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「……ニュール。あんたの家の前、大変なことになっているぞ」
朝一番、隣の家から出てきたギルベルト様が、引き攣った顔で私の窓を叩きました。
私は眠い目を擦りながら、自慢のシルクの端切れ(元ドレス)をパジャマ代わりにして窓を開けました。
「おはようございます、ギルベルト様。大変なこと、ですか? もしかして、空から金平糖でも降ってきましたの?」
「そんな可愛いものじゃない。……見ろ」
ギルベルト様が指差す先、私の小さな庭の入り口には、山のような「何か」が積み上げられていました。
それは、どす黒い土のような、あるいは枯れ草の塊のような、およそ令嬢の家の前には相応しくない物体でした。
「あらまあ……。これはまた、随分と立派な……」
「アインス殿下の差し金だろうな。『悪役令嬢には泥に塗れた生活がお似合いだ』という手紙が、私の家のポストにも放り込まれていた」
ギルベルト様は不機嫌そうに鼻を鳴らしましたが、私はすでに庭に飛び出していました。
素足でその山に近づき、指先で少しだけ触れてみます。
「ギルベルト様! 見てください! これ、ただの泥ではありませんわ!」
「……何? 猛毒の沼の土か何かか?」
「いいえ! これ、最高級の『完熟堆肥』ですわ! それも、馬厩舎から出たばかりの、栄養たっぷりの……!」
私は目を輝かせました。
「これだけの量を買おうと思えば、銀貨数枚は飛びますわ。王子は私が家庭菜園を始めたがっているのを察して、こんなに大量の肥料を贈ってくださったのですね」
「……。あんた、あれを嫌がらせではなく、プレゼントだと思っているのか?」
「嫌がらせでこんなに重いものを運ばせるほど、王子は暇ではありませんでしょう? きっと、昨日のハーブの香りに感動して、私のガーデニングを応援したくなったのですわ。なんてお優しい……!」
私はさっそく、物置から古いシャベル(不動産屋の店主からもらったもの)を取り出し、泥の山を切り崩し始めました。
すると、その日の午後のことです。
私の「不幸」を確認しに、アインス王子が再び馬車で現れました。
「はっはっは! どうだニュール! その異臭に耐えかねて、泣きながら許しを乞う準備はできたか!」
馬車の窓から顔を出した王子は、高笑いを上げました。
しかし、彼の視界に入ったのは、額に汗をかきながらも満面の笑みで土を捏ねている私でした。
「あ、王子! ちょうど良いところに! 先ほどは素晴らしい堆肥をありがとうございました!」
「……たい、ひ?」
「ええ! おかげで、あそこのミントやカモミールが、来月には今の三倍は大きく育ちそうですわ。お礼と言っては何ですが……はい、これ」
私は泥だらけの手で、ポケットから「干したばかりの芋」を取り出し、王子に差し出しました。
「……貴様、バカにしているのか!? それは嫌がらせの泥だ! 悪役令嬢を汚すための、汚物なのだぞ!」
「汚物だなんて、土に失礼ですわ。土はすべての生命の母。王子も、そんなに怒ってばかりいないで、一緒に土をいじりませんか? 心が洗われますわよ」
「誰がするか! 貴様……貴様という女は……!」
王子は顔を真っ赤にして絶句しました。
嫌がらせが「感謝」で返されるという、彼にとっての未知の体験に、脳が処理しきれなくなっているようです。
「……殿下。もう諦めたらどうですか。彼女に常識的な嫌がらせは通用しませんよ」
ギルベルト様が、家のテラスから呆れたように声をかけました。
「ギルベルト! 貴公、なぜ止めてくれない! この女、私の高貴な精神を削りにきているぞ!」
「私は止めたのですがね。彼女が『王子の愛を感じる』とあまりに嬉しそうに言うので」
「愛などあるかぁぁぁ!!」
王子は叫びながら、再び馬車を急かして去っていきました。
私はその背中に向かって、シャベルを大きく振りました。
「王子! 次は石灰がいいですわ! 待っていますねー!」
「……ニュール。あんた、わざと言っているのか?」
ギルベルト様が、私の隣まで歩いてきて低い声で尋ねました。
「わざと、とは? 私はただ、好意には好意で返しているだけですわ」
「……。殿下は今頃、馬車の中で震えているだろうな。別の意味で」
ギルベルト様は溜息をつきましたが、その目はどこか楽しそうに細められていました。
「さあ、泥遊び……いや、ガーデニングはそこまでにしておけ。お湯が沸いた。今日はあんたが言っていた『ミルクティー』を淹れてもらおうか」
「まあ、嬉しい。ギルベルト様も、だんだんお茶の魅力が分かってきたようですね」
私は泥だらけの手を井戸でざっと洗い、ギルベルト様の家へと足を踏み入れました。
王子がどれほど私を不幸にしようと画策しても、私の世界には美味しいものと、良い香りの土しか存在しません。
「不幸になれ」と言われても、「お腹が空きました」としか返せないのが私なのです。
私は鼻歌を歌いながら、今日一番の茶葉を選び始めました。
朝一番、隣の家から出てきたギルベルト様が、引き攣った顔で私の窓を叩きました。
私は眠い目を擦りながら、自慢のシルクの端切れ(元ドレス)をパジャマ代わりにして窓を開けました。
「おはようございます、ギルベルト様。大変なこと、ですか? もしかして、空から金平糖でも降ってきましたの?」
「そんな可愛いものじゃない。……見ろ」
ギルベルト様が指差す先、私の小さな庭の入り口には、山のような「何か」が積み上げられていました。
それは、どす黒い土のような、あるいは枯れ草の塊のような、およそ令嬢の家の前には相応しくない物体でした。
「あらまあ……。これはまた、随分と立派な……」
「アインス殿下の差し金だろうな。『悪役令嬢には泥に塗れた生活がお似合いだ』という手紙が、私の家のポストにも放り込まれていた」
ギルベルト様は不機嫌そうに鼻を鳴らしましたが、私はすでに庭に飛び出していました。
素足でその山に近づき、指先で少しだけ触れてみます。
「ギルベルト様! 見てください! これ、ただの泥ではありませんわ!」
「……何? 猛毒の沼の土か何かか?」
「いいえ! これ、最高級の『完熟堆肥』ですわ! それも、馬厩舎から出たばかりの、栄養たっぷりの……!」
私は目を輝かせました。
「これだけの量を買おうと思えば、銀貨数枚は飛びますわ。王子は私が家庭菜園を始めたがっているのを察して、こんなに大量の肥料を贈ってくださったのですね」
「……。あんた、あれを嫌がらせではなく、プレゼントだと思っているのか?」
「嫌がらせでこんなに重いものを運ばせるほど、王子は暇ではありませんでしょう? きっと、昨日のハーブの香りに感動して、私のガーデニングを応援したくなったのですわ。なんてお優しい……!」
私はさっそく、物置から古いシャベル(不動産屋の店主からもらったもの)を取り出し、泥の山を切り崩し始めました。
すると、その日の午後のことです。
私の「不幸」を確認しに、アインス王子が再び馬車で現れました。
「はっはっは! どうだニュール! その異臭に耐えかねて、泣きながら許しを乞う準備はできたか!」
馬車の窓から顔を出した王子は、高笑いを上げました。
しかし、彼の視界に入ったのは、額に汗をかきながらも満面の笑みで土を捏ねている私でした。
「あ、王子! ちょうど良いところに! 先ほどは素晴らしい堆肥をありがとうございました!」
「……たい、ひ?」
「ええ! おかげで、あそこのミントやカモミールが、来月には今の三倍は大きく育ちそうですわ。お礼と言っては何ですが……はい、これ」
私は泥だらけの手で、ポケットから「干したばかりの芋」を取り出し、王子に差し出しました。
「……貴様、バカにしているのか!? それは嫌がらせの泥だ! 悪役令嬢を汚すための、汚物なのだぞ!」
「汚物だなんて、土に失礼ですわ。土はすべての生命の母。王子も、そんなに怒ってばかりいないで、一緒に土をいじりませんか? 心が洗われますわよ」
「誰がするか! 貴様……貴様という女は……!」
王子は顔を真っ赤にして絶句しました。
嫌がらせが「感謝」で返されるという、彼にとっての未知の体験に、脳が処理しきれなくなっているようです。
「……殿下。もう諦めたらどうですか。彼女に常識的な嫌がらせは通用しませんよ」
ギルベルト様が、家のテラスから呆れたように声をかけました。
「ギルベルト! 貴公、なぜ止めてくれない! この女、私の高貴な精神を削りにきているぞ!」
「私は止めたのですがね。彼女が『王子の愛を感じる』とあまりに嬉しそうに言うので」
「愛などあるかぁぁぁ!!」
王子は叫びながら、再び馬車を急かして去っていきました。
私はその背中に向かって、シャベルを大きく振りました。
「王子! 次は石灰がいいですわ! 待っていますねー!」
「……ニュール。あんた、わざと言っているのか?」
ギルベルト様が、私の隣まで歩いてきて低い声で尋ねました。
「わざと、とは? 私はただ、好意には好意で返しているだけですわ」
「……。殿下は今頃、馬車の中で震えているだろうな。別の意味で」
ギルベルト様は溜息をつきましたが、その目はどこか楽しそうに細められていました。
「さあ、泥遊び……いや、ガーデニングはそこまでにしておけ。お湯が沸いた。今日はあんたが言っていた『ミルクティー』を淹れてもらおうか」
「まあ、嬉しい。ギルベルト様も、だんだんお茶の魅力が分かってきたようですね」
私は泥だらけの手を井戸でざっと洗い、ギルベルト様の家へと足を踏み入れました。
王子がどれほど私を不幸にしようと画策しても、私の世界には美味しいものと、良い香りの土しか存在しません。
「不幸になれ」と言われても、「お腹が空きました」としか返せないのが私なのです。
私は鼻歌を歌いながら、今日一番の茶葉を選び始めました。
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