9 / 10
十年
しおりを挟む
それからの砂漠は平和だった。いや、新しく逃げ込んでくる人間たちはいるが、その程度。戦争は起こっているらしいが、それが砂漠に来ることはなかった。漏れ聞こえてくる噂によると、勇者と砂漠の守り神の怒りを買うとかなんとか、という話になっているらしいが。
ちなみに、ルインと再会した時には、メチャメチャ泣かれた。なぜかごめんなさいと何度も謝られた。そして剣の稽古はもう必要ないときっぱり言われた。
「キクチが守ってくれたんです。だから、無駄にはしたくありません。僕がすることは先頭に立って魔物と戦うことじゃなくて、ここにいる人々を守ることだと思ったんです」
何がどうしてそういう結論に達したのかはサッパリだったが、実際にルインを中心に街ができはじめていた。そして、戦火から逃げてきた人々を受け入れて、その街をさらに大きくしている。
素直にすごいと思った。
俺は降りかかる火の粉をどうにかしただけで、それ以上のことをやろうとは思わないのに、ルインは将来を見据えて行動しているのだ。
時々街に行けば、歓迎される。いつでも住んでいいと言われているけど、それを俺は断り続けている。イビーの側の方が気楽でいい。
「ゲホッ、ゲホッ」
咳が出た。最近、喉の調子が良くなくて、咳をすることが増えた。
『風邪か?』
「勇者も風邪ってひくんだな」
でも、この時はたいしたことはないと思っていたのだ。
※ ※ ※
それから十年ほどの時が過ぎた頃。
俺の体調は、完全に悪化していた。
「ゲホッ、ゴホッ、ゲホゲホッ」
咳が止まらない。喉が痛い。時々血が混じる。呼吸をしようとして、息が詰まる。
『キクチ……』
イビーが寝ない。起きる時期でもないのに勝手に起きて、そして俺の心配をしてくる。
「大丈夫だ」
『そんなわけないよー。ちょっとまっててー』
間延びした声が、泣きそうになっている。目を瞑って何か集中したかと思うと、イビーの鼻先だけが一瞬だけ虹色に光った。――と同時に、俺の呼吸が楽になる。
『こうしたら、平気ー?』
「ああ、助かるよ」
明らかに周囲の湿度が増した。雨を降らせる応用なのだろうか。
俺も分かっている。この咳の原因は、砂漠の乾燥した気候だ。日本にいた頃、冬になって乾燥してくると咳が出たが、この砂漠はそれ以上に乾燥している。それで、十年という月日で完全に呼吸器がやられたんだろう。
フウッと息を吐いて横になる。呼吸は楽になっても、胸の辺りが痛い。何となく、もうすぐ俺は死ぬんだろうなというのが分かる。
「イビー、一つ聞いていいか?」
『なにー?』
「お前に名前を教えたら、どうなるんだ?」
『…………』
珍しい、イビーの驚いた顔だ。
「ただの興味本位だよ」
『嫌だって教えてくれなかったの、キクチなのにー』
ブツブツと言って。
『ボクの従者になる……みたいな感じかなー? ボクの力の一部を使えるようになって、ボクの代わりに仕事ができるようになるよー』
「つまり、イビーに使役されるということか」
『人間じゃなくなるから寿命も伸びるし、病気も治るよー』
「……そうか」
何てことないように告げられた最後の一言に、正直心はグラッと揺れた。
でも何も言わず、目を閉じた。呼吸が楽になったら、眠くなってきた。
※ ※ ※
「よ、ルイン」
「キクチ!」
久しぶりに街に顔を出す。ルインは俺を見て嬉しそうにして……すぐ顔を曇らせた。
「……具合、悪いの?」
「なんだ、すぐ分かっちゃうんだな」
「分かるよ! すごく顔色悪い!」
「そうか」
笑って返せば、神妙な顔になったルインが俺の手を握ってきた。
「キクチ、この街にいなよ。普段どこにいるか知らないけど、治療できないんでしょ? ここなら病気を治せる神官もいるから」
「必要ない。治すつもりはないから」
「キクチ!?」
驚くルインの肩に手を置く。もう少し前なら、頭をなでていたところだ。すっかり青年に成長したルインは、俺より背が高くなってしまった。
「もういいんだ。……悪いけど、この世界が好きなわけじゃない。望みもせずに連れてこられて、帰ることもできないと言われて……。元の世界が好きだったのかと言われたら難しいけど、それでも生きていくなら日本の方が良かった」
十年も過ぎて、もうだいぶ記憶も薄くなっているけど。
生きることを望んでも、後悔する気がする。だったら、死ぬという選択肢がある今、それを選んだっていいんじゃないかと思ってる。
「ルインには、挨拶くらいしておこうと思ったんだ。これが最後になるだろうから」
「……いやだ、キクチ。いやだよ」
「アホ、ここに国を建てて国王になるんだろ。そして魔族と人間の橋渡しをすることが夢なんだろ。俺一人のことくらいで、駄々こねるな」
それでもルインは首を横に振る。小さな子どもがイヤイヤしているみたいで、苦笑する。
「世界に必要なのは、お前みたいな奴だと思うよ。他の世界からの勇者召喚なんて、何の意味もないんだ」
周囲に流されるまま戦って、全部中途半端なまま放り投げる俺みたいな奴など、いる必要がない。
「じゃあな、ルイン」
できるだけ軽く挨拶して、泣きそうな目をしたルインの肩をポンと叩いて、背を向けた。慰める言葉なんかない。この世界がどうなろうと関係ないと思っている俺が、掛ける言葉なんかありはしないんだ。
ちなみに、ルインと再会した時には、メチャメチャ泣かれた。なぜかごめんなさいと何度も謝られた。そして剣の稽古はもう必要ないときっぱり言われた。
「キクチが守ってくれたんです。だから、無駄にはしたくありません。僕がすることは先頭に立って魔物と戦うことじゃなくて、ここにいる人々を守ることだと思ったんです」
何がどうしてそういう結論に達したのかはサッパリだったが、実際にルインを中心に街ができはじめていた。そして、戦火から逃げてきた人々を受け入れて、その街をさらに大きくしている。
素直にすごいと思った。
俺は降りかかる火の粉をどうにかしただけで、それ以上のことをやろうとは思わないのに、ルインは将来を見据えて行動しているのだ。
時々街に行けば、歓迎される。いつでも住んでいいと言われているけど、それを俺は断り続けている。イビーの側の方が気楽でいい。
「ゲホッ、ゲホッ」
咳が出た。最近、喉の調子が良くなくて、咳をすることが増えた。
『風邪か?』
「勇者も風邪ってひくんだな」
でも、この時はたいしたことはないと思っていたのだ。
※ ※ ※
それから十年ほどの時が過ぎた頃。
俺の体調は、完全に悪化していた。
「ゲホッ、ゴホッ、ゲホゲホッ」
咳が止まらない。喉が痛い。時々血が混じる。呼吸をしようとして、息が詰まる。
『キクチ……』
イビーが寝ない。起きる時期でもないのに勝手に起きて、そして俺の心配をしてくる。
「大丈夫だ」
『そんなわけないよー。ちょっとまっててー』
間延びした声が、泣きそうになっている。目を瞑って何か集中したかと思うと、イビーの鼻先だけが一瞬だけ虹色に光った。――と同時に、俺の呼吸が楽になる。
『こうしたら、平気ー?』
「ああ、助かるよ」
明らかに周囲の湿度が増した。雨を降らせる応用なのだろうか。
俺も分かっている。この咳の原因は、砂漠の乾燥した気候だ。日本にいた頃、冬になって乾燥してくると咳が出たが、この砂漠はそれ以上に乾燥している。それで、十年という月日で完全に呼吸器がやられたんだろう。
フウッと息を吐いて横になる。呼吸は楽になっても、胸の辺りが痛い。何となく、もうすぐ俺は死ぬんだろうなというのが分かる。
「イビー、一つ聞いていいか?」
『なにー?』
「お前に名前を教えたら、どうなるんだ?」
『…………』
珍しい、イビーの驚いた顔だ。
「ただの興味本位だよ」
『嫌だって教えてくれなかったの、キクチなのにー』
ブツブツと言って。
『ボクの従者になる……みたいな感じかなー? ボクの力の一部を使えるようになって、ボクの代わりに仕事ができるようになるよー』
「つまり、イビーに使役されるということか」
『人間じゃなくなるから寿命も伸びるし、病気も治るよー』
「……そうか」
何てことないように告げられた最後の一言に、正直心はグラッと揺れた。
でも何も言わず、目を閉じた。呼吸が楽になったら、眠くなってきた。
※ ※ ※
「よ、ルイン」
「キクチ!」
久しぶりに街に顔を出す。ルインは俺を見て嬉しそうにして……すぐ顔を曇らせた。
「……具合、悪いの?」
「なんだ、すぐ分かっちゃうんだな」
「分かるよ! すごく顔色悪い!」
「そうか」
笑って返せば、神妙な顔になったルインが俺の手を握ってきた。
「キクチ、この街にいなよ。普段どこにいるか知らないけど、治療できないんでしょ? ここなら病気を治せる神官もいるから」
「必要ない。治すつもりはないから」
「キクチ!?」
驚くルインの肩に手を置く。もう少し前なら、頭をなでていたところだ。すっかり青年に成長したルインは、俺より背が高くなってしまった。
「もういいんだ。……悪いけど、この世界が好きなわけじゃない。望みもせずに連れてこられて、帰ることもできないと言われて……。元の世界が好きだったのかと言われたら難しいけど、それでも生きていくなら日本の方が良かった」
十年も過ぎて、もうだいぶ記憶も薄くなっているけど。
生きることを望んでも、後悔する気がする。だったら、死ぬという選択肢がある今、それを選んだっていいんじゃないかと思ってる。
「ルインには、挨拶くらいしておこうと思ったんだ。これが最後になるだろうから」
「……いやだ、キクチ。いやだよ」
「アホ、ここに国を建てて国王になるんだろ。そして魔族と人間の橋渡しをすることが夢なんだろ。俺一人のことくらいで、駄々こねるな」
それでもルインは首を横に振る。小さな子どもがイヤイヤしているみたいで、苦笑する。
「世界に必要なのは、お前みたいな奴だと思うよ。他の世界からの勇者召喚なんて、何の意味もないんだ」
周囲に流されるまま戦って、全部中途半端なまま放り投げる俺みたいな奴など、いる必要がない。
「じゃあな、ルイン」
できるだけ軽く挨拶して、泣きそうな目をしたルインの肩をポンと叩いて、背を向けた。慰める言葉なんかない。この世界がどうなろうと関係ないと思っている俺が、掛ける言葉なんかありはしないんだ。
0
あなたにおすすめの小説
僕の秘密を知った自称勇者が聖剣を寄越せと言ってきたので渡してみた
黒木メイ
ファンタジー
世界に一人しかいないと言われている『勇者』。
その『勇者』は今、ワグナー王国にいるらしい。
曖昧なのには理由があった。
『勇者』だと思わしき少年、レンが頑なに「僕は勇者じゃない」と言っているからだ。
どんなに周りが勇者だと持て囃してもレンは認めようとしない。
※小説家になろうにも随時転載中。
レンはただ、ある目的のついでに人々を助けただけだと言う。
それでも皆はレンが勇者だと思っていた。
突如日本という国から彼らが転移してくるまでは。
はたして、レンは本当に勇者ではないのか……。
ざまぁあり・友情あり・謎ありな作品です。
※小説家になろう、カクヨム、ネオページにも掲載。
後日譚追加【完結】冤罪で追放された俺、真実の魔法で無実を証明したら手のひら返しの嵐!! でももう遅い、王都ごと見捨てて自由に生きます
なみゆき
ファンタジー
魔王を討ったはずの俺は、冤罪で追放された。 功績は奪われ、婚約は破棄され、裏切り者の烙印を押された。 信じてくれる者は、誰一人いない——そう思っていた。
だが、辺境で出会った古代魔導と、ただ一人俺を信じてくれた彼女が、すべてを変えた。 婚礼と処刑が重なるその日、真実をつきつけ、俺は、王都に“ざまぁ”を叩きつける。
……でも、もう復讐には興味がない。 俺が欲しかったのは、名誉でも地位でもなく、信じてくれる人だった。
これは、ざまぁの果てに静かな勝利を選んだ、元英雄の物語。
異世界に召喚されたが「間違っちゃった」と身勝手な女神に追放されてしまったので、おまけで貰ったスキルで凡人の俺は頑張って生き残ります!
椿紅颯
ファンタジー
神乃勇人(こうのゆうと)はある日、女神ルミナによって異世界へと転移させられる。
しかしまさかのまさか、それは誤転移ということだった。
身勝手な女神により、たった一人だけ仲間外れにされた挙句の果てに粗雑に扱われ、ほぼ投げ捨てられるようなかたちで異世界の地へと下ろされてしまう。
そんな踏んだり蹴ったりな、凡人主人公がおりなす異世界ファンタジー!
勇者の隣に住んでいただけの村人の話。
カモミール
ファンタジー
とある村に住んでいた英雄にあこがれて勇者を目指すレオという少年がいた。
だが、勇者に選ばれたのはレオの幼馴染である少女ソフィだった。
その事実にレオは打ちのめされ、自堕落な生活を送ることになる。
だがそんなある日、勇者となったソフィが死んだという知らせが届き…?
才能のない村びとである少年が、幼馴染で、好きな人でもあった勇者の少女を救うために勇気を出す物語。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
転生先はご近所さん?
フロイライン
ファンタジー
大学受験に失敗し、カノジョにフラれた俺は、ある事故に巻き込まれて死んでしまうが…
そんな俺に同情した神様が俺を転生させ、やり直すチャンスをくれた。
でも、並行世界で人々を救うつもりだった俺が転生した先は、近所に住む新婚の伊藤さんだった。
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる