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「……はふう。今日の太陽は、まるで焼き立てのパンケーキのように温かくて心地よいですわね」
公爵邸の広大な庭園。その中央にある、王国一美しいと称される薔薇園のど真ん中で、私はレジャーシートを広げて寝転んでおりました。
本来なら、公爵夫人として優雅に東屋で刺繍でもしているべき時間なのでしょうが、私にとっての「優雅」は、地面の温もりを背中で感じることなのです。
「……ニュール。またそんなところで野宿のような真似を。使用人たちが、主人が行き倒れていると勘違いして泣きそうな顔で報告に来たぞ」
呆れたような、けれどどこか楽しげな声が降ってきました。
目を開けると、そこには公爵家当主にして王国の宰相、そして私の愛する夫であるギルベルト様が立っていました。
「あら、ギルベルト様。野宿だなんて人聞きの悪い。これは『大地のエネルギーを皮膚から吸収する、最先端の美容法』ですわよ」
「……あんたが言うと、ただの昼寝も国家的な研究課題に聞こえるから不思議だな」
ギルベルト様は私の隣に腰を下ろすと、私が抱えていたカゴの中を覗き込みました。
「今日は何を持ち出したんだ? ……ほう。これは、あの角のパン屋の新作か」
「ええ! 以前の『隠れ家』の近くのパン屋さん、今ではギルベルト様のおかげで『公爵家御用達』になって、毎日行列が絶えませんのよ。でも、私の分は店主さんが特別に『秘密のポケット』に隠しておいてくださるのです」
私はカゴから、蜂蜜がたっぷりかかったナッツのデニッシュを取り出し、ギルベルト様の口元に差し出しました。
「はい、あーん。お仕事で疲れた脳みそには、糖分が一番の特効薬ですわ」
「……。人目があるんだが。……む。……甘いな。だが、疲れが抜ける」
ギルベルト様は不器用そうにデニッシュを咀嚼し、満足げに目を細めました。
私たちがこうして結婚して、一年が経ちました。
あのアインス王子は、北の修道院で毎日朝から晩までジャガイモの皮を剥く生活を送っているそうです。なんでも、あまりに皮剥きが上達しすぎて「ポテトの魔術師」と呼ばれているとか。
ミスティ様も、国外の遠い親戚の家で、毎日厳しい家事手伝いに追われていると聞きます。
「……ねえ、ギルベルト様。今思えば、私を悪役令嬢と呼んで婚約破棄してくださったアインス様には、感謝しなくてはなりませんわね」
「……感謝? 散々嫌がらせをされたのにか?」
「ええ。もしあのまま王妃になっていたら、私は今頃、堅苦しいお城の中で、食べたいものも食べられずに干からびていたでしょう。……何より、あなたと一緒にこうしてパンを齧る幸せを知らずに終わっていたはずですもの」
私はギルベルト様の肩に頭を預け、流れる雲を眺めました。
「ギルベルト様。私、公爵夫人になっても、ちっとも立派になれませんでしたけれど。……がっかりしていらっしゃいませんか?」
「がっかり? ……まさか」
ギルベルト様が、私の手をそっと握りしめました。その手のひらは、出会った頃よりもずっと温かく感じます。
「あんたが立派な淑女になったら、俺の淹れる茶が不味くなる。あんたは、そのままでいいんだ。……食べ物に目を輝かせ、誰に何を言われても『そうですか』と笑い飛ばす。その図太さ……いや、強さこそが、この国の、そして私の光なんだからな」
「まあ。ギルベルト様、いつの間にそんなにお上手なセリフを言えるようになったのですか? さては、お砂糖を直接舐めましたわね?」
「……あんたと一緒にいるせいだ。甘さが移ったんだろう」
ギルベルト様は少し照れくさそうに顔を背けましたが、その手は離そうとしませんでした。
「あ、見てください! あの雲、大きなスコーンの形に見えませんか?」
「……いや、あれはどちらかと言うと、あんたが昨日失敗した、焦げたマフィンの形に見えるが」
「失礼な! 失敗ではありませんわ。あれは『クリスピーな苦味を楽しむ上級者向けの逸品』です!」
私たちは、子供のように笑い合いました。
悪役令嬢。没落。断罪。
そんな騒々しい言葉は、もう遠い昔の物語のようです。
私は私らしく、今日も美味しいものを食べて、大好きな人と笑う。
それだけで、私の人生という名のフルコースは、いつだって最高のデザートで締めくくられているのですから。
「……ギルベルト様。明日の朝食は、何にしましょうか?」
「……ああ。そうだな。あんたの好きな、あのイチゴジャムをたっぷり乗せたトーストにしよう」
「最高ですわ! では、さっそく明日のために、今からもう一度お昼寝をしましょう?」
「……寝るための準備に寝るのか? ……まあいい。あんたのペースに、一生付き合うと決めたからな」
太陽の光が、優しく私たちを包み込みます。
風はハーブの香りを運び、小鳥たちは祝福の歌を歌っています。
本日も晴天、お昼寝日和。
私は、私のままで、世界で一番幸せなティータイムを更新し続けるのでした。
公爵邸の広大な庭園。その中央にある、王国一美しいと称される薔薇園のど真ん中で、私はレジャーシートを広げて寝転んでおりました。
本来なら、公爵夫人として優雅に東屋で刺繍でもしているべき時間なのでしょうが、私にとっての「優雅」は、地面の温もりを背中で感じることなのです。
「……ニュール。またそんなところで野宿のような真似を。使用人たちが、主人が行き倒れていると勘違いして泣きそうな顔で報告に来たぞ」
呆れたような、けれどどこか楽しげな声が降ってきました。
目を開けると、そこには公爵家当主にして王国の宰相、そして私の愛する夫であるギルベルト様が立っていました。
「あら、ギルベルト様。野宿だなんて人聞きの悪い。これは『大地のエネルギーを皮膚から吸収する、最先端の美容法』ですわよ」
「……あんたが言うと、ただの昼寝も国家的な研究課題に聞こえるから不思議だな」
ギルベルト様は私の隣に腰を下ろすと、私が抱えていたカゴの中を覗き込みました。
「今日は何を持ち出したんだ? ……ほう。これは、あの角のパン屋の新作か」
「ええ! 以前の『隠れ家』の近くのパン屋さん、今ではギルベルト様のおかげで『公爵家御用達』になって、毎日行列が絶えませんのよ。でも、私の分は店主さんが特別に『秘密のポケット』に隠しておいてくださるのです」
私はカゴから、蜂蜜がたっぷりかかったナッツのデニッシュを取り出し、ギルベルト様の口元に差し出しました。
「はい、あーん。お仕事で疲れた脳みそには、糖分が一番の特効薬ですわ」
「……。人目があるんだが。……む。……甘いな。だが、疲れが抜ける」
ギルベルト様は不器用そうにデニッシュを咀嚼し、満足げに目を細めました。
私たちがこうして結婚して、一年が経ちました。
あのアインス王子は、北の修道院で毎日朝から晩までジャガイモの皮を剥く生活を送っているそうです。なんでも、あまりに皮剥きが上達しすぎて「ポテトの魔術師」と呼ばれているとか。
ミスティ様も、国外の遠い親戚の家で、毎日厳しい家事手伝いに追われていると聞きます。
「……ねえ、ギルベルト様。今思えば、私を悪役令嬢と呼んで婚約破棄してくださったアインス様には、感謝しなくてはなりませんわね」
「……感謝? 散々嫌がらせをされたのにか?」
「ええ。もしあのまま王妃になっていたら、私は今頃、堅苦しいお城の中で、食べたいものも食べられずに干からびていたでしょう。……何より、あなたと一緒にこうしてパンを齧る幸せを知らずに終わっていたはずですもの」
私はギルベルト様の肩に頭を預け、流れる雲を眺めました。
「ギルベルト様。私、公爵夫人になっても、ちっとも立派になれませんでしたけれど。……がっかりしていらっしゃいませんか?」
「がっかり? ……まさか」
ギルベルト様が、私の手をそっと握りしめました。その手のひらは、出会った頃よりもずっと温かく感じます。
「あんたが立派な淑女になったら、俺の淹れる茶が不味くなる。あんたは、そのままでいいんだ。……食べ物に目を輝かせ、誰に何を言われても『そうですか』と笑い飛ばす。その図太さ……いや、強さこそが、この国の、そして私の光なんだからな」
「まあ。ギルベルト様、いつの間にそんなにお上手なセリフを言えるようになったのですか? さては、お砂糖を直接舐めましたわね?」
「……あんたと一緒にいるせいだ。甘さが移ったんだろう」
ギルベルト様は少し照れくさそうに顔を背けましたが、その手は離そうとしませんでした。
「あ、見てください! あの雲、大きなスコーンの形に見えませんか?」
「……いや、あれはどちらかと言うと、あんたが昨日失敗した、焦げたマフィンの形に見えるが」
「失礼な! 失敗ではありませんわ。あれは『クリスピーな苦味を楽しむ上級者向けの逸品』です!」
私たちは、子供のように笑い合いました。
悪役令嬢。没落。断罪。
そんな騒々しい言葉は、もう遠い昔の物語のようです。
私は私らしく、今日も美味しいものを食べて、大好きな人と笑う。
それだけで、私の人生という名のフルコースは、いつだって最高のデザートで締めくくられているのですから。
「……ギルベルト様。明日の朝食は、何にしましょうか?」
「……ああ。そうだな。あんたの好きな、あのイチゴジャムをたっぷり乗せたトーストにしよう」
「最高ですわ! では、さっそく明日のために、今からもう一度お昼寝をしましょう?」
「……寝るための準備に寝るのか? ……まあいい。あんたのペースに、一生付き合うと決めたからな」
太陽の光が、優しく私たちを包み込みます。
風はハーブの香りを運び、小鳥たちは祝福の歌を歌っています。
本日も晴天、お昼寝日和。
私は、私のままで、世界で一番幸せなティータイムを更新し続けるのでした。
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