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「さて、本日のメインディッシュをいただきましょうか。……この、嘘と虚飾にまみれた腐敗臭のする帳簿という名のゴミ山を」
朝日が差し込む執務室で、私は昨夜仕分けした「赤字の元凶」を前に、扇子を優雅に広げた。
目の前には、グランザード領の財政を握ってきた財務官のガストン男爵が立っている。
彼は脂ぎった顔を拭いながら、私を侮るような薄笑いを浮かべていた。
「ルチアーナ様、公爵令嬢ともあろう方が、このような小難しい数字を理解できるとは思えませんが。これは我々専門家が長年管理してきた、非常に繊細な資料でしてな」
「専門家? 算数もまともにできない方の自称ほど、滑稽なものはありませんわね。例えばこの『馬の飼料代』。領内に存在する馬の頭数に対して、消費量が三倍になっていますわ。あなたのところの馬は、鉄でも食べているのかしら?」
私は帳簿の一行を指差し、ガストンを冷徹に見据えた。
彼の顔から余裕が消え、頬がぴくりと引きつる。
「そ、それは……不測の事態に備えての備蓄分でして……」
「備蓄? では、その備蓄先であるはずの第三倉庫が、先月空のまま売却されているのはなぜかしら? しかも、売却先はあなたの親族が経営する商会。売却価格は市場の十分の一。……これ、どこの国の言葉で『横領』と呼ぶのか、教えてくださる?」
私は次々と、彼が隠していた「穴」を突いていった。
私の頭脳は、矛盾する数字を見つけると自動的に警報が鳴る仕組みになっている。
以前、王宮の予算案を三徹で書き直した経験に比べれば、この程度の改竄を見抜くのは赤子の手をひねるより容易い。
「ぐっ……。た、たかが小娘が、知った風な口を! 証拠はあるのか!」
「証拠? 今、あなたが私の目の前で流しているその不自然な冷や汗が、何よりの証拠ですわ。それに、あなたが隠し持っている『真の帳簿』の場所も、すでに見当がついていますの」
「なっ……!?」
「あなたの執務室の、歴代領主の肖像画の裏にある金庫。……昨日、ミーナ様にこっそり探りを入れてもらったの。彼女、ああ見えて『隠し事を見つける』才能だけは聖女級ですわよ」
扉が勢いよく開き、ミーナが誇らしげに分厚い一冊の本を掲げて入ってきた。
その後ろには、抜き身の剣を下げたフェリクス様が死神のような無表情で控えている。
「師匠! 見つけましたわ! この中には、彼が私服を肥やした全記録が、それはもう几帳面に書き込まれておりました!」
「ご苦労様、ミーナ様。……さて、ガストン男爵。言い残すことはありますか? 効率を重んじる私としては、さっさと白状していただいた方が、あなたの刑期も少しは『効率的』に短縮されるかもしれませんわよ」
ガストンはその場にへたり込み、フェリクス様の放つ威圧感に耐えきれず、白目を剥いて気絶した。
私はそれを見下ろし、パチンと扇子を閉じた。
「汚いものですわね。フェリクス様、この男と一味の資産はすべて没収し、領民への減税とインフラ整備に回してください。事務手続きは私が今夜中に終わらせます」
「ルゥ……。お前は本当に、戦場での俺よりも容赦がないな」
フェリクス様が呆れたように、けれど深く心酔したような眼差しで私を見つめた。
気絶した男が騎士たちに引きずり出されていくのを見届け、私はようやく肩の力を抜いた。
その夜。
一日の激務を終えた私は、城のテラスで夜風に吹かれていた。
静寂の中に、遠くで騎士たちが訓練に励む声だけが聞こえてくる。
「疲れたか」
背後から掛けられた声に、振り返るまでもなく私は微笑んだ。
フェリクス様が、二つのグラスを持って近づいてくる。
片方を手渡された私は、中の果実水を一口飲んだ。
「疲れましたわ。ですが、泥沼を掃除した後のような爽快感があります。……まさか私が、他人の領地のためにここまで必死になるとは思いませんでしたけれど」
「お前は、目の前に困っている奴がいると放っておけない質なんだろう。本人は効率だの悪役だのと言っているが、中身は誰よりもお人好しだ」
「……失礼ですわ。私はただ、自分の周囲に無能がいるのが耐えられないだけです」
私が顔を背けると、フェリクス様が不意に私の髪に触れた。
その大きな手が、私の頬を包み込む。
鼓動が、一気に加速した。
「ルゥ。俺は今、確信している。お前を王宮から連れ出したのは、俺の人生で最高の決断だった。お前のいないグランザード領など、もう考えられない」
「フェリクス様……。それは、内政官としての評価かしら、それとも……」
「決まっているだろう。一人の男として、愛する女への賛辞だ」
フェリクス様の顔が、ゆっくりと近づいてくる。
月の光が、彼の真剣な瞳を映し出していた。
私は逃げようと思えば逃げられた。
だが、私の体は、計算外の熱に浮かされたように動かなかった。
(どうしましょう。私の人生設計に、こんな甘いシチュエーションは含まれていなかったのに)
唇が触れる寸前、城内から「師匠ー! また怪しい書類を見つけましたわー!」というミーナの元気すぎる叫び声が響いた。
私たちは反射的に離れ、互いに気まずそうに視線を逸らした。
「……ミーナ様。あの弟子、あとで再教育が必要ですわね」
「ああ、同感だ。明日から、彼女のトレーニングメニューを三倍にしておこう」
私たちは苦笑いし、再び夜空を見上げた。
恋の進展は非効率極まりないが、悪くない夜だと思った。
朝日が差し込む執務室で、私は昨夜仕分けした「赤字の元凶」を前に、扇子を優雅に広げた。
目の前には、グランザード領の財政を握ってきた財務官のガストン男爵が立っている。
彼は脂ぎった顔を拭いながら、私を侮るような薄笑いを浮かべていた。
「ルチアーナ様、公爵令嬢ともあろう方が、このような小難しい数字を理解できるとは思えませんが。これは我々専門家が長年管理してきた、非常に繊細な資料でしてな」
「専門家? 算数もまともにできない方の自称ほど、滑稽なものはありませんわね。例えばこの『馬の飼料代』。領内に存在する馬の頭数に対して、消費量が三倍になっていますわ。あなたのところの馬は、鉄でも食べているのかしら?」
私は帳簿の一行を指差し、ガストンを冷徹に見据えた。
彼の顔から余裕が消え、頬がぴくりと引きつる。
「そ、それは……不測の事態に備えての備蓄分でして……」
「備蓄? では、その備蓄先であるはずの第三倉庫が、先月空のまま売却されているのはなぜかしら? しかも、売却先はあなたの親族が経営する商会。売却価格は市場の十分の一。……これ、どこの国の言葉で『横領』と呼ぶのか、教えてくださる?」
私は次々と、彼が隠していた「穴」を突いていった。
私の頭脳は、矛盾する数字を見つけると自動的に警報が鳴る仕組みになっている。
以前、王宮の予算案を三徹で書き直した経験に比べれば、この程度の改竄を見抜くのは赤子の手をひねるより容易い。
「ぐっ……。た、たかが小娘が、知った風な口を! 証拠はあるのか!」
「証拠? 今、あなたが私の目の前で流しているその不自然な冷や汗が、何よりの証拠ですわ。それに、あなたが隠し持っている『真の帳簿』の場所も、すでに見当がついていますの」
「なっ……!?」
「あなたの執務室の、歴代領主の肖像画の裏にある金庫。……昨日、ミーナ様にこっそり探りを入れてもらったの。彼女、ああ見えて『隠し事を見つける』才能だけは聖女級ですわよ」
扉が勢いよく開き、ミーナが誇らしげに分厚い一冊の本を掲げて入ってきた。
その後ろには、抜き身の剣を下げたフェリクス様が死神のような無表情で控えている。
「師匠! 見つけましたわ! この中には、彼が私服を肥やした全記録が、それはもう几帳面に書き込まれておりました!」
「ご苦労様、ミーナ様。……さて、ガストン男爵。言い残すことはありますか? 効率を重んじる私としては、さっさと白状していただいた方が、あなたの刑期も少しは『効率的』に短縮されるかもしれませんわよ」
ガストンはその場にへたり込み、フェリクス様の放つ威圧感に耐えきれず、白目を剥いて気絶した。
私はそれを見下ろし、パチンと扇子を閉じた。
「汚いものですわね。フェリクス様、この男と一味の資産はすべて没収し、領民への減税とインフラ整備に回してください。事務手続きは私が今夜中に終わらせます」
「ルゥ……。お前は本当に、戦場での俺よりも容赦がないな」
フェリクス様が呆れたように、けれど深く心酔したような眼差しで私を見つめた。
気絶した男が騎士たちに引きずり出されていくのを見届け、私はようやく肩の力を抜いた。
その夜。
一日の激務を終えた私は、城のテラスで夜風に吹かれていた。
静寂の中に、遠くで騎士たちが訓練に励む声だけが聞こえてくる。
「疲れたか」
背後から掛けられた声に、振り返るまでもなく私は微笑んだ。
フェリクス様が、二つのグラスを持って近づいてくる。
片方を手渡された私は、中の果実水を一口飲んだ。
「疲れましたわ。ですが、泥沼を掃除した後のような爽快感があります。……まさか私が、他人の領地のためにここまで必死になるとは思いませんでしたけれど」
「お前は、目の前に困っている奴がいると放っておけない質なんだろう。本人は効率だの悪役だのと言っているが、中身は誰よりもお人好しだ」
「……失礼ですわ。私はただ、自分の周囲に無能がいるのが耐えられないだけです」
私が顔を背けると、フェリクス様が不意に私の髪に触れた。
その大きな手が、私の頬を包み込む。
鼓動が、一気に加速した。
「ルゥ。俺は今、確信している。お前を王宮から連れ出したのは、俺の人生で最高の決断だった。お前のいないグランザード領など、もう考えられない」
「フェリクス様……。それは、内政官としての評価かしら、それとも……」
「決まっているだろう。一人の男として、愛する女への賛辞だ」
フェリクス様の顔が、ゆっくりと近づいてくる。
月の光が、彼の真剣な瞳を映し出していた。
私は逃げようと思えば逃げられた。
だが、私の体は、計算外の熱に浮かされたように動かなかった。
(どうしましょう。私の人生設計に、こんな甘いシチュエーションは含まれていなかったのに)
唇が触れる寸前、城内から「師匠ー! また怪しい書類を見つけましたわー!」というミーナの元気すぎる叫び声が響いた。
私たちは反射的に離れ、互いに気まずそうに視線を逸らした。
「……ミーナ様。あの弟子、あとで再教育が必要ですわね」
「ああ、同感だ。明日から、彼女のトレーニングメニューを三倍にしておこう」
私たちは苦笑いし、再び夜空を見上げた。
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