君を救えた世界で、俺は君の兄でいられるか

RyoMa

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第1章

過去へ── 声なき俺と、時を越える猫

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朝の食卓は静かだった。
テレビもつけていない。BGMもない。
聞こえるのは、子供のレンが
スプーンですくうシリアルの音だけ。

俺はスマホに打ち込んだ文字をマキに見せる。
『今日は病院、午後から行ってくる』

マキは一度だけ頷くと、
黙って口にコーヒーを運んだ。
もう何度目になるだろう。
この“声を失った生活”が始まってから、
俺たち夫婦の会話はこんな形になった。
スマホ越しの文字、ジェスチャー、
うまく伝わらない意思。

最初のうちは、
マキも一生懸命聞き取ろうとしてくれていた。
だけど、聞き返すたびに
俺がイライラするのが伝わったのだろう。
そのうち、彼女は俺の
“声なき言葉”
に触れようともしなくなった。

いまや俺とマキの間にあるのは、
ぎこちない気遣いと、
最低限の生活のやりとりだけ。

レンの前では、
できるだけ笑顔でいようと思っていた。

だけど…

俺とマキの築いてきたものが
音を立てて崩れていく。
5歳のレンにさえ、
それは伝わってしまっている気がしていた。



そんなある日、レンが保育園から帰ってきて、
嬉しそうに俺に言った。

「パパ、きょうね、えをかいたの!」

俺は横になりながらスマホを覗き込むをやめ、
体を起こした。
レンがリュックから
ぐしゃぐしゃになった画用紙を取り出し、
俺の膝に置く。

描かれていたのは、4人の人物と、
白いネコ。

「……プリンか」

つい最近、飼いはじめたばかりの白猫だ。
メスで、名前はレンがつけた。
気まぐれで、甘えん坊で、
夜中になると人の枕元に座って
じっとこっちを見てくる。
不思議な猫だった。

「これね、パパとママとレンとプリンと………」

レンが指差す先に、
もうひとり、描かれていた。
家族の誰でもない。
でも、どこか懐かしい顔立ち。
髪が短くて、
笑っているようにも、
泣いているようにも見える男の子。
名前は書かれていない。

「ねぇパパ、この人ね、ゆう…ひって名前だったと思う。夢に出てきたの」
「助けてって、言ってたよ」

——ドクン















世界が

















止まった。


















静まり返った空間に響き渡るのは、
俺の心臓の音だった。

“ゆうひ”という名前は、
家の中で誰も口に出したことがない。
レンにも教えていない。
俺自身、口に出せなかった。
名前を言葉にするたびに、
後悔と自責が押し寄せてきて
潰れそうになるから。

なのにレンは、それを絵に描いた。
夢で会ったと言った。
「助けて」と言われたと。

俺の指先が震える。
画用紙が、かすかに揺れている気がした。
それとも、俺の心が揺れてるだけか。

視界がぐにゃりと歪む。
頭の奥で「ドクン、ドクン」と
心臓が脈打ち始める。

——京都のラーメン屋で、口いっぱいに頬張りながら笑顔を振りまいていたゆうひ。
——草野球を眺めながら、ビールを飲んで顔を真っ赤にしていた姿。
——バンドのロゴを描いてくれたあの日の、真剣な横顔。

全ての思い出が一気に、脳裏に蘇る。

——そして、なぜかそこに“プリン”がいた気がした。

……あれ?
これは過去の記憶のはずなのに。
なんでプリンが……?

「……レン、これ、どこで見たの?」

俺がスマホに文字を打ち込もうとしたその時。

——絵の中の“ゆうひ”が、視線を合わせてきた。

瞬きも、笑顔も、しない。
ただ、まっすぐに俺のことを見つめていた。

気づけば、絵の輪郭がゆらいでいる。
まるで熱を持った空気みたいに、揺れていた。

そして…


「あにき、助けてよ」


その声が、心の中に直に響いた瞬間——















!?



















世界が

ひっくり返った。











光がねじれて、音が消えて、全身が浮いたような感覚。















——目を開けた時、俺は見知らぬ天井を見ていた。



いや——知ってる。懐かしい。
この部屋は、
小学三年生のときに引っ越した、あの家だ。



体を起こすと、パジャマがだぶついている。
鏡を見ると、そこに映っているのは
小さな俺自身だった。

息が詰まる。

——マジかよ。
——なんで俺、子どもになってんだよ。

混乱の中でも、
胸の奥に不思議と
ある確信があった。

これは

"夢"

じゃない。

俺は今、本当に

“過去”

に来たんだ。













すると、どこからか——

「ニャー」

聴き馴染みのある、猫の低い鳴き声がした。

「……プリン?」

振り返ると、そこにはたしかに
“あの白猫”がいた。

けれど、ここは過去。
まだプリンを飼っていなかったはずの世界。

なのに、なぜ。

なんで……プリンが、いる?















『お前をここに連れてきたのは、あたいだ。
時の案内人とでも言ったところかね』

……え、ちょっと待って。
猫が、しゃべった……?

俺は混乱の極みに達して、
視界がぐるぐると回り始め——

意識という手綱を手放した。

第1章 了
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