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プロローグ
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理想郷。本当に、そんなものが実在しているのだろうか。
誰もが幸せになれる。本当に、そんなことは実現可能なのだろうか。
何も、何も分からない。今となっては、その疑問を投げかけられる相手すらいない。いなくなってしまった。
「…………どうして」
ぽつりと零した独り言は、寂しさと血生臭さを纏った風に攫われ、跡形も無く闇夜へ消えてゆく。
――分かっている。もう、この世界に未来は無い事くらい。
頭では十二分に理解しているが、それでも、終わりを受け入れ、その日を静かに迎えたいと願うことは間違いなのだろうか?
どれだけあの人の影を探しても、目に映るのは果ての見えない黒い空と荒れ果てた広大な砂漠のみだった。
「クロエ様、」
ふと、背後から自分を呼ぶ声がする。
「こちらにいらしたのですね」
「グレイ……」
名を呼んだ彼女の、片目を完全に覆い隠すほどに長い銀色の前髪が、乾ききった風に撫でられ靡く。この人もまた、この研究所で苦楽を共にした〝あの人〟の助手だった。
「お集まりいただいた皆様は先ほど、全員眠りにつかれました」
「そうか」
「まだ眠っていないのは私達だけです」
「……そうか」
「夢にまで見た成就の瞬間は目前です。きっと、博士も喜んでくださることでしょう」
「…………」
「さあ、クロエ様。ご一緒に――」
「グレイ、」
淡々と続く彼女の話をぴしゃりと遮る。それとほぼ同時に、一際激しい突風が静寂を攫ってゆく。風により露わになった暗い紫色の両目が、少し驚いたようにこちらを射抜いた。
「俺は――、納得していない」
絞り出した言葉でそう告げると、グレイはそのまま息を呑む。困惑の色が場の空気にも滲んでいた。
「例えこれがあの人の叶えたかった夢だとしても、あの人がいない世界に意味なんか無い」
「……ですが、クロエ様」
「お前はどうなんだ」
「…………グレイは、」
分かっている。この問答にだって意味は無い。
ただ、やり場のない気持ちをぶつけているに過ぎなくて、不毛そのものだと、そんな事は百も承知だ。
分かっていても、確かめずにはいられなかった。
「グレイはどんな形であれ、博士の願いを叶えられるのでしたら本望です。〝理想郷〟で生きて欲しいというのが、あの方の悲願でしたから」
彼女から返されたその言葉に嘘偽りは無く、疑う余地すら残されていない。
「…………そうか」
「ですが、」
「クロエ様のお考えも、全く分からないわけではございません」
「相変わらずハッキリしないな」
短いため息の中に、呆れと多少の安堵が入り混じる。このやり取りだけは、かつての日常のようだった。
「ま、お前はそのままで良いさ。無理に変わる必要もない」
そう言いながら錆び付いた手すりに預けていた体重を元に戻し、ゆっくりと建物の方へ歩を進める。
「クロエ様……?」
「恨むなよ、グレイ。俺はこれから――」
「まやかしの理想郷に囚われたあの人を解放する。その為なら、どうなったって構わない」
嘆き悲しんだ助手のその言葉に、もう一方の助手が頷いたか否かは誰も知らない。
肯定か、あるいは否定か、沈黙か。
無機質な音を立てて閉まる鉄の扉が、もう二度と、ここへは帰らぬことを物語っていた。
星の綺麗な、とても静かな夜だった。
誰もが幸せになれる。本当に、そんなことは実現可能なのだろうか。
何も、何も分からない。今となっては、その疑問を投げかけられる相手すらいない。いなくなってしまった。
「…………どうして」
ぽつりと零した独り言は、寂しさと血生臭さを纏った風に攫われ、跡形も無く闇夜へ消えてゆく。
――分かっている。もう、この世界に未来は無い事くらい。
頭では十二分に理解しているが、それでも、終わりを受け入れ、その日を静かに迎えたいと願うことは間違いなのだろうか?
どれだけあの人の影を探しても、目に映るのは果ての見えない黒い空と荒れ果てた広大な砂漠のみだった。
「クロエ様、」
ふと、背後から自分を呼ぶ声がする。
「こちらにいらしたのですね」
「グレイ……」
名を呼んだ彼女の、片目を完全に覆い隠すほどに長い銀色の前髪が、乾ききった風に撫でられ靡く。この人もまた、この研究所で苦楽を共にした〝あの人〟の助手だった。
「お集まりいただいた皆様は先ほど、全員眠りにつかれました」
「そうか」
「まだ眠っていないのは私達だけです」
「……そうか」
「夢にまで見た成就の瞬間は目前です。きっと、博士も喜んでくださることでしょう」
「…………」
「さあ、クロエ様。ご一緒に――」
「グレイ、」
淡々と続く彼女の話をぴしゃりと遮る。それとほぼ同時に、一際激しい突風が静寂を攫ってゆく。風により露わになった暗い紫色の両目が、少し驚いたようにこちらを射抜いた。
「俺は――、納得していない」
絞り出した言葉でそう告げると、グレイはそのまま息を呑む。困惑の色が場の空気にも滲んでいた。
「例えこれがあの人の叶えたかった夢だとしても、あの人がいない世界に意味なんか無い」
「……ですが、クロエ様」
「お前はどうなんだ」
「…………グレイは、」
分かっている。この問答にだって意味は無い。
ただ、やり場のない気持ちをぶつけているに過ぎなくて、不毛そのものだと、そんな事は百も承知だ。
分かっていても、確かめずにはいられなかった。
「グレイはどんな形であれ、博士の願いを叶えられるのでしたら本望です。〝理想郷〟で生きて欲しいというのが、あの方の悲願でしたから」
彼女から返されたその言葉に嘘偽りは無く、疑う余地すら残されていない。
「…………そうか」
「ですが、」
「クロエ様のお考えも、全く分からないわけではございません」
「相変わらずハッキリしないな」
短いため息の中に、呆れと多少の安堵が入り混じる。このやり取りだけは、かつての日常のようだった。
「ま、お前はそのままで良いさ。無理に変わる必要もない」
そう言いながら錆び付いた手すりに預けていた体重を元に戻し、ゆっくりと建物の方へ歩を進める。
「クロエ様……?」
「恨むなよ、グレイ。俺はこれから――」
「まやかしの理想郷に囚われたあの人を解放する。その為なら、どうなったって構わない」
嘆き悲しんだ助手のその言葉に、もう一方の助手が頷いたか否かは誰も知らない。
肯定か、あるいは否定か、沈黙か。
無機質な音を立てて閉まる鉄の扉が、もう二度と、ここへは帰らぬことを物語っていた。
星の綺麗な、とても静かな夜だった。
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