婚約破棄? 承知いたしました。では、こちらにサインを。

どんぶり

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ノックス公国の王宮、婚礼準備室。


目の前に積み上げられた分厚い見積書の山を、ベルモットは凄まじい速度で検品していた。


「……却下ですわ。この最高級シルクのレッドカーペット、一メートル歩くごとに銀貨三枚の摩耗コストが発生します。代わりに我が領地で開発した『高耐久型魔導防汚カーペット』を敷き詰めなさい。耐久テストの公開デモンストレーションにもなりますわ」


「お嬢様、それでは婚礼の儀というより、新素材の展示会になってしまいますが……」


セバスが困ったように眼鏡を押し上げるが、ベルモットのペンは止まらない。


「セバス、甘いですわ。結婚式とは本来、莫大な費用をドブに捨てるだけの『非生産的な宗教儀式』。ですが、私の辞書に『純損失』という文字はありません。この式を、世界最大のプロモーション・イベントに作り替えるのです」


そこへ、新郎用の礼服の仮縫いを終えたカシアンが入ってきた。


「やあ、私の有能なCEO。結婚式の進捗はどうだい? ……おや、その不敵な笑みは、また誰かの財布を空にする計画を立てているね?」


「カシアン閣下、ちょうどいいところに。こちらが本日の議題、『結婚式収益化計画(ウェディング・マネタイズ)』の最終案ですわ」


ベルモットは黒板に、式場の座席表と、そこに付随する「広告単価」を書き込み始めた。


「まず、招待客を『顧客(クライアント)』と再定義します。最前列のVIP席は、我が領地の新事業に対する『優先投資権』とセットで販売。中層階の席には、ノックス公国の新特産品の試食義務を課します」


「……招待客から入場料を取るのかい? 前代未聞だな」


「いいえ、『参加型投資セミナー』への招待ですわ。そして見てください、このウェディングケーキのデザイン。七段すべてに我が領地の魔導冷却技術を導入し、三日間放置しても融けない『不滅の愛(という名の最新冷蔵装置)』として各国の商人に売り込みます」


カシアンは感心したように肩をすくめた。


「不滅の愛、か。……なら、誓いのキスはどう定義するんだ? それも何か技術的なプレゼンにするつもりかい?」


「当然です。『契約締結の公開セレモニー』ですわ。二人の唇が触れる瞬間に、私のドレスに織り込んだ魔導結晶が最大出力で発光し、会場全体に『カシアン閣下の市場価値』と『私の経営手腕』の調和を視覚的に焼き付けます。シャッターチャンス一回につき、報道機関から掲載料を徴収する手配も済んでおりますわ」


カシアンはベルモットの腰を抱き寄せ、その耳元で低く笑った。


「……徹底しているな。だがベルモット、一つだけ忘れていないかい?」


「何でしょう。警備コストの削減案ですか?」


「いいや。……当日、私が君を独占して、一秒もビジネスのことを考えさせないくらいに蕩けさせてしまうという『計算外の変数』についてだ」


カシアンの熱い視線に、ベルモットの計算機が微かにショートしそうになる。


「……そ、それは……実行不可能な仮説ですわ。私の脳内は常に最適化されていますから」


「試してみるかい? 式の最中、ずっと君の手を握り、世界中の誰よりも君が愛おしいと囁き続ける。君の冷静な判断力が、どこまで持つか楽しみだ」


ベルモットは顔を真っ赤にして、持っていた計算尺でカシアンの胸を軽く突いた。


「……不当な心理的圧迫ですわ! そんなの、契約条件に含まれていません!」


「契約にないことは、現場の判断に委ねられる。……そうだよね、セバス?」


「は。カシアン様の『愛の過剰供給』に関しては、現在お嬢様のキャパシティを大幅に超過する見込みでございます」


セバスが淡々と報告を付け加える。


ベルモットは「もう、どいつもこいつも非効率なことばかり……!」と毒づきながらも、その口元には隠しきれない幸福のラインが刻まれていた。


「……分かりましたわ。その『愛』とやらが、どれほどの経済的付加価値を私の人生にもたらすのか……当日、一番特等席で検証してあげますわよ」


「ああ。最高の結果を保証するよ」


カシアンは彼女の額にそっと唇を寄せた。


王都で「悪役令嬢」として捨てられた少女は、今、荒野で築き上げた富と、隣国の公爵という最強のパートナーを手に、世界で最も「価値のある」結婚式へと向かおうとしていた。


準備室の床には、不要となった「妥協」の二文字が書かれた書類が、一枚も残っていなかった。


全ての数字が、二人の幸福な未来を指し示していたのである。
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