紫の真の月

森の妖精

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東京とコーヒー

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 ――――あれから4ヶ月、ギリギリでも推薦入試に合格できて、1ヶ月後の4月からは大学生。
 母からは
「奨学金は全部使わないでバイトしなさい!でも103万の壁があるから月8万円までね!」と色々難しい事を言われた。

 東京へ母と新しい部屋を探しに行った時、ライブの帰りに悠真さんと過ごしたコーヒーショップへどうしても行きたくて母に無理を言ってしまった。
店の名前は覚えていたから、検索したらすぐに見つかった。
「ここで始発まで過ごしたんだよ」
「そうなのねー。あの時は東京に取り残された柚葉を心配して大変だったけど、もう大学生なのね。大きくなったわね。」
と、しんみりした。

 あの夜の席に座り、カフェラテを頼んだ。
 もう一度、この店に来れた事がとても嬉しかった。
 悠真さんには会えないけれど、悠真さんがいたこの席に悠真さんを感じる事ができたから。
 最初はそうでもなかったのに、仙台に帰ってからどんどん想いは強くなっていった。
 そして、進学を東京にするなんて、自分でもびっくりしている。もう一度会いたいなんて思っても無理な事は分かっているけど、同じ東京に居るってだけで心が強くなる感じがした。
 母とコーヒーを飲みながら外を眺めると、乾いた東京の3月の風が歩道の木々を揺らしていた。不思議と冷たさより暖かさを感じた。

母は、最近すっかり大人じみてきた娘の横顔を黙って見つめていた。

それから、二年。
 彼に会えないまま、季節だけが何度も巡った。
 時間が過ぎるのはあっという間だった。

 私は、あのコーヒーショップで半年前から週3ぐらいでアルバイトをしている。
 思い出の店で、コーヒーの香りの中で働くのはとても幸せだった。
 お客さんのほとんどが、店内でゆっくり過ごしている。パソコンを開いて仕事をするサラリーマンや、何時間も話し込む若者。とても幸せそうなカップル。買い物の合間なのか、休憩がてらにホッと一息つく主婦。
 その中でも、あるカップルが最近の私の推しだった。
 ふわっと緩やかな長い髪の彼女と、いつもお洒落でスラっと長身のイケおじ。この2人が来ると、店内がほんの少し華やかになるようだった。
 2人の雰囲気は映画のような世界観が漂っていた。
 綺麗な人だな。あんな大人になれたらカッコいいなー。と、見惚れてしまうのだった。
 
 ある日、いつもの推しカップルが来店した。
 コーヒーを客席へ運んでいた時、偶然に2人の会話を聞いてしまった。聞くつもりはなかったのに。
女性の方が切り出した。
「それでも全然構わないから、私と一緒にいて欲しいのよ」
 イケおじが首を横に振りながら答える
「でも、君を苦しめてしまっている自分が、とても情けないよ」
「いいの。私が自分で続けると決めた事なんだから。」
「僕は、奥さんと別れるつもりは無い。けど、1番愛しているのは君だけなんだよ」 
「たまにでいいの。このまま、ずっとこのままを続けましょう。」
 テーブルの上で指先が触れるのが見えた。
えーー!あんなに推していたカップルは……そんなー。
 東京、マジで凄い。と思った瞬間だった。

 様々な人が来店するけど、悠真さんが現れる事は今まで一度もなかった。もう2年もなるのに。
 私もあの時より髪も伸びたし、化粧も上手になっている。
 彼も変わっているだろうか?

 それともう一つ、私は大学では音楽のサークルに入った。
 勉強も大切だが、せっかくの大学生活、友達を作って毎日を楽しく過ごしたかった。
 サークルは和気あいあいと、音楽のジャンル別に語り合ったり、ロック・J-POP・ボカロ・洋楽など自由にそれぞれバンドを組んで、定期演奏をしたりと内容も盛りだくさんだった。人気サークルなだけあり部員も多く、すぐには全員の名前は覚えきれない。

 20歳になり、サークルの飲み会に初めて呼ばれた。
 とは言っても、20歳になったばかりでお酒はまだ苦手だったので、ウーロン茶を飲んで過ごした。
 先輩のお気に入りの店で、お洒落な立ち飲みバーでピザやパスタのイタリアンがとても美味しくてお洒落な店だった。

 音楽の話や、大学の話を仲間とワイワイしながら過ごすのはとても楽しい。
 夜も遅くなると店もだんだん混み始めてきた。

 後ろの席もたった今埋まって、店内はすでに満席のようだった。後ろの席には男女5人が楽しそうにメニューを見ていた。
「えーと、まずフライドポテトでしょ。それとチーズの盛り合わせ!ゆうまはー?」
 と声が聞こえて、私は振り向いた。
 ゆうまと呼ばれた人は横顔だったが、あの時の悠真さんのようにも見えたし、違うようにも見えた。
 私の視線に気づいた女が、私の視界から遮るようにゆうまと呼ばれた男に腕を絡めて「ねーえ、ワインにしない?」と甘えていた。

 ずっと後ろを見る訳にもいかず、サークル仲間と話しながらも、後頭部が気になって仕方なかった。

 しばらくして私はトイレに席を立った。
 個室に入っていると、2人の女が笑いながらやってきて
「私ー、ゆうま君もらっていい?やっぱりイケメン!いい感じじゃない?ただ遊ぶにはもったい無い気もするけどー」
「いいじゃん!彼を酔わせていっちゃえー」
「でもさー、ゆうま君、全然飲んでないんだよね。お酒ダメなんだって」
コンパクトの蓋が、パチンと閉まる音がした。
「じゃあ、あんたが飲ませればいいじゃん。うまくやんなよ」
「はは。ほんと懲りないよね、あんた。彼氏いるくせに」
「だってさ。浮気って、ちょっと燃えない?」
「あー、分かるぅ」
 甲高い笑い声が、狭いトイレに反響する。
 
 私は手を合わせて「どうか、あの悠真さんではありませんように」と祈った。

 悪巧み女達が出て行った後、私も仲間の元へ戻った。先輩達はグラスを何杯も空にしていて程よく酔っていた。
話は絶好調に弾んでいた。
 テーブルに戻る時、私は『ゆうま君』と呼ばれた人の顔を遠目によく見てみた。
 と、女が私の視線にまた気付いた。
「……!?」
 すぐに私は目を伏せた。
 しかし、男の顔を確認できた。
 間違いない、あの時の悠真さんだ。
 すっかり思い出の人となっていたのに、このタイミングで会うなんて。
 悠真さんは、はにかみながらグラスを口に運んでいた。あの時の仕草だった。しかし、女の腕がしっかりと絡まっていた。
 (どうしよう!彼氏持ちの悪い女に持ち帰られちゃう!)
 心の中でそう考えていた。しかし、彼も男ならそんな事だってあるだろう。大人なんだから仕方ない。
 でも、あの時、コーヒーを飲んで優しく笑っていた人が、あんな女に引っかかるのは絶対嫌だ!

 「そろそろお開きにしまぁーす!」
 幹事が声を上げる。そうしないと聞こえないぐらい、店内は賑やかで混んでいた。
 そんな時、悠真さんがトイレへ向かったのが見えた。
 その後ろ姿を目で追った時、幹事が「1人、3,500円でーす!はーい!集めまーす!」と叫んでいる。1人1人から現金を受け取って回る先輩幹事。
 私は急いで財布から3,000円とその上に500円を乗せて幹事へ渡した。
 その時、前の方から悠真さんが戻ってきた。
 私のテーブルの後ろのテーブルへ戻るところだった。少しずつこちらに近づく。あと5歩、3歩……
 私はウーロン茶の入ったグラスを手に持ち、彼の前に立った。そして……そのままドンッと悠真さんにぶつかった。
 グラスのウーロン茶は彼のワイシャツやネクタイにビッショリとかかってしまった。私は「しまった!」という顔をした。……まぁ、狙ったのだが。
「ちょ!大丈夫~?」
 後ろからおしぼりを持った女が駆け寄って、悠真さんのワイシャツを拭いた。悠真さんは「大丈夫、平気だから」と、困った様子で手で水滴を飛ばした。びっしょり濡れた白いワイシャツはウーロン茶で薄茶色に滲んでいた。
「ちょっと!何すんのよ!」
 女が、悠真さんと立ちすくむ私の間に入り込んだ。
 甘い香水の香りがとても強かった。女は私の肩を力一杯押してきたので、わたしはよろけて尻もちをついてしまった。
「あなた、悠真君をさっきからチラチラ見てたでしょ?」
 仁王立ちで、腕を組んで私を見下している。
 私は俯きながら
「…それは……ごめんなさい」
 と謝った。私の咄嗟にとった行動は、サークルの仲間達も悠真さんの連れの人達の動きも止めてしまっていた。
「ねえ、どういうつもり!?」
 と責め立てる女に悠真さんは
「まぁまぁ、彼女もわざとじゃないんだから。前を見ていなかったオレが悪いんだよ。ごめんねー。立てる?」
 と、手を差し伸べてくれた。
サークルの仲間の先輩方が
「こちらこそすみません!ほら、柚葉立てるか?」
 と言った時
「ゆずは?」
彼は一拍置いて、しゃがみこんだ。
 彼の顔が近づいた時に私は彼にしか聞こえない声で呟いた
「…ごめんなさい…わざとです。」
「……」
 一瞬だけ沈黙があったが、悠真さんは何も言わずに、すっと立ち上がり
「あーあ。俺、こんなんだから。今日はもう帰るよ」
 と素肌にくっつくワイシャツをパタパタしながら飲んでいた仲間に笑って言った。
「は?」
 と、女はポカンとしていた。
「君には、クリーニング代を請求しないとだね。」
 と再びしゃがんで私の両肩をポンポンと叩いた。
「しらけるんですけど!」と、女は店を出て行ってしまった。それを追いかけるように他の男女も出て行ってしまった。
 悠真さんは
「あらら、食事代……俺払わないと~」
 と、軽く笑って言った。悠真さんはサークルの仲間達に
「大丈夫、この子、取って食ったりしないから」
 と微笑んだ。私もみんなへ一言
「あ、大丈夫です。クリーニング代を渡したいので。」
 と言って、2人で店を出た。

「あーー、派手にこぼされたなー」
 最初の一言がそれだった。
 私は、すみませんと謝ったが
「わざとなんでしょ?」
 とニヤニヤして振り返る。あの日の笑顔がそこにあった。そして笑いながら
「まさか、仙台のあどけない女子高生だった子が、東京で飲んでるなんて思わないよ!本当びっくりした」
「私も……すごくびっくりしました」
 そう言って前を歩く彼の後ろ姿を眺めていた。
彼はくるっと振り向いて
 「もしかして、助けてくれたの?」
 「……」
「俺、ちゃんと自分で断るつもりだったよー」
「え?」
「大人ですから!」
「本当の彼女に悪いから?」
彼は一瞬だけ視線を逸らして、
「……そうだね」
と笑った。

 やっぱり彼女いたんだ。そうだよね、こんな優しい人が彼女いない訳ないもんね。
 でも、また偶然会えただけ、それだけでとても嬉しかった。
「あの、これ、クリーニング代です」
 私は2,000円を握りしめて渡そうとした。
「嘘だよ!そんなの要らない要らない。しかも、2,000円は多いよー?」
 と、手のひらで私の手を押し返した。
「しかし、偶然ってあるんだね~。あの日、助けた子猫ちゃんが恩返しに来るなんて。」
 と笑って、いつも思い出していたそのままの顔で
「ありがとう」
 と、微笑んだ。
 私はずっと俯いたままあまり話せなかった。
「送って行くよ?家はこの辺?このままじゃ俺、恥ずかしいし、とりあえず車に乗ろうね」
 とワイシャツをパタパタさせている。
「え?でも、お酒……」
「あー、今日は飲んでませーん!」
 2人でほぼ同時に笑って。そして目が合って、また笑った。

  ――あんなに会いたかった彼が隣に居る。
 すでに心の中では憧れの存在になってしまっていたが、実際に会えた。信じられない。
 でも、会えた日に失恋してしまった。
 あの日は警戒して後ろに乗ったけど、今日は助手席に座っている。夢みたいだった。
「あの、私、大学進学で東京に来ました。今日は音楽サークルの仲間と集まりでした。」
「そんなんだ!音楽好きだったもんね。飲み会って事は、もう20歳⁈早いなー。」
「悠真さんはいくつなんですか?」
「あー、6つ上かな。26だよ。柚葉ちゃんから見たら、おじさんだよね」
「そんな事ありません!」
「柚葉ちゃんは彼氏とかいないのー?」
「……いません」
「そっか」
 そのまま少しの沈黙。たまらず私は
「あの!私、助けてもらったコーヒーショップで今働いています!良かったら今度コーヒー飲みに来てください!」
 と、告白のような勢いで伝えた。
「えー、そうなんだ。今度時間のある時にでも行ってみるね。」
「絶対ですよー」
 と、やっと笑顔で顔を見れた。
 そんな会話をしているうちに、アパートへ到着してしまった。
「じゃ、またね!」
 悠真さんは軽く親指を立ててポーズを取り、そのまま車は去っていってしまった。

 その車を私は胸を押さえて、見えなくなるまで見送った。
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