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第6章
36.強くて弱い、君の事
しおりを挟む白いレースのカーテンがヒラリヒラリと揺れて、バイパーの飛び去った余韻を残していた。
なんで私、悪役令嬢ポジションなのに(多分)レアな攻略対象者とギリギリな取引をしなきゃいけないんだろうか……
そんな風にちょっと達観しながらバルコニーを見つめていたのも束の間。遠くの方からドタバタと近づいてくる足音や、ザワザワとした声が聞こえてきた。
廊下からかな、と思っているとノックもなしに勢いよく寝室の扉が開いた。
「サシャ……!」
駆け込んできたのはノエル様だった。遅れてイヴとライも。険しかった皆の表情は、到着して私の無事を確認出来たからか、幾分かホッとしたものへと変わる。
「大丈夫? 無事?」
「え、あ、はい。……って、それより! そちらの火事は大丈夫でしたか……!?」
私の第一声に、皆は「えぇ……?」という表情を浮かべている。
「……うん? なんでサシャが火事の事を知ってるの? 僕達がいない間に親切な誰かが教えてくれたのかな?」
「えーと、その。話せば、分かるかと」
きちんと包み隠さず話すから、その暗黒微笑みはやめてほしい。
────────────────
「ふぃー……」
暗殺者との一件を隣のノエル様の私室で語って、案の定ノエル様には怒られたし、謝られてしまった。私としては、バイパーとの出会いイベントはゲームによる強制力だろうから仕方ないと割り切っていたので、こちらこそ心配をかけてしまって申し訳ないと素直に謝っておいた。
イヴも珍しく心配そうな表情で、眠るまでお部屋にいましょうかと提案してくれた。
それを大丈夫だよ、ありがとうと丁寧に断って、私は再び自分のベッドへ戻ってきたのだった。
身体の疲れからか瞼は重くなるけれど、暗殺者との出会い、命を狙われて死を覚悟した事、味方に引き入れる為にした交渉。
色んな事が目まぐるしく起きて、心は身体よりも疲弊していたようで、浅い眠りについた私に襲いかかったのは、前世の悪夢だった。
暗くて、哀しい絶望の記憶。
今日は自分が死ぬ場面まで見る事になるんだろうか。
いつまでも克服出来ない悪夢に諦めも混ざってきた頃、遠くから、私を呼ぶ声が聞こえた気がした。
「──う……ノエル、様?」
「よかった、起きてくれた……ちょっと待ってて」
「……ぁ」
……嫌だ、どこに行っちゃうの?
夢から醒めたばかりの私は、どこかぼんやりと無意識にノエル様の腕へ手を伸ばしていた。
大丈夫だよ、と言ってくれているかのように、ノエル様は私が掴んでいる反対の手で頭をふわりと撫でてくれる。
その手つきが優しくて、温かくて。
何だか泣きたくなるくらいホッとしたのだった。
私の腕を掴む力が弱くなったのを見計らって、ベッドサイドに置かれた明かりを点けてくれる。真っ暗だった部屋がほんのりと明るくなった。
「……引き止めちゃって、すみません」
おずおずと目を向けると、目が合ったノエル様は少しだけ驚いたように目を見開いた。
きっと私、情けない顔をしているんだろうな。
正直疲弊した今の私は、悔しいけどいつものポーカーフェイスを取り繕う元気もなかったのである。
でも何故かノエル様の反応は、私が想像していたのとは全く異なるものだった。
「ぅ、ぁ……サシャ、ちょっと待って? ……その顔、反則じゃない?」
普段から気丈に振る舞いすぎなのも困ったな……とボヤき、片手で口元を押さえながらこちらを見下ろしていた。灯りのせいか、顔がほんのりと赤いような……?
「反則、ですか……?」
「っごめん。気にしないで大丈夫。……またうなされているような声が聞こえたから。怖い夢、見たの?」
「ちょっとだけ……」
子どもみたいだなと思い、恥ずかしくなってもごもごと告げる。すると、身体を起こして枕元にあったクッションを背にして座っていた私を、ノエル様はふんわりと優しく抱きしめた。
「ちょ、ノエル様っ……!?」
「いいから。サシャにも甘えてもらいたいって思ってたんだ」
「いえ、でも、そんなの」
「こうやって抱きしめるのは、僕の勝手。……抱きしめてあげたかったから。ねぇ、サシャは僕にどうしてほしい?」
「っ……」
言ってもいいのだろうか。可愛いと思ってもらえるような甘え方なんて、とっくに忘れてしまったけれど……たまには素直になって、自分の気持ちを伝えてみてもいいのかなと思えた。
「…………そばにいて、ほしい、です」
「うん。側にいるよ、朝までずっと」
ね、と甘さを含んだ声と蕩けるような瞳で顔を覗き込まれて、息を呑む。
さっきは心細くて仕方がなかったのに、じわじわと羞恥心の方が勝ってきた。お願いしたのは私だけど、距離感がバグっているような気がする。
抱えられたと思うと、ぽふんとベッドに寝かされた。その隣にはノエル様が当然のように向かい合って横になっている。肘をついて私を見ながら、もう片方の手で私の肩をトントンと優しいリズムで叩くから心地よいのも、なんだか狡い。
「暗殺者との遭遇もさ、本当はもっと怖かったんじゃない?」
小さくピクリとしたけれど黙ったままの私を、ノエル様はそれを肯定と捉えたようだ。
「サシャはいつだって誰かの為に頑張っているけれど、自分の弱さには鈍いみたいだから。もっと僕を頼ってもいいんだよ?」
頑張るサシャは素敵だけど、無理してほしい訳じゃないんだ、と眉尻を下げて笑うノエル様に思わず見入ってしまった。そんな風に思ってくれていたのかと、優しい言葉がじんわりと心に染み渡った。
「……僕も君の事、占えたらよかったのに」
「え?」
「サシャと初めて会った時の自分は、占いの事を全く信じてなくて、かなり最低だったよね? でも今は……僕にもそういう力があれば……強くて弱い君の事、もっと守れるかもしれないって思った」
「今でも充分、守ってくれてますよ……?」
私の部屋を隣にしてくれたのだって、こうやって駆け付けて私を守る為なんだって、いい加減気づいていた。
夜這いに行くかもね、なんてふざけて言っていた事もあったけれど、本当に来たことなんて一度もなかった。この部屋に来るのはいつだって、私を助ける為。
「……そっか。貴方はきっと……クララ様の為に誠実であり続けるんですね……」
ポツリと胸の内にあった想いが零れる。
腹黒な面もあるけど、優しい人。好きになった人を一途に想い続けて、たとえ想いが叶わなくても、その人の幸せを願える人。
私は今、その優しさにつけ込んでしまっていると思ったけれど。
それでも、側にいてほしかった。
ノエル様は今夜だけ、弱った私を抱きしめてくれる。その事実だけでも心細かった気持ちが少しだけ消えたから、きっともう明日からは大丈夫だろう。
溢れそうになる気持ちが行き着くトコロは分からないまま。契約が終わりを迎えるまで、それでもいいと思ったのに。
優しかった温もりは、熱い吐息とともに私を激しく包み込んだ。
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