「婚約破棄、万歳!本日をもって『完璧な淑女』は廃業いたしますわ!」

どんぶり

文字の大きさ
6 / 28

6

しおりを挟む
昨日の「芋騒動」から一夜明け、私は公爵家の豪華な食堂で、これまた豪華すぎて味の薄い朝食を前にしていました。


目の前には、眉間に深い皺を刻んだお父様が座っています。


(……あちゃー。これは流石に、昨日の件が耳に入ったかしらね)


私は、銀のスプーンで透明なコンソメスープを力なく掬いました。


昨日のニンニクと油のパンチに比べれば、このスープはもはや「ただの温かい水」です。


「……カナタ」


「はい、お父様。なんでしょうか。婚約破棄されたショックで、平民の食べ物に手を出して、あまつさえ隣国の公爵様を汚染したというお叱りでしたら、甘んじて受け入れますわ」


私は先手を打って、殊勝な顔で頭を下げました。


「……違う。そうではない」


お父様は一度言葉を切り、周囲の給仕たちに「下がれ」と手で合図しました。


部屋に私とお父様、そしていつものように壁際に控えるミーナだけになると、お父様は身を乗り出して小声で言いました。


「……お前、ノースランド公爵に何を食べさせた?」


「えっ? ……あ、はい。串焼きの肉と、チーズソースをたっぷりかけたフライドポテトですわ」


お父様の目が、カッと見開かれました。


「……チーズソースだと? あの、下町の三番通りにある、あの黄色い液体をかけるやつか?」


「お父様、なぜ場所まで特定できているのですか」


「……。……。いや、昔、仕事の調査でな。……それで、公爵の反応はどうだったのだ」


「それはもう、魂が震えるほど美味しいと仰っていましたわ。最後の一切れをリュカオン殿下に邪魔されそうになった時なんて、この世の終わりみたいな顔をしておられましたもの」


お父様は、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がりました。


そのまま窓際へ行き、遠い目をして庭を眺め始めました。


「……ズルい。ズルすぎるぞ、カナタ。私だって……私だって、あの『秘伝のタレ』がたっぷりかかった串焼きを、もう二十年も食べていないというのに……!」


「……はい?」


私は、耳を疑いました。


今、この厳格で有名なフォルセティ公爵が、なんて言いました?


「お前が妃教育で四苦八苦している間、私は公爵としての品位を守るため、毎日この『味のしない高級食材』と戦ってきたのだ! それなのに、お前は婚約破棄された途端、自分だけ自由になりおって!」


「お父様……。もしかして、怒っている理由って……」


「そうだ! なぜ私を誘わなかった! 私も、あのギトギトした油を摂取したい! 血管が詰まりそうなほどの塩分を感じたいのだ!」


お父様が、机をバンと叩きました。


その顔は、娘を叱る父親のそれではなく、おもちゃを買い与えられなかった子供のようでした。


「……お嬢様。血は争えませんね」


ミーナが隣で、深いため息をつきました。


「……わかりましたわよ、お父様。近いうちに、お父様も変装させて連れて行きますから。……でも、今日はお客様がいらっしゃるんでしょう?」


「……。……ああ、そうだったな。ノースランド公爵が、昨日の礼と、今後の『視察』の打ち合わせに来る予定だ」


お父様は一瞬で「厳格な公爵」の顔に戻りましたが、その目はキラキラと輝いていました。


そこへ、執事が扉をノックしました。


「ノースランド公爵閣下、ご到着されました」


入ってきたオズワルド様は、今日も今日とて完璧な貴公子の姿でした。


昨日のタレまみれの姿が嘘のようです。


「フォルセティ公爵。本日は、昨日のご令嬢の……その、献身的な案内に対する礼を述べに伺いました」


「……。……献身的な、案内、ですか」


お父様が、値踏みするような目でオズワルド様を見ます。


「ええ。彼女のおかげで、私はこの国の『真の姿』を知ることができました。非常に有意義な……視察でした」


オズワルド様は、無表情のまま私に視線を送りました。


その瞳が「今日は何を食べに行く?」と問いかけているように見えるのは、私の錯覚でしょうか。


「公爵閣下。……一つ、伺いたい。昨日の串焼きの、タレの味はどうでしたか」


お父様が、直球を投げ込みました。


オズワルド様は、わずかに眉を動かしました。


「……言葉にするのも恐れ多いほど、破壊的な美味でした。特に、あの焦げたニンニクの香りは、我が国の法典に加えるべき価値があります」


「……やはり。……合格だ」


お父様は力強く頷き、オズワルド様の手をガシッと握りました。


「ノースランド公爵。……いや、オズワルド殿。貴殿とは、良い食卓を囲めそうだ。娘の『ズボラ指導』に、私も同席させてもらっても構わないだろうか?」


「……。……。光栄です。先達の教えを請いたいと思っていました」


そこには、若き氷の公爵と、ベテランの現役公爵による、固い「ジャンクフード同盟」が結ばれた瞬間でした。


「……あの、お二人とも? 私は、お二人を甘やかすガイドではありませんのよ?」


「何を言っているんだ、カナタ。お前が始めた物語だろう?」


お父様が、爽やかな笑顔で言いました。


「……。……師匠。今日は、昨日言っていた『背徳の揚げ菓子』というやつを攻めたいのだが」


オズワルド様まで、期待に満ちた目で私を見ています。


(……。……何これ。婚約破棄されて自由になったはずなのに、なんで公爵二人の胃袋をプロデュースすることになってるのかしら)


私は、こめかみを押さえました。


でも、まあ、いいでしょう。


一人で食べるより、みんなで胃もたれする方が、きっと楽しいはずです。


「……わかりましたわよ。では、今夜。三人で裏門から抜け出しましょう。……あ、お父様。変装用のボロ布は、ミーナに用意させますからね」


「ああ、頼む。……楽しみだな、カナタ」


「……楽しみだ、師匠」


私は、二人の男たちが子供のように期待に胸を膨らませる姿を見て、呆れながらも、新しい「教育」の始まりに少しだけワクワクしているのでした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!

ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」 それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。 挙げ句の果てに、 「用が済んだなら早く帰れっ!」 と追い返されてしまいました。 そして夜、屋敷に戻って来た夫は─── ✻ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。

報われない恋の行方〜いつかあなたは私だけを見てくれますか〜

矢野りと
恋愛
『少しだけ私に時間をくれないだろうか……』 彼はいつだって誠実な婚約者だった。 嘘はつかず私に自分の気持ちを打ち明け、学園にいる間だけ想い人のこともその目に映したいと告げた。 『想いを告げることはしない。ただ見ていたいんだ。どうか、許して欲しい』 『……分かりました、ロイド様』 私は彼に恋をしていた。だから、嫌われたくなくて……それを許した。 結婚後、彼は約束通りその瞳に私だけを映してくれ嬉しかった。彼は誠実な夫となり、私は幸せな妻になれた。 なのに、ある日――彼の瞳に映るのはまた二人になっていた……。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※お話の内容があわないは時はそっと閉じてくださいませ。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

根暗令嬢の華麗なる転身

しろねこ。
恋愛
「来なきゃよかったな」 ミューズは茶会が嫌いだった。 茶会デビューを果たしたものの、人から不細工と言われたショックから笑顔になれず、しまいには根暗令嬢と陰で呼ばれるようになった。 公爵家の次女に産まれ、キレイな母と実直な父、優しい姉に囲まれ幸せに暮らしていた。 何不自由なく、暮らしていた。 家族からも愛されて育った。 それを壊したのは悪意ある言葉。 「あんな不細工な令嬢見たことない」 それなのに今回の茶会だけは断れなかった。 父から絶対に参加してほしいという言われた茶会は特別で、第一王子と第二王子が来るものだ。 婚約者選びのものとして。 国王直々の声掛けに娘思いの父も断れず… 応援して頂けると嬉しいです(*´ω`*) ハピエン大好き、完全自己満、ご都合主義の作者による作品です。 同名主人公にてアナザーワールド的に別な作品も書いています。 立場や環境が違えども、幸せになって欲しいという思いで作品を書いています。 一部リンクしてるところもあり、他作品を見て頂ければよりキャラへの理解が深まって楽しいかと思います。 描写的なものに不安があるため、お気をつけ下さい。 ゆるりとお楽しみください。 こちら小説家になろうさん、カクヨムさんにも投稿させてもらっています。

処理中です...