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閑話休題 千夜一夜物語

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ルーシャ国の夜にまばゆい光の粒子と
白いリンゴの花が降り注ぐ。

まるで夢のように美しいこの光景を
どこで見るべきか。
誰にも邪魔されたくはない。
しばし考えたオレは王都の中心に
荘厳にそびえ立つイリューディア神の
大神殿、その尖塔の屋根に腰掛けて
眺めることにした。

レジナスに頼まれた窃盗団員の確保は
さっき済ませて騎士団に引き渡した。
かろうじて2人だけ生きていて
良かったと言うべきか?

オレとしてはあんな者ども、
今すぐこの世から消し去ってやりたい
ところだが。

それにしても美しい。
オレの視界全てを金色の光と
白い花が埋め尽くす。

『・・・生きていればこそ、
必ず良かったと思える時が来る。
だから諦めるな、今はとにかく
その生を楽しみなさい。』

王族の剣の指南役を勤めていて、
今はもう田舎の領地へ引っ込み
隠居している養父はよくそう言って、

オレを引き取ってくれた後は
教師を雇い、オレに独学では
身に付かなかった
知識と教養を教え込み
正しい闘い方を教えてくれた。

残念ながら、正しい闘い方というものは
今もって全く身に付いているような
気はしないが。

それでも、目の前に広がる
美しい光景を見れば
あの頃の養父の言葉通り、
生きていて良かったと
生まれて初めて思えた。



・・・物心ついた時にはもう、
オレは今はなき滅びた国の王族の
奴隷として生きていた。

王族の身の回りの世話をさせられながら
見目の良さから宴席では戯れに少女の
格好をさせられて歌舞音曲の類いを
やらされたり、酌をさせられたり。

少女姿が似合わなくなるから
成長し過ぎないようにと、
食事制限で食べ物を貰えずに
過ごすことも多かった。

そんな合間に、たまに目に入るのは
オレとそこまで年も変わらない
美貌の少年達が王の部屋に
連れて行かれる姿だった。

その先で何が行われているかなど、
漏れ聞こえてくる悲鳴のような声を
聞かなくても、考えたくもないが
頭ではよく分かっていた。

そしてオレの容姿ではいずれ
時を置かずして、その少年達と
同じ道を辿ることも明白だった。

身分のある者だからと言って、
高潔な精神を持つとは限らない。

聖なる職につき人々から敬われて
いるからと言って、
その御魂が清いとは限らない。

所詮、人間は一皮剥けば一緒なのだ。
皆その薄皮の下に醜い欲望の塊を
隠している。

宴席に呼ばれる度に、
オレを見る貴族や聖職者の視線を
感じる度に、
酌をするオレの手をいやらしく
触る奴らの気色悪い体温を感じる度に、
その思いは強くなっていった。

『それは儂の取っておきなのだ、
手を出してくれるなよ?』
そう言って下卑た笑い声を上げる
王の声を聞く度に腹の底から
どうしようもない怒りと嫌悪が
込み上げる。

ーこのままでは終わらない。

仕事の合間にこっそり兵士の訓練を
盗み見てその剣捌きを覚え、
城仕えの魔法使いの本を盗んでは
魔法を独学で学び、
金目のものをくすねては逃走資金として
密かに隠しておいた。

王族仕えの奴隷で良かったのは
最初から字が読めていたことだ。
おかげで学びたいことは
順調に覚えられた。

魔法はすぐに使えるようになったので、
その才能はあったようだが
それだけでなくどうやらオレは
元から頭の出来も良かったらしい。
記憶力も良かった。

兵士の剣捌きを記憶してからは、
武芸は舞の練習のふりをして磨き
独自の剣技と武器の扱い方を覚えた。

見目の良さといい、どこの誰が
両親かは知らないが全くもって
驚くほどオレは才能に恵まれていた。

城の皆が寝静まった深夜に剣を振るい
腕を鍛える。凍えるような冬の夜空を
見上げれば、みすぼらしいオレを
見守るように静かに輝く星が
印象的で、それを見上げるたびに
いつかここから出て行く時の事を思った。

そんなある日、オレが10か11に
なった頃だろうか。

この国がルーシャ国の辺境に押し入り
そこを占領したという噂を
耳にした。

なんでも、良質な結界石を産出する
鉱山がそこで見つかったとかで
たまたまこの国との国境が
曖昧な地域だったらしい。

鉱山のふもとの、辺境の村を
1つ2つ平らげてこの国の領土を
広げたとかで王とその取り巻きは
大喜びで宴会の準備を始めた。

バカなのか?
ルーシャ国と言えば、こんな
吹けば飛ぶような小国とは違い、
常に魔物討伐をして国民の守護にも
熱心な押しも押されぬ大国だ。

100年前にルーシャ国に
勇者が現れたのも、
高邁な国としてのその在り方を
神が良しとして召喚先に
選ばれたからだと
周辺の国では言われている。

姫巫女という、イリューディア神の
神託を預かれる者がいまだに
ルーシャ国にしか現れないのも
その証左だろう。

そしてあの国は、人を人として扱わない
奴隷制度を嫌っているとも聞く。

だからオレは、この国から逃げた時の
行き先の一つにも考えていた。

そんな国に攻め入るなど愚かも愚か、
呆れて物も言えない。

自国の村が占領されたと聞いたなら、
国民が奴隷にされて売り払われる前に
きっとルーシャ国は攻めてくる。

オレが逃げ出せるとしたらその時だ。
その混乱に乗じてこんな所、
必ず出て行ってやる。

そう思っていたら、占領祝いの宴席で
オレは王の部屋に指名された。

このタイミングで?
絶望感で愕然とするオレを見る
王の目がいやに楽しげで、
その嗜虐心が透けて見えた。

『ー取っておきだと言っただろう?
おまえのその顔が見たかった。
このような祝いの時にこそ
お前はふさわしい』

そう言われ、それで悟った。
こいつは今までオレを泳がせていたのだ。

オレが必死で剣を磨き、魔法を覚え、
金を貯めていたのを知っていた。
逃げ出すタイミングを探していたのも
知っていたのだろう。

わざと他の少年達が自分の元へ
呼ばれる様を見せつけ、
オレが自分はいつそうなるのかと怯え、
逃げるためのその術を必死に探す様を
眺めて楽しんでいたのだ。

そうして逃げ出す算段を付けて
その希望の光をオレが目に宿したと
知るやいなや心を折ろうとする
この所業だ。

ブチ切れそうだった。

この世に神がいるのなら、
なぜこのような魔物にも劣る所業の
悪辣な者をのさばらせておくのか。

この世界は醜いもので溢れている。

こいつのなんて醜いことだろう。

こいつにいいように弄ばれ、
人を憎み蔑む事しか知らないオレも
またその性根は醜い。

『儂の元から逃げ出そうなどと、
二度と思わぬ事だ。』

ベッドに鎖で手足を繋がれると
組み敷かれた耳元でそう囁かれた。

囁かれた耳たぶから首筋へ、
その汚らしい舌を這わせられて
屈辱に顔が歪んだその時だった。

突然、本当に全く何の前触れもなく
轟音と共に部屋の半分が吹き飛んだ。

『ーむ、やり過ぎたか⁉︎』

ビリビリと周りに響く位うるさい
大声がした。

そこには1人の少年が立っている。
大柄で剣を肩に乗せ、やけに偉そうで
金色の太い眉の下からギョロリと
宝石のように青い瞳が辺りを
見回していた。

『はい、やり過ぎです殿下。』

その後ろから初老の男性も
呆れたように現れる。

『だが見ろ、さっそく1人助けたぞ!』

その大声と共にオレの手足の鎖は
砕かれ、オレは自由になった。

それがイリヤ殿下と、後にオレの
養父となる人物との出会いだった。

その後はあっという間だった。
王は捕らえられ、処刑され、奴隷は
まとまった金と衣服を渡されて
解放された。

どこにも行き場のないオレも、
その剣技と魔法の才能を認めてくれた
養父が引き取ってくれた。

イルと呼ばれていたオレの名は、
奴隷だったあの国の言葉で
おい、とかお前、とかを指す意味の
単語で名前ですらない。

そう話して名前がないと言ったら、
驚いた養父が付けてくれた
シェラザードと言う名は
割と気に入っている。

元々は勇者の時代のおとぎ話に出てくる、
悪王からその機転で我が身と民を守った
賢い美姫の名前が由来らしい。

どうやら養父はオレのそれまでの
いきさつを聞いてその話の女性を
思い浮かべたらしかった。

そこまで大した人間ではないどころか、
人を憎む気持ちが心の奥底に
染み付いている醜いオレには勿体ない、
美しい響きのその名前はそれでも
人に名前を呼ばれる喜びを初めて
オレに与えてくれた。

そんな養父に引き取られた後、
しばらくすると王をなくし
ルーシャ国の怒りを買ったあの国は
瞬く間に滅びてしまい、その国の名を
知る者は今では少数だ。


後で養父に聞けば、あれは殿下の
初めての遠征だったという。

奴隷制度など愚かの極み、と
蛇蝎の如くそれを嫌う殿下は
少年ならではの真っ直ぐな正義感で
騎士団が揃うのも待たずに1人で
あの国に飛び出して行ったという。

結果、それが宴席への奇襲となり
功を奏した訳だが無謀もいいところだ。

そんな危なっかしい者が将来の国王で
ルーシャ国は大丈夫なのか?

首を傾げたオレに養父は笑い、
ならお前が守ってやれと言われた。

ルーシャ国の中でも精鋭揃いの
中央騎士団には、さらに精鋭を集めた
キリウ小隊というのがあると言う。

もう一つ、国王専任の特殊な
暗殺部隊もあるが人の醜い面を
見ることの多いそちらは、
オレに向かないだろうと言われた。

キリウ小隊は国の右腕。
常に国に寄り添い、民の助けとなり
如何なる過酷な任務もこなし
国土と国民の安寧を護る騎士。

その任務から、国のあちこちに行き
様々な人と触れ合うこともある。

オレはもっとたくさんのものや人と
触れ合い、見識を広めるべきだと
言われた。

『シェラ、お前が思っているより
この世界は美しいもので溢れている。
そんなに若いのに世界に絶望していて
どうする。とにかく生きて、
色々なものを見ろ。生きていればこそ、
必ず良かったと思える時が
お前にも来るのだから。』

口癖のように養父は何かにつけて
オレへよくそう言っていた。

だが、どんなに学んで月日が経っても
そんな日は来ない。

オレの心根の醜さ、腹の底に渦巻いて
消えない他者に対する怒りと攻撃性は
使う魔法がことごとく攻撃魔法に
なってしまうという特性にまで
現れる始末だし、

ひとたび戦闘になれば悪党の顔を
見るだけでその醜いツラの皮を
剥いでやりたくなる。

引き取ってくれた養父と
由緒正しいザハリ家に、
奴隷上がりのオレが
恥をかかせてはいけないと
身に付けた丁寧な物言いと所作も、
戦闘で頭に血が上ればあっという間に
消え失せてしまう。

結果、毎回戦闘絡みの任務の後は
奴隷だった頃から何一つ変わらない
自分の醜さに自己嫌悪に陥って、

そんな醜いオレの心の隙間を
埋めてくれる美しいもの、
高潔な行為、清廉な心、そんなものを
追い求める気持ちが強まる。

醜いオレとはかけ離れたそれらに
触れると、確かにこの世界には
美しいものがあるのだと、
オレのように醜いものだけでは
ないのだと、ほんの僅かだが
救われた気持ちになる。

小隊の面々は、そういう意味では
オレの救いの一つだ。

国に忠誠を誓い、その身を捧げて
過酷な訓練にも耐えて任務に
尽くすその姿は、血濡れた道を
歩いてきたオレとは違って
高潔な精神に溢れ美しい。

養父の言うような生きてきて
出会えて良かったと言うのとも
少し違うが、彼らは大切に
しなければならないと思う。
オレとは違い、美しいものだから。

そう思いながら、日々の任務を
こなしていた時だった。

癒し子という召喚者が100年ぶりに
このルーシャ国に現れた。











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