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昨日の「芋騒動」から一夜明け、私は公爵家の豪華な食堂で、これまた豪華すぎて味の薄い朝食を前にしていました。
目の前には、眉間に深い皺を刻んだお父様が座っています。
(……あちゃー。これは流石に、昨日の件が耳に入ったかしらね)
私は、銀のスプーンで透明なコンソメスープを力なく掬いました。
昨日のニンニクと油のパンチに比べれば、このスープはもはや「ただの温かい水」です。
「……カナタ」
「はい、お父様。なんでしょうか。婚約破棄されたショックで、平民の食べ物に手を出して、あまつさえ隣国の公爵様を汚染したというお叱りでしたら、甘んじて受け入れますわ」
私は先手を打って、殊勝な顔で頭を下げました。
「……違う。そうではない」
お父様は一度言葉を切り、周囲の給仕たちに「下がれ」と手で合図しました。
部屋に私とお父様、そしていつものように壁際に控えるミーナだけになると、お父様は身を乗り出して小声で言いました。
「……お前、ノースランド公爵に何を食べさせた?」
「えっ? ……あ、はい。串焼きの肉と、チーズソースをたっぷりかけたフライドポテトですわ」
お父様の目が、カッと見開かれました。
「……チーズソースだと? あの、下町の三番通りにある、あの黄色い液体をかけるやつか?」
「お父様、なぜ場所まで特定できているのですか」
「……。……。いや、昔、仕事の調査でな。……それで、公爵の反応はどうだったのだ」
「それはもう、魂が震えるほど美味しいと仰っていましたわ。最後の一切れをリュカオン殿下に邪魔されそうになった時なんて、この世の終わりみたいな顔をしておられましたもの」
お父様は、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がりました。
そのまま窓際へ行き、遠い目をして庭を眺め始めました。
「……ズルい。ズルすぎるぞ、カナタ。私だって……私だって、あの『秘伝のタレ』がたっぷりかかった串焼きを、もう二十年も食べていないというのに……!」
「……はい?」
私は、耳を疑いました。
今、この厳格で有名なフォルセティ公爵が、なんて言いました?
「お前が妃教育で四苦八苦している間、私は公爵としての品位を守るため、毎日この『味のしない高級食材』と戦ってきたのだ! それなのに、お前は婚約破棄された途端、自分だけ自由になりおって!」
「お父様……。もしかして、怒っている理由って……」
「そうだ! なぜ私を誘わなかった! 私も、あのギトギトした油を摂取したい! 血管が詰まりそうなほどの塩分を感じたいのだ!」
お父様が、机をバンと叩きました。
その顔は、娘を叱る父親のそれではなく、おもちゃを買い与えられなかった子供のようでした。
「……お嬢様。血は争えませんね」
ミーナが隣で、深いため息をつきました。
「……わかりましたわよ、お父様。近いうちに、お父様も変装させて連れて行きますから。……でも、今日はお客様がいらっしゃるんでしょう?」
「……。……ああ、そうだったな。ノースランド公爵が、昨日の礼と、今後の『視察』の打ち合わせに来る予定だ」
お父様は一瞬で「厳格な公爵」の顔に戻りましたが、その目はキラキラと輝いていました。
そこへ、執事が扉をノックしました。
「ノースランド公爵閣下、ご到着されました」
入ってきたオズワルド様は、今日も今日とて完璧な貴公子の姿でした。
昨日のタレまみれの姿が嘘のようです。
「フォルセティ公爵。本日は、昨日のご令嬢の……その、献身的な案内に対する礼を述べに伺いました」
「……。……献身的な、案内、ですか」
お父様が、値踏みするような目でオズワルド様を見ます。
「ええ。彼女のおかげで、私はこの国の『真の姿』を知ることができました。非常に有意義な……視察でした」
オズワルド様は、無表情のまま私に視線を送りました。
その瞳が「今日は何を食べに行く?」と問いかけているように見えるのは、私の錯覚でしょうか。
「公爵閣下。……一つ、伺いたい。昨日の串焼きの、タレの味はどうでしたか」
お父様が、直球を投げ込みました。
オズワルド様は、わずかに眉を動かしました。
「……言葉にするのも恐れ多いほど、破壊的な美味でした。特に、あの焦げたニンニクの香りは、我が国の法典に加えるべき価値があります」
「……やはり。……合格だ」
お父様は力強く頷き、オズワルド様の手をガシッと握りました。
「ノースランド公爵。……いや、オズワルド殿。貴殿とは、良い食卓を囲めそうだ。娘の『ズボラ指導』に、私も同席させてもらっても構わないだろうか?」
「……。……。光栄です。先達の教えを請いたいと思っていました」
そこには、若き氷の公爵と、ベテランの現役公爵による、固い「ジャンクフード同盟」が結ばれた瞬間でした。
「……あの、お二人とも? 私は、お二人を甘やかすガイドではありませんのよ?」
「何を言っているんだ、カナタ。お前が始めた物語だろう?」
お父様が、爽やかな笑顔で言いました。
「……。……師匠。今日は、昨日言っていた『背徳の揚げ菓子』というやつを攻めたいのだが」
オズワルド様まで、期待に満ちた目で私を見ています。
(……。……何これ。婚約破棄されて自由になったはずなのに、なんで公爵二人の胃袋をプロデュースすることになってるのかしら)
私は、こめかみを押さえました。
でも、まあ、いいでしょう。
一人で食べるより、みんなで胃もたれする方が、きっと楽しいはずです。
「……わかりましたわよ。では、今夜。三人で裏門から抜け出しましょう。……あ、お父様。変装用のボロ布は、ミーナに用意させますからね」
「ああ、頼む。……楽しみだな、カナタ」
「……楽しみだ、師匠」
私は、二人の男たちが子供のように期待に胸を膨らませる姿を見て、呆れながらも、新しい「教育」の始まりに少しだけワクワクしているのでした。
目の前には、眉間に深い皺を刻んだお父様が座っています。
(……あちゃー。これは流石に、昨日の件が耳に入ったかしらね)
私は、銀のスプーンで透明なコンソメスープを力なく掬いました。
昨日のニンニクと油のパンチに比べれば、このスープはもはや「ただの温かい水」です。
「……カナタ」
「はい、お父様。なんでしょうか。婚約破棄されたショックで、平民の食べ物に手を出して、あまつさえ隣国の公爵様を汚染したというお叱りでしたら、甘んじて受け入れますわ」
私は先手を打って、殊勝な顔で頭を下げました。
「……違う。そうではない」
お父様は一度言葉を切り、周囲の給仕たちに「下がれ」と手で合図しました。
部屋に私とお父様、そしていつものように壁際に控えるミーナだけになると、お父様は身を乗り出して小声で言いました。
「……お前、ノースランド公爵に何を食べさせた?」
「えっ? ……あ、はい。串焼きの肉と、チーズソースをたっぷりかけたフライドポテトですわ」
お父様の目が、カッと見開かれました。
「……チーズソースだと? あの、下町の三番通りにある、あの黄色い液体をかけるやつか?」
「お父様、なぜ場所まで特定できているのですか」
「……。……。いや、昔、仕事の調査でな。……それで、公爵の反応はどうだったのだ」
「それはもう、魂が震えるほど美味しいと仰っていましたわ。最後の一切れをリュカオン殿下に邪魔されそうになった時なんて、この世の終わりみたいな顔をしておられましたもの」
お父様は、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がりました。
そのまま窓際へ行き、遠い目をして庭を眺め始めました。
「……ズルい。ズルすぎるぞ、カナタ。私だって……私だって、あの『秘伝のタレ』がたっぷりかかった串焼きを、もう二十年も食べていないというのに……!」
「……はい?」
私は、耳を疑いました。
今、この厳格で有名なフォルセティ公爵が、なんて言いました?
「お前が妃教育で四苦八苦している間、私は公爵としての品位を守るため、毎日この『味のしない高級食材』と戦ってきたのだ! それなのに、お前は婚約破棄された途端、自分だけ自由になりおって!」
「お父様……。もしかして、怒っている理由って……」
「そうだ! なぜ私を誘わなかった! 私も、あのギトギトした油を摂取したい! 血管が詰まりそうなほどの塩分を感じたいのだ!」
お父様が、机をバンと叩きました。
その顔は、娘を叱る父親のそれではなく、おもちゃを買い与えられなかった子供のようでした。
「……お嬢様。血は争えませんね」
ミーナが隣で、深いため息をつきました。
「……わかりましたわよ、お父様。近いうちに、お父様も変装させて連れて行きますから。……でも、今日はお客様がいらっしゃるんでしょう?」
「……。……ああ、そうだったな。ノースランド公爵が、昨日の礼と、今後の『視察』の打ち合わせに来る予定だ」
お父様は一瞬で「厳格な公爵」の顔に戻りましたが、その目はキラキラと輝いていました。
そこへ、執事が扉をノックしました。
「ノースランド公爵閣下、ご到着されました」
入ってきたオズワルド様は、今日も今日とて完璧な貴公子の姿でした。
昨日のタレまみれの姿が嘘のようです。
「フォルセティ公爵。本日は、昨日のご令嬢の……その、献身的な案内に対する礼を述べに伺いました」
「……。……献身的な、案内、ですか」
お父様が、値踏みするような目でオズワルド様を見ます。
「ええ。彼女のおかげで、私はこの国の『真の姿』を知ることができました。非常に有意義な……視察でした」
オズワルド様は、無表情のまま私に視線を送りました。
その瞳が「今日は何を食べに行く?」と問いかけているように見えるのは、私の錯覚でしょうか。
「公爵閣下。……一つ、伺いたい。昨日の串焼きの、タレの味はどうでしたか」
お父様が、直球を投げ込みました。
オズワルド様は、わずかに眉を動かしました。
「……言葉にするのも恐れ多いほど、破壊的な美味でした。特に、あの焦げたニンニクの香りは、我が国の法典に加えるべき価値があります」
「……やはり。……合格だ」
お父様は力強く頷き、オズワルド様の手をガシッと握りました。
「ノースランド公爵。……いや、オズワルド殿。貴殿とは、良い食卓を囲めそうだ。娘の『ズボラ指導』に、私も同席させてもらっても構わないだろうか?」
「……。……。光栄です。先達の教えを請いたいと思っていました」
そこには、若き氷の公爵と、ベテランの現役公爵による、固い「ジャンクフード同盟」が結ばれた瞬間でした。
「……あの、お二人とも? 私は、お二人を甘やかすガイドではありませんのよ?」
「何を言っているんだ、カナタ。お前が始めた物語だろう?」
お父様が、爽やかな笑顔で言いました。
「……。……師匠。今日は、昨日言っていた『背徳の揚げ菓子』というやつを攻めたいのだが」
オズワルド様まで、期待に満ちた目で私を見ています。
(……。……何これ。婚約破棄されて自由になったはずなのに、なんで公爵二人の胃袋をプロデュースすることになってるのかしら)
私は、こめかみを押さえました。
でも、まあ、いいでしょう。
一人で食べるより、みんなで胃もたれする方が、きっと楽しいはずです。
「……わかりましたわよ。では、今夜。三人で裏門から抜け出しましょう。……あ、お父様。変装用のボロ布は、ミーナに用意させますからね」
「ああ、頼む。……楽しみだな、カナタ」
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