはどうやら作業場ではなく、小さな倉庫のようなものだった。桶に板、針に染色のための材料、仕事道具が整然と収められている。中は明かりがついていないために暗い。入口の正面にはさらに扉があり、おそらくその先が兄様の作業場であろう。そう確信して扉に手をかけた、そのとき扉とどこか別の方向から、何か動物が鳴くような、そんな音が響いているのを耳にする。
隣の薄い壁からだ。
壁越しに聞こえるそれに誘われるように、俺はそっと壁へ耳を寄せた。
僅かに聞こえる小さなそれを、理解した途端に、驚きで目を見開く。
——兄様の声だ。
しかしいつもの優しいそれではない。どこか追い詰められたように、苦しむような、呻くような。
まだお身体が……そう心配になるも、すぐにそうではないと悟る。
いや、違う、まさか。俺は唖然とした。
これは喘ぎ声だ。
「そないしんどそうにされると、自分悲しいわ」
そう言いながら兄様を嬲っている男の、珠さんの存在に気がついた。肌が擦れる音、湿った水音、そこに混ざる兄様の吐息。それが次第に熱を帯び、高まり、色を増す。抑えるように低く唸っていたのも、しまいには甲高い声を漏らすようになる様が手に取るように分かった。さきの呻き声は人の欲を煽るそれへと変化する。
それはあまりにも妖艶で、あの優しい兄様から出ていると考えると思わず顔が熱くなった。淫靡な水音と卑猥な喘ぎが激しくなり、兄様が高まりつつあるのが音だけで分かる。それを蔑むような珠さんの声とともに、さらにその行為の苛烈さが増す。そして。
一瞬の静寂の後——高く張り詰めた声が響き渡った。……達したのだ。
かすかな余韻だけが残るなかで、珠さんは囁く。
「春樹、分かってるやんな。まだ終わりとちゃうよ」
その言葉とともに行為は続き、夜が明ける頃まで止むことはなかった。俺はただ、壁越しにひたすらに沈黙して兄様の声に聞き入るだけだった。
行為が終わった後も、呆然と身体が動かずその場で考え込んでいた。これが「奉公の責任」? そんな問いが頭を巡る。
こんなことが許されていいのかという思いと、藍川家への経済的支援そして兄様がこうして仕事ができる環境、それらを天秤にかけても正しさは見えてこない。
朝食の時間が近づき、ようやく倉庫を後にした俺は、急いで廊下を歩いた。ふと向こうから兄様と珠さんが現れる。部屋へ戻ったはずの二人がここにいることに戸惑いを覚えた。そんな俺を気にかけることなく、珠さんは話しかける。
「弟くん。春樹な、今後は仕事に集中したい言うて向こうの作業場で生活することになったわ」
突然の発言に兄様を見ると、俯いたその姿に前とは違うどこか艶やかな色香が滲んでいた。思わずそれに手を伸ばしそうになる俺を、珠さんが冷たい視線で制する。
「春樹も毎晩仕事で疲れとるから、しばらくほっといたって。——弟くんと会う機会も、もうほとんどないやろうけど」
冷淡な声だった。お前は矮小な存在だと言わんばかりのそれを俺に向け、無言の兄様の肩に手をかける。
「ほな、行こか」
立ち尽くす俺とすれ違うように、二人は隣を抜ける。
兄様はあの仕事場へ向かうだけ。
それなのに、どこか手の届かない遠くへと行ってしまうような気がした。
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